再会

第3話

 それから5年が経った。


 佳正は帰って来ないまま。

 幼かった咲良は、いつの間にか中学一年生になっていた。


「いってきまーす‼」

「咲良、学校終わったら連絡して。私の仕事がもし終わってたら迎えに行くから」

「分かった!」


 咲良は通学カバンを肩にかけ、坂道を転がるビー玉のように家を飛び出していった。私が一瞬庭の草木に目をやった隙に、もう足音が聞こえないくらい遠くを走っている。


「咲良ー! 車に気をつけてなさいよー!」


 無邪気で元気な咲良が、いつか事件や事故に巻き込まれないか不安で仕方がない。


「はーい! お母さーん、仕事がんばってねー!」


 私の心配をよそに、咲良は手を振りながら、曲がり角に消えていった。


 中学校に入学してから、かれこれ二ヶ月が経っている。仲の良い友達もできたようで、毎日学校が楽しくて仕方ないらしい。


 佳正が赴任してから、咲良はよく笑うようになった。

 えくぼが特徴的な咲良の笑顔は、佳正に似ている。

 その笑顔を見るたびに、私はどうしようもなく切ない気持ちになるのだ。



 咲良を見送った後、私はすぐに出勤の準備に取り掛かった。


 生活費を稼ぐため、私は近所に新しくできたドラッグストアでパートとして働いている。

 佳正が赴任先で稼いだお金を共有の口座に振り込んでくれているが、大企業・西岡商会の子会社で長年勤めている割には振込額が変化していないのが現実だ。

 それに、自動車の維持費や住宅ローン、その他諸々の出費が毎月あり、とてもじゃないが貯金なんてできない。咲良を養うのにもお金がかかる。

 私も働いて、ようやく収支がわずかに黒字になる程度だ。


 パートは週5日で、開店から16時まで入っている。

 それ以降の時間は咲良を迎えに行ったりしてゆっくり過ごしたいところだが、いつも店長から大事な仕事を任されるため定時に上がれた記憶がない。ほぼ正社員状態だ。


 今日も店に着いた瞬間から、店長に来週のシフト表の作成を依頼され、レジ打ち、品出しとやっているうちに、あっという間に16時になってしまった。


 化粧品コーナーの陳列を行っていると、ふわりと香水の香りが漂ってきた。

 私の隣には、綺麗な女性が立っている。ゆるく一つに結ばれた髪を肩にかけ、胸が強調されるニットのセーターを着ている。さらに、ワインレッドのロングスカート。美人妻という言葉がぴったりな見た目だ。

 

「いらっしゃいませ」

 声をかけると、女性が私の方を振り向いた。


「何かお探しの、もの──」

 女性の顔を見て、私は言葉が出なくなった。


 綺麗な二重瞼に、どこか儚げで煽情的な瞳。艶のある薄い唇。ナチュラルメイクで美しさが際立つ小さな顔には、たしかに高校生の頃の面影がある。


 高校時代の友達であり、恋愛相談をされていた西岡詩織が、目の前にいるのだ。


 私の胸は、たちまち早鐘を打ち始めた。

「……詩織?」


 彼女は目を見開き、ぱっと表情を明るくした。

「あ、えっ嘘……! 美咲?」


「うん。……私。美咲だよ」


「本当に、美咲なんだ。……久しぶり。元気だった?」


「う、うん。元気だった。本当、久しぶりだね」


「高校卒業してから、だから、……会うのは、15年ぶり⁉」


 詩織は自分で言いながら驚いた表情をした後、綺麗な顔を崩してクシャっと笑った。昔からそうやって、気品があるのに自由な笑い方をする人だった。


「卒業してから一回も会ってなかったのに、まさか、こんなところで会うとは思わなかったよ。この辺に住んでるの?」


 私が訊ねると、詩織は斜め上を見ながら「そうよ」と答える。


「3年くらい前に引っ越してきたの」

「知らなかった」


「連絡取ってなかったもんね。──そうだ」

 詩織は素早くバッグからスマホを取り出した。

「せっかくだからLEIN交換しましょうよ。高校卒業してからずっと連絡取れてなかったし、この際だから」

 スマホを持つ手の爪には、艶のある真っ赤なネイルが施されている。


「わかった。ちょっと待って」


 店長の目線も気にしつつ、こっそりとID交換を行った。


 私たちが高校生だった当時はスマホが無くて気軽に連絡を取れなかったし、詩織は地元の成人式にも来ていなかった。

 大人になって何度か電話をかけてみたことがあったが、電話番号が使われていないことになっていて繋がらなかった。

 もちろん詩織から私への連絡もなかった。だから高校を卒業してからのことは、お互いに一切分からない。


 詩織は忙しそうな私の雰囲気を察したのか、すぐにスマホを仕舞った。


「ありがとう。また連絡するわね」


「こっちこそありがとう。ゆっくり話せなくてごめん」


「ううん、久しぶりに話せてよかった。……じゃあ、またね」


 詩織はフェロモンでもばら撒くかのようにふわりと振り返ると、ヒールの音を響かせながら歩いていった。

 煌びやかな手先、服や髪から届く香り、芸術品のように繊細で美しい顔──その全てに、ことごとく色気が漂っていた。


 私の胸の鼓動は、壊れた時計の秒針みたいに不規則に震えたまま。

 遠ざかる彼女の背中を見ながら、一度深く息を吐いてその動悸を治めようとしてみる。


──うまく話せてたかな、私。


 久しぶりに同級生と会って話すことが、こんなにも緊張するものなんだと驚く。

 それとも、私がそうなってしまうのは、詩織だからなのだろうか。


 こんな綺麗な詩織と結婚している旦那さんは、毎日ときめいてしまって大変そうだと思った。

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