ボトルムーン

 マンハッタンのアジトに帰る車中、主にルナの口から、屋敷内での仕事の首尾について説明することとなった。時刻は午後十一時過ぎ、路上にほかの車両の影はほとんどなく、野原を駆ける馬のような軽快さでカローラは一直線に走り抜ける。


「……なるほど。にしても、天下のモルゲン製薬の開発部長ともあろうお人が、ずいぶんと不用心なものね」


 説明が書斎のデスクのひきだしでUSBメモリーを見つけたくだりに差しかかったところで、そのときのルナと同じ感想を抱いたらしいシェリファがハンドルを繰る手を緩めることなく言った。

 暗い車内においても、なお濃厚な黒をたたえた豊かな髪。ばっちりとした派手な顔立ちの、アジア系の美人である。年はおれやルナの少し上くらい、まだ二十歳は越えていないだろう。


「なに、改めて考えてみれば、それほどゴールドスタイン氏を責められる話じゃないよ」


 後部シートでゆったりくつろぐ様子を見せながらルナが答える。


「モルゲン製薬が裏で手がけている違法ドラッグビジネスに関して、氏は社内で反対の立場だった。それで賛成派に対抗するための保険として、この新開発ドラッグのデータを無断で自宅に持ち帰っていたんだ。つまり、彼はなんとしてもデータを秘匿したい側にはいないわけ。まあだから、こうしてわたしたちのつけ入る隙にもなったんだけど」


 車は高速道路に入った。立ち並ぶオレンジ色のナトリウム灯の下、相変わらずがらがらの車線を制限速度いっぱいで北へとひた走る。


「そういえば」


 あらかた説明を終えたルナはふと、怪訝そうな視線を目の前の助手席に向けた。


「どうしたの、ザジは。さっきからやけに無口みたいだけど」


 彼女の言葉におれも斜めに位置するシートの人影を見やる。


「…………」


 ブロンドの少年はむっつりと黙り込んだまま、彼女の問いかけにも答えようとしない。幼さの残る整った横顔には、かすかに不機嫌の色が浮かんでいる。


「きっと今回の仕事で出番がなかったのが面白くないんだよ」


 おれがにやりと笑って言うと、「ああ、なるほど」とルナも微笑む。


「うっせ、ガキじゃねぇんだよ」


 まんま子供のような口調で、助手席からザジが言い返してくる。するとルナはおもむろに優しげな声音になり、


「ザジ、きみは我ら〈ボトルムーン〉の、いわば切り札なんだ。わたしたちは強盗団じゃない。きみの武術が必要になるときは、つまりチームの仕事にアクシデントが生じたということ。警察と一緒さ、犯罪者を捕まえるのが彼らの仕事だから、そんな仕事はせずに済むなら越したことはないでしょ」

「おれたち犯罪者がそれを言うかよ」


 おれは苦笑気味に少年へと顔を戻し、


「そうむくれるな、ザジ。アジトに帰ったらまたバトブラで対戦してやる。生身を動かすのに比べたら物足りないだろうが」


 突然、きっとザジが振り返った。その目に思いがけず強烈な敵意の光を見て取り、おれはたじろぐ。


「な、なんだよ。怒るところじゃないだろ、ここ」


 しかし彼は端からおれのことなど見ていなかった。


「……二台、か。うっとうしい連中が近づいてきてるぞ」


 猟犬がうなるようにザジは告げる。


「……あー、あいつらね」


 シェリファがバックミラーを一瞥し、得心がいった様子でうなずく。途端にぐんと車が急加速し、おれはシートに背中を強く押しつけられた。


「ど、どうしたんだいったい!」

「なるほど。確かに二台、わたしたちを追いかけてくる車がある」


 おれ同様、シートに背を押しつけられながら、ルナが背後の窓を振り返って言う。彼女の視線を追えば、高速道路後方から猛スピードで接近してくる、二台の黒いセダンの影。ヘッドライトのまぶしい光は怪物の目玉よろしく、ぎらぎらとおれたちの乗るカローラの尻尾を狙っている。


「なんだあいつら……って、おいおい」


 首をうしろに振り向けたまま、おれのなかで嫌な予感が噴き出す。いまや車間距離五十メートルにまで迫った手前のセダンの、助手席の窓から人影が身を乗り出して、その手先で火花が爆ぜた。

 ばん、ばん、と断続的に上がる銃声がハイウェイを追いかけてくる。


「舌噛まないでよ!」


 シェリファの怒鳴り声とともに、ますますカローラはスピードを上げる。生きた心地がしないとはこのことだ。車窓に長く尾を引く街灯の明かりが流れ星を思わせた。


「ど、どうなってるんだ!」


 しゃにむにわめくおれの隣で、ルナが冷静に言う。


「あの車種、見憶えがある。たぶん、モルゲン製薬の下働きのチンピラたちだ」

「はあっ? つまり、このデータを取り返しにきたってことか。でも、なんでバレたんだ」


 おれの疑問には答えず、ルナは運転席に向かって上体を乗り出した。


「どう、シェリファ。逃げ切れそう?」

「悔しいけど、五分五分ねぇ。幸い連中、銃の腕はたいしたことないみたいだけど」

「……せめて、奴らを足止めできたら」


 おれのつぶやきに、シートに背を戻して考え込む様子だったルナははっと顔を上げた。


「そうだ。ザジ、そこに積んでるやつで、一番威力があるのを寄越してくれない」


 彼女の要望に応え、助手席の少年はグローブボックスをがちゃがちゃ漁ったあと、


「ほれ。44マグナムでいいか」

「十分!」


 ザジの肩越しに一丁の拳銃を受け取ると、ルナは右手の窓を全開にした。荒ぶるような風が車内に吹き込み、少女の美しい銀髪を乱暴になぶる。


「ヒデト、いざというときのために、わたしの身体を押さえといてよ。あ、できればお尻以外で頼むね」

「は? ルナ、いったいなにを……」

「いまだ!」


 威勢よいひと声の直後、なんとルナは開いた窓から車外に上半身を躍らせてしまっていた。おれは慌てて抱えていたバッグを放り捨て、彼女の細い腰に両腕を回す。

 ばんばんばんっ! 間近で続発する銃声が鼓膜を激しく震わせる。

 車後方を見やれば、どうやら路上に掲げられた道路標識を狙っているようだ。と思った瞬間、ねじがすべて外れたらしい金属の標識板が落下し始める。

 すさまじい衝撃音。その余韻が訪れる間もなく、自動車の衝突する音が立て続けにふたつ聞こえてくる。


「やったか!」


 ルナの身体を車内に引っ張り込みながらおれは叫ぶ。


「うん、計算どおり!」


 自信満々な少女の言葉を裏づけるように、それ以上背後から追いかけてくる車両はない。彼女の撃ち落とした道路標識に阻まれて、哀れチンピラたちの運転するセダンは共倒れと相成ったようだ。

 細く立ち昇る黒煙が、みるみる遠ざかっていく。

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