瓶詰め月の盗み方

花守志紀

第一部 ニューヨーク

1節

深夜の屋敷にて

 人が人を理解しようとするなら、対話に勝る試みはない。相手が心を持たない「もの」であっても同じことだ。お世辞にも社交的とはいえないおれにとっては、むしろ後者のほうが容易だったりする。


 やわらかい絨毯の上に片膝を突き、懐中電灯の光の中央に浮かび上がった鍵穴を、おれは正面から見つめる。さながら、幼子と目線の高さを合わせて会話するように。

 廊下には寒々とした闇が満ちている。よく磨き込まれた黒色のドアは、重厚でやや愛想に乏しいが、丸いドアノブの上の縦長の穴はもう少しなにかを喋ってくれそうだ。

 黒い手袋をはめた右手を伸ばし、親指の先で金属の錠カバーのふちに触れる。


「さあ。きみの心のうちを、聞かせてくれ」


 優しく囁いて、おれはそっと目を閉じる。すると真の闇となった視界の奥から、かすかな「声」が返ってくる。

 おれは目を開けた。


「どう、ヒデト。分かったかい?」


 頭の右上のほうから、話しかけた者がある。少女の声だ。しかし振り向いても、そこにあるのはまるで真昼の地面から浮き上がってきたかのような、全身黒ずくめの人影だけ。ただ、目の部分に空いたふたつの穴からは、おれの手もとに興味深げな視線を注ぐ銀色の瞳がのぞき、覆面の下に慣れ親しんだ「彼女」の顔がちゃんとあることを保証してくれていた。


「ああ、古いメーカーの錠だ。前にも開けたことがあるし、これなら楽勝だよ、ルナ」


 覆面の少女にうなずきかけると、おれはウエストポーチから細い棒状の器具を二本取り出した。彼女が持つ懐中電灯の光のなか、それらの器具を鍵穴に差し入れる。

 錠の構造は完璧に把握した。作業にかかった時間は正確に十一秒。かちり、という高い音が静寂に包まれた屋敷に響き渡る。


「よし、開いたぞ、ルナ」

「おぉ……さすがヒデト。プロのナンパ師が女をオトす手際もかくあらん、だ」


 少女の軽口を聞き流し、ピックとテンションをウエストポーチに戻してからおれは覆面をかぶり直した。待ちきれない様子で彼女はノブを握り、威勢よくドアを押し開ける。


 懐中電灯の光に浮かび上がったのは、思わずため息をつきたくなるほど広くて立派な書斎の風景だった。背の高い本棚にずらりと背表紙を並べる分厚い書物。瀟洒な模様が彫り込まれた白い暖炉のマントルピースの上には、見るからに雄々しげな鹿の頭部の剥製が飾られ、ふたつの無感動なガラスの目玉が侵入者たちの姿を見下ろしている。

 部屋の奥にどっしりと据えられたマホガニーのデスクを回り込む少女を、おれは急いで追いかける。


「やっぱり怪しいのはここかな。またヒデトの出番だよ――と、言いたいところだけど」


 天板のすぐ下の鍵穴がついたひきだしは、少女が手をかけるとあっさり開いてしまった。ひゅう、と軽薄な口笛が暗闇に響き渡る。


「おやおや、これまたずいぶんと厳重なことだ」


 高価そうな懐中時計や万年筆が並ぶひきだしから、彼女は黒いUSBメモリーをつまみ上げる。


「そいつか?」

「たぶんね。とりま、博士殿の机を拝借」


 少女はショルダーバッグからノートパソコンを取り出すとデスクに置いて開き、USBメモリーを差し込んだ。


「……やっぱロックがかかってるか。だけどこの程度なら、我ら〈ボトルムーン〉が誇る解読ツールの敵じゃないね」


 彼女の言葉どおり、十数秒後にはパスワードが特定され、まばゆい画面にファイルが開かれた。ざっと内容を確認するとファイルをパソコン内に複製し、抜いたUSBメモリーはひきだしに戻す。


「ミッションコンプリートだ、ヒデト。さ、ずらかるよ」


 ノートパソコンをしまって踵を返す少女のあとにおれも続く。書斎のドアはもとどおり外から鍵をかけ、廊下を戻って裏口から屋敷を出ると、そこのドアも同じく外から施錠。


 深夜の住宅街はひっそりと静まり返り、頭上では星々が笑いさざめいている。足早に通りを横切る黒ずくめの少女のうしろ姿は実に悠々としたものだ。

 反対側の路肩ではトヨタのカローラがシルバーの車体を休ませている。後部ドアを開き、まず少女が乗り込んだ。続いてシートに腰を下ろすおれの隣で、彼女はかぶっていた覆面を取り去る。

 美しい銀色の髪が、車内の暗がりで白々と光りながら翻った。


「どう、ルナ。うまくいったの?」


 運転席に座っていた黒髪の少女が、振り返って尋ねてくる。言うまでもない、とばかりに力強く親指を立てて、彼女は答えた。


「ばっちりだよ、車を出して、シェリファ」


 おれが後部ドアを閉め終わるより早くエンジンがかかり、カローラは住宅街の通りを悠然と走り出す。少女は肩にかけていたバッグを外すと、覆面を脱いでいるおれに向かって差し出してきた。


「はい、ヒデト。今夜のわたしたちの戦果だ。重さは行きと変わらないけど、宝物を詰め込んであると思って大切に抱えていたまえ」


 バッグを受け取ったおれに、銀髪の少女はにこりと笑いかける。窓の外を過ぎ去る街灯の明かりが、褐色の肌の端整な顔立ちを横手から一瞬、鮮やかに浮き上がらせる。


 窃盗チーム〈ボトルムーン〉リーダー、ルナ・ウッドワーズ。彼女の笑顔はやはり、ひと仕事終えた直後が最も輝いている。

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