第3話 怪獣生活課:日常哨戒監視

 携帯のアラームとともに俺の一日が始まる。起きたらまずやることは顔を洗うことでも朝食を作ることでもない。隣の部屋の扉を開けて彼女におはようの挨拶をすることだ。


「おは——マジかよ、まだゲームやってたのか」


 ゲーミングチェアにちょこんと座り、コントローラーをカチカチと動かしている紫色の髪の少女。画面に吸い込まれそうなくらい集中して、不健康そうな色白の顔は長い髪と相極まって幽霊みたいだ。ダボダボのパーカーと俺が高校生の頃に履いていた体育用の短パン。そこから細くて白い足が伸びていた。髪は鳥が住めそうなくらいにボサボサで、風呂から上がったときにドライヤーをかけないからそうなる。この美意識の無さはせっかくの美人が台無し。


「ちょっとまって。エスト瓶あと1個しかぁぁぉぁううううぁぁぁぁぁぁ!! 死んだぁ!」


 そう叫んで、椅子の背もたれに草臥れて魂が抜けたみたいになる少女。彼女の名はドロラ。汚染怪獣を名乗る歴とした怪獣だ。


「で、落ち着いたか?」

「いや、むしろ火がついた」


 ドロアは性懲りも無くコントローラーを握りなおした。さすがにやり過ぎだぞと注意したくもなるが、彼女がゲームに夢中になっているということは今日も工業地帯の安全が守られたということだ。なので俺は我慢する。


 そう、彼女は汚染による業から生まれた怪獣。俺が彼女と出会った当初は「工業地帯はぜんぶ破壊する!」と、隙あらば鼻息を荒くしていたが、なんとなくゲームを与えてみたところそれが彼女にぴったりハマった。今ではもうゲーム漬け。部屋にこもりっぱなしで、彼女の頭から“外出”の二文字は消え去った。今日も今日とてソウルライクとやらのジャンルのゲームに虜になっている。


 俺は部屋を後にしようとするが、


「あ、平沢」


 何かを思い出したのか、呼び止められた。


「なんだ?」

「この前買ってきてくれた下着、サイズ違ったみたい」


 画面から視線を離さずに平然とそんなことを言うドロア。


「え……」


 先日、バストサイズという概念を知らないドロアは下着の購入すらも俺に任せてきた。「さすがにサイズは自分で調べてくれ」とお願いしたら、「ん、これ測ればいいじゃん」と服をめくって上半身の裸を露わに。この事件をきっかけに俺は彼女の服の上から胸のサイズを推測し、しぶしぶ下着売り場に赴いて勘を頼りにドロアの下着を買うという茨の道を歩んだのだが——


「“E”でダメだったのか?」

「うん。どうやらウチは“F”みたい」

「でか……」


 そんな乳の女と同居している中で理性を保っている俺、我ながら賞賛。ただ、女性用下着店に行かなければならないと思うとため息がでる……

 俺のそんな憂鬱も知らないで彼女はコントローラーをカチカチカチカチ。俺は部屋の戸を閉じて、身支度を済ませることにした。


 玄関の姿鏡に映るのは制服姿の俺。これより高校へ潜入する任務が始まる。そもそも高校生として紛れ込めるだろうか。そんな心配を胸に玄関の戸を開けると、柔らかく粉のように白っぽい朝の光が俺を迎えた。


 任務の現場となる高校に向かう途中、俺は並木通りにある小さな花屋さんに寄った。色とりどりの花たちが店の外に立ち並ぶ、まるで花園への入り口のような外観だが、そんな花たちの中に一つ、エレクトリックブルーにゆらめく糸の束があった。ひょこっと立ち上がり、猫みたいなしゃがれた声が。


「おぉ〜ずいぶんと若返ったねぇ平沢くん〜似合ってるじゃ〜ん」


 白いオーバーサイズのコートに身を包んだ、雪国でひっそりと暮らす氷の魔女みたいな少女。彼女こそ植物怪獣マリオネである。


「大丈夫かな、高校卒業したの五年前なんだけど」


 俺は両手を広げで制服姿をさらに披露するとマリオネは親指を立てて突き出した。彼女は所作のひとつひとつがスローで、ちょうど人間とナマケモノの中間くらいのスピードだ。


「可愛い可愛いぃ〜、そうねぇ〜今の平沢くんには〜」


 マリオネは中腰になって、お店の中からひとつ花を摘んで「アンドゥトロワ」と軽快なステップで俺の胸ポケットに白い花を差した。芳香がふんわりとして、それは胸ポケットの花からなのか、マリオネからの香りなのかはわからない。

 淡い朝の光の中で踊る彼女は花園の妖精みたいだった。


「それはアネモネだよ〜その花にはねぇ“期待”や“希望”の意味が込めれてるんだぁ〜」


 怪獣とは思えない、これまで人間として生きてきたかのような優雅さがマリオネにはある。人生相談を持ちかければ大らかで的確なアドバイスをしてくれるタイプだ。


「ではでは恒例の写真タイムといきましょうかねぇ〜」


 そう言ってマリオネはいつも首から下げているカメラを構えてファインダーを覗いた。彼女の小さな顔がカメラで埋まる。


「えっと……」


 彼女の急な写真会に俺はまだ慣れない。取り繕うようにしてピースを向けてみるがマリオネはシャッターを切らなかった。


「変にきめると映えないからねぇ〜もっと自然体がいいんだよ〜。もっと肩の力落として、私じゃなくてお店の看板に視線を向けてみるといいよぉ〜」


 彼女の言う通りにしてみるとシャッターを切る音が聞こえた。マリオネは片足と片手をひょいと上げてピースをした。卍みたいなポーズ。


「めちゃくちゃ良い感じだったよ〜。ん〜現像するのが楽しみだねぇ」

「いつもありがとう」

「いえいえ〜また送るねぇ」


 マリオネはこうして撮った写真を現像していつも郵送で送ってくれる。しかも封筒には彼女のお手製の押し花がいつも入っているのだ。この前もリナリアという珍しい花の押し花が入っていて、それを俺は玄関の棚に飾っている。ドロアがまだ外出していた一週間前はドロアの写真もよく家に届いた。

 この店にはウラハも来ていて、マリオネ曰くウラハの写真集がそろそろできそうだから今度渡すねとのことだ。ちなみに写真集が作成されていることは本人には内緒らしい。


「あ、そうだ」


 俺はふと考えに至って、花を五、六本選んで買った。マリオネはブーケに包みながら珍しそうな顔で訊く。


「あれあれぇ〜平沢くんが花を買っていくとは誰に渡すのかなぁ? ひょっとして今日転入してくるウラハちゃんにとか〜?」


 俺はマリオネからブーケを買うとそのままマリオネに渡した。


「いつも写真とかありがとう。全然お返しできてなかったから。俺のセンスだから自身無いけどマリオネに合いそうな花、選んでみた」


 ほんのお礼くらいのつもりだったがマリオネは両の手のひらで顔を覆い隠して指の隙間から紅い片目だけをちょろりと覗かせた。


「ちょっとそういうのは心臓に悪いよ平沢くん……普通にうれしいじゃない」


 マリオネは今度は後ろで手を組んでくねくねしていた。未だ花を受け取ってくれないからそろそろ腕が疲れてくる。


「ん〜じゃあ有り難くいただいちゃう」


 やっとマリオネは花を受け取ってくれた。なぜかお互いに見つめ合う謎の時間が生まれて、俺とマリオネは慌てて視線を外した。

 俺は仕切り直すようにして、慌ててマリオネにさよならを告げた。半ば強引に切り上げたものだからマリオネはひょっとした顔をして、惜しんだ。でもしょうがない。


 【監視官規定三条……怪獣に対して利益や私念に基づく個人的な干渉は認められていない】


 【監視官規定十二条……四日に一回は怪獣と接触してその経過を観察する義務がある】

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