第3話 教育

時が巻き戻る。

光の奔流の中で、わたしは再び決意を固めていた。


(今度は違う)

ただ見ているだけではいけない。

積極的に関わり、教え導かねばならない。


同じ場所、同じ時代。

でも、今度は違う道を。


★ ★ ★


「魔術師ギルドから来ました」


わたしは村長の前で杖を突き、名乗った。

「尋常ならざる魔力を持つ子供がいると聞いて」


村長は椅子の背もたれに深く寄りかかり、眉根を寄せている。

緊張した面持ちだ。


「ギルドが、何の用ですって?」


「才能ある子供の教育は、我々の責務です」

わたしは淡々と告げる。

「魔力を正しく扱えなければ、本人にも周囲にも危険です。わたしが預かり、教育します」


「しかし、あの子は……」


「わたしなら大丈夫です」

杖を床に突く。

小さな魔力の波動が、部屋中に広がる。

魔術を見せびらかすのは品のない行為だが、必要な演出だ。


村長の目が見開かれる。

おそらく魔術を見るのは初めてだろう。

化け物と少年と、わたしの姿が重なったに違いない。


それでいい。

脅威は権威と結びつき、はじめて安堵の補償を得る。


「わたしが、養父として引き取ります」


小屋の前。

このまえの人生では、わたしは茂みに隠れていただけだった。

だが今日は違う。

彼に、正面から向き合うのだ。


静かにドアをノックする。


「……はい?」

中から、おずおずとした声。


「今日から、君の父になる者だ」

率直に告げる。

「開けてくれないか?」


しばらくの沈黙。

そして、ゆっくりとドアが開く。

覗き込むような、警戒した眼差し。


「なんですって? 父?」


「ああ」

わたしは杖を突きながら、ゆっくりと膝をつく。

少年の目の高さに合わせて。

「わたしは魔術師だ。君のような才能ある子を探していた。わたしの養子として、魔術を学ばないか」


少年の瞳が、かすかに揺れる。

期待? 不安? それとも警戒?

そのどれもが複雑に入り混じって見える。


だがその底には、確かな希望を感じた。


「教えてくれるんですか? 魔術を?」


「ああ」

わたしは頷く。

「だが、それ以上に大切なことを教えたい」


「大切なこと?」


「魔術は強大な力だ。だからこそ、正しく使わねばならない」

少年の目をじっと見つめる。

「君には、その資格が十分にある」


少年の表情が、僅かに緩む。

子供らしい、あどけない表情だ。わたしは安堵する。

まだ間に合う。

この子の心は、まだ純粋なままなのだ。


「君の名前は?」


尋ねると、少年は恥ずかしそうにうつむいた。

「ありません。誰も僕を、呼ばないから」

「そうか……」


わたしは少し考えて、

「では、君は今日からルカだ」

光を意味する名前だった。

破滅ではなく、世界を導く灯台のような。


ルカはしばらく口の中で自分の名前をつぶやいて、それから少しだけ、笑った。


「さあ、ルカ。行こう」

わたしは手を差し出す。

「これからは、一緒に暮らすんだ」


★ ★ ★


それから、わたしたちの生活が始まった。

朝は早く、夜は遅くまで。

厳格な規律の下で、ルカは一日一日を過ごしていく。


「姿勢を正しく」

「詠唱は正確に」

「魔力の制御を怠るな」

「それが間違いだ。やり直せ」


特訓は分刻みで続いた。

魔術の基礎から、作法、礼儀、そして心構えまで。

全てを、完璧に教え込まなくてはならない。

魔王はいなくても、組織は残る。

黒装束の魔術集団の噂は、辺境に住むわたしたちのところまでときおり届いた。


ルカを、立派な人間にしなくては。

悪の道に染まらない、正しい魔術師にしなくては。


わたしはそれだけを考えていた。


「どうして、そんなに厳しくするんですか?」

ある日、ルカが小さな声で尋ねてきた。


「お前には強大な力がある」

わたしは答える。

「だからこそ、それを正しく使える人間にならなければならない」


ルカは黙って頷く。

そして、また魔術の訓練に戻っていく。

反抗しない。従順だ。素直だ。

なのに、どこか違和感があった。


夜、ルカの部屋を覗いてみる。

彼は布団の中で小さく震えていた。

泣いているのだろう。

でも、決してわたしの前では涙を見せない。


(これでいいのだ)

わたしは自分に言い聞かせた。

厳しさは必要なこと。

愛情はまだ早い。彼に依存の対象を与えてはいけない。黒装束の連中に見せた、高慢で冷酷な親和性を思い出す。


彼は、自立しなければならないのだ。

その力を世界のために、自分のために、正しく使えるように。


だから──。


「先生」

朝食の時、ルカが切り出した。

「僕は……先生の期待する子供には、なれないかもしれません」


「何を言う」

思わず声が強くなる。

「お前には才能がある。必ずなれる」


「でも」

ルカの声が震える。

「僕は……僕は……」


その時、窓が粉々に砕けた。

制御を失った魔力が、部屋中を渦巻いている。


「もう、できません」

ルカの声が、まるで氷のように冷たい。

「先生の望むような、完璧な魔術師になんて」


「落ち着け!」

わたしはルカに手を伸ばす。

だが、魔力の壁に阻まれた。いつか見た、石を跳ね返したバリアだ。


「どうして……なんでですか!」

涙が、怒りが、ルカの瞳から溢れ出す。

「先生は僕に何を望んでいるんです?」

「どうして、ただの『ルカ』じゃ、ダメなんですか!」


ルカの魔力が暴走する。

皿が砕け、椅子が吹き飛び、壁が軋む。

そして、その渦中でルカが叫ぶ。


「先生の期待する子供になんて、なれない!」


「完璧な魔術師なんて、僕にはなれないよ!」


わたしは、その姿に既視感を覚えた。

ああ、前回と同じ顔だ。

憎しみに満ちた表情。

違うのは、その矛先が村人たちではなく、このわたしに向けられているということ。


「待て!」


だが、遅かった。

ルカは窓から飛び出し、闇の中へと消えていく。

後には、荒れ果てた部屋と、張り詰めていた空気が残された。


わたしは、崩れ落ちるように椅子に座り込む。


(失敗か)


厳格すぎた。

型にはめようとしすぎた。

ルカの心に寄り添うことを、完全に忘れていた。


窓の外には、前回と同じ月が輝いている。

そしてわたしは知っている。

このルカが、これからどんな道を辿るのかを。


「……今度こそ」


わたしは静かに目を閉じる。

懐で魔石がうずく。

今度は、もっと違うやり方で。


今度こそ、世界を救うのだ。

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