第2話 観察

翌朝、わたしは宿の主人から薬草を分けてもらった。

村人との会話のきっかけにはなるだろう。

何より、あの少年は薬草採りで生計を立てていと聞く。普段の様子を知れるかもしれない。


小屋に向かう道すがら、村人たちの話し声が聞こえてきた。

「また化け物の子が薬草を売りに来るぞ」

「買うなよ。呪いを込められたらたまらない」

「でも、あの子の薬草だけは効き目が違うんだよ」

「黙れ! そんな化け物の力なんて……」


村の薬屋の前で、わたしは立ち止まった。

店先には効能書きの並んだ薬草の束が並ぶ。

値札の文字に見覚えがあった。


(なるほど)

少年が売った薬草を、店主が自分の商品として売っているのか。

おそらく買い叩いた値段の、何倍もの価格で。


その時、人だかりの切れ間から、一人の子供の姿が見えた。

薬草を抱えて、うつむきがちに、しかしきっぱりとした足取りで歩いてくる。

昨夜の少年だ。


「この値段でどうだ」

店主が差し出した銭を、少年は黙って受け取る。

本来の値段の10分の1にも満たないだろう。

それでも、少年は何も言わない。


ただ、その手に持つ薬草の束が、かすかに輝いていた。

魔力を込めているのだ。

薬効を高めるために、自分の力を注ぎ込んで。


「早く、消えろ」

店主が睨みつける。

少年は小さく頷き、踵を返す。


わたしは思わず手を伸ばしかけた。

これは、あまりにも──。


(だめだ)

慌てて手を引っ込める。

「見守る」と決めたはずだ。

どんなに理不尽でも、介入してはいけない。

わたしはまだ、彼のことを何も知らない。


少年は薬屋を後にした。

その背中は、昨夜よりもさらに小さく見えた。


それからわたしは、少年の日々を観察し続けた。

村はずれの宿に逗留し、ときおり少年の近くに姿を見せる。

あまり近づきすぎれば、彼はわたしの存在に気づくだろう。

そのときどうすればいいのか、わたしはまだ、判断がつきかねている。


少年の暮らしは、実に規則正しかった。

夜明けとともに目覚め、朝は読書。

午前中は薬草摘みへ。

昼過ぎには薬屋に売りに行き、その後はまた本を読む。

夕暮れには水汲み。

そして夜は、また本だ。


本は、村の古本屋から手に入れているらしい。

店主は少年を嫌っているが、金なら受け取る。

もっとも、その金は薬草を買い叩かれた安い代金でしかないのだが。


ある日、少年の様子がいつもと違った。

いつもより早く薬草摘みから戻ってきたと思ったら、本を手に森の奥へと消えていく。

わたしは後を追った。


林間の開けた場所。

少年は本を広げ、何やら呟いている。


「火よ……出でよ……」


その時、少年の指先に小さな炎が灯った。

魔術の練習だ。

師がいる様子はない。本で学んだ知識を試しているのか。

だが、その炎はすぐに消える。


「もう一度」


少年は何度も挑戦を続けた。

その姿には、必死さと同時に、どこか楽しそうな表情が浮かんでいる。

自分の力を前向きに使おうとしているのか。


そう思った矢先。


「化け物が魔術を!」


村人たちの叫び声が聞こえた。

狩りの帰りだろうか、たまたまこの場所を通りかかったらしい。


「魔術だと!? 村を攻撃するつもりか!」

「少しは役に立つからと、生しておいたのが間違いだったんだ!」


村人たちは、手にした猟銃をルカに向ける。

その瞬間、わたしの体が動きかけた。


(待て)

必死で自分を抑える。

出て行って、どうする。

わたしは彼を殺すために、時間をさかのぼって来たのだ。


わたしも村人と、同じだ。


少年は両手を上げ、ゆっくりと後ずさる。

「違います。僕は、ただ……」


「黙れ!」

一発の警告射撃。

少年の足元を弾が掠める。


それが、引き金だった。


「っ!」

少年の周囲に、渦巻く魔力。

まるで身を守るように、青白い炎が立ち上る。

村人たちが放った銃弾は、全て炎に呑まれ溶けていく。


「や、やはり化け物だ!」

「殺せ! 殺してしまえ!」

「村の災いだ!」


少年の顔が、歪んだ。

わたしは息を呑む。

その表情を、知っている。

未来で見た、魔王の──。


「どうして……僕は……僕はなにもしていない!」


爆発的な魔力の奔流。

村人たちが吹き飛ばされ、木々がなぎ倒される。

幸い、誰も死んではいない。

それでも、力の片鱗を見せつけられ、村人たちは這いずるように逃げ出した。


静寂が戻る。

炎は消え、魔力も収まった。

少年は膝をつき、肩を震わせている。

泣いているのか、それとも──


「……なんで」


震える声。

だが、それは悲しみではなかった。


「どうして、みんな……」


少年はゆっくりと顔を上げた。

わたしは、再び息を呑む。

その瞳に浮かぶ感情。

それは、確かに──。


憎しみだった。


★ ★ ★


夜、小屋の明かりは消えたままだ。

少年は小屋の外に出て、焚火を燃やしている。

燃料になっているのは、本だった。

月明かりだけが、ルカの姿を照らす。


「魔術は……武器だ」

独り言のような呟きが、空気に溶けて。

「力こそが、全て」


パチパチと、本が燃える音が聞こえる。

夢が砕ける音のようだった。


翌日、少年は薬草採りに行かなかった。

その次の日も。

そしてその次の日も。


代わりに、森の奥深くで魔術の練習を重ねていた。

炎は制御され、氷は自在に形を変え、風は刃となる。

もはや本など必要ない。

生まれ持った才能が、憎しみによって研ぎ澄まされていく。


「もっと」

「もっと強く」

「誰にも、見下されないように」


一週間が経った頃、街から黒装束の男たちが現れた。

闇の魔術師たち。

いずれ彼の、魔王の配下となる集団だ。

噂を聞きつけて迎えに来たという彼らの一人が、少年の手を取った。


「あなたは素晴らしい才能を持っている。我々の仲間にならないか」


少年は首を縦に振った。

ほとんど迷いはなかった。だが、親しみも、安堵もない。

彼の瞳に映るのは、冷めた憎しみだけだ。


「……行きましょう」


わたしは木陰から、ルカの後ろ姿を見つめていた。

街へと消えていくその背中に、未来の魔王の影を重ねながら。


(やはり、同じ道を辿るのか)


行く先に待っているのは、より強大な力。

そして、その力ゆえの孤独。

憎しみは憎しみを呼び、最後には──


わたしは目を閉じた。

これが運命か。


いや、彼ははじめから魔王だったわけではない。

彼が魔王になるのが運命なら、変えなければならないのは運命のほうだ。


わたしはずっと懐に忍ばせていた魔石を取り出す。

まだ、チャンスはあるはずだ。

彼が魔王になるまでの間に、十分すぎるほどの血が流れる。それを生贄にすれば――。


血の気配に、魔石がうずくのを感じる。

わたしもすでに、正気ではないのかもしれない。


それでも、最後に世界は救われるはずだった。

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