第1話 決意
光が消えた時、そこは懐かしい故郷の街だった。
凍りついていた世界は影も形もなく、代わりに春の陽気が街を包んでいる。
通りには、活気に満ちた人々が行き交い、市場からは威勢の良い声が聞こえてくる。
手の中の石は、ただの石だ。
役目を終えて眠りについた魔石は、新たな生贄がささげられるのを待っているのだ。
すべてが終わったら、これも処分せねばなるまい。
ふと、近くの水たまりに自分の姿が映る。
外見は、あの戦いの前のままだ。
幾分若返ったような気がするが、特別喜ぶ気にもならなかった。
「痛っ」
よろめいて石に足をぶつける。
かすかな傷が、瞬く間に癒えていく。
――これが「呪い」か。
魔石を懐にしまいながら、ごくりと喉を鳴らす。
この体はもう、歳を取らない。死ぬこともない。
それが禁忌を破った者の「呪い」だった。
「あれ、先生!」
聞き覚えのある声に振り返る。
かつて弟子だった若者だ。
死体となって転がっていた彼が、まだ幼い少年の姿で、わたしに笑顔を向けている。
「どうしたんです? ぼんやりして。何か考え事ですか?」
「ああ……」
言葉に詰まる。
当たり前だが、彼は何も知らない。
これから起こる未来のことも、わたしが時を遡ってきたことも。
「ちょっと、ね」
精一杯の自然な笑顔を作る。
「ところで、今日は何年だ?」
「えっ?」
弟子が不思議そうな顔をする。
「先生、調子悪いんですか? 今年は……」
弟子から聞いた年月日。
計算すると、魔王が現れる十数年前まで戻ってきたことになる。
まだ、彼が子供の頃──。
「情報を集めなければ」
手がかりは、わずかしかない。
強大な魔力を持つ子供。
おそらくまともな学校や機関には属していない。
社会の闇で、自らの邪悪な芽が育つのを待っている。
情報を集めるなら、この街の魔術師ギルドが手始めだろう。
街一番の情報が集まる場所だ。
踵を返すと、弟子が後から付いてきた。
こうして誰かと行動を共にするのも、久しぶりだ。
平和の意味をかみしめる。
この世界を、守らなければ。
「変わった力を持つ子供、ですか?」
ギルドの窓口に座る娘が首を傾げる。
「そういえば……」
彼女は周囲を見回してから、声を潜めた。
「北の辺境にある村で、不吉な力を持つ子供が生まれたとか」
「詳しく聞かせてくれ」
チップを差し出しながら告げると、娘はにこりとほほ笑んだ。
「その子は産まれた時から尋常でない魔力を持っていたそうです。生後すぐに、村人たちの記憶から両親の顔が消え去ってしまったとか」
両親の顔が消える──
それは初めて聞く話だ。
まさか、自分を産んでくれた人の存在すら消してしまったのか。
「今、その子供は?」
「村はずれの小屋で暮らしているそうです。村人たちは恐れて近寄らないとか」
それから娘は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「でも、これも噂ですから。本当かどうか……」
「ありがとう。十分だ」
わたしは踵を返した。
北の辺境。
その村まで、徒歩で三日ほどか。
ギルドを出ると、弟子が怪訝そうな顔で、わたしを見上げる。
「先生、なんですかその子。次の仕事ですか」
「いや……まあ、そんなところだ」
わたしは弟子の肩に手を置いて、視線を合わせる。
「わたしはこれから、でかけなくてはならない。おまえを連れてはいけない。わかるな」
「いつ、戻るんですか?」
「わからない」
たぶんもう、戻ることはない。
死ねない体になった以上、わたしは化け物と同じだ。
ひとところに留まることはかなわないだろう。
元々旅人の身だ。
わたし自身はそれで構わない。
不平を告げたのは、やはり弟子だった。
「いやですよ、そんな! ぼくを魔術師にしてくれるんでしょう?」
「事情が変わったんだ。悪いな」
弟子の頭を撫でてやる。
子ども扱いされた弟子は余計にむくれて、わたしの手を振り払う。
わたしは笑って、うなずく。
「そのうち、会える日が来る。その日まで、待っていてくれ」
「いつですか? 先生は、なにをしに?」
「世界を救いに」
弟子がきょとんとした顔になった。
わたしは思わず、噴き出す。
このままでは十数年後、この言葉は冗談ではなくなるのだ。
滅びゆく世界に、彼の未来はない。
だからわたしは、行かねばならないのだ。
ごねる弟子をなんとかなだめ、ギルドの口利きに魔術学校の案内を頼んでから、わたしはようやく街を出た。
未来の魔王に、会うため。
荒れ果てた一本道を、わたしは黙々と歩き続けた。
杖を持つ腕に力が入る。子どもとは言え、魔術では魔王にかなわない。
腰には短剣を忍ばせている。
この一撃で──
(やめろ)
わたしは頭を振った。
まだ会ってもいない子供の殺し方を考えている自分に、吐き気を覚える。
だが、これは必要なことだ。
たった一人の子供を殺めなければ、何万、何十万もの人が死ぬ。
世界は氷に閉ざされ、全てが終わる。
それを知っている以上、躊躇うことは許されない。
わたしは運命を変えるために、ここにいるのだ。
村が見えてきた。
血を吐くような夕陽に照らされ、まるで不吉な予感のように影を落としている。
★ ★ ★
「化け物の子は、あっちの小屋にいるよ」
村人は遠巻きに、森の方を指さした。
声には怯えと、そして憎しみが混ざっている。
獣道のような細い道を進んでいく。
茨が服に絡みつき、まるで「来るな」と警告しているかのようだ。
(ここか)
小さな小屋が見えてきた。
窓から、かすかな明かりが漏れている。
子供の影が見える。本を読んでいるようだ。
この距離なら、一瞬で済む。
気づかれる前に──
その時、物音に気づいた子供が顔を上げた。
「化け物!」
突然、罵声が響いた。
わたしではない。
複数の足音が近づいてくる。
村の子供たちだった。
何人かは、若者が交じっている。
わたしは咄嗟に木陰に隠れた。
彼らはわたしに気づかずに、慣れた動作で石を投げた。
狙いは小屋の窓、そして、そこにいるルカだ。
(今だ)
わたしの手が短剣に伸びる。
混乱に紛れて──
その時だった。
石が、空中に浮いた。
いや、魔術のバリアに触れたのだ。
少年は小屋の中から出もせずに、四方から飛んでくる石を捉えている。
「帰れ」
冷たい声が響いた。
石を投げた子供たちがびくりと体を震わせる。
そのうち、年配の若者が声を張り上げた。
「村から出ていけ」
少年は答えない。窓際の横顔が、瞼を閉じたのが見える。
次の瞬間、浮いたままだった石が持ち主の元へ跳ね返された。
悲鳴を挙げながら、子どもたちが逃げていく。
その後ろ姿を、少年が見つめている。
追いかけようとはしない。
ただ、そこに立ちすくんでいる。
その横顔に安堵が浮かんだのが、ガラスごしにも知れた。
(これが……魔王?)
わたしの心に、奇妙な感情が渦巻いた。
目の前にいるのは、確かに強い魔力を持つ子供だ。
だが、それは魔王の姿ではない。
ただの、孤独な子供だ。
わたしは短剣を握る手に力を込めた。
迷ってはいけない。
未来を知っているのはわたしだけだ。
この子が、あの魔王になる。
世界を、凍てつかせる。
今ここで──
少年が窓辺から離れ、机に戻っていく。
本を手に取る仕草が見える。
か細い炎に照らされた線の細い横顔は、普通の子供と変わらない。
ふと、弟子の面影が重なった。
彼と少年は、なにが違うというのだ。
少年はまた本を読み始めた。
まるで今の出来事など、日常の一部であるかのように。
「……っ」
短剣を握る手が、震えた。
胸が締め付けられる思いがした。
この子は、わたしが知る魔王とは違う。
少なくとも、まだ──
そうだ。
まだ、この子は魔王ではない。
もしかしたら──
(もしかしたら、未来は変えられるかもしれない)
わたしは短剣を鞘に収めた。
殺すことはいつでもできる。
彼はまた、魔王になってしまうのか。
それは、これからの時間が決める。
もうしばらく、様子を見よう。
そう決めた時、不思議と心が落ち着いていた。
これが正しい選択だという確信が、どこかにあった。
明日、あらためて会いに来よう。
その時は、魔術師としてではなく。
ただの、通りがかりの旅人として。
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