世界を救う100の方法~魔術師、魔王の父となる~
クロコ
プロローグ
血に染まった廊下が、果てしなく続いていた。
床に転がる無数の亡骸。魔術師たちの、戦士たちの、そして一般市民たちの。かつて命があったものは皆、永遠の眠りについている。
階段を一段一段上るたび、温度が下がっていく。
最上階にたどり着いたころには、すでに空気が凍てついていた。
呼吸が白く、そして次第に青白く変わっていく。魔力の防具を纏っていなければ、一瞬で凍り付いてしまうだろう。
これが、魔王の作り出した「絶対零度の世界」──。
わたしは杖を強く握り締めた。
人類最強の魔術師と呼ばれるわたしですら、ここまで辿り着くのに何人もの仲間を失った。ついに最後の一人となって、わたしは目的の場所にたどり着く。
扉の前で、わたしは立ち止まった。
向こう側には人類の敵、世界を無に帰した魔王がいる。
彼の正体も、目的も、わたしには分からない。
いや、分かりたくもなかった。
ただ、止めなければならないだけだ。
「……行くぞ」
わたしは呟き、扉に手をかけた。
重い扉が軋むような音を立てて開く。
そこには、漆黒の氷の玉座。
そして、ゆらりと立ち上がる人影があった。
「よく来たな、魔術師よ」
氷の玉座から聞こえた声は、予想以上に穏やかだった。
玉座に座る人物は、まるで親しい友人を迎えるかのように微笑んでいる。
だが、その姿は人の形を借りているに過ぎなかった。漆黒の体躯から立ち昇る闇の霧。瞳の深い紫色は、人としての温もりを完全に失っていた。
「……これ以上、おまえの好きにさせはしない」
わたしは杖を構えた。
周囲の気温が、さらに下がる。
息が凍りつき、肺が焼けるように痛む。
「そうか」
魔王は静かに立ち上がった。
「おまえは何を止めるのだ? わたしは、世界に安らぎをもたらしているに過ぎない」
「安らぎだと?」
思わず嘲笑が漏れる。
「人々を殺し、世界を氷漬けにして、何が安らぎだ」
「いまはもう、誰も怯えず、誰も恐れない。絶望すらない」
魔王の表情が歪んだ。
今度は、本心からの嘲笑を浮かべている。
「この世界に存在する価値などない。無に還ることだけが、救いだ」
一瞬の迷い。
その言葉に、どこか引っかかるものがあった。
だが、考えている暇はない。
魔王が右手を上げる。
その瞬間、世界が白く染まった。
わたしの放った炎の魔術が、氷の大気を引き裂く。
だが、魔王の一振りで、炎は氷となって砕け散った。
「そんな魔術では、わたしには届かない」
次の瞬間、魔王の姿が消えていた。
背後だ──!
間一髪で身をかわす。
しかし、かすかに腕が凍りつく。
触れられただけで、これほどの威力か。
「人類最強の魔術師とは、この程度なのか?」
「まだだ」
わたしは詠唱を始めた。
わたしに「最強」の名与えた召喚魔術。
原始の時代に失われ、いまはわたし以外に扱える者もいない。
魔王にとっても未知の力のはずだった。
しかし魔王は、それすら予測していたかのように──
「無駄だ」
右手を振りかざす魔王。
あらゆる魔術を無効化する、絶対零度の波動。
わたしの魔術が、まるで存在しなかったかのように消えていく。
膝をつく。
体が動かない。
もう、終わりなのか。
「安心しろ。もうすぐ、全ては終わる」
魔王が近づいてくる。
その足音が、心臓の鼓動のように響く。
「世界は、永遠の眠りにつく。もう誰も、苦しまなくて済むのだ」
その時、わたしの目に映ったのは──
魔王の瞳に浮かぶ、かすかな涙。
(涙?)
わたしは思わず、顔をあげる。
なぜ泣くのだ。
自ら望んで滅ぼした世界に、憐憫の情をかけるというのか。
それとも――。
「確かに、わたしは負けた」
わたしは立ち上がる。
全身が軋むような音を立てる。
無駄なことを考えている暇はない。
いまは、わたしにできることをするしかないのだ。
たとえそれが、この身の最期だとしても。
「だが、諦めてはいない」
魔王がせせら笑う。
「もう手遅れだ。お前にできることなど何もない」
その通りだ。
今のわたしには、魔王を倒すことはできない。
だが──
「おまえだって、時間には勝てまい」
わたしは、懐に忍ばせていた魔法石を取り出した。
古代魔法を封じた石。
禁断の魔石だ。
これを探すのに、ずいぶん時間がかかった。
幾重にもほどこされた封印を解き、大きくの犠牲を払ってこの石を手に入れたときには、世界はすでに魔王の手に落ちていたのだ。
だがまだ、間に合うはずだ。
「その石は!」
魔王の声が、初めて動揺を見せた。
「貴様、禁術を使うつもりか」
「やはり、知っているのだな」
わたしは石を頭上に掲げる。
濁ったガラス質の表面に、古代文字が浮かび上がる。
流された血は、十分だ。
禁じられた呪いの魔術が、発動する。
「狂ったか。それを使えば、貴様もタダでは――」
「分かっている」
わたしは微笑んだ。
すでに体には、痛みと吐き気が満ち満ちている。
禁術の対象は、この命そのものだ。
「でも、それでいい」
魔王が右手を振りかざす。
氷の波動が押し寄せる。
しかし、もう遅い。
「わたしは、必ずおまえを倒す」
詠唱が始まる。
「おまえが、おまえになる前に」
魔王の瞳が見開かれた。
怒りとともに吐き出された魔術が、目前に迫る。
うねるような波動に、意識が遠のく。
立っていられない。
しかしすでに、石はその力を開放していた。
光が世界を包み込む。
わたしの体が、魔力が、存在そのものが、時の奔流に飲み込まれていく。
ただ一つの願いを胸に──。
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