星落研究会
「あ、おーい、君、もしかしてアイネスフィールさん?」
声が聞こえた。教授が、私を当てる時以外では聞くことのない、私の名前を呼ぶ声が。
最初は信じられなかった。しかし、
「おーい、あれ、聞こえなかったかな?そこの人だよ、そう、君君!」
私のことを指していたのは明確だった。
濃い茶色の髪をした男子がこちらに手を振って、走り寄ってくる。
余りの異様さに若干引いた。何だこの人......?
何しろ私の名前を呼んで、その上友達みたいな仕種でこちらに近付いてくる人なんて全く居ないのだ。
しかもこの人、知人でも何でもない。初対面である。
すわ不審者か、と及び腰になっていたが、陰キャな私が判断を付けかねている間に彼は私の目の前までやってきて、
「これからもしかして用事あったりする?なければそうだ、ちょっとうちの部活来ない?」
???
本気で謎しかない。何それ。部活???おいしいの???
部活......ああ、あの部活?払塔に収まってるっていう、あの?
私が
「え、大丈夫?
へいへい、フリーズしないで、部活だよ部活」
「えっと、はい、勧誘ですよね?」
多分そのはず。まさか金輪際部活に関わらないようにする誓約書を書かされるとかじゃないだろう。流石にジェスチャーの雰囲気が親しすぎる。
「そうそう勧誘。どう、
「星構造と星追」のオリエンテーションに参加してた子から、成績優秀として説明してたって聞いたんだよ。
いやー、こんな名前してる部活だけど星構造の細かいこと知ってる人少なくてさ、星追知識のコレクション部みたいになっちゃってるから、ガチってる人、欲しくてね」
星構造と星追。ノーマン准教授がやってる講義だ。そういえば、1週間前くらいに後期最初のオリエンテーションした気がする。
しかしあの授業が効いてくるとは思わなかった。しかし何で私に?星構造は確かに他より知っている自信はあるけど、何しろ私である。星の攻略参加など不可能と言われた私なのだ。
「ええと、乗り気じゃなければ、良いんだけど.......
あっでもお茶菓子とか出せるよ!」
いや、そう言うことじゃない。お茶菓子は興味あるけど、別にそうじゃない。
「その、私で良いんですか?」
するとその人は腰を曲げて私に目を合わせ、
「いや、君が要るんだ」
どうしてそんなこっ恥ずかしいことをさらっと言えるんですか???
だめだ。ドキドキしてきた、というかさっき要るって言ってたよね。要るって。その前は欲しいって。
遂に望んで役に立てる機会がやって来たのだ。
まさかこんな棚ぼたで降ってくると思わなかったけど、願いが叶った。
私に二の句はない。断る道もない。障害はすべて叩き切る。久方ぶりの、本当のやる気が湧いてきた。
「......っはい!是非!参加させていただきます!」
こうして私の、それまでに比べれば怒涛とも言える1ヵ月が始まった。
―――― ――――
「あー、姉様、帰って来たの。んじゃ、やっといてー」
妹の「いつもの」だ。
私は鞄を置き、制服を捲り、外套は纏めて出来るだけ汚れが付かないようにした。
出来得る限りの最大効率で。
ドローンを呼び寄せて服を突っ込んだバスケットを渡し、手早くモップをもう片手で操りながら、大体汚れが取れたら消臭剤をかけ、それでも染みついている物は雑巾で擦ってこそげ取る。
グランドピアノの前はいつもより酷かった。というか何だこれ、ケーキ?
何か食べ物を落としたらしい。何でピアノの近くで落とすかなあ。
原形をとどめていないのでケーキだったんだかタルトだったんだかもうわからないが、まあ、問題ではない。
パパっと拾って生ごみとして持ってきた袋に突っ込み、分解機に放り込んで痕跡は雑巾で抹消。
この間1分!知ってるかな、有効なやり方を知ってれば身体を動かすだけ作業効率上がるって。
掃除用具の配置だって最適化してある。妹は毎回汚す場所を変えるけど、そんな程度のオーグメンテーション、お見通しだ。パターン化していて、予測は容易い。
仕事を片付けたら制服を脱いで着替えて、シャワーを浴びて、出たところで着替えが隠されていることに気が付いた。
こんな女しかいない家でヌードやったって動揺する筈もないのに、全く嫌がらせに余念が無いもんである。
まあ、こんなこともあろうかと、予備の服を一式隠しておく私も私だろうが。
あ、まずい、靴下忘れた。まあいっか、部屋帰ったら拭いとこ。
脱衣所の扉を開けると妹が立っていた。なんでだか知らないが、苛立ったと同時にげっそりと疲労したような、不思議な顔をしている。
「姉様、最近さぁ......!」
腕を組み、指で二の腕を叩き始めた。
「何で、そんな、やる気満々なの!?何でそんな迅いの!?
精々ひいひい言って憂鬱そうにしてれば済むのに、こっちが苦労するじゃない!
もう、この家居るの辞めなさいよ、もう出てけ!!」
まずいな、出て行かなきゃ妹の期限が収まらないし、出て行ったら母が怒る。
じゃああれだ、母が来ると同時に帰って来ればいい。こんなこともあろうかと、物を用意しておいたのだ。
「わかった、それじゃ」
本当に出て行った私に、妹は釈然としない、拍子抜けしたような面を曝していた。
あ、だめだ、靴下履いてないの何で忘れてたんだろう。素足に靴を履くことになってしまった。
まあ、いっか。
さて、隠しアイテム、
要するにお手軽シェープチェンジ透明マント。被って有効にすれば透明だ。ある程度魔術探知遮断も付いてる。
陽力探知使われれば終わりだけど、まあ、問題なし。なぜならあの子、私が魔術まともに使えないからって見下してて、使えるとしてもコストが高い陽力なんて使わないからだ。
勝ったな、部屋帰ってみる。家の外のダクトを伝い、天窓から侵入。いやー、今日が晴れてて、天窓開けてる日でよかった。
じゃなければ二階全体でステルスミッションしなければならないところだった。
ということで部屋に帰って来た。念のためクロークを被ったまま、電灯を付けずに、仕事に取り掛かる。
その仕事がこれ。
机の上に作りかけの図面を展開する。複数の図面にあるのは、第一星、「白羊宮」の未探査フロア図だった。
星、というのは奈落の底、太陰の手前に浮かぶ太古の探査船やステーションの残骸の数々である。現在はどうやら太陰の権能に飲み込まれたらしく、陰力存在である「幽鬼」が支配する地獄と化しているのだが、一方で幽鬼は魔導技術のエネルギー源および材料に使える膠化陰元(陰力膠)に凝固する性質を持っているため、こんな地獄に吶喊して幽鬼を倒し、膠化陰元(陰力膠)採集を護衛する「星追」が存在する。
しかし星追、特に英雄譚に語られる「探索者」としての星追は、そんな安全が確保できる範囲で耐久護衛任務をやるような、甘いとは言えないが安直な人間ではない。
彼らは本物のリスクテイカーである。つまりまあ、不可能への挑戦者であり、英雄譚になるけど誰も自分ではやりたくないようなことを進んで引き受ける、逝かれなのだ。
ところが、偶にはこんな星追をギャンブラーの伝説みたいに崇拝する物好きが居るもので、というか大抵誰でも人生に一度は成るもので、高等教育に進んでまでそれを続ける夢見ることを止められない人間たちの集まりこそ、私の部活、「星落研究会」だった。
遍く小星の間に浮かぶ一等、黒道十三星の内、第一星、白羊宮は初心者でも入れる難易度だ。
その代わり、出てくる膠化陰元はものすごい低密度、というか、大概気化するレベル。実際定義的には陰元であっても膠化陰元ではない。
陰元は特殊処理を施さなければ魔術に使えないから良いが、そうでなければ充満するガソリンみたいに、火炎爆発地獄一歩手前だったに違いない。
そういうわけで人気が無い第一星だが、そのせいだろうか、未探査エリアが存在する。未探査とは言うが、幽鬼が出ないように除染されていないだけで、実は探査に行った人たちの見聞は存在している。
私の仕事はその未探査エリアの情報を纏めること。そしてそれを、うちの部員たちの、予定している探査に役立てることだ。
精々学院の部活程度と侮るなかれ。何しろ私が居るのは奈落の最前線、ヴォイドフロントだ。正しく第一星その他、宵落に輝く幾多の黒道星への往還機が飛ぶ、まさにその出発点である。
つまり私が居る学院の正式名称はこうだ。
「アラン・コックス星系探査学院」
星系探査者、つまりインフォーマルに言うと星追およびそのサポート人材の実践養成学校である。
ついでに言うと奈落最大の名門だ。
なぜならそもそも奈落とは、人類が奪われた黒道十三星を取り戻すために居残っている場所なのだから。
―――― ――――
「それで、これがそのマップです」
「おー、ありがと。いや、これ時間かかったでしょー、ありありと見えるよ努力の跡が」
「いえ、纏めるの自体はそんなに。
皆様が情報を集めてくださったおかげですから」
そう言われてもなお、私に最初に話しかけてくれた人である部長、クライン先輩の顔から若干申し訳なさそうな表情は消えなかった。
「うーん、まあそうかもしれないけど、こっちは休んだ部員の分押し付けちゃったからね......
大変だったでしょ?なんか家でも忙しいみたいだけど」
「いえ、今回はさほど。作業が楽しかったので、苦ではなかったですよ」
これは真実だ。昨日なんか妹が勝手に追い出してくれたおかげで、邪魔が無くて寧ろ捗ったまである。
「いやー、なんかさ、アインさん行動力が凄くて、やる気に満ち溢れてるから、こっちも対抗心が芽生えて来るよ」
「部内闘争は歓迎してますか?」
「競争なきところに発展はない、でしょ?
うわっ、校訓の引用なんて臭いこと初めてした、これまで俺らの席次下げやがってテスト多いんじゃいとか詰ってたのに」
「まあ本当に、アインが来てから一気に進んだ感じあるわよね、ここ」
そう言って部室奥から繋がる資料室から顔を出したのはクラウディア先輩だった。
「実用目的の人は結局星追コレクション部じゃん、って言って他の部活行っちゃうし、席次下の連中が集まり過ぎて怠惰部とか麻雀卓とか揶揄されてたくらいなのに」
「いやーほんと、活気が出て良かったよ。
なんで誰もアインさん拾ってなかったんだろうね。こんなに多能力なのに」
私は苦笑いした。まあ、しょうがない。出自的に、そもそもこの学院に居られるだけ奇跡なのだ。
疎まれようとこの学院に居る理由は、奈落の人類に一番貢献できるのがここを出て技術者になること、というのと、単純に名門に進もうと上へ向かっていたらここに辿り着いたからというのの二つがある。
気まずいので黙っていると、クラウディア先輩が気を利かせたのか、
「あ、そうそう、お茶菓子お茶菓子。
休憩には早いかもしれないけど、あるから食べない?」
「Noと言うと思うかい?」
「質問に質問で返してくるまで予測してたわ。それじゃ、食べましょ」
そう言って彼女が引っ張り出してきたクッキーを4人で食べる。なお、今日はクライン先輩、クラウディア先輩、そして私の3人と、先程からずっと星追専門雑誌「To the Stars」を読み耽っているコルキスくんしか居ない。部員名簿には20人以上いるはずなのだが、不思議な話である。
「うっま、これどっから持ってきたんです?」
しかしクッキーに真っ先に飛びついたのはコルキスくんである。成程甘味系男子とみた。
「あ、それ私が作りました」
「えっ......マジ?」
彼は目を丸くして私を見る。
「先輩たちの話盗み聞きしてたけど、本当に能力高くすぎない?もう全部君でよくないって感じなんだけど」
「あーいえ、魔術だけは苦手なので......身体強化もほとんどできませんし......」
「はえー、そーなんや。完璧な人間って居ないってことかあ」
割と暢気に受け流してもらえて助かった。実際ちょっと魔術の苦手さはコンプレックスなので、遠慮されたりすると内心きつい。
しかしコルキスくんが今日は居る。この部活で同学年に会ったのは実は彼、コルキスくんが最初で唯一なのだが、その同学年である件で、実はちょっと疑問があるのだ。
なぜなら同学年であるということは、私の醜聞についても把握しているということで......
「その、そういえば星落研究会って、私の妹から何か受けてたりしません?」
つまり私がここに居ることを知った妹から遠隔的に「説得」を受けているかもしれないということだ。
隠し通そうとしてきたが、コルキスくんが居ると言うことは妹に洩れるかもしれない。あの子の情報網は先輩後輩にも繋がってはいるが、私の同学年と彼女の学年が中心であることには変わりないのだ。
「あー......妹さんね。
なんだろう、ちょっと同じクラスの奴がちょっと言ってきたりはしたよ」
そう答えるのはクライン先輩だ。
........やっぱりか。
「ま、でもここまで働いてくれる、というか働ける人を避けるのはちょっとないかな。惜しすぎるもん、だって。
星系技術部......実のところ私も昔は居た。特に1年の時は重宝してもらえたものだ。
ただ同学年が増えてきたタイミングで私を避ける人が多くなり、先輩も同学年に馴染めない私を扱い兼ねだして、結局居辛くなって今は幽霊をやっている(この学院は適当なので退部なんて言うシステムは実質ない)。
実は私がこんな経過をたどった部は幾つかあり、名目上私は4つの部活を掛け持ちしていたりする。
言うことのとっかかりを掴めず黙っていると、
「まあ、とにかく、ここまで多機能な人を逃す目とか、ないっすよね。
マジで、クライン先輩の拾い物運が良すぎます」
「こいつはまあ、運も良いけど、誑しだしね」
そう言うのはクラウディア先輩である。
うん、先輩、どうしようもない旦那を見るような目でクライン先輩を睨んでいる。
気まずくなったのか、仕切り直すように、
「いやでもこれで、実際探査できそうじゃん。まさか1ヵ月で整うと思ってなかったよ、ありがとう、アインさん」
「私からも、正直感謝しかないわ」
「いえいえ、私ができることをしてるだけですから......」
ほめ殺しにされるとむず痒い。最近マシになって来た陰キャしぐさが再発して、顔が熱くなってきた。
しかし出来ることをやっているだけ、というのは本当である。
なにせ私は魔法が使えない。よって彼らが実動部隊にならざるを得ないのだ。
「その件だけどね」
「......何でしょう?」
クラウディア先輩が急に私を見て話を切り出した。顔が若干シリアスだ。
「アインも、来ない?探査」
「......いいんですか?私魔術使えませんよ?それに......」
「使えなくてもほら、設備の場所とか全部まとめて知ってるのアインだけだし、それに、実はね......」
まるでサプライズプレゼントを取り出すときの様に溜めて、そして一気に、彼女は一枚の書類を取り出した。
「顧問随伴の許可が下りたのよ!
まあ、正確には顧問じゃないけど、クライトン教授の監督を受けられるわ。これでアインが未踏破区域に行っても安全ってわけ」
クライン先輩が驚いて声を上げる。
「え、クライトン教授!?
何であの人が?」
「......さあ?何ででしょうね」
クライトン教授。純粋遠距離熱魔術の大家、学院指折りの名声持ち。
そしてついでに言うと......
「あの人理事との連携とか危機管理室とかばっかで、部活と関りあんまりないと思ってたんだけどなあ......」
「......ところでさ、アイン」
「何でしょう?コルキスくん」
「......君、すごい食べるね。
クッキー何枚食べた?」
随分遠慮が無いな。
まあ確かに、元々結構食べる体質ではある。
「20枚ですね」
「......一気に食べてたよね?」
「はい、その、申し訳ないですが結構お腹空いてまして......
ああ、勿論、元々多めに焼きましたから、目の前で大量に食べて申し訳ないですが皆さんが食べる分はありますよ?」
「......うん、ありがとう」
多分今よくその体型維持できるな、とか考えたと思う。まあうん、私もそう思う。
いや、言い訳しておくと、来る前に食べておいたのだ。そこそこお腹も膨れたし、大丈夫だと思ってたのだけど、自分で焼きながら目の前にしてみると美味しそうで我慢できなくて......
「そんなにお腹空くなら探査に食べ物持っていく?
アインちゃん行くなら荷物運べる量増えるし」
「あ、はい、でも事前に対策しておけば大丈夫だと思いますから、食べ物は持って行かずとも良いと思います」
嫌だよ私、みんな警戒したり戦ってる中で一人だけ補給食食べるの。
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