2 オークの小屋
身動きできないミルカにオーク男が静かに近づき、傍らにしゃがみこんだ。
「私を、どうする気……喰うの?」
一言発するたびに身を刺す激痛の隙間を縫いながら、ミルカは訊いた。
オークは怪訝な顔……と思われる表情を浮かべる。
「喰う? 人を? なんで?」
恐ろしい話を聞かされたという眼をしたかと思うと、オークはぱっと明るい顔らしきものを見せた。
「そうか! 人族ちゅうんは人を喰うんやな! すまんすまん、知らんかったわ」
「ンなわけないでしょっ! ……ぐっっ!」
咄嗟に大声を放ってしまったミルカの体が、悲鳴をあげた。
「歩けそうには……ないか。右足が折れて、左肩も砕けとるんやな」
まるで治療院の施術師のような口ぶりで、ミルカの容態を言い当てる。
「とりあえず『肩もみ』だけでもしとこか。傷は、小屋に連れてってからでええやろ。薬もあるし」
――揉む? 連れて? 少女の脳裏に被虐の末路が去来する。
オーク男はぶつくさしながら、折れたミルカの右足に手のひらを柔らに押し当てた。激痛を恐れて身構えたが不思議と痛みはなく、それどころか心地よい温かさすらある。手のひらと脛の隙間からは、淡い光の粒がいくつも零れて舞っていた。
左肩にも同じく手を当てられると、燐光の粒子が目元まで漂ってくる。砕けた骨がひとりでに形を取り戻していく奇妙な感触が、皮膚の下を這いまわった。
「身体の傷は……脱がさんとわからんけど、ここじゃあなあ……あ! 体が冷えてきよった、急がんと」
男はミルカの背と膝裏に腕を差し入れると、両腕の中に身体を抱え上げた。
あれ? 人族にワイの薬効くんやろか……などというオーク男の不穏な言葉を耳にしながら、即席のソファのような両腕に身を預け、ミルカは再び気を失った。
瞼の向うに温かな午後の陽光を感じて、ミルカは目覚めた。
夢ではないかと思われたが、生身の体を照らすのは穏やかな日の光であった。
――生身の……身体?!
咄嗟にミルカは、寝台から体を起こした。
体に掛けられた薄衣がはらりと落ちて、豊かな女の胸が露わになる。
慌てて胸元で腕を組み双丘を隠すと……ミルカは我が身に起きた異変に、ようやく気づいた。
左腕が、動いている。
折れて曲がった右足は、左足と鏡合わせの流麗な形を作っている。
全身を覆った打撲の痛みも消えていた。
傷跡すらない。肌もすっかり拭われて、湯上りのように瑞々しい。
――いったいどんな治療なの? まるで神聖術……。
訝しむミルカに、ふいに無遠慮な声が向けられた。
「やっと目ぇ醒めたんか。動けとるようやが気分はどうや? 飯、食うか?」
奥まった別の部屋からのっそりと顔を覗かせて、オーク男は呑気そうにミルカの裸身を眺めている。
「お前っ、私を、見たのっ……?!」
全身を震わせながら、ミルカは顔も体も真っ赤に染めた。
取り落した薄衣を拾い上げて身を隠し、寝台の上で膝を抱えて丸くなる。
眼だけを動かし、オークの顔を睨みつけた。
「そんなこと言われてもなあ。裸にせんと施術もできんかったし、仕方なしや」
「やっぱり私を、喰うなんだな!」
「いやいや……まいったな。お前、昨夜から人の顔みれば喰う喰うって……オークをなんだと思っとるんや?」
「人食いの、魔族だっ!」
「魔族はともかく、ワイらは生きた人間は喰わんで」
「なら、殺してから喰うんだっ」
今にも泣きそうな顔をしながら、ミルカはオーク男に怯えと怒りをぶつけた。
刃があれば、ひっ掴んで切りかかりそうな勢いだ。
そんなミルカを見て、オーク男は片目を渋くつむると、深く長い息を吐いた。
「堂々巡りやなあ……お前の服は洗っといたから、さっさと着替えるとええ」
血の跡も綺麗に消え、まるで専門の職人が扱ったように丁寧に仕上げられたミルカの衣服を指さしながら、オーク男は部屋を出て――。
再び顔を覗かせた。
「そうや、名を名乗っとらんかったな。オクオや。オークのオクオ」
てっきとうな名前やろと、オクオは太い牙を見せながら笑った。
手を伸ばし、畳まれた衣服を取り上げる。
何か柔らかな、ハーブの香りがふわりと流れた。
魔獣に裂かれた布地は綺麗に繕われていた。
下着までが清潔だが、これはさすがに気恥ずかしい。
手にした上衣の匂いを確かめる。
幼い頃に亡くした母が、好んで身に帯びた香木の香りにも似ていた。
――私はまだ、生きている。
喰われるのなら、寝ている間に骨と皮にされたはず。命を救われた上、どうしてオークにこんな真似ができるのか、傷一つ残っていない。
上衣に袖を通しながら、寝かされていた部屋を見渡した。
簡素だが整えられている。窓際に吊るし干された薬草や、棚に並ぶ薬瓶に調剤道具など、人族の治癒師と同様の道具が揃えられていた。
オークなのに? 座学で流し込まれた知識とまるで違う――。
着替えを済ませると立ち上がって伸びをし、体の隅々が動くことを確かめた。
少し足元がふらつく。傷は癒えても流れた血は戻らず、溜まった疲労は消えていない。快復するのに、まだ数日はかかりそうだ。
「オクオ……さん」
歩みながらしおらしい声で、食事の支度をするオークの背中に声をかけた。
「なんや、さんて。オクオでええで」
「その、オクオ。いろいろ……ありがとう」
「礼を言われることやない。全部ワイの不始末なんや」
力の入らないオクオの声が、大きな背中を縮めてみせた。
「干し肉の材料が欲しくて狩りに出たんよ。都合よく群れを見つけて崖に追い込んだんやが、追った先にお前らがおってな。人族に見られるわけにいかんから隠れてたんやけど、大変なことになってもうて……」
オクオは心底申し訳なさそうにして、モヒカンに刈られた赤銅色の頭髪を掻いた。
「で、お前の仲間は強そうやったから、ワイは逃げ出したお前が気になって追っかけたんや。そしたらお前、いきなり崖から飛び降りて……たまげたで」
「仲間は、コーディ班長たちはどうなったの?」
「すまんが分からん。でも、お前を構わんでええから存分に戦えたやろし、あの調子ならたぶん大丈夫……やで」
曖昧な返事だが、確かに自分を庇う枷がなければ切り抜けるのも無理ではないだろう。今はそう納得するしかないと、ミルカは自身に言い聞かせた。
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