ある月夜の森の中、オークに出会った少女の話

まさつき

1 見習い冒険者の失態

 私のせいだと、ミルカは後悔した。

 ギルド長の娘である立場を利用しわがままを言い、不相応な魔獣狩猟依頼に参加できたところまでは良かったが、甘かった。

 手練れの剣士コーディを筆頭にした5名の小規模な狩猟班に、16歳の見習い冒険者ミルカは6人目のおまけとして加えられた。

 難しい狩猟ではないはずだった。近隣の森に生息するツノジシが収穫前の畑を荒らすから狩猟してくれという、ありふれた依頼。

 ツノジシは、体長は2メートル足らず、ずんぐりとした胴体に潰れた豚のような顔、下から生える太い牙、額の横から前に突き出す2本の捻じれ角を特徴にした雑食の獣だ。畑を荒らす数頭程度であれば、難なく狩れるはずだった。

 ところが、狩猟班が畑を横切り暮れなずむ夕日を背にして、森の奥へと踏み入ろうとしたとき、予想外の事態が起きた。

 狩るはずの魔獣たちが群れを成し、前触れもなく目の前に現れたのだ。

 数頭どころか20頭を下らない猛る群れは、駆り立てられるように雪崩を打っていきり立ち、班員を視界に入れるや猛然と襲い掛かった。

 不慣れなギルドのお嬢様を庇って動くことを余儀なくされた狩猟班は、あっという間に窮地に陥る。

「ミルカ、邪魔だっ、逃げろ!」

 最後に聞いた怒声は、斥候を務めるロフトの声か。

 返事もせず、ミルカは走りだした。

 半数近い魔獣が人族女の生肉を追って群れを割る。

 ひときわ大きな一頭が待ちきれず、ミルカ目掛けて飛び出した。

 ミルカはとっさに獣を避け、着地の先を確かめもせず飛びずさる。

 身を支えるはずの大地は、無かった。

 飛び掛かってきたツノジシもろとも、少女は崖下へと消えた。



 闇の中、獣の剛毛にうずもれて、ミルカは目を覚ました。

 先に落ちた魔獣の体に、運よく受け止められたらしい。

 日は暮れていた。何刻気を失っていたのかも分からない。

 どうにか体を起こし立ち上がろうとして、崩折れる。激痛に身を縛られていた。

 右足が脛のあたりで折れている。

 左の肩も言うことを聞かない。

 失わずにすんだ剣を杖代わりにして立ち上がると、身を隠して体を休めるための場所を求めて歩き出した。

 あまり長くは、続かなかった。

 藪に分け入り、大木に背を預けてミルカは座り込んだ。

 逃げてきた道筋を、流れた血が道しるべのように赤く染めていた。

「パパ、わがまま言って……みんなも……」

 独り言ちた言葉が、ひとつ吐くごとに少女の胸を冷たく刺す。

 追い打ちをかけるように、不穏な空気が辺りを包んだ。

 がさりと、梢の揺れる音がする。

 風は吹いていない。

 何かが触れて鳴る音だった。

 風の替わりに、生き物の呼気の匂いが漂う。

 息を殺して闇の奥を見つめた。

 茂みの隙間に、赤く小さな揺らめきが、幾粒も灯った。

 魔獣の、少女の肉を値踏みする、瞳の揺らめきが。

 血の匂いを辿って、ツノジシたちがミルカを追ってきたのだ。

 魔獣たちは焦らない。

 ゆっくりと、がさりがさりと梢を揺らしながら、ミルカの元へとやってくる。

 見える限りでは、7頭。茂みの中にはもっといるかもしれない。

 だが、剣を支えに立ち上がる力は残されていなかった。

 頭からか? それとも足先からか。

 自分の身を喰われる順を考えながら、16年の人生に幕引を覚悟した時――。

 不思議なことが、起きた。

 食事の時を確信したはずの魔獣たちが、緊張を高めた。

 ゆっくりとミルカから目を逸らし、元来た道に向き直り身構える。

 明らかに、自分たちよりも強い何かに対する警戒の姿勢をとると――。

 ぬぅっと、闇の中から夜気を割り、巨大な人影が現れた。

 魔獣たちは人影を見据えたまま、蹄一つ分あとじさる。

 ――いったい何者なのか? 狩猟班にあれほど大きな者はいない。

 月影を背にした姿は影になり面立ちは見えないが、岩を寄せたような体躯からして、男であろうことだけは分かった。

 身の丈2メートル半はあるだろう。体重なら170キロ、いや200に迫るほどの大きさに見える。

 ゆらりと、なんの緊張感も見せず、物言わぬ人型の闇が魔獣に迫った。

 ブウゥンとひとつ、裂かれた空気が重たく呻く。

 手にした金砕棒を、男が振ったらしい。

 それを合図に、タンッと地を蹴る音が鳴った。

 人というには大きすぎる体が、雷光の如き苛烈な力と速度を以って、魔獣の群れに襲い掛かった!

 飛び出した巨躯の影は身の丈ほどある長さの金砕棒を、まるでヒノキの棒でも扱うように軽々として、魔獣に向けて振り抜いた。

 とたんに、魔獣が弾けて……砕けた!

 祭りの屋台で売られる風船が針で割られたみたいに、魔獣は易々と骨と肉のすり身となった。飛び散る肉片に遅れて、ザァッと夕立のごとく血の雨が降る。

 血を浴びてその身を濃赤に染めながら、男は次々に魔獣を砕いた。

 しかし男はだしぬけに、その身を止めて棒立ちになり――口をきいた。

「おっと、いかん。一匹ぐらいは形を残さんと、晩飯に困る」

 初めて聞こえた男の声は、繰り広げられた惨劇におよそ似つかわしくない穏やかなものだった。飄々として優しさすら孕んで聞こえる、落ち着いた低い声。

 もはや身動き一つできず死を覚悟した魔獣を、男は金砕棒でひと撫でする。

 頭蓋の割れる鈍い音を短く響かせ、最後の魔獣は地に伏した。



 鼻歌交じりに、大男は亡骸の後ろ足を縄で縛ると、片方を腰縄のようにして自分の腰にくくりつけた。魔獣を担がず引きずるつもりらしい。

 ひとしきり仕事を終えると、大男はミルカに目を移した。

 掛けられた言葉は、意外なものだった。

「やれやれ、お前には迷惑をかけちまったなあ……すまん」

 心の底から詫びる声をして、巨躯の男が歩み寄る。

 風が吹いた。

 月を隠した暗い雲が押し流される。

 男の顔が、月明かりの中にくっきりと浮かび上がった。

 ミルカの肝は、縮みあがった。やはりこれで命が尽きるのだと覚悟した。

 現れた姿は、人ではない。

 ミルカの前に立ち、優しげに声をかけた男は……オスの、オーク。

 傷ついた少女を救ったのは人族の仇敵、オーク族の男であった。

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