旦那様のメイドになりました

 書斎を出て、ワゴンを押しながらキッチンへ向かう。


 嘘だ、ありえない。

 辞職願を受け取って貰えなかったどころか、破り捨てられてしまった。こうなれば、無理やり屋敷から脱走するしか……。


 目線を落とし、己の腕を見る。

 レイヴィスほどではないが、それなりに白い肌。その上には大量の傷跡か痣が残っていた。魔法でつけられた傷だ。簡単には治らない。





「ほら、早く立て。この家畜めッ!」


 メイドという職に就く前、私を管理していた主人は、いつも鞭をふるいながら罵声を吐いていた。


 屈強な腕で鞭をふるう男の正体は、巨大な商人ギルドに所属する行商人だ。


 商人ギルドといっても、その実態は裏社会を牛耳る闇商人の集まり。売られている商品は、大体違法ポーションか奴隷だった。


 物心つく前にギルドの商人から買われた私も奴隷であり、年頃になったら競売にかけられる運命だった――そうだったのに。


「おや、お兄さん。随分と物騒ですね」


 あの男が運命を変えたのだ。


 雨が降るスラム街の路地裏。


 私に向かって鞭を振るう奴隷商人の隣に、突如見知らぬ男が現れた。茶色のフードつきマントに身を包んでいるせいで、服装は見えないが、フードの中で不敵に笑う顔は美しかった。


「なんだ、テメェ?」


「通りすがりの旅人です」


「旅人がなんの用だ?」


「そこの娘、買いますよ」


 そう言いながら金額を取り出す男の視線が、注がれたのは私のほう。


「わりぃが、兄ちゃん。この娘だけは売れねぇ。見ての通りコイツは死霊妖精ヴァンシーだ。しかも、このぐらい容姿がいいヤツはそうそうお目にかかれねぇ」


「つまり、売って下さらないと?」


「あぁ、わりぃな」


「おや、それは残念ですね。まぁ、どちらにしろ結果は変わりませんが」


「なに?」


 男は一枚の羊皮紙を奴隷商人に見せる。

 当時、文字が読めなかった私に羊皮紙に書かれていた内容は知る由もない。


「こちらは契約書です。貴方が所属しているギルドをアルヴァン家が買い取るという……という内容のね」


 奴隷商人の顔が青ざめてゆく。


「つまり、商品だけではなく貴方を含めた商人の皆様も、この私が買い取ったということです」


「……なんのために?」


「理由ですか……そうですね。例えば……今まで幼ない娘を、家畜呼ばわりしていた男が、逆に家畜へ成り下がったらどうなるか試してみたかったから……とかですかね」


「お前、狂ってやがる!」


「おやおや、冗談ですよ。真に受けないで下さい。とにかく、その物騒な鞭をしまって、どっかに引っ込んで下さい。あと残りの商品も全員解放して下さい」


 すっかり顔から血の気が引いてしまった奴隷商人は、舌打ちをしてからが入った馬車の扉を開ける。すると中から、ぞろぞろと全身が傷だらけの人々が現れた。


「おにぃーさん」


 当時の私は、枯れ木のごとくやせ細った体を何とか動かしながら彼の元に近寄った。


「可愛らしい死霊妖精ヴァンシーのレディ。貴方の名前は?」


 生まれて初めて「可愛らしい」と言われた。大抵の人間や魔族は、死を予言する妖精だと言われている死霊妖精ヴァンシーを、不吉の象徴として扱うからだ。



「ロイゼ」


「古語で『光の乙女』を意味する名前ですね。素敵です。年齢は?」


「ろくさい」


「そうですか。では、知り合いが経営している孤児院に貴方を送りましょう」


 首を横に振る。


「やだ」


「どうして?」


「だって、私おにぃさんにお礼がしたいから。おにぃさんの為に働きたい」


「でしたらアルヴァン家へ来て使用人として働きますか?」


「うん!」


「分かりました。私の名前はレイヴィス。アルヴァン家の主です」


 レイヴィスと名乗った男はフードを外す。

 綺麗な人だ。当時の私は、そう思った。



‪✿



 あれから十年が経ち私は十六歳になった。アルヴァン家で働いている他の使用人は死霊妖精ヴァンシーである私に対して、差別的な態度を取ることがなかった。


 むしろ、みんな私を娘や孫のように扱ってくれた。掃除の仕方や、文字の読み書き、お金の計算まで、生活に必要なことは一通り教えてくれたのは彼らだ。

  もはや、レイヴィスに並ぶ恩人と呼んでも過言ではないだろう。


 アルヴァン家は実質、私の家。帰るべき場所だ。しかし、今となっては、この新しい家も手放さなくてはならない。


 なぜならば、思い出してしまったからだ。

 この世界は転生前に遊んでいた乙女ゲーム『七つの彗星と恋の花』の舞台であるニーラカナイ大陸であり、レイヴィスの正体は黒幕である『黒の魔法士』であったのだから。


 物語の最後は、どのエンディングを辿ってもレイヴィスは主人公一行に倒されてしまう。もちろんアルヴァン家も崩壊してしまうだろう。私を含めた使用人もただでは済まないだろう。だからといって、主人公補正に守られた七人の魔法士と戦ったところで勝ち目はない。


 理由は、それだけではない。

 大好きなレイヴィスの死に様など見たくないからだ。ならば、いっそエンディングを迎える前に逃げてしまいたかった。




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