第4話
「そんな……だって、真司さんはイケメンで、頭もよくて、弁護士で、高校時代に全国大会にいけるくらいスポーツもできて……そんなハイスペックな人だったから、私も好きになったのに」
「あーそれも半分しか合ってないですねぇ」
「まだ何かあるの!?」
「イケメンなのは確かですね。頭も……あのロースクールに受かるくらいですから悪くはないでしょう。ただ、司法試験には届かないというだけです。それから高校時代のテニス部の成績なんですけど、それ、嘘ではないらしいんですが、ダブルスの試合だったそうですよ。真司はごく普通か、ちょっとうまい程度のレベルだったそうなんですけど、ペアを組んだ相手がアメリカでテニスの英才教育を受けていたハーフの子だったそうで。たまたま一年だけその高校に転入していたタイミングでインターハイがあったので、当時テニス部では一番うまかった真司がペアに選ばれたんですって。全国大会まで行けたのは完全にその子のおかげ。真司はただのひっつき虫だったそうです」
この話は離婚後、友人を通して仕入れたものだ。知り合いに離婚を伝えると「言わずに黙っておこうと思ったんだけど実は……」と真司に関する悪評がわんさか集まった。中には朝比奈ほのかではないと思われる相手とデートしていたというものまであった。さらには学生時代の彼の言動。
「地味で冴えない女だけど、あいつの父親、緑川法律事務所の所長だろ? うまく取り入ればあの有名な事務所の一員になれるし、結婚したら俺が未来の所長だ」
私と付き合っている当初から、周りにそんなことを漏らしていたらしい。密告してくれたのは大学時代の友人だ。彼女のご主人が真司と同窓生だった。友人の方は出産したばかりで育児休暇中だが、私と同じような職についていることもあって、今でも付き合いがある。
皆私に気を遣って本当のことが言えなかったそうだ。それはそうだろう、ただ付き合っているだけならともかく、妊娠までしたのだ。お腹に子どもがいる状態の女に、旦那となる男の本性を告げるのは心苦しいに違いない。「このまま奈津子には黙っていよう」と隠し続けていたところに離婚の報が舞い込み、それならば、と教えてくれたのだ。もうなんというか……ショックというよりも、自分の男を見る目のなさにがっくりきた。
そうそう、今は朝比奈ほのかのことだった。私は目の前で金魚のように口をぱくぱくさせる彼女を見返す。弁護士でなかったことに比べれば、高校時代のインターハイ成績の全容なんて大したことではなかっただろうから、これはいらぬ情報だったかもしれない。
「そんな……じゃぁ、真司さんは、今どこに?」
「さぁ、しりません。緑川法律事務所も先月辞めましたし」
実は真司の立場は契約職員だった。真司は司法試験を目指すという目標があったため、パラリーガルの仕事も本職の方達より少なめにしてもらっていた。正職員にしてしまえば仕事内容で落差が出て不公平だからと、正式に弁護士になるまでの間は契約職員として雇っていたのだ。だから解雇したわけではなく、契約更新しなかっただけの話。そのあたりは父に任せた。もちろん、あの日、朝比奈ほのかが襲撃してきた際、彼女が聞かせてくれた音声データをこっそり録音した音源も添えて、父に提出した。いやぁスマホって便利だよね。ボタンひとつで怪しまれずに録音できるんだから。
家族を失い、住むところを失い、仕事も失った真司は、てっきり朝比奈ほのかの元に転がりこんだのだと思っていたのだが。
「真司さんと連絡がとれないの。もう1ヶ月。離婚が成立したって、それだけ連絡がきて。最後に会ったのなんて2ヶ月も前よ」
震える声でそう告げる。なるほど、トンズラこいたってわけか。となると行き先は……友人のところだろうか。真司の友人はほぼ大学のときの人たちで、真司と違い優秀だった彼らはほとんどが法曹界に入っている。そしてその彼らは私や父の知り合いでもある。司法試験に通らず、私たち親子を騙した彼に手を差し伸べる友人がいるとは正直思えない。となれば実家だが、あの人のいいご両親は離婚騒動の際、わざわざ千葉から出てきて事務所を訪ね、職員の前で私と父に土下座したのだ。そのとき「息子には2度とうちの敷居を跨がせません!」と宣言していたので、実家に居場所があるとは思えない。
まぁ、パラリーガルとしてのキャリアもありはするから、その方面での再就職は可能かもしれない。ただし狭い世界、少なくとも都内の事務所で彼を雇うところはないだろう。それくらいの知名度を、うちの父親は残念ながら持ってしまっている。父は非常勤で大学で教鞭をとってもいるから、教え子も全国に散らばっているときている。道は険しいかもしれない。
そんなことをつらつら考えていると、朝比奈ほのかの顔が再び徐々に歪んできた。あ、ちなみに彼女、元キャバ嬢らしい。離婚の理由を徹底的に真司側に押し付けるために、父が懇意にしている探偵さんに調べてもらったのだ。
「なんで……やっと幸せになれると思ったのに……。イケメン弁護士ゲットして、贅沢な暮らしができるって……。なんでこんなことにーーー、そうよ、全部あんたが悪いのよ! そんな地味で陰険で頭も悪いくせに、親が金持ちだからってぬくぬくと幸せに生きるなんて! 仕事だってただのパートで、全部親に頼ってて……。卑怯だわ、そんなこと許されるはずないでしょ!? 私の方が綺麗なんだから、私が幸せになるべきじゃない!」
「あーそれも半分しか合ってないですねぇ」
「いったいなんなのよ!」
「親が金持ちなのは本当です。でも、幸せにぬくぬくっていうのはどうでしょう。現にあなたのせいで離婚においやられてシングルマザーですし。それに仕事はパートじゃありません。時短勤務なだけです」
「同じようなものでしょ!?」
「全然違いますよ。時短勤務ですが正職員です。それに、頭の良し悪しの定義が難しいですが、少なくとも世間一般よりは賢い方だと思いますよ。だって私、弁護士ですし」
「……は?」
「私、緑川法律事務所に所属する、れっきとした弁護士ですよ」
今は喘息持ちの息子がいるので時短勤務にしているが、彼が小学校にあがったらフルタイム勤務になる予定だ。父のコネで事務所に入れてもらえたおかげで、いろいろと融通がきいている。朝の出勤は10時、夕方は4時。お給料はその分引かれるけれど、そのうちバリバリ働くつもりだから、今はそれでいいかと思っている。
真司は法学部を卒業後、院であるロースクールに通って司法試験突破を目指したが、司法試験に受かるためには何もロースクールは必須ではない。予備試験というものがあり、これに受かると学部生でも司法試験の受験資格が与えられる。
私は妊娠している間に予備試験に合格し、出産してから司法試験に臨んだ。決して楽な道ではなかったけれど、父も「結婚や出産を言い訳にするな」と厳しかったし、私自身も父のような弁護士を目指していたから、それはもう必死に勉強した。実家の母は授業中の託児は引き受けてくれたものの「自分で選んだ道でしょ」と、授業後の家事育児へはほぼノータッチ。日々睡眠不足と戦いながら、家と学校と実家だけを往復して、女子大生らしいことは何ひとつせず、勉強・家事・育児とがむしゃらに過ごした。その甲斐あっての合格(もちろん一緒にトライした真司は不合格)だ。ちなみに在学中に司法試験に合格する人間はとても少なく、それだけで優秀な人材と認められるから、業界では引く手数多である。ないとは思うが、もし父の事務所をクビになっても、転職はしやすいだろう。
「なっ、なっ……騙したのね!」
「何も騙していません。あなたが勝手にパート勤務のお気楽な主婦扱いしただけです。それに騙したのは私でなく、真司なんじゃないですか? あなたの愛する真司にその怒りはぶつけるべきですよ」
「だからその真司さんと連絡がとれないって言ってるでしょ!? さてはあなたたちグルね? 2人で私を騙していたんだわ。ひどい、訴えてやるんだから!」
「どうぞ? あなたの弁護を引き受けてくれる人が見つかるといいですね。あと、そちらが私を訴えるならこちらも訴えますよ」
「はぁ? なんで私が訴えられるのよ、私は被害者よ!」
「それも半分しか合ってないですねぇ。真司と結婚の約束をしていて、彼に裏切られたなら、確かにあなたは彼の被害者です。でも、私はあなたの被害者なんですよ? 法的に保証されている夫婦の夫を、あなたは奪ったんです。慰謝料請求のための訴訟を起こすことは可能ですし、どう考えても私が圧勝します」
「ふざけないで! 私だって騙されたのよ、私だって慰謝料もらう側よ!」
「それは真司に請求してください。私の役目ではありません。私、彼とは赤の他人なんで」
「だからその真司さんがいないっていってるでしょう!? 私はどうしたらいいのよ! お腹の子ども、もう中絶できないのよ!?」
「それは子どもの父親と話し合ってくださいね。実の親子なんですから。あ、それから、当たり前の話ですけど、あなたたちに緑川の名前を名乗る資格はありませんから。緑川は私と息子のものです」
それだけ言い置いて、私は喚く彼女を尻目にマンションに飛び込んだ。
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