第2話

 学生結婚に妊娠、出産までした私だったが、実家の支えもあり、無事4年で大学を卒業できた。身内のコネではあるが、時短勤務の仕事にも就けた。真司はロースクールを卒業後、緑川法律事務所に就職した。


 あれから4年。私は今26歳だ。


 大学3年で産んだ息子は、喘息持ちではあるものの、すくすくと大きくなっている。私の妊娠に大激怒した父も、今では孫にデレデレだ。


 真司との関係は良好だった。私のことも大事にしてくれるし、息子をかわいがってもいる。昨晩だって喘息で苦しむ息子の側についてくれていたのを、私が寝室に追いやった。今日は法廷で裁判の日だ。メイン弁護士は所長だけど、彼も同席する。裁判中に居眠りなんて目も当てられない。


 関係は良好だった。いや、良好だと思っていた。





 私は朝比奈ほのかに向き直った。


「真司とつきあっている、というのは本当ですか」

「やだ、だからさっきから言ってるじゃない。本当に頭が悪いのね」

「そして彼の子どもを妊娠したと?」

「えぇそうよ。なんなら母子手帳みせましょうか? ほら、あなたみたいな女でも子ども産んでるんだから見覚えあるでしょ」


 そして彼女がバッグから取り出したのは、確かに見覚えのあるデザインのそれだ。表紙に朝比奈ほのかの名前も書かれている。なるほど、妊娠しているのは本当のようだ。


「証拠はあるんですか」

「え?」

「おなかの子どもの父親が真司だという証拠です。それに、そもそもあなたは本当に彼とつきあっているんですか」

「何それ、疑うの? あはははは、ほんと、あなたってバカね。こんなおおごと、嘘なんかつくはずないじゃない。でも、そこまで言うんなら証拠を見せてあげるわ」


 そして母子手帳をしまった彼女は、今度はスマホを取り出した。


「はい。私と真司さんの愛のやりとり。特別に見せてあげるわ」


 スマホにはLINEの画面。そこには見覚えのあるアイコンがあった。テニスのラケットとボール、真司が高校時代に全国大会に出場したときに使っていたものだと聞いている。つまり真司のアイコンだ。下に「SHINJI.M」の名前もある。


SHINJI.M:明日は法廷が終わったら直帰できるよ。17時半くらいかな

ほのか:わーい! それならたっぷりデートできるね♪ ほのか、フレンチが食べたいな

SHINJI.M:この間クライアントに紹介してもらった店、予約しとくよ。

ほのか:うん! あ、でもそのお店、大丈夫なの? 奥さんも行ったことあるとこなんじゃない? お店の人がバラしたりとか

SHINJI.M:ないよ。あいつはとにかく地味だから、フレンチとか興味ないの。あいつに限らず、向こうの家の人間は真面目一辺倒でさ。東京住みなのに全然面白くなくて話合わないったら。

ほのか:そうなんだ。真司くんかわいそう(´ω`) じゃあその分、ほのかが楽しいコトいっぱいお話ししてあげるね

SHINJI.M:話だけじゃなくて楽しいコトもいっぱいしような。コンラッド予約しとく

ほのか:さすが敏腕弁護士さま! すき!!




「あ、これだけじゃ足りない? じゃあ、特別にこれも聞かせてあげる」


 そして朝比奈ほのかはボイスレコーダーのアプリを立ち上げた。


「真司さん、私、心配なの。お腹のこの子、本当に生まれてきていいのかな……だって真司さんには奥さんも子どももいるから」

「大丈夫だよ、ほのか。心配しないで。奈津子と結婚したのは、あいつが勝手に妊娠したせいで。そもそもあいつが“今日は安全日だから”って迫ってきたんだよ。それがこのザマだ。……というより、あまりにも手際が良すぎて疑ってるんだ」

「どういうこと?」

「妊娠したけど、あれは俺の子どもじゃないって思ってる。全然俺に似てないし。それに喘息持ちなんだけど、俺の家系にもあいつの家系にも喘息ってひとりもいないんだ」

「それって……」

「そう、あいつ、俺と付き合っていながら浮気していたんだよ、絶対。子どもはそいつとの子。だけど相手がきっと公にできないような男で、奈津子の父親はそういうことうるさいから、都合よく俺を相手に仕立て上げたんだと思う」

「そんな……! それじゃあ真司さんは騙されて」

「あぁ。自分の子どもでもない子を育てさせられてる」

「ひどい! ほのか、奥さんに言い聞かせてやるわ! そんな卑怯な手で真司さんを縛り付けないでって!」

「落ち着け、事が大きくなると困るだろう? その、俺の立場も考えてくれよ」

「え?」

「ほら、俺、弁護士だから、イメージって大事なんだよ。それに所長は法曹界でも名の知れた弁護士でもあるんだ。こんな問題が公になったらマスコミに叩かれるかもしれない」

「でも、悪いのは真司さんじゃないでしょ、奥さんでしょ!?」

「そうだけど……法律上はあいつがまだ妻なんだよ。日本では法で認められた関係が強いんだ。あんな卑怯な手段を使った奈津子や向こうの親が、真実がバレたからといっておとなしく離婚に応じるわけがない。それに、たとえ血がつながらない息子でも、俺には扶養義務があるんだ」

「なんで?」

「血がつながらなくても、1年以上自分が育ててきた場合、民法上、扶養の義務が生じるんだ。あいつは学生出産したから当然仕事はしてなくて、当時俺は既に今の事務所で働いていたから、生活費は俺が稼いでた。だから、今後も息子に扶養義務があるんだよ」

「ひどい……赤の他人の子どもを一生面倒みなきゃいけないなんて。真司さんの稼ぎと実家の資産が目当てで、奥さんはそんな嘘をついたのね」

「……すまない。俺が不甲斐ないばっかりに、愛するほのかをこんなことに巻き込んでしまって」

「ううん! 真司さんは悪くない」

「でも、そんな事情だから奈津子ともすぐには離婚できなくて」

「……わかった。私も頑張る。ほんとは今すぐ真司さんと結婚したいけど。でももう少し我慢する」

「ほのか……」

「でも、いつか家族3人で一緒に生活できる日がくるよね? 真司さん、弁護士だもん。お父様も有名な弁護士さんなら、うまく離婚できる方法、見つけられるでしょ?」

「あ、あぁ。そうだな」

「慰謝料とかかかってもいいから、時間もかかっていいから、奥さんとはちゃんと絶対離婚してね。だって真司さんの実家、お金持ちなんでしょう? お父様も、ほんとの孫に財産を残したいはずよ。だから私の妊娠のことを知ったら協力してくれるわ」

「あぁ、もちろんそうだよ」

「嬉しい。ねぇ、この子、男の子かな、女の子かな。どちらでも、きっと真司さんやおじい様のような頭のいい子になるよね。3代続く弁護士になるかも!」




 そこまで再生したところで、ほのかはスマホをしまった。「これでおわかりいただけました?」とうざったいくらい小首を傾げる。


「私もはじめは我慢しようと思ったの。だけど、日に日に大きくなっていくお腹の子どもを日陰者にするのはやっぱりしのびなくて。だって、この子は真司さんの本当の子どもなのよ? 血が繋がった親子なのに一緒に暮らせないなんて、あんまりだわ。だからこうして、奥様に訴えにきたんです」


 そして朝比奈ほのかは、きつい眼差しで私を睨みつけた。


「真司さんと別れてください。卑怯な手で彼を縛り付けて……。あなたのような地味で陰険な女が、いっときでもあの人の妻でいられたのよ。それで十分でしょ? 子どもともどもさっさと消えて。このマンションからも出ていって。知ってる? このマンション、彼のお父様の名義のようだけど、もともとここの敷地に彼の実家があったのよ。だけどマンション建設の予定がたったから、彼のお父様が土地を売ったの。その見返りとして、あなたが住んでいる部屋が貰えたの。お父様はそれを結婚祝いに息子に譲ったってわけ。ここはいわば彼の生まれ育った場所。あなたやあなたの息子が我が物顔で住んでいいところじゃないわ。あなたたち親子に緑川の名前を名乗る資格なんてない。緑川の名前は、私とこの子のものなの。もちろん、真司さんもね」


 得意気に鼻を鳴らした彼女は、さらに言葉を重ねた。


「まぁ、私だって悪魔じゃないから。少しは待ってあげるわ。そうね、2ヶ月。その間に離婚してちょうだい。私も真司さんも親切だから、慰謝料は払ってあげる。でも、血のつながらない子どもの面倒を今まで見させたんだから、そちらも譲歩しなさいよね」


 そして明るい栗色の髪を翻し、朝比奈ほのかは去っていった。


 閑静なマンションの玄関前で立ち尽くす私。


 真司に自分が相応しくないと、何度となく思ったものだ。それでも、その分彼の役に立とうと頑張ってきた。今だって、彼が仕事に打ち込めるよう、子どもの面倒はほとんど私が見ている。仕事だって時短勤務を選択して、彼に負担がないよう気を配ってきたつもりだった。


 そんな真司が、浮気をしていた。しかも、愛する息子を「自分の子じゃない」と言い切った。おまけに私が彼に迫ったと嘘までばらまいていた。さらに、私の実の父親のこともなじった。尽くしてきたから見返りで夫婦になってもらえる、という単純なものではないことはわかっている。それでも、彼が今やっていられることの大部分に、私の存在は確かにあるはずだった。


 それすらも、彼は忘れてしまったのだろうか。


 頭の中でぐるぐると回る「離婚」の文字。朝比奈ほのかの嘲笑が合間に浮かぶ。真司の、私を詰る冷たい声音も。


 手にしたスマホに目をやる。時間は9時になろうとしていた。急がなければ仕事に遅れてしまう。コネ入社とはいえ、まだまだ新人に毛が生えた程度、その上での時短勤務。周囲に迷惑をかけていることはわかっている。子どもの不調でもないのに、遅刻は許されない。


 私は顔をあげ、マンションに戻った。戻り様、慌ただしくいくつかの電話をした。




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