最期の英雄と至高の悪人

倭華わっか

第一章

甜は出会う

四十国あいこく、某時刻。とある場所にて。



 まぐわう男女が一組。

 室内は雰囲気を出すためかほんのり照らすランプのみ。

 前後に伸びる影が止まる。


「……どうか……されましたか……?」


 動きが止まる男を心配したのか、情婦であろう女が男に声をかける。

 乱れた髪とじっとり汗ばむ肌が先ほどまでの情事を想像させる。


「んーー……?」


 灯が照らしだす男の身体は鍛え上げられた一兵のように逞しい。しかし表情は見えない。俯く顔にさらりと白髪がかかり目元を隠している。

 男は女を組敷く形でいたが、はあーーと思い切り溜息を吐いた。


「わざわざこの瞬間狙ぉとるん?」


 頭をぼりぼりと掻き、呆れた声で言う。


「むっちゃええ趣味をお持ちやねー」


 男は女に手のひらで退くように合図し、気怠けだるそうに下袴を履く。

 女が退いたと同時に女の頭があった部分に黒く太い針が頭上からいくつも鋭く刺さる。


 同時に部屋の扉が勢い良く開かれ、同じく黒針が男の首元に向かって飛んでいく。


 しかし黒針は男の元に届くことはなかった。針そのものの時が止まったかのように男の周囲で空中に留まったままだ。


 男は扉には目を向けず立ち上がったときと同じ姿勢でいる。白髪の隙間から除くその瞳は紅く、神秘的な何かを感じさせるようだった。


 扉の外には暗器をいくつも持つ男が1人。

 紅い瞳の視線がぎらりと扉の外に向けられたときには、浮いていた黒針が向きを変え扉に向かって放たれていた。


 扉の外にいた男はその刹那身をひるがえし寸でで躱す。

 ぎっと睨みつける顔には深く皺が刻まれていた。


「お前らさぁ」


 白髪の男は寝具に突き刺さった黒針を1本抜いて言う。


 どさっ。


 天井の裏から何かが倒れるような音がした。


 黒針は扉だけでなく、天井にも数本突き刺さっている。

 寝具に向け放たれた黒針の軌道に向け、一寸の狂いもなく黒針を飛ばし返したのだ。


 針の刺さった穴周辺はじわじわと溶けていた。抜いた針の先に猛毒が塗られている証拠だ。


「こんなもんで俺を殺れると本気で思っとるんか?」


 扉の近くにいる男は何も言わない。


たぎるこの気持ちどないしてくれんねん」


 白髪の男はゆっくり身体を扉に向け、首を片手で触りこきりと音を慣らしながら言う。


「それともジブンがもっと気持ちええことしてくれんの?」


 目線を扉の男に落としたまま口角を上げる。


 白髪の男は肘を軽く曲げたまま、両手の平を軽く身体の外側に向けた。そのまま流れるように背中で手を交差させ、もう1度腕を前に動かしたときには刃先に向け刃が太くなった切れ味の鋭そうな双剣を握っていた。



 扉の男の目は哀れみの表情に変わる。

 白髪の男に対してではない、自分をだ。


 ――こんなはずはない。


 ――こんな話は聞いていない。


 そう言いたげな表情のまま、男の頭部が宙を飛ぶ。



 いつ近付いたのか分からないほどの一瞬で間合いを詰めた白髪の男は、腕を交差し双剣を男の首から横一直線に引いていた。


 切り離された身体からは血飛沫が上がり白髪の男にね、降り掛かる。



「あれま」



 ごとっと鈍い音と共に頭部が地面に落ちる。


 少し転がった後、男の身体がその場に崩れ落ちた。


 白髪の男は男の屍を足で蹴り転がす。

 何も変化はない。胴と頭が切り離された死体がそこにあるだけだ。


「おいおいおい、もっとなんかあるやろ?蘇るとか実は分身でしたーとか」


 話しながら右手の剣を男の頭部近くに勢いよく突き刺す。


「寄生されてましたーとか、ね」


 剣は頭部から現れた細長い黒くうごめく何かを貫いている。


 うねうねと動くそれは血液が付着しており赤黒い。やがて動きが止まり、止まると同時に塵のように細かく分解され空中に散布する。貫かれていた本体は消え、剣先には何も残っていない。


 その様子を見ていた白髪の男は今度は目元を緩めて嬉しそうに口角を上げた。




てん様!!」




 少し遠く、扉を抜け廊下の先から声が聞こえた。足音は複数で、駆け足で甜と呼ばれた男に近付いてくる。体格の良い屈強そうな男が5人ほど現れた。


「なあ――警備どないなっとんの?」


 甜は新たに到着した男達を見ることなく、冷静に低い声で問いかける。


「申し訳ありません!!若手がやられてしまいこの様で……」


「こんな雑魚侵入させて面子丸つぶれやで」


「申し訳ありません!!」


「まぁええ、ちょっと気分もええし許したろ。上のもよろしく」



 甜は立ち上がり男の1人から布を受け取り顔に付着した血液を拭う。


 他の男達は各々やることが決まっているのか、素早くその場の処理作業に入る。2人は屍となった男を抱え外に運び出し、1人は扉についた血液の処理を、1人は指示を出し床に染みた血液と刀跡の修復を素早く行っている。


 雑魚とは言ったが、侵入者の能力が低くても操られていたら別だ。


 黒いヒルのようなあれは間違いなく異能。

 自分の意思とは関係無くここまで侵入してきたのだろう。


 脅されて飲まされたのか、意図せずに飲んだのか。

 どちらにしろ、異能者に目を付けられた時点で終わり。

 黒蛭の異能者にろくなやつはいやしない。



莉里りり――??」



 甜は女と思われる名を明るい声色で呼ぶ。

 部屋の更に奥、寝具近くの影から情婦がおずおずと現れた。


「続きしよ」


 情婦は驚いた表情を一瞬見せる。しかし動揺を隠すようにすぐ元の表情に戻った。


「あの、甜様……寝具が……」


「そんなもんいらへん。こっちにおいで」


 甜は莉里と呼ばれた情婦に向かい指を動かして言う。


 清掃作業に入っていた男達は甜が指示を出すまでもなく、手を止め部屋の扉をゆっくりと閉めた。




――――――――――――――――――




たぎる感情を抑える方法はいくらでもある。


金にだらしない人間は散財する。


怒りを制御できない輩は喧嘩に明け暮れる。


節操のない男なら女をなぶおかす。


倫理観のぶっ壊れた人間は他人をほふる。



朱弥あかやんとこか糞爺か、和生かずなり派か……ほんまにこの国は腐っとるな。なぁ、君もそう思わへん?」



「えっ?」


「ええで、ほとんど独り言やから。聞き流しとって」



女は弱い。


殺そう思たら一捻ひとひねり。


苦しませることも一気に楽に逝かせることも造作もない。

せやけどその弱いやつの命握っとる思うと、ぐっとくる。




それに女は金になる。

商品を自ら壊しはしない。


 


甜は洋服掛けにかけられた上着を着る。

真っ白な髪と同じように白い服。胸元や釦には細かな彫刻が見える。

素朴だが上質な衣類を身につけ煙管を一服。


ふぅ、と窓の外を見ながら煙を吐き出す。

外は明るく、青空を隠すようにうっすら雲が流れている。


四十国あいこくの朝は早い。

人の行き来が徐々に増えて皆に朝を知らせていく。



朝から娼館に来る輩はそうそういない。こちらから出て行き自分の場所へ戻るものがほとんどだ。だから、辿々たどたどしく娼館に向かって歩みを進める彼女は嫌でも目に止まった。



……。



煙管でもう一服。


ここから見る限り、若い女に見える。



左右に首を動かしとるあたり、周りの様子を伺っとるのやろ。


今日はついとるな。


この国に似合わない丈の短い衣装。

白粉を施した顔。

そして手に握りしめる四角く薄い何か。



「おい姉ちゃん」



甜は煙管を口から離して声をかけた。


「えっ!!……あれ、どこ??」


高い声が若い女性であることを示す。


「ここでそんなうろちょろしてちゃ、すぐに連れていかれるで?」


若い女は建物の2階に目を向ける。

が、そこに甜の姿は無い。


「どこ見とるん」


今度は女の後ろから声がした。

甜はいつの間にか女の背後に移動していた。


怪しい雰囲気を感じたのか、女はなにも言わず後ずさりする。


「ん?俺もしかして警戒されてへん?」


気を抜けるような声を出す甜。


「いやいやいやいや、むしろ感謝してほしいくらいで?姉ちゃんが無事なのはここに俺がいるからや」


女は後ずさりをやめた。


「他んとこやったらあっちゅうまに拉致られて嬲られるか売られるか殺られるかのどれかやから。迷い込んだんがここで良かったな」


「どうゆうこと…?ってゆうかここどこですか?」


「ま、中でゆっくり話そ。大丈夫大丈夫、取ってくったりしぃひん。」


ひらひらと手をこまねいて娼館の中に入るよう甜は促す。



「あ、そうや。ここじゃあんたの持ってるは使えへんよ」



女に背を向けたままさらりと言う。


「確かにずっと圏外ですけど……。ここ日本だよね?日本語通じてるし関西弁だし」


甜は何も言わず歩みを止めない。心なしか浮足だつかのように足取りが軽やかにも見えた。


「ちょっと!まだ話してるんですけど!」


甜は急にぴたりと止まった。先ほどまでの軽い足取りとは違う雰囲気を感じとったのか、女は眉を潜めて黙る。



「とりあえず中に入ろうや?」



 甜は女の方へ振りむき、不適とも取れる笑みを浮かべてもう1度同じ言葉を言う。




「取って食ったりしぃひんから。な、異邦人さん?」




――――――――――――――――――


甜は娼館の入口となる大扉を開けた。身支度を整え仕事に向かうものや寝起きで惚けている女もいる。甜は室内を視線でざっと見渡し、



「旦那、ちょっと部屋借りるで」



そういって入口から最も奥に見える部屋を指差して言った。旦那と呼ばれた小さい男が焦りながら甜の近くに現れる。目尻が下がり常に微笑んでいるような顔の歳を取った男だ。甜の言葉には言葉では答えず、代わりに深々と頭を下げる。


すたすたと歩みを進める甜の後ろには外にいた女がいた。警戒しながらも大人しく甜の後に付いてきている。しかし甜は女の方を1度も振り返らない。



甜が奥の部屋の扉を開ける。中はこじんまりとしているが綺麗に整頓されている。小さな天窓から朝日が差し込み室内を明るく照らしていた。壁には高級感のある調度品がいくつか飾られている。


甜は何も言わず部屋中央奥にある机に向かい、椅子を2脚引く。


「座って」


女を見ずに、指で扉を指しながら言う。


「な…にするつもり?」


女は警戒心丸出しだ。声が震え身体に力が入り強張っている。


「話するだけ言うたやろ」


甜は溜息をつきながら座り、俯きつつも女を改めて見た。



肩先に触れるくらいの茶髪。背丈は小さい…5尺2寸ほどか?小さな顔は割と整っており、愛らしい顔立ちだ。その表情には怯えと困惑、警戒が見える。腿ももを露出した衣装は大胆だが動きやすそうだ。



「心配なら扉を開けたままにしぃ」



俺としては女を立たせたまま話をするのもなんだからさっさと座ってもらいたいのだが、目の前の異邦人は一向に座る気配がない。


「ま、ええわ。」


甜は呆れた様子で続ける。



「甜や、よろしゅうな。で、姉ちゃんは誰でどこの人?」



女は分かりやすくびくっと身体を強張らせた。


「どこって……神奈川、ですけど……」


「かながわ?聞いたことあれへんな」


「え、でもあなたも日本人……ですよね?」


「…あぁ、日本ね。最近多いねんなぁ日本の異邦人」


「……あの!さっきからあなたの言う異邦人ってなんですか?それにここどこなんですか?私どうやってここに来たんですか?!」


扉の外から品の良さそうな女が茶を持ってきて、甜の座る机に2つ置く。軽く礼をするとそのまま出ていった。甜は出された茶を静かに一口飲む。


「落ち着けや」


「姉ちゃんがどないしてここに来たのかは誰にも分かれへん。ただ、ここはじぶんの言う日本とちゃうことは確かや」


「俺はここで産まれ育った。そん中で、姉ちゃんみたいに突拍子もなく突然現れる人間っちゅうのがよくいる。それをここでは異邦人、呼んどる」


女の瞳孔が開く。信じられないという顔だ。


「異邦人は見たことのない衣装に身を包みこまな機械を持っとることが多い。せやから見たときに姉ちゃんが異邦人やってすぐ分かったわ」


甜は女の持つ携帯電話を指さして言った。



「……スマホ……」



「そそ。今まで来た異邦人から預かったやつがここにいくつか……ほら」



甜は壁側に寄せられた棚の中をごそごそと漁り、ぽいと机の上に何かを投げた。画面は割れ汚れてはいるが、女の持つ小型の機械と同じような見た目をしている。と同時に、疑問が生まれた。


「……なんでこんなにあるんですか……?」


「んー、俺が保護した異邦人の数ってことでええ?」


甜は表情を崩さず飄々とした態度で言う。


「姉ちゃんの質問に答えたし、次は俺の番。確認したいことがあんねん」


甜はそう言うと、右手を軽く上げて手の平を上に向ける。空気中から徐々に黒い靄もやのようなものが手の平に渦を描くように集まり、手の平を覆いつくすと一寸ほどの小さく透明な球体が現れた。


「えっ」


女は驚いた声を出す。


「言うてもよくわからんと思うが、異邦人は特異な力持っとることが多い。これは大体の力の源が分かる水晶。握って念じたら自分の性質に合ぉた色に変化する」


女をちらりと見ると、水晶を凝視して目を離さない。瞬きが多いのを見る限り何が起こったか理解できていないようだ。


「まぁ予想通りの反応やな。ここにきてこの水晶を握れ」


突然の命令に女はまたもや身体をびくっと反応させ強張らせたようだ。



「姉ちゃんの価値図らせてもらう」



甜ははっきりとした声で伝えた。今この場で力を持つのが誰なのかを分からせるような恐ろしい声にも聞こえただろう。女は唾をごくりと飲み込み、ゆっくりと甜の元に歩み寄る。



「俺の真似をせぇ。握り、水晶に自分の生命が流れ出る状況を思い浮かべるんや。身体の性質に触れると自然と変化する」



近付いてきた女に甜は手本を見せる。水晶を握りしばらくすると、水晶が現れたときと同じ黒い靄が発生し、水晶の周辺を浮遊した。


「やってみ」


甜は女に水晶を渡す。女は無言で受け取り小さな手で握りしめる。


「目ぇ瞑ると想像しやすい。水晶も身体の一部となり血液が流れとる様子を想像せぇ」


女は言われた通り目を瞑り、拳に力を入れる。女の周辺にふわっと風が舞った。



「もうええ、手開いて」



開いた手の平の水晶の周りには特に何も見えないが、よくよく見ると水晶周辺のみきらきらと空気が輝いて見えた。それを見る甜の瞳に輝きが反射する。甜の口角は上がっていた。


「姉ちゃん、名前は?」


「……聖菜です……」


「聖菜。じぶん今から俺預かりな」


「え?預かりって……」


「じぶんの最低限の衣食住を俺が用意する。この国で生きていけるよう面倒みたろ。その代わり俺の役に立ち」




この異能が糞爺共に拾われなくてほんまに良かった。俺は本当に運が良い。




「ま、待って、役に立てって言われても私何すればいいの?」


「おいおい話す。身体売れとか言わへんから安心せぇ。んじゃ、ついてきぃ」


甜はそういうと立ち上がり、娼館の外へと向かう。


「ねぇこれは?!」


 聖菜が水晶を持ったまま甜に言うが、甜は歩みを止めない。聖菜は軽やかな歩みを続ける甜を急ぎ足で追いかけるのだった。

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