第2話 こんな形ではじめまして。

 うん。そうか、あの時私は亡くなったんだ。


 開いたまぶたには、ぼんやりとオレンジの光が射しこんでいた。温かいオレンジ、火のような揺らめきのない優しい光。それが窓から射し込んでいる。

 ふかふかのベッドの感触。ベッドサイドからはみずみずしい花の香り。

 煙はどこにもない。息苦しさも喉の痛みもない。


 あれは私の、リンダ・バーチの記憶じゃない。うん、そうか、つまりあれか。異世界転生ってヤツですね。


 前世の記憶とか意味もなく憧れてたけど、こうして思い出してみれば特に何事もない。あの時、私は死んだんだな。それだけだ。


 今の目の前に広がるぼんやりとした世界はきらきらと輝いていて、眩しい。

 涙で自分の目が濡れているせいだと気づいた。光が瞳を覆う水に乱反射して輝いている。


 視界をはっきりさせようと、涙を拭うためにそっと右手を動かす。


「痛っ」


 痛い? 何?

 確認するために痛みの走った箇所を見ると、右手の甲はひどく赤くなっていた。

 気づいた途端にヒリヒリとした痛みが襲う。


「お気づきになりましたか? リンダ様」

「ルナ……」


 横たわる私をそっと覗き込むボブカットに紺色と白のメイド服。ルナだ。私の、リンダ・バーチ付きのメイドの。

 いつもの風景。ベッドの感触。ルナの存在。目に映る景色は私の部屋で間違いない。

 私の部屋で私は寝込んでいる。


 何で横たわって……何で手がこんなに痛いんだっけ……?


「ねぇルナ、私どうして……痛っ」


 どうして寝ているの? と言いながら起き上がろうとしただけなのに、痛みに負けた。

 先ほど痛かった右手をあまり動かさないようにしたのに、今度は背中が痛い。いや頭も痛い。左手でそっと触ってみると、おでこの右側にたんこぶの感触があった。


「リンダ様、ご無理なさらず。木の枝の下敷きになったのですから」

「木の枝の下敷きになったの?! 私?」


 そんな体験してたのか私。まったく覚えてないけど。


「気を失ったので覚えていらっしゃらないのですね。リンダ様、どこまで覚えているのですか?」

「えっと……私はリンダ・バーチ、九歳……いえ、まだ八歳で」

「いえ、そうではなくて、今日のことです。まさか……打ち所が悪くて、ご自身のことも忘れてしまったのですか?」

「ち、違うわよ、えっと……」


 何も忘れてない。むしろ忘れるどころか記憶なら前世の分も増えている。

 だけど、頭を打った直後にそんなこと言い出したら、打ち所が悪かっただろうなと思われる。

 多分、こういう前世の話とかって話すとろくなことにならないだろうし……。


「えっと……」 


 今日はお母様がアルベルト様の家、ローレル公爵家でお茶をするということで、私はそれについて行った。

 大人たちがお茶をしている間、アルベルト・ローレル様と私は一緒に街に出た。

 昼食を取って、お茶を飲んで、アルベルト様が魔法が使えるようになったから私に見せてくれると言って広い野原へ行って、そこで、アルベルト様はマグノリア家の方を見つけて……。

 そうだ。ティナ様の声、突風。切り裂くような強い風。メリメリとバサバサとした音。


「あ、あれ……木の枝が落ちてきた音だったのね……」

「思い出されました?」


 自分の右頬に手を当てると、ガーゼが貼られている。あの風が頬を裂くような感触、ほんとに裂けたらしい。

 あの風なんだったんだろう? 枝は何で落ちたんだ? 風?


「すごい突風吹いたんだけど、台風? それで枝が落ちたの? ルナが助けてくれたの?」

「いえ、それが」


 ノックの音でルナの声が止まる。

 そして室内にいるうちのメイドが誰もノックに答えていないのに、部屋の扉は開けられた。


「失礼します、リンダお嬢様。アルベルト様が……」

「リンダ、大丈夫? 怪我はない?!」


 開いた扉から見えるのは、無遠慮に部屋に入ってくる少年と、その少年を止めることもできずに戸惑っている我が家のメイド。

 そして、お構いなしに、どんどん部屋に入ってくる金髪碧眼の少年、アルベルト・ローレル。

 私の幼なじみでローレル公爵家の一人息子。

 そしてこの世界の主役だ。


「体は大丈夫? リンダ」


 すたすたと私のベッドに歩み寄ってくるアルベルト。

 彼が何度もうちに来ている気心の知れた公爵家の令息なだけに、我が家のメイドは戸惑っている。自分の仕える伯爵家の令嬢に歩み寄るのを止めて良いのか。


 うちのメイドを困らせないで欲しいなぁ……。

 子供だし貴族としての立場とかで違和感感じてなかったけど、前世の記憶で多少の知恵や分別が増えて、素直に思う。遠慮なしの行動でうちのメイド困らせないで。

 素直に言ったりしないけど。

 公爵家だから仕方ないけど。うん。

 アルベルトを止めきれなくてオロオロとしているメイドに、うんうんとうなずいて、いいよ無理に止めなくて、と心でつぶやいた。


「アルベルト様……」


 実際に声に出してそうつぶやいた矢先に、開いたままの扉から一人の少女が大声と共に現れた。


「アルベルト様! アルベルト様が責任を感じる必要はありません! すべて私の、私のせいです!」


 姿を現した亜麻色の髪と茶色い目をした少女は、私と目が合うなり、すごく、私のことを睨んでくる。とても睨んでくる。

 茶色い目はくりくりとしていて子供らしくかわいらしいし、もともと目つきが悪いわけでもなさそうなのに、すごく睨んでいる。

 ……睨まれる理由あるかな? ……初対面でこんなに睨まれる理由あるかな?

 木の枝を落とした子よね? 私、木の枝を落とされたのよね?


 なんだこの状況。

 さっきまで寝ていてベッドの上で上体だけ起こしている推定けが人の私。

 けが人の私の部屋に無遠慮に入り込んで近づいてくる公爵令息と侯爵令嬢。


 なんだこの状況。


 えーっと、ティナって今何歳だっけ……? 確かアルベルトの二歳下だったかなぁ。子供だから仕方ないかな? とぼんやり考え何もいわない私に、入り込んできたお子様とお嬢様は呼びかけてくる。


「リンダ? どうしたの? 大丈夫?」

「どうせ、どうせたいしたことないんでしょうリンダ様! アルベルト様に責任を取ってもらいたいから、大げさにしているんですわ!」


 どうツッコミ入れたものかなぁ。入れても不敬とかにはならない? なる? 不敬にならないツッコミの入れ方をググりたいなぁ。

 考えるのが面倒になり、私は傍観者になれないかなぁ……と他人事のように状況を眺める。


「大体、アルベルト様は心配することも、責任を感じることもありませんわ! わたしの風魔法で枝が落ちたのが原因なんですもの!」


 お、自分がやったことはわかってるのかな?


「何か文句があるのでしたら、我がマグノリア侯爵家がとります!」


 いや? にしても考えなしだな?


「いや、責任なら僕が取るよ。今日リンダをエスコートしていたのは僕だ」

「そんな! あの枝を避けられなかったリンダ様が悪いのです! あ……もしかして、アルベルト様目当てにわざと避けなかったのでは?」


 えー……。

 どこからツッコミ入れたら良いんだろう。責任取ってくれるってなんだろう、怖いんだけど。

 そもそも私の、けが人の部屋で騒ぎ立てないで欲しい。

 ツッコミ入れるべき保護者いないかな? と室内に視線を巡らせる。


 我が家のメイドたちでは初対面の侯爵令嬢、しかも四英雄の直系でこれまでお付き合いもないマグノリア侯爵家のご令嬢にツッコミを入れるのはちょっと荷が重いかな。

 向こうの家の従者っていないのかな、もしくはアルベルトの家の人とかいないのかな?


 私がキョロキョロしている様子が気に入らなかったらしく、ティナが再度吠え出す。


「ちょっと、聞いていますの?」

「あ、はい、聞こえています、もちろん」


 そりゃあ聞こえるだろう、それだけ大声出してるんだから。という態度がうっすら出てしまった。

 そしてその態度は相手に伝わり、要するに、またティナは不機嫌になったようだった。


「リンダ様……。怪我をしたとか言って、アルベルト様に責任を取らせるつもりでも、そうはいきませんわ! アルベルト様には何もさせません! 責任なら我がマグノリア侯爵家が……」

「ティナ」


 静かな声が響いた。そしてまた、開いたままの扉から、新たに一人の少年が現れる。

 青みがかった黒髪と黒い瞳をした少年。ティナ・マグノリアの兄、デュラン・マグノリアだ。


「責任なら我がマグノリア侯爵家が? それを口にする権利がティナにあるのか? 簡単に言って良いことじゃない」

「でも……」

「大体、けが人の部屋で何を騒ぎ立てている」


 おぉ……ありがたい。普通のこと言ってるだけなのに。


 デュランの発言に、ティナはぐっと言葉を詰まらせて、みるみるうちに涙目になった。

 アルベルトは小さく首を振って、力なくうなだれた。


「……そうだね、騒いでごめん、リンダ」

「あ、いえ、その、はい」


 とはいえ急にアルベルトに頭を下げられても、それはそれで困るのだけど……。

 ティナはティナで謝罪の言葉を口にしない。というか、見る限り口を開いたら泣くな?

 ティナって今、五歳か六歳くらいかな? そのくらいの子どもだし、別に謝れとか言う気もないけど、泣かれても困るし……。


 とりあえず帰って欲しい。

 いろいろ落ち着いて考えたいし、とりあえず帰って欲しい。


 どう切り出そうかとアルベルトとティナ、それからデュランの順に目線を送ると、アルベルトはうつむいていて、ティナはずっと涙目で私の方を見ようとはしない。

 二人と違い、デュランはしっかりこっちを見ていて、バッチリ目があってしまった。


 どうやって帰ってもらおう。


 そう思っている私が何か言う前に、デュランは私から目をそらして、くるっと回れ右して、背を向けた。


「リンダ様、後日改めてお見舞いに伺います。ティナ、帰るぞ」


 言い終わると返事を待つことなく、すたすたと遠ざかっていく。


「でも……」

「今帰らないなら、馬車は自分でなんとかしろ」

「え、ちょ……」


 兄妹だけあって、一緒の馬車、多分マグノリア家の馬車でここまで来ているのだろう。

 デュランについていくかと思えば、ティナは勢いよく私を見た。


 キッと睨むように私を見たが、言葉は出てこないようで、結局プイッと顔を背けて部屋を出ていってしまった。


「リンダ」


 ティナとデュランの姿が見えなくなってすぐ、アルベルトは私に呼びかけた。


「後日お見舞いに来るよ。今日はごめんね。あ、治癒師は僕の方で手配するから。ゆっくり休んで」

「あ、はい、ありがとうございます……」


 治癒師の手配の調整にルナを貸して欲しいと言われたので頷き、ルナと共に去って行くアルベルトの背中にぺこりと頭を下げた。


 アルベルトは去って行った。

 デュランも、ティナも、メインキャラクターの皆様は去って行った。


 モブキャラクターの私。そして我が家のメイドしかいなくなった私の部屋。

 私は、ボフッと音を立ててベッドに横たわった。

 ベッドはふかふかのふかふかで、ボフッと横たわっても体が痛むこともなく、体も、そして意識も包み込まれていった。

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