第6話 処女厨死すべし

「……何をバカな」


 ピリついた空気の中で、嘆く者バンシィが嘲るように言った。


「でまかせだ。本気で止めたいなら運営に通報なりなんなりすればいい。それをしていないということは、おまえは止める気がないということだ。違うか? ユニコーンスレイヤー」

「………」


 ユニコーンスレイヤーは答えなかった。彼の言葉が正論だからだ。


 そう、嘆く者バンシィ達のやろうとしていることは、運営が動けば一瞬でどうとでもできてしまうような稚拙な計画だ。本当にその蛮行を止めたいなら、バーチャタイル運営へのメールフォームを使えばいい。それをしていないということは、止めるつもりがないということ。「止めようとした」というポーズだけして、自分を納得させようとしている、浅ましい行為である。嘆く者バンシィはそう指摘しているのだ。


 まぁ、言われても仕方のないことだ。ユニコーンスレイヤー自身、なぜ自分がそんな手段を取らなかったのか、わからなかった。


 だがきっと、逃げたくなかったのだ。自分がガチ恋勢であるという事実から。


 もっと言えば、“まとも”になりたくなかったのだ。


 運営に通報し、安全圏から事態の収束を待つ。そんな、ごくごく当たり前の手段を取ることで、自分が「まともな人間」であると思いたくはなかった。「自分はまっとうな価値観を持っている」と自分で思い込むために断罪を望むような存在にはなりたくなかった。これは自分たちの嘆きであり、なればこそ、ユニコーンスレイヤーは当事者でなければならない。

 異常者であることを自覚した今、異常者であり続けることが、彼の最後の矜持だ。


 そして目の前にいる同じ嘆きを抱く者たちを、放置しておくことはできない。


「どけ!」

「お前だってユニコーンのくせに!」

「いい子ぶるなよ!」


 その場に集った嘆く者バンシィの同志たちから、批判の声があがる。


 扉の前に陣取る行為は、バーチャタイルではルール違反だ。扉へのアクセスができなくなるため、通報がいき運営が悪質と判断すれば、即BANの可能性もある。だが、彼らは通報できない。ユニコーンスレイヤーが陣取っている扉は、現在は使用できない扉だからだ。


 他のロビーに行く場合は、誰かの目につく可能性がある。このロビーは元々過疎っていて、たまに人がきても、嘆く者バンシィたちの異様な圧でそそくさと退散していた。


 彼らにとって一番手取り早いのは、扉の前からユニコーンスレイヤーを退かすことだ。だから、意識は自然と彼に向けられる。


「……なぜ俺たちの邪魔をする、ユニコーンスレイヤー」

「………」

「推しの顔を曇るのが見たくないか? 立派な心がけだ。だが、おまえがケラ子の笑顔を守ったとしても、その笑顔がおまえに向けられることはないんだぞ! おまえでは無い誰かに、あの無邪気な微笑みが向けられる! それを許容できるのか!?」


 ずきずきと心が痛んだ。すべて彼の言う通りだ。そして、痛む心を自覚するたびに、自分はまだ、ケラ子が好きなのだという事実を突きつけられる。

 急からか、次第に嘆く者バンシィは声を荒げ始めていた。


「そこを退け、ユニコーンスレイヤー!」

「ダメです、嘆く者バンシィ


 かろうじて、ユニコーンスレイヤーはそう呟く。

 思った通りだ。嘆く者バンシィの管理者権限は、このロビーには及んでいない。ここでなら、彼を足止めすることができる。


「ケラ子はそこで配信している! しかもガンサバ……FPSだぞ!? プロゲーマーと絡む! ストリーマーと絡む! 他箱の男と絡む! もうすぐ大会が始まるんだ。おまえはそれで良いのか!?」

「ケラ子は……ガチ恋営業をしてるわけじゃないでしょう……!」

「そんなことを言っているんじゃない!」


 ユニコーンスレイヤーが、自らを偽って吐き出したセリフを、嘆く者バンシィは一蹴する。


「おまえは理解したはずだ。俺たちの嘆きを……! 俺たちが愛した偶像としてのケラ子が失われるかもしれない。その恐怖を、おまえだってわかったはずじゃないのか!? 俺は許容できない! だから大会をぶち壊す! おまえも己を偽るな! いま、おまえが何をしたいか、お前自身の角に聞いてみろ!」


 叫びを浴びたユニコーンスレイヤーは、己の頭頂部をそっと撫でる。


 この日に備え、生やした角だった。ユニコーンである己を自覚するために、3Dモデルに角を追加したのだ。確かに、ユニコーンスレイヤーの角の疼きはいまだに止まらない。だが、……!


「……一緒に行こう! ユニコーンスレイヤー!」


 それでも、この誘いには乗れない!


「私が……したいこと……ッ!」


 拳を握り、ユニコーンスレイヤーは呟く。そして伸ばされた手を払いのけ、彼は、バーチャタイルと連携している動画アプリを呼び出した。メタバースの空間上に浮かび上がったのは、ケラ子のアカウントページ。彼はわずかな躊躇ののち、現在ライブ配信されているその映像を、開いた。


 画面には、笑顔で語るケラ子の姿が映し出される。


『あ、あのっ! め、めどどさんと同じチームになれて嬉しいです! 足引っ張らないようにがんばりまっす!!』

「ぎゃああああ〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

「た、助けてくれェ〜〜〜〜ッ!!」


 その瞬間、ロビーに集った連中が悲鳴をあげてのたうちまわった。バタバタと倒れていく同志たちを見て、嘆く者バンシィが叫ぶ。


「な、なんて残酷なことを……!」


 ライブ配信は、もちろんそこでは終わらない。


『それでは、改めてチームリーダーのめどどさん! どうですかこのチームは!』

『まぁ……最強ですね。やっぱりケラ子さんが、思った以上に真剣に練習してくれたんで……。まぁ、その練習が活かされるかわからないのがこの大会の怖いところなんですが! フィジカル自慢も集まってるんでなんとかなるでしょう! 俺は指示出しがんばります!』


 進行役と、ストリーマーめどどのやり取り。ケラ子の所属するチーム「どどどどサウルス」のメンバーが、気合たっぷりに拳を突き上げる。ちなみに女子のチームメイトは、ケラ子と入れて2人だけだ。


「ひ、ひどすぎる……」

「俺たちのケラ子が……」

「ふざけるな! バカヤロー!」


 倒れた連中の嘆きと怒号が飛び交っている。


「わかります。辛いですよね」


 ユニコーンスレイヤーは、こともなげに言いながら、別のアプリを起動している。


 まぁ、実際はこともなげどころか内面血まみれなのだが。めどどと親しげに話すケラ子の姿が見たくなくて、顔合わせも練習もすべてスルーし、SNSでは「めどど」をミュートワードに設定、本人もブロックしてきたが(なお、めどどというストリーマー自身のことは結構好きだった)、実際にこうしてみると、キツい。死にそうだ。


 でも、自分はユニコーンスレイヤーだ。すべきことを、全うしなければならない。


 ユニコーンスレイヤーはすべての準備を整え、


「俺たちの角を折るつもりか……! 奢るな、ユニコーンスレイヤー!」


 嘆く者バンシィの叫び。それに同調するかのように、同志たちも声をあげる。


「そうやって、俺たちのことを笑いものにしてきたんだろう!」

「ユニコーンの嘆きを消費してきたやつが!」

「推しを愛することが、そんなにいけないことなのか!」


 彼らの叫びを正面から受け止め、ユニコーンスレイヤーは動かない。しかし、その中のひとりが次に発した言葉には、黙っていられなかった。


!」

「ふざけるなっ!!」


 ユニコーンスレイヤーの叫びに、彼らはびくりと肩を震わせる。


「じゃあなんで、こんなことをしようとするんですか! ユニコーンが平和を望む生き物なら、あなた達はユニコーンなんかじゃない! ただの厄介オタク、それ以下の存在だ!」


 彼の叫びに応じるかのように、配信の同接が増え始める。


【なにこれ】

【どういう状況?】

【新しい断罪ですか!?】


 コメントを読み上げるずんだもんの声が、メタバースに響き渡った。

 配信についたコメントが、実際にバーチャタイル内に表示されるプラグインも使用しているため、にわかに活気づいたコメント達が、ロビーの空間を占有し始める。厄介オタクたちは明らかに同様していた。


 嘆く者バンシィも増え始めたコメントに舌打ちし、その指をユニコーンスレイヤーに突きつけた。


「ユニコーンの嘆きを理解したおまえに、今の俺たちを裁く権利などあるものか!」

「裁くつもりも、権利の必要もない! 私は最初からずっと言っていた! あなた達のことが嫌いなんですよ!」


 そう、それこそがユニコーンスレイヤーの活動の始まりだった。


 推しに過剰な理想を押し付け、神聖視し、時には処女性を求めるユニコーン達のことを心底嫌悪していた。今もその気持ちは変わらないが、感情の出どころは明確になりつつある。


 単なる同族嫌悪。しょせんは同じ穴のムジナだったということだ。


 おそらく、かつてのユニコーンスレイヤーは自分がこうなることを本能的にわかっていたからこそ、彼はユニコーンたちの角を折ることで安心を得ようとしていた。自分はまっとうな存在であると思い込もうとしていたのだろう。

 だが、今は違う。抱いているのは、もっと別の嫌悪だ。


「もう一度言います。あなた達はユニコーンですらない! もっとおぞましい……アレな存在です!」


 ユニコーンスレイヤーは、これまで自分が切ってきたマシュマロを読み返してきた。


 みな、苦しんでいた。

 推しに夢を見ることは悪ではない。誰しもが誰かを推す時、そこに理想の存在を求めるはずだ。「うまいゲームプレイを見せてくれるだろう」という理想。「おもしろいことをやってくれるだろう」という理想。しかし、理想とは常に叶えられるものとは限らない。だから、推し活には苦痛を伴う。だが、だからこそ、理想の存在が理想の動きを見せた時に、我々は熱狂するのではないのか。


 ケラ子の配信には、「どどどどWIN」というコメントが滝のように流れている。


 ユニコーン達の祈りは、その延長線上にあるものでしかないのだ。


 理想と現実のギャップを埋める手段はありはしない。だからこそ、彼らは苦しんでいるというのに。


 こんな手段。こんな方法で、満たされようとしている連中が、ユニコーンであるはずがないのだ!


【いいぞw】

【いけいけ!】

【先生容赦ないw】


 ユニコーンスレイヤーの配信もコメントが加速し、ずんだもんがそれを読み上げていく。

 だが、ユニコーンスレイヤーは仮想カメラに向かって人差し指をつきつけて、こう叫んだ。


「あなた達もだっ!」


 一瞬だけ、流れていくコメント欄が止まる。


「ユニコーンを公然とバカにし、自分はそうではないと安全圏から嘲笑する者たち! ユニコーンを嘲笑うことを許容するオタク文化のあり方! 私はそれもどうかと思いますね!」

【先生もノリノリだったじゃん】

「それはそう! 申し訳なかったです!」


 ユニコーンスレイヤーは手をばっと掲げて、ケラ子の配信映像を指す。彼女の映像は、自分の配信には載っていないはずではあったが。


「認めましょう。私はユニコーンになってしまった! だからこそわかるんです。角の生えた私たちにできることは、角を折って現実に向き合うか、新たな楽園を目指して旅立つことだけです。断じてじゃない」

「……そんな綺麗ごと、幾らだって言えるじゃないか!」


 黙って聞いていた厄介オタクのひとりが、声をあげる。


「あんたにはあったのか!? 俺たちみたいな……もう、どこかにぶつけるしか無いような、暗い情熱が……! あんたほど、物わかり良くは……」

「ありますよ。私にも」


 ユニコーンスレイヤーは、手元のアプリを操作し、自らの配信画面にスクリーンショットを表示させた。目の前にいる厄介オタクたちにも見えるよう、同じスクショをメタバース上に出現させる。


【ケラ子さんへ。


いつも配信、楽しく拝見させてもらっています。

このたびは、バーチャタイルガンサバ大会へのご参加、おめでとうございます。🎉🎉🎉


ただ、こうした外部での大型イベントへの参加は、もう少し慎重になった方が良かったんじゃないかなーと(以下略)】


「これは、私がケラ子に送ろうとしていたマシュマロです」

【草】

【草】

【えぐw】

【草】

「これを書いている時に、私は気づいてしまった。こんなものを送っても、私の嘆きが癒えるわけではありません。あなた方も、そうなのではないですか?」

「………」


 厄介オタクは何も言わなかった。だが、これまで目を背けていたものに気づいてしまったような、とても悲しい顔をしていた。彼は、絞り出すように言う。


「あんたは……これからもケラ子を応援するのか?」

「そうしたいんですけどね。でもこれまでのようにケラ子を推すことはないでしょう。傷が癒えれば彼女の配信を見に行くかもしれませんが……彼女にガチ恋し続けることはできない。勝手な話です。理想を一方的に押し付け、違うとわかれば去って行く……。でもね、それで良いんですよ。きっと」


 自分の心に嘘をついて彼女を推し続けるのも、ひとつの正解だろう。それはきっと、賞賛されるべき愛のカタチだろう。


 だが勘違いしてはいけない。推し活は、推しのためにするものではない。

 自分のためにするものだ。自分が幸せであるために、夢を見るために推しは推すものだ。


 単なる自己犠牲を、推し活だとは言いたくない。


「新しい楽園を探しませんか」

「う、うう……」


 厄介オタク――いや、厄介オタクから、再び単なるユニコーンへと退化した彼は、膝をついて顔を覆った。他の厄介オタクたちも顔を伏せ、うつむいている。


 コメント欄の意見は様々だ。【推し変はダサい】【最後まで貫けよw】だのというものもあれば、【えらい】【角磨きならもんすとりうむオススメ】だのというものもある。


 良いのだ。言いたい奴には言わせておけ。

 同じ嘆きを共有したものにしかわからない苦しみがある。一度は推した偶像に背を向ける罪悪感と、それでも別れを選択する勇気。これを「戦い」と呼ぶことを理解できるものだけが、今日この日、彼らのために祈ってくれるだろう。


 ユニコーンスレイヤーが、泣き崩れるユニコーンの手を伸ばそうとした、その時だ。


「――許さん」


 地獄の底から響くような怨嗟の声を、嘆く者バンシィがあげた。

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