第4話 嘆く者

 バーチャタイル。


 メタバースとしての要素を兼ね備えた新進気鋭のソーシャルVRプラットフォームだ。さまざまなアプリとの連携が可能であり、メタバース内で動画や配信の視聴ができたり、同時に配信をおこなったりすることもできる。

 サービス開始からさほど時間は経っておらず、現在はまだ利用可能なアカウントが制限されている。ユニコーンスレイヤーは、幸運にもその抽選に当たったひとりだった。配信でも何度か話しているので、嘆く者バンシィが知っていてもさほど不自然ではない。


 嘆く者バンシィが待ち合わせ場所に指定したバ美肉授乳カフェは、そのバーチャタイルの一角にある。メタバースの一定のエリアを「テナント」としてレンタルし解放された集会所のような場所だ。いかがわしさ全開の名前ではあるが、運営内容はすこぶる健全。バ美肉――バーチャル美少女受肉を果たしたおじさん達がホストとなってゲストを哺乳瓶でもてなすだけである。カフェと名がついてはいるが、料金は一切かからない。


「いらっしゃいませ〜。ようこそバ美肉授乳カフェへ〜」


 おっとりしたお姉さんが出迎えてくれる。中身はおじさんのはずだが、ボイチェンを使用しているのか本人の努力による女声なのかは判断がつかなかった。


「あー……待ち合わせを……しているんですが……」


 少し緊張しながらも、ユニコーンスレイヤーはそう言った。


 ユニコーンスレイヤーは、無料で使用・改変可能なタキシード姿の男性アバターに自作の頭部を挿げ替えたものを使用していた。Live2Dの立ち絵と同じ、「角」「折」の文字が刻まれたフルフェイス型の仮面である。


「あぁ。あちらでお待ちですよ〜」


 お姉さんは笑顔で、奥のカウンターを指差す。そこには、ボロ布のマントで全身を覆った黒衣の男が座っていた。完全オリジナルのアバターに見えた。


 近づいていくと、哺乳瓶を片手にした男が、こちらを一瞥もせずに言った。


「よく来たな、ユニコーンスレイヤー。座れ」

「良いんですか? ここではああいう接客を受けるのがセオリーなのでは……?」


 ユニコーンスレイヤーは、店内を見回す。

 この時間帯、ホストもゲストも集まっているとは言い難かったが、それでも人はいた。バ美肉おじさんがゲストのおじさんに哺乳瓶でミルクを飲ませている。部外者からすれば奇妙な光景だが、どちらもこの時間をエンタメとしてしっかり楽しんでいるらしく、どうやら成立していることが見てとれた。

 ユニコーンスレイヤーは、こうしたVRChatから派生した文化には疎いので、来店にはそれなりに緊張していたのだ。


 だが、男は笑った。


「構わない。ここは俺の店だ」

「え……」

「バーチャタイルにテナントを何軒か持っている。道楽のようなものだ」


 テナント料自体はそこまで高いものではないが、テナントひとつ持つのにも地獄のような倍率の抽選を突破する必要がある。それを複数持っているというのも妙な話だった。ひょっとして、バーチャタイルの関係者なのかもしれない。


 だとすれば、まさにこの男の懐に飛び込んでしまったことになるが。


 まぁ、いまさらジタバタしても始まらないか。ユニコーンスレイヤーは大人しく、男の横に座った。


嘆く者バンシィさん」

「それは俺の名ではない。――が、良いだろう。俺もまた嘆く者のひとりであることは事実だ」


 ぱちん、と指を鳴らして男は言う。


「バーテン! 彼にもミルクを」

「かしこまりました、オーナー」


 バーテンダーの格好をした男装の麗人(バ美肉)が恭しく礼をする。


「しかし、実際に飲み物が提供されるわけではないんですよね?」

「人間の想像力を舐めてはいけない。視覚情報によるアシストさえあれば、そのように振る舞うことでそれが現実に“ある”と感じることは、難しいことではない。ミルクも、哺乳瓶もな」


 さっ、とカウンターの上を流れて、ミルクの入った哺乳瓶が届いた。


 だが、ユニコーンスレイヤーはそれに手をつけない。代わりに、横に座る男を睨んだ。


「それが、推しに迫る“男の気配”も、だと言いたいんですか?」

「少しばかり性急にすぎるな、ユニコーンスレイヤー。だがまぁ、そうだよ」


 男――嘆く者バンシィがこちらを振り向く。

 黒く、どこまでも黒く、虚ろな、すべてに悲観したような目だった。これが作られたアバターであるとわかっていても、男の背景にある絶望を思わず想像してしまうような、そんな凄みがあった。


「俺たちには想像力がある。あらゆるを現実にする力だ。神が人類に与えたもうた希望の象徴だが、過ぎたる力でもあった。それは時として防衛本能と直結し、見たくもない可能性を俺たちに連想させる」

「単なる杞憂ですよ」

「もちろんだ。俺たちは杞憂民だからな」


 言葉では否定しようとするユニコーンスレイヤーだが、嘆く者バンシィの主張を理解しかけていた。


 先だっての配信、ユニコーンスレイヤーの言葉を殺したのは、間違いなくその「可能性」だった。彼が長らく「下衆の勘繰り」として唾棄してきたものだ。ケラ子には彼氏がいるかもしれない。あの無邪気で舌足らずな声で、誰かと愛を囁いているかもしれない。そう思うだけで、胸が締め付けられる。


 嘆く者バンシィの語る「杞憂」とは、ユニコーンスレイヤーが感じた「可能性」とは少し異なり、他の男性ライバーやストリーマーと絡むことで「可能性」に発展することを危惧することを指している。間違いなく想像力の暴走であることには違いないが、しかしそれを一生に付すことも、ユニコーンスレイヤーにはできなかった。


 アルストロノーヴァの箱内で、ケラ子は何度か他のライバーとコラボをしている。みんな女性であり、しかも同じ一期生のはずだったが、ケラ子はすぐに後輩のようなポジションに収まった。あの何事にも一生懸命な姿勢と、何かと腰の低い態度、全体的にクオリティが低くまとまった雑さから、彼女がそういうところに収まるのは必然だった。


 箱内の同期とのコラボだから、笑ってみることができた。だがもし、他箱の男性ライバーと絡むことがあったら?


 ユニコーンスレイヤーは、長らく界隈を広く楽しんでいた身だ。他箱の男性ライバーのことも当然よく知っている。みな一流のエンターテイナーであり、よその新人であっても積極的に絡んで盛り上げることに躊躇はしないだろう。炎上しない程度の距離感を見極め、しかし互いの魅力が最大限に発揮される絡み方を自然に、あるいは行う。

 後輩気質のケラ子に対しては、普段は雑なライバーが優しく振る舞ったり、懇切丁寧にゲームシステムの説明をしたり。ケラ子はすぐさま「可愛がられるポジション」を確立する。


 耐えられない。


 その瞬間、ケラ子の視線はファンではなく、コラボ先の男性ライバーに向いてしまう。その一瞬のことが、許容できない。胸を掻きむしるほどの苦しみと嫌悪感があった。


「感じたな。可能性を」


 にやりと笑う嘆く者バンシィ。ユニコーンスレイヤーは、拳を握り、なんとか言葉を吐き出す。


「しかし……本当に推しが好きなら、彼女がやろうとする全てを応援するべきです」

「幸せならOKです理論か。俺はあれは好かないな」


 一転、退屈そうに言って嘆く者バンシィは天井を仰ぐ。


「かつて『幸せならOKです』と言った大人物は、確かに好感の持てる素晴らしい男だった。だがその言葉が過剰にもてはやされ、ネットミームと化し、ごくごく当たり前の価値観としてじ受容される社会には違和感を覚える。あの男の発言が脚光を浴びたのは、その価値観に至ることが困難であることを、多くの人間が知っていたからではないのか?」

「…………」

「ファンなら推しの幸せを許容しろだと? 100歩譲って推しが言うのなら理解できる。だがなぜ、外野が俺たちファンの在り方を規定しようとする? 賢しらに言うあいつらは、俺たちの何だ? 推しの何なんだ?」


 何も、言い返せなかった。


 確かに、推しに恋人ができたとき、それを笑顔で送り出すことができれば格好いいだろう。だが、しょせんそのあり方は理想に過ぎない。多くの人間は、そんな強さを持って生まれてきてはいないのだ。


 「推しと本当に恋人になれると思っているのか?」という疑問を投げかけられることもある。


 そうだ。それの一体何がいけない? 推しとはいわば偶像だ。その偶像を通して、ファンは夢を見ることができる。なぜ、夢の見方ひとつにまで注文をつけられなければいけないのか?

 ガチ恋勢もユニコーンも、みんなわかっている。現実のことは理解している。した上で、夢を見ることを望んでいるのだ。


「ケラ子、可愛いよな。俺も推している」


 黒衣の嘆く者バンシィが、ふっと表情を緩める。だがすぐに虚ろな顔つきに戻り、ユニコーンスレイヤーへと振り返った。


「ケラ子は近いうち、箱外の大型イベントに参加する」

「……なんですって?」

「バーチャタイルにガンサバのステージが実装されるんだ。そこに様々なVtuberやストリーマーを招待して大会を開くことになっている」


 ガンサバ。ガンサバイブ・プラネットはチームを組んで勝ち残りを目指す、バトルロイヤル形式のFPSゲームだ。バーチャタイルに実装されるということは、ライバー自身が武器を持って戦うということになる。コンテンツとしては、かなり盛り上がるだろう。


 だが、そこにケラ子が呼ばれる? あまりピンと来なかった。


「おまえは知らないだろうが、アルストロノーヴァはもともとエンタメ業界の資本が入った、バックのしっかりした運営だ。バーチャタイルの運営母体とも繋がりがある。ケラ子はいま、運営にも推されているんだ」

「………!!」

「ほら、疼いてきただろう。角が。おまえの感じている杞憂は、すでに杞憂ではないんだよ。ケラ子が箱外の男と絡む現実は、もう目の前まで迫ってきている」


 嘆く者バンシィは畳み掛けるように言う。


「おまえは、彼女が箱外の男たちに笑顔で『ありがとう』と言う姿を見ても、何も感じないと言い切れるか?」

「それ、は……!」


 ケラ子が運営に推されているという事実。薄々感じ取っていたが、そこまで深刻にはとらえていなかった。


 アルストロノーヴァは小さな新興レーベルであり、ケラ子はそこにいる、頑張り屋だが全体的にクオリティの低いライバーだ。箱外の大型企画のようなものに顔を出すイメージも、呼ばれるイメージもまったくなかった。

 だが、嘆く者バンシィの話す内容はその印象を一変させる。


 今後も、ケラ子は様々なイベントに顔を出すかもしれない。そのたびに、他箱の男性ライバー、ストリーマー、プロゲーマーと絡んでいくことになるかもしれない。


「その角の疼きこそがおまえの本心だ。安心したよ。おまえのそれを確かめたくて、ここへ呼んだんだからな」

「何を……」

「俺はその大会をぶち壊す予定だ」

「な……!」


 突拍子もない、とんでもない告白。


 聞いていたはずのバ美肉バーテンダーは驚いた様子もなく、静かに仕事を続けていた。嘆く者バンシィの言葉は、まるでそれが当たり前であるかのように世界に受け入れられ、誰も動じてはいなかった。


「お察しの通り、俺は運営と繋がりがある。バーチャタイル内では限定的な管理者権限を持っていてね。ガンサバが開催されるエリアはちょうど干渉できる場所なんだ」

「なぜ、私にそんな話を……」

「おまえはもう、俺たちの敵ではないからさ。同じ嘆きを理解するもの。いわば同志だ」


 にたりと笑う嘆く者バンシィ


「一緒にやろう、ユニコーンスレイヤー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る