第2話:ヴェメイル家にて

 扉をくぐると、見慣れたリビングが広がっていた。

 まず目に入るのは、部屋の中心に置かれた6人掛けのテーブルだ。

 ヴェメイルさんは過去に息子夫婦を亡くしており、現在は孫のクレイルと二人暮らしをしているが、今でも4つの椅子が並べられているのは、俺とリッドがよく遊びに来るからだろう。

 テーブルのさらに奥には、冬の寒さをしのぐための立派な暖炉が備え付けられているが、今は6月。世界的にも温暖な気候になりつつある頃合いなので、当分出番はないだろう。

 部屋の左手には寝室やふろ場のある廊下が続く扉があり、右手には台所への入り口がある。

 ヴェメイルさんは、俺たちがいつもの席に着いたのを見届けると、台所へと姿を消した。


 「なぁアルマ…」


 珍しく、神妙な面持ちでリッドが話しかけてきた。


「なんだ?」

「クレイルのやつ、風呂で何してんだろうな」

「……何って、身体の汚れを落としてるに決まってるじゃないか」

「普通に考えたらそうだろうよ。でもよぉ…俺たちに内緒にしたい“準備”ってなんだか気になんねぇか?」


 少し前かがみになり、鼻先で指を組んだリッドは、小声で話をつづけた。


「見に行ってみねぇか?」

「断る」


 俺はまだ命が惜しい。だからそのような行為に出ることはできない。

 女性の入浴を除いた男性の末路など、どの娯楽小説でも辿る結末は一つだ。

 …と、言いたいところだが、クレイルは入浴を男性に見られたところで殺傷魔法を放つような人間ではない。

 恥じらいこそすれ、笑って許してくれるだろう。

 だが、だからこそ、その優しさを利用してはならないと、つくづく俺は思うのだ。

 村では「聖女様のようだ」だとか「天使、いやむしろ女神様だ」などと冗談を口にするやからも多いが、実際、本当にそのレベルでクレイルはいい子なのだ。

 実直で、真面目で、正義感が強く、それでいて年相応の可憐な女の子。

 老若男女問わず、村では人気のある人物だ。

 そんな彼女が俺たちに内緒にしたいことがあるというのなら、きっと悪い理由ではないのだろう。

 その理由を風呂場にまで押しかけて探るのは野暮というものだ。

 リッドも俺と同じ考えに至ったのか、あっさりと引き下がった。


「うーん。お前が来ないなら…やめとくかぁ…」

「賢明だな」


 そんなくだらない話をしていると、両手でお盆を持ったヴェメイルさんが帰ってきた。

 コトッと優しく机の上に置かれたマグカップからは微かに湯気が登り、コーヒーの香りがあっという間に俺たちを包み込んだ。


「ほれ、いつものコーヒーじゃ」

「せんきゅーじぃさん」

「ありがとうございます」


ヴェメイルさんとリッドは、コーヒーに何も入れず、ブラックのまま口をつける。


「あ~キク~!」

「ほっほっ。リッドは本当にブラックが好きじゃのぉ」

「このガツンとくる苦味がサイコーなんだよぉ!」

「大人でもこの苦味のせいで飲めない人がおるくらいじゃ。リッドはブラックコーヒーを飲む才能があるのぅ」

「へへっ。だろ~?」


 コーヒーを飲む才能。なんだそれは。

 本当にヴェメイルさんの褒め癖は良くない。これでまたリッドがブラックを飲めることを当分自慢してくるぞ…

 リッドが昔からことあるごとに俺と張り合ってくるのは、ヴェメイルさんも知っているだろうに…

 俺は新しく芽生えた悩みの種に頭を抱えながら、ミルクと砂糖を大量にコーヒーに投入した。


「おいおい?この村一番の博識者サマともあろうお方が、まさか、未だにブラックコーヒー程度も飲めないのかぁ?」


 ほら来た。すぐ来た。

 「責任取ってくださいよ」とヴェメイルさんに視線で訴えてみるも、微笑み返してくるだけだ。


「コーヒーは確かにその苦味と独特な風味が人気の一つだろうが、世界中の珍味が集まる西の交易都市じゃ、これにミルクを混ぜたカフェオレって飲み物も最近人気みたいだよ。そう、まさに今俺の飲んでいるコレのことだ」


 毎日魔導ラジオで聞いているの情報を思い出しながら、ブラックを飲まないもっともらしい理由を説明すると、リッドはなるほどなと頷いた。


「前々からミルクで割って飲んでたのはそういうことだったのか?!」

「そういうことだ」

「じゃあ俺も流行に乗っかるぜ~」


 そういうと、リッドもミルクをドバドバと投入し、口を付けた。

 「おぉ、これはこれでいいな」と舌鼓を打つリッド。

 厄介なマウント取りを回避して一安心した俺も、コーヒーもといカフェオレに口を付けた。

 ちょうどその時だった。


 ガチャ…


 部屋の左奥、寝室や風呂場とつながる廊下の扉が開いた。


「おじいちゃん~上がったよ~」


 そこから現れたのは、言うまでもなくクレイルだ。

 ちょうど玄関を背にして部屋の奥を向く形で座っていた俺は、否が応でもその姿が目に入る。

 薄いシャツ1枚を着てタオルで髪を拭いていたクレイルも、俺と目が合った瞬間、氷魔法を喰らったようにピタリとその動きを止めた。


「……」

「…………」


 少しの沈黙が、リビングを包む。

 クレイルの身体から滴る水滴が、床にポタポタと落ちる音が聞こえる。

 この場にいる全員が次の行動を慎重に模索する中、俺としっかり目を合わせたままのクレイルが、口を開いた。


「あ、あ~!アルマにリッド!来てたんだね!も~おじいちゃん言ってよ~」

「ほっほほほっほっ。すまんのぅ…リッドたちも今日の狩りが楽しみで、早く来てしまったみたいでのぅ…ほほっほ…わしもコーヒーを淹れておったでの…ほれ、おぬしの分もあるからの…ほっほ…」


 やけに歯切れの悪い苦笑いをしながら、ヴェメイルさんは精一杯のフォローを入れた。


「そ、そうなんだね!じゃあ早く準備しなきゃだね!ちょっと…ま、待っててね!」


 クレイルはそう言い残して、勢いよく扉を閉めた。

 俺の対面に座って、ただ事態を察するに努めていたリッドは、クレイルがいなくなるや否や、カフェオレを一気に飲み干した。


「アルマ。今日の狩りの獲物はクレイルに多めに分配しよう」


 俺はその提案に、深く頷くしかできなかった。



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