第2話 学校での生きづらさ ― 「努力が足りない」と言われて
「どうしてこれができないの?」
子どもの頃、何度も先生や親にこう言われた記憶があります。自分なりに一生懸命やっているのに、うまくいかない。わからない。そんなもどかしさを抱えたまま、学校生活を送ってきた境界知能の子どもたちがいます。
学校という場所は、「平均的」であることが当然とされる場です。テストでいい点を取ること、授業についていくこと、先生の指示通りに行動すること。これらができるのが「普通」の子どもであり、できない子には「もっと努力しなさい」「怠けているんじゃない」と言葉が投げかけられます。境界知能の子どもたちは、この「普通」の枠組みの中で、自分の居場所を見つけられずに悩むことが多いのです。
例えば、授業中に教科書の文章を読んでも内容が理解できない、黒板の板書をノートに写すスピードが遅い。そんな困難を抱える子がいたとしても、先生や周囲からは「他の子もできているんだから、あなたもできるはず」と思われがちです。その結果、「できない自分」が責められたり、自分自身を責めたりする悪循環に陥ります。
また、友人関係でも苦労が絶えません。境界知能の特性として、相手の感情や意図を読み取るのが苦手な場合があります。そのため、友達のちょっとした冗談を真に受けてしまったり、場違いな発言をしてしまったりして、からかわれたり距離を置かれたりすることがあります。いじめに発展することも少なくありません。
ある境界知能の子どもがこう言っていました。
「私はみんなと同じことをしたいのに、どうしてもうまくいかない。努力が足りないって言われるけど、頑張っても何も変わらないから、もうどうすればいいかわからない。」
この言葉には、どれだけの無力感と孤独が詰まっているでしょうか。彼らが欲しいのは、「もっと頑張れ」という言葉ではなく、自分のペースに合わせた学び方や、少しの理解です。
最近では、特別支援教育が進んでおり、学習障害や発達障害を持つ子どもへのサポートが整いつつあります。しかし、境界知能の子どもたちは「支援が必要なほどではない」と判断されることが多く、見過ごされてしまうケースが多いのが現状です。特に「できそうに見える」ために、必要な支援が届かないことが彼らの生きづらさを深めています。
では、どうすればいいのでしょうか?
まず大切なのは、「できないこと」を責めるのではなく、その背景に目を向けることです。例えば、宿題ができないなら「なぜできないのか」を一緒に考えたり、授業についていけないなら「どの部分が難しいのか」を丁寧に聞いたりすること。それが、彼らの孤独感を和らげる第一歩になるのではないでしょうか。
境界知能の子どもたちは、誰かの少しの理解や配慮によって、大きく変わる可能性を秘めています。学校での生きづらさを解消するために、私たちができることは何か。このエッセイを通じて、一緒に考えていきたいと思います。
次回は、社会に出た境界知能の人たちが職場で直面する壁についてお話しします。学校生活の延長線上にある、働くことの現実に目を向けていきましょう。
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