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「不登校になった理由? まぁ、いろいろだな」
はじめて尽くしの先週よりはスムーズだったと言いたいものの、五時を過ぎたときには、日和は前回と同じくらいへとへとになっていた。
今回から追加で頼まれていたブログ記事をパソコンで打ちつつ、気になっていたことを尋ねる。返ってきたのは、至極あっさりとした答えだった。
「やっぱり、いじめとかですか?」
嫌な世の中だなぁと思いつつ、声をひそめて問い重ねる。ドアを閉めているから生徒は入ってこないだろうけれど、念のためだ。
ちなみに、ではあるのだが。ブログの更新もボランティアスタッフの仕事のひとつである。
真木に説明されて得心したのだが、インターネットを介して情報を集める人は、やはり多いらしい。頻繁に更新していれば、目に留まる機会も増えるし、運営がきちんとしていると安心してもらえることもあるそうだ。
――まぁ、たしかに、保護者からすれば、マメに更新されてるほうが安心できるよな。
そこまで手が回らないのか、最終更新日が数ヶ月前、下手をすれば一年以上前というフリースクールも民間ではザラと聞けば、なおさらである。
「あー、うん、まぁ。きっかけとしてそういう子もいるけど、割合としては少ないかな」
二台並びの机の奥側で事務仕事をしていた真木が、パソコンの画面を見つめたまま、そう応じる。
机の周りには変わらず封筒が積まれていて、どうにも忙しいらしい。日中も日和だけで問題ないと判断すれば、この部屋に引っ込むことがあるくらいだ。
そうは言っても真木はドアを閉めないし、生徒たちも、和室とスタッフルームを気ままに出入りしているのだが。他人事ながら、芳しい進捗ではないだろうなぁと思う。
――でも、保健室みたいなものなのかな、ここが。
みんなで遊びたいときは和室。ひとりになりたいときや、真木に話を聞いてもらいたいときはスタッフルーム、というのが、もうひとつの暗黙の了解らしいので、きっとそういうことなのだ。
その証拠に、真木の態度はいかにも仕事中に話しかけられることに慣れている。
「適指ってわかる? わかるか、日和くん。先生のたまごだもんな」
「はぁ、まぁ、一応。適応指導教室ですよね。あの、教育委員会が舵を取ってる」
つぼみのように民間が運営しているフリースクールと違い、適応指導教室は教育委員会が運営をしている。当然、学費も無料。学校との連携もずっと密接に行われているはずだ。
「そう、そう。そっちのほうが親御さんは安心するだろうし。いじめとかが原因で、……まぁ、なんていうのかな、短期間の、というか、不登校になり始めたばかりの子は、そっちを選ぶだろうね」
「はぁ」
「まぁ、でも、学校自体が肌に合わない子もいるわけで。そういう、――いわゆる、なんとなく不登校か。あんまり好きな言葉じゃないけど。みたいな子が、フリースクールを選ぶ場合が多いかな。適応指導教室が満員で、あぶれてしかたなくこっちを選んだって子もいるけど」
「つぼみも一応、出席認定がされるんです……よね」
県公認のフリースクールであるつぼみは、つぼみでの出席が学校の単位に認定される仕組みになっているとパンフレットに記載があったはずだ。
民間のフリースクールの中には、通えども学校の単位に認定されないところもある。そういう意味では、県の認定を得ているつぼみは、安心できる選択肢のひとつだと日和は思う。民間のフリースクールをひとまとめに怪しく感じる人もいるのだろうが、そういったあくどさは、つぼみからはまったく感じられない。
「よく知ってるね、日和くん。そのとおり。まぁ、でも、そうだな。今、うちに来てる子は不登校が長引いてる子が多いな。理由はいろいろだけど」
家庭環境だとか、学校に合わないという生来の感覚だとか、そういったものが。
「でも」
自分で聞いたくせに、反論のように口を開く。ブログを書くために思い返した今日一日も、子どもたちはみんな楽しそうだった。少なくとも、日和の目にはそう映っていた。
「ここに来る子は、あきくんも恵麻ちゃんも雪ちゃんも、凛音ちゃんも紺くんも。みんな……ここが、好き、ですよ」
「誰も、ここに来るのが駄目とは言ってねぇよ」
「あ、す、すみません……」
苦笑としか評せない真木の声に、日和は我に返って謝った。たった二回参加しただけの自分が正職員に向かって言う言葉ではない。
「ブログ、書けた?」
真木が手を止めて、日和のほうへと身体を向ける。瞬間、ふわりと舞った香りになぜかどきりとして、日和は首を振った。べつに女性的な顔をしているわけでもなければ、抜群に整った顔をしているわけでもない。どこにでもいるような、同性なのに。
「あ、……こんな感じでよかった、ですか?」
どきまぎとしたなにかを誤魔化すように、画面を真木が見やすいように傾ける。自分が書いた文章を添削されている緊張感で落ち着かない。たまらない沈黙のあとで、真木が口を開いた。
「なんというか」
「あ、駄目でした?」
「いや、駄目じゃなくて、ぜんぜん駄目じゃないんだけど。日和くんの文章は、優しい文章だなと思って」
「見やすいってことですか?」
「そっちの易しいじゃなくて、温かみのある文章だっていう話」
そんなことを言われたのは、記憶にある限りはじめてだった。温かみのある文章? 首を傾げた日和に、それ以上を説明することなく、真木がかすかに目元をほころばせた。
「あきがすぐに懐いた理由がよくわかる」
「あれは……」
はたして懐かれているのだろうかという疑念を、日和は寸前で呑み込んだ。あの少年は内弁慶で、いつもなら新しいスタッフと打ち解けるのにもっと時間がかかるのだという話は、凛音からも聞いていた。けれど。
――懐かれてるっていうより、「大人」として認識されてないだけな気もするけど。
「いや、なんでもない、です。じゃあ、更新しちゃってもいいですか?」
「うん。お願い」
衒いなく頷かれて、なんだかなぁと思いながらも更新ボタンを押す。これが公的な発信物となると思うと緊張するが、職員から了承を得ているのだ。問題はない。言い聞かせて、投稿完了。
「ところで、日和くん」
「はい」
「ゴールデンウイーク明けって、体験入学とかも増えるし、生徒が増える時期なんだわ。それまでにしっかり慣れと……ておいてね」
今、慣れとけって言おうとしなかったか、この人。喉元まで湧いた元ヤン疑惑にも蓋をして、日和は頷いた。生徒確保、すなわち財源確保。民間の施設は大変だろうことは疑いようもない。
4月11日(火) 天気 曇り
先週から新しくボランティアスタッフとして火曜日に参加しています日和です。こんにちは。
今日は、はじめてブログの更新を任されました。少し緊張していますが、読んでくださる方に、「つぼみ」の良さが少しでも伝わるといいなぁと思いながら、今日のできごとを書いています。
ここには毎日、十人前後の生徒がやってきています。
今日は午前中の学習会には六人、午後からは三人の生徒が顔を見せてくれ、みんなそれぞれ、思い思いの時間をのんびりと過ごしていました。
最近は男の子たちのあいだではあるゲームが人気で、楽しそうな声がよく響いています。
また、将棋が上手な男の子もいるのですが、今日は先週した約束のとおり、将棋の指し方を教えてもらいました。難しいですが、少しずつ覚えていきたいです。次に対局をするときは、もう少しいい勝負ができるようにがんばりたいな。
女の子たちは、漫画を読んだり、お絵描きをしたり、お喋りをしたり。仲良く過ごしています。みんなとても絵が上手で、すごいなぁと感心しきりです。
ちなみに、僕もなにか描いてみてと言われて、十数年ぶりにイラストを描いたのですが、描き上がったものがなになのか、クイズ大会みたいになってしまいました。
犬、猫。カモメ。いや、アヒル。様々な意見が上がったのですが、正解はひよこです。アヒルはともかくとして、なんで犬や猫に見えたんだろう……。Eちゃんは「ぴよちゃんは画伯だね」と笑っていましたが、僕とは反対の意味でEちゃんこそ「画伯」です。
上手なのはもちろんだけれど、その子その子が描くイラストから、その子自身の好きなものがにじみ出ているようで、なんだか見ているだけで得をした気分になりました。
僕がひよこを描いたのは、「つぼみ」に来て緊張していた僕にみんなが「ぴよちゃん」というあだ名をくれて、笑って迎えてくれたことがうれしかったからです。
スタッフの僕が言うのもなんですが、肩の力がほっと抜ける空間。それが「つぼみ」だなと思います。興味のある方は、ぜひ一度、見に来てくださいね。
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