宇宙人・南星ひかりの擬態
わらわら
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南星ひかり(みなほし ひかり)は宇宙人だ。
宇宙船の故障で地球に不時着した。故郷からの迎えは来ない。いつ来るかもわからない。地球で暮らすしかなかった。不安だらけの地球暮らしを続け15年が経った。つかの間の滞在のつもりだったのに15年が経ってしまった。
南星ひかりは宇宙人だ。だが地球人に擬態し、地球人として暮らしている。地球の文明レベルは低い。故郷とは比べものにならないくらい低い。だが良いところもある。地球には『スメバミヤコ』というコトワザがある。地球で長く暮らすうち、結構いいところだなと思うことも増えた。ひかりは地球の暮らしに馴染んでしまった。
地球にはいいところもある。テレビ、スマートフォン、酒やたばこ、パチンコなどの娯楽は事欠かないし、かわいい動物だっている。だが文明はまだ未成熟だ。ひかりは地球の文明を受け入れることができたが、地球はひかりを受け入れないだろう。地球人にひかりの正体がばれたらなにをされるかわからない。地球人は身内にこそ優しいが身内以外の者に対しては残酷だ。そんな地球人が宇宙人にどんな感情を抱くのか。どんな仕打ちをするのか。考えただけでも恐ろしい。ひかりが宇宙人であることは誰にも知られてはいけない。
南星ひかりは宇宙人だ。だがひかりの外見は地球人そのものだ。17さいくらいの女性の姿に見えるはずだ。そういう擬態をしているのだ。いまのひかりの姿はすみからすみまで地球人そのものだ。たとえ外を裂かれて中をみられたとしても宇宙人であることを見破ることは不可能だ。
とはいえ油断はできない。地球人は言動や態度、立ちふるまいに違和を感じる能力がある。これまでひかるは『動きが変だ』『今その発言はおかしい』『なんで笑っている』などと地球人に指摘されたことがある。それも何度もある。そのたびになんとかごまかした。ごまかしが通用しない場合は率直に指摘を認め謝罪するなどして対応した。そうしても事態が改善することはなかったが、正体がばれることだけはなんとか避けた。正直肝が冷えた。南星ひかりは宇宙人だ。おそらく地球でたったひとりの宇宙人だ。地球人に正体が露見すれば、生きていくことはできない。
ひかりは外見だけでなく言動や態度、立ち振る舞いにも気を配っている。地球人として暮らす以上、地球人として違和感のない行動をしなくてはならない。地球人社会で生きるコツはルールを守ることだ。ルールから大きく逸脱してはならない。まず「ホーリツ」という国家権力のルールに従う。ホーリツは文章で書かれている。読めば内容はわかるようにできている。ただしホーリツは難解で専門用語も多い。理解するには高い読解力と専門知識が必要だ。宇宙人のひかりにはホーリツを正しく理解することは難しい。とはいえホーリツに関しては他の地球人もひかりと同じくらいの理解度だ。そこまで気にしなくてもいい。
やっかいなのは文章化されていないルールだ。守らなくてはいけないルールはホーリツだけない。「ジョーシキ」、「ドートク」、「シキタリ」、「カンシュー」、「フーシュー」、「インシュー」、「フブンリツ」といった明文化されていないルールが存在する。明文化されていないルールは、狭いコミュニティーで幅を利かせている。明文化されていないからこそコミュニティーに強い影響をおよぼす。ルールを破ればコミュニティーから排除されてしまう。周囲の人間を注意深く観察し彼らの行動からルールの存在と内容を読み解かなければならない。
宇宙人のひかりにとっては簡単なことではない。地球人は皆、それを当然のようにやってのける。
さらに難しいのはルールはただ従っていれば良いというものでもないということだ。適度に、“ほどほど”に従わなければならない。なお、“ほどほど”の加減は時と場合によって刻一刻と変化する。基本的に美徳とされる笑顔や冗談も、時と場合によっては悪徳と見なされる。
宇宙人であるひかりにとっては、『見えない強制力』を読み取ることも、『ほどほどの加減』を見極めることも難しい。実に、実に実に実に難しい。気が狂うほど難しい。
『見えない強制力』を読み損なったり、『ほどほどの加減』を間違えたときのペナルティーは重い。罪に対して重すぎる罰がふりかかる。ひとたび罪を犯せば地球人から警戒の対象となる。つまりコミュニティー追放候補者リストに挙げられる。そうなったが最後、コミュニティーに馴染むことは不可能になる。日常的に嫌がらせを受け、トラブルがあった際はまっさきに犯人だと疑われるようになる。コミュニティーの居場所を徐々に奪われ、最終的にコミュニティーから追放されてしまうのだ。
南星ひかりは宇宙人だ。地球人の中で暮らすことは困難を伴う。しかし地球で暮らす以上、地球人のふるまいをしなければならない。ひかりが、地球人としてふるまうとき、ひかりの胸の内には、こんなの本当のわたしじゃない!! という強い葛藤が生じる。ひかりはいつもその葛藤をひた隠そうとしているのだが、隠しきれず外にもれでた葛藤の残骸が、地球人には違和感として映るのかもしれない。
南星ひかりは宇宙人だ。ひかりが宇宙人であるかぎり、ひかりが地球で暮らすかぎり、この『所属の苦しみ』からはきっと逃れられないのだろう。
ひかりは汚れたカーペットの上に座りこんだ。ため息がもれた。コンビニで買った缶ビールをレジ袋から取り出し、プルタブに指をかけた。ほんのわずかに開いた蓋から炭酸ガスがあふれシューと音を立てた。ふと思い立ってひかりはビールをテーブルに置いた。四つ足で這うようにしてベランダに向かった。カーテンの端をつまみ、すこしだけめくる。結露で曇ったガラス窓の向こうには、あいかわらず地球人文明が作り出した建物がところせましと立ち並んでいる。色とりどりの人口の明かりが夜を照らしていた。見上げると空は分厚い雲に覆われていた。
ひかりは星がみたかった。
了
宇宙人・南星ひかりの擬態 わらわら @highchine_haiba
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