第13話 餓狼の尾を踏む


 その日の部活も終わった放課後、俺は部室で駄々をこねていた。


「い、いやだ! 帰りたくない!」

「せんぱ~い、乙女に言わせたいような台詞を自分で言わないでください」

「だ、だって家に帰ったら小春がいる! 途中に美冬が待ち構えているかもしんないし!」

「…………はぁ~~」


 夏実ちゃんに呆れられながら、大きなため息をつかれてしまう。

 部室といっても柔道部に必要な道具があまりなく、半ば私物の物置になってたりするんだけどね。


「ていうか先輩、あれだけな目にあってここに残っていたいってのがわかんないっす」

「そ、それとこれとは話は別だ!」


 思い出すのは先ほどの部活。


『大橋死ね!』

『投げられて死ね!』

『大橋限定乱取り稽古いくぞーっ!』


『ひいいぃぃいいいぃぃっ!』


 小春と美冬の件が学校中に知れ渡った結果、柔道部の面々たちにそれはもう投げられた。投げられまくった。私怨混じりとはいえ痛かった。


 助けて!


 文字通り大人で柔道部の顔でもある獅子先輩助けて!


『いいか、お前ら。当身でも顔はやめとけよ、顔は。その他なら存分にやってもいいからな』


 だがその獅子先輩は楽しそうな顔で皆を扇動していた。

 大人って汚い! ばか! 信じらんない!



「先輩、もぅさっさと部室締めて帰りたいんすけど」

「あ、あと、10分! 5分でもいい! 何なら俺が閉めるし!」

「当番以外が鍵持ってくと、まぁた問題になるからダメっすよ」

「う、それは……」


 なんでも昔、どこぞの部室をラブラブかっぽーがいかがわしい目的で使うことがあったらしい。

 再犯を防ぐためにも、部室のカギは必ず特定の当番が受け持つというルールになったとか。


 ちなみにうちの部の今日の当番は夏実ちゃん。


 俺をすごみながら早く帰れと追い立ててくるけれど、そこは小柄で子犬のような雰囲気を持つ夏実ちゃん。迫力に欠けるし、見ていてほっこり癒されさえする。


「はぁ、しょうがないっすね。ちょっとだけですよ」

「やた! 夏実ちゃん最高! 愛してる!」

「……そういう言葉は彼女達に言ってあげたらどうですか?」

「え。そんな事、冗談でもいったら洒落になんないよ」


 呆れた顔をする夏実ちゃん。


 そんなこと、想像しただけでも恐ろしい。

 俺の青春がその時点で終わってしまう。



 ……ただでさえ、一度失敗しているし……



 それにもっとこう、甘酸っぱい体験をしたいのだ。

 猛獣に狩られたいという性癖は無い。


「はぁ、そうですか。閉めるのを待つ代わりに1つ条件があります」

「ん、なに? 俺で出来ることなら何でもするよ」

「肩揉んでください」

「肩?」

「そ、肩。自分これなもんで、すんごぉく、凝るんすよ」


 夏実ちゃんは制服の上からこれでもか! と主張する胸を自分でぐにぐにと俺に見せつけ、強調するかのように弄ぶ。

 そう言えば美冬も色々と悩みが尽きないと言ってたっけ。

 小春は……交流が無かったし、知らん。


 無い人から見れば贅沢な悩みかもしれないが、大きい人もそれなりに色々あるのだろう。


「そんなんでいいなら。夏実ちゃん、ここ座って後ろむいて」

「…………」

「ん? どうしたの、夏実ちゃん?」

「先輩、ほんと胸に興味無いんすね」

「そんな事ないぞ?」


 見慣れてるってだけで。

 小春のおっぱいホットドッグも、美冬のおっぱいヘルメットは色々やばかった。


 少し機嫌をよくした夏実ちゃんを、部室に置かれているパイプ椅子に腰かけさせ、俺は背に回る。


「自分、胸で女の子を見ていない先輩は結構好きっすよ」

「おう、俺も夏実ちゃん好きだぞ」

「そ、そっすか」


 緊張しないで話せるしな。子犬みたいで可愛いし。

 きっと、年の離れた従妹や姪っ子が居たとしたらこんな感じなんだろうか?


 そんな微笑ましい気持ちになりながら、夏実ちゃんの肩に手をやり、丹念に揉み解していく。


「うわ、これ物凄く硬い。相当凝ってるな」

「んぅっ、はぁあぁ……でしょー?」

「んっ、さすがにこんなにもってのは予想っ、外っ!」


 しかし、これ相当硬いぞ。全然揉み解せる気がしない。

 マッサージにちょっと自信があっただけに、俺の対抗心に火が付いた。

 ちょっと本気をだそう。

 ていうか、巨乳だと肩がこんなになっちゃうのか。大変だな。


「はぁぁ、先輩、は、んぁっ、彼女さん達には、ぅんっ、肩揉んだりしないん、すか?」

「しないなぁ。妹とはあんなだったし、美冬は仲が良くても流石に女の子の身体に触れるのはね」

「んふぅ、ていうか美冬先輩? あの人凄い美少女じゃないっすか」

「あ、あぁ、もの凄く化けたな。ただの地味眼鏡だと思ってたのに」


 あんな陽キャなギャルになっちゃって、おとーさんはなんだか裏切られた気分ですよ! ぷんぷん!

 おとーさん童貞なんだからね! ギャルとか苦手なんだからね! 反抗期なのかしらね?! まったくもう!


「んっ、あの人と付き合ったりしないんですか?」

「美冬と?」

「幼馴染で気心知れてて、しかもあれだけ可愛いのに何で避けてるか分かんないっすよ」

「いやぁ、それはなぁ……そのぉ……ごにょごにょ」


 ぐいぐい迫ってくる肉食系が怖いだけです。

 こうね、以前の芋虫ヘタレ野郎でもおっとりのんびり話しかけられた美冬ならともかくね。

 うん、我ながらヘタレ過ぎて夏実ちゃんに言えたもんじゃない。


 それに女の子の好意的な言葉は信用できない。

 美冬はそうじゃない……と思いたいけど、もし違ったら今度こそ立ち直れない。


 結局俺は――





「チッ、ハッキリしねーな、このヘタレインポ野郎が」





「夏実ちゃんっ?!」


 突如、まるで人が変わったような低い声で罵倒された。


 え? あれ? どうしたの急に? 俺なんか変なことした?

 思わず肩を揉む手も止まってしまう。


「え? あれ? 自分、今一体……」

「さ、さぁ……?」


 自分でも今言った台詞が信じられないのか、困惑した顔をする夏実ちゃん。


 俺はと言えば、子犬をブラッシングしていたかと思うと、実は飢えた狼の尻尾を掴んでたんじゃ……などと錯覚してしまった。


 夏実ちゃんとの間に少し気まずい空気が流れる。

 あれ、これって何か似て…………



 キーンコーンカーンコーン――



 思考の深みに嵌まるかと思っていたそのとき、放課後最終下校時刻を告げるチャイムが鳴った。


「な、鳴りましたね! さ、さすがに鍵閉めて帰るっすよ!」

「お、おぅ、そうだな!」


 何かを仕切り直すかのように立ち上がり、テキパキと帰る準備を進める。

 ――ゴングに救われた。そんなボクサーの心境だ。


「いやぁ、先輩さすがっすね。かなり肩が軽くなったっすよ!」

「いや、それまだ全然だぞ。ちゃんと解そうと思ったらかなり手間かかりそう」

「これでですか?」

「おう」

「これ、ちゃんと凝り解せたら生まれ変わりそうですね」

「大げさだなぁ」

「それくらい違うんですってば!」


 そう言って目の前を歩く夏実ちゃんはくるりと振り返り、どこか期待をする目で俺を見つめた。


 はて、生まれ変わる?


 最近どこかで聞いたようなフレーズだな?

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