第9話 幼馴染の変身


「おはよぅ、お兄ちゃん」

「…………」


 憂鬱な月曜の朝、俺は目が覚めた時からテンションがダダ下がりだった。


 もはや恐怖していたと言ってもいい。


 どうしてだろう、朝目覚めると小春と一緒のベッドに居たのだ。

 誰だって寝起きで隣に人食い虎がいたら驚きを通り越して恐怖するだろう?


 顔色を青くしながら自分の身体と小春を見る。


 …………よし、俺は服を着ているし、小春もパジャマだ。

 着衣の乱れもない。うん、俺は悪くない。


「……小春、どうして?」


 部屋の鍵は締めていたハズなのに、どうして?


「お兄ちゃん、鍵を掛けるなんてひどいよぅ、ベランダの窓が開いてたからよかったものの、私が兄香……お兄ちゃん成分補給できなくて死んじゃったらどうするの?」


 そんな事を言いながら、子猫のように額を俺の胸に擦り付けて甘えてくる。

 俺にとっては人食い虎みたいなものなので、すっかり朝の俺は萎縮してしまう。


 はて、お兄ちゃん成分?


 一昨日までそんなもの摂取すると死んでしまうような態度を取っていたと思うんだけど俺の思い違いなのかな?


「なぁ、小春」

「なぁに、お兄ちゃん?」


 小春はクンカクンカと俺の胸に顔をうずめて匂いを嗅いで、はにゃあって顔を蕩けさせていた。

 それがどうしても一昨日までの妹の顔と一致しない。


「その、男はな、朝は大変なんだ。お前も年頃の女の子だし、なんていうか、控えて欲しいデス」

「…………あ」


 思わず語尾が敬語になってしまう。


 デリケートな男の子の生理だからね!

 特に俺は童貞なんだからそのへん敏感なんだからね!

 その意図を汲んでくれるとお兄ちゃん嬉しいな!


「お兄ちゃん、……そのわたし、ぃぃょ?」

「まてまてまてまて!」


 語尾も小さく、顔も真っ赤にそんな事を言いながら、パジャマをはだけさせようとする小春。

 まったくもってよくありません!


 一体何が良いというのか!


 あのね、小春さん?!

 そもそも寝起きに小春の顔を見て、朝の俺は完全に縮こみあがっちゃってるよ!?


「か、勘違いしているぞ! 朝のそれは自分の意志でどうにもならない生理現象で勝手になってしまうんだ! だから気にしなくていい!」

「性欲はないの?」

「ぶっふぉぁっ!」


 むせた。

 そして、何故か視線をチラチラ鼠径部に送る小春。


 もう、何なのこれ!


 実妹から『性欲』なんていうパワーワードを聞いて、朝から俺の精神はもうズタズタだ!


「ないから、全くないから!」

「私ね、お兄ちゃんの役に立ちたいの」

「いいから! 十分だから!」

「ぁん、もぅ……」


 俺の俺が役に立たなくなっちゃったらどうしてくれるの、もう!




  ◇  ◇  ◇  ◇




「あら、あなた達随分仲良しになったのね」

「私ね、素直になることにしたの」

「こないだまでは、あんなに仲が悪かったのに」

「やん、昔の事は言わないでよ」

「兄妹仲が良いのはいいことだわ」

「でしょ? ね!」


 ね! なんて事を言いながら俺に流し目を送ってくる。

 何が『ね!』なんだろう、ね?!


 これが今朝の我が家の食卓の風景である。


 恐ろしい事に、小春の豹変ぶりは親として概ね歓迎らしい。

 あれ? なんか逃げ場を一つ潰された気分だ。

 何故だろう、目頭が熱くなってくる。



「ごちそうさま、いってくる」



 その場を逃げ出すかのように朝食をかきこみ、家を出る。


「あん、待ってよお兄ちゃん!」


 置いていかないで、と親猫を追いかける子猫のような感じで俺の後を追ってきた。


「あらあら、うふふ」


 などと微笑ましいものを見る目で俺達を見る母親。

 そんなにいいものじゃないからね、これ!










 …………


 通学路を歩く俺の右手を、まるで獲物を狙うかのようにチラチラ視線を送ってくる小春。

 あれかな? 動くものに飛びつく猫科動物のあれかな?


 俺は右手に最大限の注意を払った。


 気を付けなければ、再び小春と手を繋いで登校する羽目になってしまう。

 小春とあらぬ噂を立てられるのは非常によろしくない。


 ……うん、右手には最大限の注意を払ったんだ……


「あ~きくぅん」


 だから、聞きなれた美冬幼馴染の声と共に、左手はあっさり捕獲されてしまった。



 あれだ。


 イメージするとしたら、普段のっしのっしとトロそうな熊が、川で機敏な腕さばきで鮭を捕るとかそんな感じ。

 思いもかけない機敏な動作で、俺の左手は捉えられてしまった。


 一日経ったら元の美冬に戻るかも……なんて期待したが、とんだ見込み違いだった。

 しかし、今までの関係性から小春よりかは話が通じるかもしれない……そんな気持ちで視線を左に――


「美ふっ…………誰、ですか……?」

「誰って、あたしだよぉ。美冬だよ?」

「……え?」



 そこには美少女がいた。



 明るく髪を染め、ミディアムロングの髪はふわふわと緩くパーマが当てられている。瞳は大きく、トロンと垂れ下がったタレ目。そして特筆すべきはその大きな胸。


 モデルやアイドルと言われても信じてしまいそうになるリア充オブリア充――童貞が揶揄からかわれたり、弄られたりしたら萎縮して何も話せなくなってしまう――そんなスクールカースト上位のギャルグループのような、ふわふわした明るいタイプと言ったら理解していただけるだろうか?


 そんな女の子が俺の左手を捕獲していた。


 どことなく、2年前振られた子に似てる気もする。



「み、美冬?」

「どう? 見違えた? あたしね、見た目も生まれ変わろうと思ってね、ちょっと頑張ってみたの。ふふっ♪」

「あ、あぁ……」



 美冬と言えば、地味で目立たなくて黒くてトロくさい女の子だ。


 こんな、俺の童貞マインドに忌避感を抱かせるカースト上位のリア充女子なんて俺は知らない。

 似ているところなんて胸のサイズだけくらいだ。


 ていうか、本当にこれ美冬なのか?



「は・な・れ・て!」

「ぁん!」

「小春!」



 そんな疑心暗鬼になっている俺と美冬の間に、手を放せとばかりに小春が強引に割って入ってきた。



「離れて、お兄ちゃん。こんな発情してる女に近づくとお兄ちゃんの貞操が危ない」

「発情してるとか、ひどいよぅはるちゃん。あたしはただ自分に正直になっただけよ」

「お兄ちゃんのハジメテは奪わせないんだから!」



 不倶戴天の敵と言わんばかりに牙を剥いて威嚇する小春は、まさに猛虎だった。

 それを正面から泰然自若と受けて立つ美冬は、手を広げ襲いかからんとする暴熊さながら。


 えぇぇえぇ……


 いきなり繰り広げられる小春美冬幼馴染の修羅場。


 猛獣同士の大決戦。

 一体どうなってんの?


 それよりもとりあえず――


 自分の貞操が無事だったことに、ちょっぴり安堵した。

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