第8話 後輩に相談


 ガチャリ。


 生活音の無い日曜日の早朝、ドアの開閉の音もよく響く。


「む、やっぱりお兄ちゃんがいない」


 小春はがっかりと言った様子で、残念そうな顔を作る。

 起きてすぐ兄の気配と香りを感じなかったから確認しに来たのだ。


 だけど一転、その目を朝から淫蕩に、そしてだらしなく濁らせた。


「居ないなら今はなにやってもいいってことだよね。きゃっ♪」


 そう言って小春は、仄かに栗の花に似た匂いを放つゴミ箱に突撃したのだった。





  ◇  ◇  ◇  ◇





 ――女の子――



 それは我々男子にとって永遠のテーマである。

 どこかの国の童話によれば砂糖とスパイス、それと素敵な何かで出来ているらしい。


 なるほど、その通りだ。

 ふわふわ甘い感じなところや、ぴりりと一筋縄じゃいかないところ。

 それら全てひっくるめて素敵な何かだ。


 だから我々男子は女の子に憧れる。

 そんな憧れるものの近くに居たい、あわよくば特別な人になって付き合いたい。

 これは男子として当然の感情じゃあるまいか?


 つまるところ彼女が欲しい!


 それも普通の!


 ここ重要だからね? テストに出るよ!



「いきなり何ポエムってんすか、先輩?」

「うっせ!」


 本日は日曜日、俺は早朝から学校の柔道場に来ていた。


 別に部活に熱心に入れ込んでいるというわけじゃない。

 なんとなく来ただけだ。

 だから着替えてもいない。


 あ、なんとなくは嘘です。


 小春美冬幼馴染が怖いから逃げてきただけです。


 俺と同じように、なんとなく学校に来ていた夏実ちゃんと遭遇し、暇人同士おしゃべり中というわけだ。


「そうそう、彼女と言えば見ましたよ先輩!」

「見たって?」

「髪が長くておっぱいの大きな女の子と腕組んでラブラブで登校してたじゃないっすか!」

「み、見たならわかるだろ! あれはいつも相談してた妹だって!」

「いひひ~、あんなに可愛い妹さんだったら、別に彼女なんかいなくてもいいんじゃないですか?」

「え、やだよ」

「えぇ~? 妹でも懐かれたら嬉しいんじゃないですか? うちの兄貴、甘えてねだったら色々ちょろいっすよ?」

「夏実ちゃん酷いな!」

「えっへへ~」


 ころころと笑いながら、愛嬌を振りまく夏実ちゃん。

 思わず頭に手を伸ばしてくしゃくしゃってしてしまう。

 ぴゃー、とか言いながら抗議して来る。


 はぁ、子犬を撫でてるみたいで癒されるなぁ。


 もし小春が夏実ちゃんみたいだったらなぁ、と想像してしまう。


 友達とはまた違った距離感でお話したり、もしかしたら友達を紹介してくれるかもなんて仄かな期待を抱いたり。

 好きな人が出来たりしたら、相談したりもするかも?



「でもさ先輩、実際あんな美少女に懐かれて満更でもないんじゃないですか?」

「はぁ、わかってないな……夏実ちゃん、虎って可愛いと思う?」

「画像や動画で見てると凛々しかったり愛嬌あったりしますよね」

「じゃあ実際、人食い虎がゴロゴロ言いながらじゃれてきたらどう思う?」

「それは……ちょっと怖いですね」

「そうだ、あれはそんなもんだ」

「先輩も結構ひどいこと言ってるっすね」


 そう言われて、やれやれと肩を竦める。

 もし俺の女性経験値が高ければ、小春に対しても毅然な態度でいなすことが出来たんじゃないか?

 つまり彼女がいないのがダメなのだ。

 むしろ彼女を作れば色々と問題が解決するんじゃないか?


 ……2年前の苦い思い出が蘇るけど。


 うん、大丈夫。あれはもう吹っ切れた。

 あの子・・・に感謝しないとな。


「彼女かぁ、憧れるなぁ」

「いやん! もしかして自分口説かれてるっすか? うわぁ、可愛いって罪ですね~」


 くねくねと軟体動物のように身体をくねらせ、茶化すような声色で言ってくる。


「夏実ちゃん相手だと犯罪だ」


 だって胸の大きなそれさえなければ、幼い顔立ちはまだ小学生と言っても差支えがないくらい。

 身長だって140cmもないんだぜ?

 チンチクリンという言葉がよく似合う。


「えぇえ、これでも自分モテるんすよ~?」

「え、マジで?!」

「先輩、素で驚いてるっすね……」


 これ見よがしに、はぁあぁぁっと大きなため息をつかれた。


 むぅ、世間はロリコンが多いなとか思ってちょっと悪かったよ。


「ま、モテるといっても、これっすよ、これ」

「あぁ、なるほど」


 それは制服の上からでもよくわかった。

 夏実ちゃんの小さな身体に不釣合いな、たわわに実った大きな果実を自分でぐにゅぐにゅと弄ぶ。


 男なら、その凶悪な兵器に視線が行ってしまうのも仕方が無いことだろう。


 残念ながら俺は小春美冬幼馴染で見慣れてしまって、いまいちその魅力は分からないわけだが。


「肩もこるし、動くのも邪魔だし、男子からは常に胸を見られるし、いい事ないっすよほんと。ぶっちゃけイライラすることの方が多いっす」

「注目されないよりマシだと思えば?」

「自分、先輩みたくモブのように潜んでいたいっす」

「あ、このぉ!」

「いしし、怖いっすよ先輩~」


 俺がふざけて腕を上げれば、「きゃー」なんて言って頭を抱える。

 確かにこんな可愛らしい妹がいたら、夏実ちゃんのお兄さんが甘くなってしまうのもわかるな。


「ところで先輩、彼女とか言っても好きな人とかいないんすか?」

「んー……居ないなぁ」

「タイプの人とかは?」

「タイプねぇ…………3年の龍元たつもとさん、とか」

「あー、あのミスコン3連覇の! あの方美人っすよねー! 先輩高望みし過ぎじゃないっすか?!」

「うっせーよ! 言うだけなら自由だろ!」


 龍元たつもと結季ゆき――俺の1つ上の3年生。


 告白100人斬りとか、参加していないミスコン3年連続1位とか、やれどこのスポーツで賞を取ったとか色々噂の耐えない有名人だ。

 その上、成績も常にトップクラスを維持しているらしい。


 何その超人、本当に同じ人類なの?


 もちろんの事ながら、夏実ちゃん曰くモブな俺との接点なんてない。


 厳密には無い事はないんだけど……先輩も覚えてはいないだろう。

 2年も経ってるしな。



「でも先輩、龍元さんおっぱい小さいっすよ?」

「お前は俺を何だと思ってんだ?!」

「女の子をおっぱいで見ないところ、素敵だと思います!」

「あーはいはい、ソウデスネー」

「わっぷ!」


 投げやりに返事しながら、ぐしゃぐしゃと夏実ちゃんの髪をかき混ぜる。


「ところで先輩、最初の話に戻るんすけど」

「ん? なんだ?」

「試してみましょうよ、これ」

「ぶっふぉ! おま、それっ!」

「らいおん先輩の備蓄っすね」


 差し出されたのはストロングな飲む福祉である。


 いやいやいやいや、ねーよ!

 夏実ちゃん、俺の話ちゃんと聞いてた?


「飲まねーよ! てか色々とまずいだろ、それ」


 飲むとどうなるかわかんないし、そもそも学校にあるという時点で間違っている。


「ぶぅ、どうなるかちょっと興味あったのにぃ」

「飲みません! いいから没収!」

「先輩のケチ~」

「ケチ、じゃねーよ!」


 これ以上ややこしい事態を増やしてたまるか!



 一瞬、いつも子犬のように思える夏実ちゃんが飢えた狼のように見えてしまった。



 そのイメージが間違っていなかったことを知るのは、もう少し先の話である。






  ◇  ◇  ◇  ◇




「あきくん、あきくん、あきくん♪」


 はす向かいのおうちの男の子の部屋は、スコープが無くても良く見える。

 だというのにそれが置いてあるというのは、主に撮影目的だ。


 望遠鏡をほっそりとした指が愛しそうに、大切な人のデリケートな部分を扱うように、いっそ淫らな感じで撫で上げた。


「あきくん、驚いてくれるかなぁ? ふふっ」

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