第2話 デレる妹、原因は不明


 俺と妹の仲は決して良いものじゃなかった。


『早く行ってよ』

『ふんっ、まだいたの』

『どうして家に――』


 リビングで顔を合わせる妹に言われたセリフは大体こんなもんだ。

 思春期の女の子なんて、どこもこんなものなのかもしれない。

 だけど、言われて喜ばしい言葉じゃないだろう?


「いってきます」

「また朝ごはん食べないの?」

「コンビニで菓子パンでも買う」


 だから俺は母親にそう告げて、そそくさと家を出た。

 冗談じゃない、暢気に朝食なんて食べていたら小春と遭遇してしまうじゃないか。


 そんな情けない事を思いながら通学路を歩く。

 4月の半ばとはいえ、まだまだ冷える。


「おはよ~、あきくん~」

「……おはよ、美冬」


 間延びした声で俺に挨拶してくるのは押隈美冬おしくまみふゆ

 所謂いわゆる幼馴染だ。


 癖っ毛の髪をおさげにして、大きく野暮ったい眼鏡をかけている。特筆すべきは制服の上からでもはっきりわかる大きなバスト。小春にだって負けていない。


 実は密かに男子に人気があるのを知っている。

 理由はおっぱい。

 俺には見慣れたものだけどな。


「難しい顔してどうしたの? はるちゃんの事?」

「どうしたものかなぁって」

「うむむむ、そうだねぇ。お父さんならこういう時は~」

「おじさんなら……?」

「飲む福祉でもって、自分の中で問題をうやむやにする!」

「ダメじゃん!」

「だよね~」


 飲む福祉とは、ストロングな事が売りな発酵飲料のジュース割りの事である。

 なんでも幸せな気持ちになれるとか。


 そんな美冬は言動だけじゃなくて、歩くのもトロくさい。

 下らない話をしながらえっちらおっちら通学路を歩く。

 たまに足を止めないと、置いてけぼりになってしまうことも。


 置いていこうとすると、情けない声で『あきくん待ってよぉ~』と言ったりするので、なるべく歩調を合わせ、肩を並べるようにする。

 小さい頃はそれでよくガン泣きされて、見事悪者になったのは忘れられない。



「……チッ」



 いきなり背後から舌打ちをされた。

 一体誰がと思って振り向けば、案の定小春だった。

 妹とは同じ学校だ。

 トロい美冬と一緒だったので、後から出た小春に追いつかれたのだろう。


「…………」

「おはよ~、はるちゃん」

「…………ふんっ」


 挨拶する美冬を無視し、鼻を鳴らしながら去っていく。


「うむぅ~、これは大変だぁねぇ」

「だろう?」


 わざわざ舌打ちとかしなくてもいいのに。

 仲良くしたいとまでは言わない、せめてもう少し、ね……?




  ◇  ◇  ◇  ◇




 小春との事は、結構深刻な問題だと考えている。

 何せ同じ学校に通っているのだ。


 俺だって思春期真っ盛りの男子、彼女とかそういうのに憧れる。

 一緒に登校したり、放課後一緒に帰ったり、休日はデートしたり。


 特に2年前あんなことがあったから……いや、そのときの事は考えまい。

 とにかく、俺だって人並みに青春をしたいのだ。


 だから、学校でも評判の妹と仲が悪い兄というのは、俺にとって体裁が悪いマイナス要素でしかない。




 というわけで部活――柔道部――の先輩に相談していたりもする。

 余談だが、柔道着のおかげで小春に『くさっ』て言われてると思う。

 実際、着てる本人も臭いと思う。


「というわけで獅子先輩、何かいい案ないっすかね?」

「うちんとこは姉だし、特に仲が悪いわけじゃないしなぁ」


 まるでライオンのたてがみみたいな顎鬚あごひげ、それに宍戸ししどという苗字から、獅子先輩とからいおん先輩とかよばれている。

 ちなみに先輩と呼んでいるが、同じ2年だったりする。


 去年は確かに先輩だったのだ。


 そして3年からも先輩と呼ばれている。

 歳は聞いた事ないけれど、既に成人しているという噂だ。

 ……色々と大丈夫なのだろうか、獅子先輩?


「それよりもうちょい右。お、そこ……おぅふ」

「変な声出さないでください」

「それにしても、柔軟マッサージ上手いな……うぉふん」

「だーかーらー」

「悪ぃ悪ぃ」


 自覚はないのだが、どうも俺はマッサージが上手いらしい。

 だから、よく部活終わりに先輩達に駆りだされたりする。


「先輩方がおわったら、自分も是非やってほしいです!」

「夏実ちゃん」


 そう言ってやってきたのは、柔道部の数少ない女子で中等部2年の乾夏実ちゃん。

 小柄で子犬のように可愛らしい、ショートカット……ウルフカットって言ったりもするのかな? の、よく似合う女の子だ。

 そして特筆すべきはあどけない顔に不釣合いの巨乳。

 未だ成長途中だというそれは、末恐ろしいとしか言えない。


「先輩、自分の胸見てたんすかぁ? 好きなんですかぁ? うりうり~」

「いや、全然。妹と幼馴染で見慣れてるし」

「ぶぅ、またまた~。つまんないっすよ先輩」

「つまんなくて結構」


 悪戯っぽく胸を強調してやってくるものの、小春と美冬ですっかり耐性が付いてしまっていて特に何も感じない。


 あれ、これって人生の何割か損してるんじゃない?

 ふとそんな下らない事を考えてしまった。


「そうだ、妹だ。同じく兄を持つ妹ポジションの夏実ちゃん、何か良い案ない?」

「先輩の妹さんって、高等部1年の髪の長い凄く可愛い子ですよね? おっぱいもおっきい、あの」

「多分そうだ。普通に、その、もうちょっと、こうね」

「むむむ、自分の兄は歳離れてるっすからねー。8つも離れると特になにもっすよ」

「そ、そうか」

「あ、でも兄が女性の事で悩んだりするときに、いつもお世話になってるものがあるっす」

「なにか良いものでもあるのか?」

「飲む福祉っす!」

「あ、はい」


 ここでもか!

 美冬のおじさんといい、好きな人多いな!


「あれはいいぞ、乾兄に勧めたのは俺だしな」

「らいおんさん!」

「獅子先輩、あんたかい!」


 ていうか、知り合いだったんかい!

 年齢的にも友達でも不思議じゃない……?


「というわけで、はいこれ」

「って、これ飲む福祉じゃないっすか! 獅子先輩何でこんなん持ってんの?!」

「部室の冷蔵庫に冷やしてあるぞ」

「見つかったらシャレなんねーっ!」

「大丈夫、顧問も買収済みだ」

「ちょ、おま!」




  ◇  ◇  ◇  ◇




 そんなわけで獅子先輩に押し付けられてしまった飲む福祉。

 大人はこれを飲んで嫌なことを忘れるとか。

 ビターアップルとか、ちょっと俺好みっぽいのが悩ましい。


 ……いやいやいや、別に飲んでも問題が解決するわけじゃないんだよね?

 むしろどうしようもないストレスをうやむやにしてくれるだけだよね?!

 現代社会はそんなに理不尽なことだらけってこと?!

 社会に出るのがちょっと怖くなってきたよ!


 よし、やめやめ!

 こんなの飲んでも解決しないし、身体にも悪そうだし!

 でもちょっと味を見るくらいは……




 ……気付いたらコップに注いでいてしまった。




 氷も浮かべ、パッと見普通の炭酸飲料ぽくておいしそう。

 部活で汗かいたし、喉も渇いているから余計にね!

 ああ、いやでも、やっぱなぁ……うん!


「げ、クサいのいた」


 俺がリビングで悩んでいると、いつの間にか小春が帰ってきていた。

 その顔は如何にもな感じに歪めている。



 グサリ。



 汚物を見るような視線が俺に刺さる。

 うぅ、どうしてそんな目で見られなきゃなんないんだ。

 別に仲良くしたいとは言わないけどさぁ!


 目の前のグラスに、陰鬱な表情をする自分が映る。


 そして俺は現実逃避するかのように、飲む福祉をあおった。



 ………………………………


 ……………………


 …………



 そう、これが俺の昨日の記憶だ。

 肝心なところを見事に覚えていない。


 な、何をしたんだよ、俺は!?


 小春はと言えば、下着を着たあとは何故か俺のシャツを着て『お兄ちゃんおっきいんだね』なんて言っている。

 あははーそうだねー。


 あ、ダメだ。また頭が痛くなってきた。ゲロも吐きそう。


「な、なぁ?」

「…………」

「お、おいって」

「…………」

「ちょっと……」

「小春」

「……え?」

「おい、とかなぁ、とかじゃくて、小春って呼んでよ、お兄ちゃん」


 俺はそんな状態だというのに、小春は口を尖らせながら、そんな事を言ってきた。


「…………小春」

「うん!」


 名前を呼べば、俺が見たこともない笑顔を綻ばす小春様。


 俺は一体どうすればいいんだ?

 混乱する頭に何か熱いモノがこみ上げてくる。

 俺は、昨夜飲む福祉をあおった時と同じように天をあおいだ。



 ――朝日が目に沁みた。

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