三、楓梨先輩の本気
花鳥風月結成から数日。いよいよ本格的な冬の到来だ。木枯らしが冷たく、ブレザーだけだと寒い。といっても、登校は相変らずリムジン。つけなくても車内は暖かい。
最初は毎日リムジンで娘を迎えに来る先輩たちに驚いていたが、私はきちんと説明した。お父さんがよくわかっていなかった『雪咲会』に、私も入ることになったと。やっぱりそれでも理解を超えていたみたいだったけど、前に軽く説明したときに覚えていたらしい『雪咲会に入れるのは、美人』というワードに反応した。お父さんの盛大な勘違い。つまり、私も学園内の美人に当てはまったと思ってしまったようだ。
「お父さんは嬉しいぞ! 月海は母さん似の美人だもんなぁ! はっはっは」
喜ばれたのはいい。でも、それは表面的なことで、本当の雪咲会は元ヤン女子が入会する場所。しかも今は花鳥風月という名前で、正義の活動を行っているんだからとんでもない。まだ実際は一度しか活躍はしていないけど、今後も何かあったら私がシナリオを書かないといけない。『花鳥風月が悪を倒す』というシナリオを。
今日もリムジンに乗り込むと、先輩たちに挨拶をする。
「おはようございます」
「おはよう……」
挨拶した瞬間、違和感を覚える。いつも元気な瑚己羽先輩が、ボーッとしているのだ。楓梨先輩と菖先輩は、そんな瑚己羽先輩を心配しているように見える。
「あの、どうかしたんですか?」
私が楓梨先輩に耳打ちすると、「わからない」とだけ言われてしまった。テンションが低くて元気のない瑚己羽先輩なんて、初めて見た。それに、そんな瑚己羽先輩に何も言わない菖先輩と楓梨先輩も気になる。何が起こったんだ? 疑問に思った私だが、彼女の悩みは一般人の私からは想像できないことかもしれない。
リムジンを降りると、いつもと変わらず女の子たちが待っている。リムジンの中は無言だったのに、降りた途端いつもと同じ光景が広がる。
「菖先輩! 高級マカロンを取り寄せましたの! ぜひ!」
「あら、ありがとう」
「楓梨先輩、あ、あの、パウンドケーキを焼いたのですが、お口に合うか……」
「ありがとう。君の心がこもっていれば、きっと絶品だよ」
「こ、瑚己羽先輩。かわいいぬいぐるみを見つけたんですぅ~!」
「ありがとう! ボク、かわいいもの大好き!」
さっき元気がなかった瑚己羽先輩もいつも通り。お嬢様キャラを作るのも大変だ。私がそう思いながら三人を見ていると、唐突に声をかけられた。
「月海さん! これ……お好きかわかりませんが」
なんだろう? 女の子から手渡されたものは、一冊の詩集だった。しかもこれは、私が欲しいと思っていたもの。
「あ、ありがとうございます……」
「きゃあっ! 月海さんにお声をかけられたわ!」
数日前にも花束をもらったけど、あれは横浜さんからだ。しかも花言葉は最悪なもの。でも、今回もらった詩集は、多分本当の貢物……。いや、貢物なんていうのは失礼か。プレゼントって言ってもいいのかな。でもタダでもらうのも申し訳ない。
私が戸惑っていると、菖先輩がささやいた。
「私たちはこの学園のシンボル的な存在なんだ。だから笑顔で『ありがとう』って受け取ればいい。それが彼女たちへのお礼だ」
「はぁ……」
そんなものなのかな、と思いながら、また瑚己羽先輩の方を見る。女の子たちから離れると、やっぱり暗い表情を隠しきれないようだった。
下校時間にもたくさんの女の子たちが、私たちを取り囲む。朝みたいに貢物はほぼないけど、それでも家庭科の時間に作ったというお菓子を持ってくる子もいた。菖先輩たちは笑顔でそれを受けとる。そのとき――。
スマホが震えた。私たち四人は一斉に反応する。これは依頼だ。正義の味方、花鳥風月への。
「楓梨、瑚己羽、月海。カフェに寄って行きましょう? まだお時間はありますわよね?」
「ああ、あたしは大丈夫だよ」
「私も平気ですわ」
お嬢様言葉に慣れ始めた私も、大きくうなずく。
「ボクは……」
いつもだったら即『行く!』と言い出しそうな瑚己羽先輩が口ごもる。その背を推したのが楓梨先輩だった。
「行くだろ、瑚己羽!」
「う、うん」
同意を得た楓梨先輩は、ノリノリで瑚己羽先輩の肩を抱く。その姿になぜか女の子たちは黄色い歓声を上げる。意味がわからない……けど、これが私たちの正義の『悪だくみ』の始まりの合図だということには変わらなかった。
スノウドロップに到着すると、いつも通りオーダーをする。菖先輩は七百円のコーヒーをまたおごってくれようとしていたけど、私は遠慮した。さすがに毎回は申し訳ない。一番安い四百円のものでも金銭的にはきついけど、仕方がない。
「それで菖先輩! 今回の依頼はどんなの?」
楓梨先輩が身を乗り出してたずねると、菖先輩はダイレクトメッセージを見せる。内容は最近学園の近くに出る痴漢を退治してもらいたいというもので、この依頼は一件や二件じゃなかった。
「そう言えば、先生たちも言ってましたね」
「しかし……ただの痴漢でも問題だが、今回はタチが悪い。何でも依頼者たちに武器を使って草むらに連れ込もうとしたようだ」
武器か。なんとか逃げられたことは不幸中の幸いだったのかもしれない、最悪、その武器で殺されていたのかもしれないんだから。
「そこで月海。またシナリオを書いてくれねぇか? 正義の味方が痴漢をぶっ潰す話を」
私は思わず菖先輩を見た。武器を持っている相手でも、怖くないのだろうか? 私が答えに窮していると、先輩は私の考えを見透かしたのかにやりと不敵に笑った。
「元ヤンなめんなよ? どんな武器を持った相手だろうが、怖くねぇよ」
「そうそう! 鉄パイプとか、バタフライナイフとかスタンガンくらいだったら、武器の内にはいらないよ。な、瑚己羽」
「え? そ、そうだね」
瑚己羽先輩は話の内容が上の空だったのか、急に楓梨先輩に話を振られて驚いたようだった。
そんな先輩も気にはなったけど、私にはやらなくちゃいけないことがある。痴漢成敗の完璧なシナリオ。それを用意しないと。
ネタ帳を取り出すと、私は先輩たちの目の前で出てきた案を書き出していく。痴漢を捕まえるにはベタだけどこれしかない。おとりを使って痴漢を呼び寄せるのだ。
「方針はわかったが、誰がおとり役になるかだな」
「あたし……じゃ、ちょっと無理かもね。制服着てても男扱いされるくらいだし」
そういう楓梨先輩だが、それは女子高の中だからだ。普通に女性らしい服装をしていれば、モデルみたいに見えると私は思う。でも、確かに楓梨先輩は身長が高すぎるかもしれない。
「それじゃ、私が出ていくか。かわいい後輩たちを危険な目には合わせたくない」
「菖姉! それはダメだよ!」
さっきまで話を聞いているのかどうか怪しかった瑚己羽先輩が、止める。
「菖姉はお嬢様オーラが特段に強いんだから、むしろ痴漢が委縮しちゃうって!」
「なんだ、そりゃ」
瑚己羽先輩の言いたいことはなんとなくわかる。今はお嬢様モードをオフにしているから気安く話せるけど、学園での先輩を見ていればわかる。歩く白百合、究極の高嶺の花。彼女のイメージはそんなところだ。『痴漢してください』と言わんばかりにひとり道を歩いていたところで、本当に痴漢が近寄ってくるだろうか。それならもっと地味で、おどおどしているというか、ぼっち。友達もいないような……ってあれ?
「あの、適任者がひとりいるんですけど……」
「え? 誰だれ~?」
瑚己羽先輩の声に、ゆっくり右手を挙げる。菖先輩はお嬢すぎ。楓梨先輩はかっこよすぎ。話には出なかったけど、瑚己羽先輩じゃ、ちょっと子どもすぎると思う。となると、残りは私しかいない。
「月海、本当にいいの? 君は護身術も何もやってないだろ? 危ないよ!」
「私はうまく痴漢をおびき寄せるだけです。先輩たちのところまで、ね」
「へぇ。あんた意外と度胸もあるじゃねぇか。気に入った!」
菖先輩は私の頭をごちゃごちゃとなでる。いつも優雅で美しい菖先輩のこんな姿なんて、雪
咲会に入るまで知らなかった。高貴なお嬢様の本性は、でんと構えたレディースのヘッドだ。
私たちはつぶやきアプリを使って、痴漢の出没場所や時間帯などをフォローしてくれている学園の生徒たちと思われるアカウントから聞き出す。さすがは女子高生というべきなのか、レスポンスは速かった。すぐにいくつかの場所と時間の情報が集まる。
「この痴漢、頭いいねぇ~。捕まらないように、毎回場所と時間を変えてるなんて」
今日はクリームソーダじゃなくて、温かいココアを飲んでいた瑚己羽先輩がう~んと唸る。確かにこの痴漢はバカじゃない。だけど、出没する場所や時間には何らかの規則性があるはずだ。その日その日の気分で、場所や時間を変えることはないだろう。
「何かこの規則性がわかれば、おびき寄せやすくなるんですけど……」
スマホを見ていた楓梨先輩は、私のネタ帳にメモをし始めた。
『レイ・水曜午後五時、冬ヶ瀬公園歩道。理絵・木曜午後六時、冬ヶ瀬通りわき道。佳代・金曜午後七時、冬ヶ瀬用水路横』
三人以外にも、何人か痴漢にあった曜日、場所と時間を書いていく。私たちはそれでひとつの規則を見つけた。
「ねぇねぇ! 痴漢が出没するのは、週の後半……時間は午後五時、六時、七時って土曜に近づくにつれて遅くなってるよ!」
瑚己羽先輩は楓梨先輩が書き出したデータに指をさす。
「そうだね。しかも場所はすべて冬ヶ瀬公園の近くだ。歩道もわき道も用水路も」
楓梨先輩もつぶやきをもう一度確認しながらうなずく。
「よし、月海。あんたは学園を出たら、前みたいに三つ編みにしろ。そっちの方が内気な文学少女っぽい。痴漢につけられてると思ったら、すぐ私らがいる集合場所に来い」
「菖先輩たちは?」
私がたずねると、先輩はいつも通り冷静にコーヒーを飲み、つぶやいた。
「なあに、汚れ仕事が私たちの役目だ。問題ねぇ」
おとりになるのは少し怖い。でも、先輩たちがいてくれれば、三対一。負けはしないはず。それにこの間横浜さんたちがおびき寄せた男たちを、平然とぶっとばしていたんだから、大丈夫。
「それでは今週の木曜から、作戦決行だ」
私は先輩に言われた通り、授業が終わると三つ編みにして冬ヶ瀬公園の近くをうろうろ歩く。冬だから、暗くなるのは早い。まだ午後四時半なのに、夕日はほとんど落ちてしまっている。
しかし不審者は出てこない。ベンチに座って本でも読んでいようか? それも不自然だ。暗くて文字なんて読めない。
私が池の周りをゆっくり歩いていると、後ろから足音がした。――来た。ここで振り向いてはいけない。耳に装着しているマイクで、先輩たちに連絡を入れる。
「月海です。今背後にいます」
『よし、トイレのほうまでおびき寄せろ』
指示通り、振り向くことなくトイレへと向かう。ここまで来れば先輩たちがなんとかしてくれる。そう思ったのだが、予想外の事態が起きた。
「君」
「えっ?」
「こんな時間にひとりで何をしてるんだ?」
肩を叩かれ振り向くと、そこにいたのは茶色いコートを着た男。同時に提示されたのは、警察バッジと手帳だ。トイレの裏に隠れ、今か今かと出ていくタイミングをうかがっていた先輩たちも、頭を引っこめる。
「今、この辺で痴漢が多く出ているだろう? 危ないから早く帰りなさい」
「は、はい……」
コートを着た刑事は、私にそういうとさっさと行ってしまった。まさか、痴漢だと思っていたのが刑事だったなんて……。
「作戦失敗かぁ……出番、なくなっちゃったね」
特攻服を着た瑚己羽先輩が、がっかりした様子で出てくる。楓梨先輩も悔しそうだ。
「せっかく女の敵をぶっ潰してやろうと思ってたのに!」
腕まくりをして鼻息を荒くしている楓梨先輩を、菖先輩が抑える。
「仕方ないだろう。刑事が出て来てしまったんだから」
「明日はどうしますか? 警察も一応見回りしているみたいですし、ここは様子見でも……」
「いや」
菖先輩は難しい顔をしている。黒くて長いストレートの髪。白く陶磁のような肌。桜色の唇。どれをとっても美少女なのに、何か考え込んでいる。
「おかしいと思わないか?」
「何がですか?」
私と先輩ふたりは頭に疑問符をつける。おかしいところなんてなかった。ただ、作戦は失敗してしまったことは悔しいけど、警察が見回りをしてくれるなら、もう安心だと思う。それなのに菖先輩は違う意見を持っていた。
「楓梨、おかしいだろ? さっきの刑事」
「えっ……? あ、ああっ! そ、そうだよ!」
楓梨先輩は大声をあげて、手を打つ。それでも私と瑚己羽先輩はわからないままだ。楓梨先輩は頭をかきながら私に謝った。
「ごめんっ! あたしがしっかりしてなかったから、痴漢を捕まえ損ねた」
「痴漢? さっきのは刑事さんだったじゃないですか」
「あのね、刑事や警察官っていうのは、基本的に二人一組で行動するんだよ。なのに、さっきの刑事はひとり。しかもバイクや覆面パトカーで来た形跡もなかった。あの警察バッチだって、本物だったかどうか」
「ということは~……さっきのは偽刑事?」
瑚己羽先輩も目を大きく見開く。そんな、まったくそんな素振りを見せなかったというのに?
「おい、しっかりしやがれ! 警視総監の孫娘!」
菖先輩が楓梨先輩の背中をバシンと叩くと、「す、すみません!」と反射的に謝る。
「で、でも、さっきの男は私に『早く帰れ』って言いましたよ? 痴漢だったらそんなこと……」
「そう油断させておいて、後ろから襲い掛かっていたのかもしれないな。今回は月海がすぐこっちに来たから、多分ターゲットを見失ったんだと思う」
菖先輩の言葉に、みんなが黙る。だけど幸いなことに、あの犯人は先輩たちを見ていない。出会ったのは私だけだ。まだチャンスがなくなったわけじゃない。
「先輩、明日もやりましょう。木曜は確か……」
「六時だ。今度こそしっかりしろよ、楓梨」
「わかってるっス! もう同じヘマはしませんよ」
こうしてその日は一時撤退。三人の先輩たちは羽織っていた特攻服を脱ぐと、清楚な制服に戻る。濃いメイクをウェットティッシュで落とすと、いつものお嬢様たちに変身だ。
私たちは公園にリムジンを呼びつけると、それに乗り家まで帰った。
「今日はずいぶん遅かったなぁ。お父さん、夕飯作っちゃったぞ?」
帰ると、お父さんがテーブルにおいしそうなオムライスとサラダを並べていた。
私は制服から私服に着替えると、手を洗って席につく。
「……何かあったのか? 前に言っていた雪咲会? だったか? その会合とか」
「う、うん、まあね!」
お父さんには絶対に言えない。小説家であるお父さんの口癖は『物語はいつも非現実』。前に私が先輩たちのことを相談した時も、この言葉を送られた。小説の中にいるキャラクターは、決して実在しない。でも、今は違う。私の考えた『花鳥風月』という小説に出てくる正義の味方は、実際に存在している。このことをお父さんが知ったら、どう反応するだろう? 私のことを心配する? 先輩たちにも文句を言って、花鳥風月を解散させるだろうか。それとも――。
「なぁ、月海。また父さんスランプでさ。何か面白いアイディアというか、話のネタがあったら教えてほしいんだけど……」
ビールを飲みながらお父さんは何気なく聞き出してくる。お父さんに悪気はない。ただの小説家の好奇心から来る質問だ。私は「え~?」と困った顔をする。お父さんには悪いけど、私は……。
「と、とりあえず、明日もちょっと会合があって遅くなるから! ご飯ごちそうさま!」
「あっ、月海!」
私は食器をシンクへ置くと、自分の部屋へと逃げ込んだ。
デスクの中には、何冊もの原稿用紙をまとめたものが入っている。これは幼い頃に書いた小説だ。まだ子どもだったから、話は荒唐無稽だったけど、私の大事な宝物。今はほとんどパソコンで作業しているから、この小さなUSBにデータは入っている。じっと見つめると、私はそれを鍵のかかる一番上の引き出しへしまった。……それが意味のないことだとわかっていても。
翌日、木曜日の放課後。私は昨日と同じように三つ編みで冬ヶ瀬公園の周りを歩いていた。時間は六時。痴漢の出没する時間だ。
『昨日、あれから調べてみたんだ』
出没時間になるまで、私たちはスノウドロップにいた。そこで楓梨先輩から話を聞いたのだが、昨日の男についての詳細がわかったらしい。
あの茶色いコートの男は、本物の刑事だった。祖父の特権を利用して、楓梨先輩は警察官のデータベースを一晩で徹底的に洗い出したらしい。特に週の後半、夕方以降にひとりになれる時間を持てる人間……。そして、冬ヶ瀬公園から近い警察署に勤務している刑事にたどり着いた。そいつは『野山』と言った。写真を見せてもらったが、昨日私に声をかけてきたやつと同一人物。
野山は元々キャリア組として配属されたエースだった。といっても、実際に勉強してキャリアになったのではなく、親のコネを使ったようだった。しかし野山は警察官として致命的な『悪いくせ』を持っていた。それが『若い女の子が好きだ』ということ。
「あいつさ、前科があったんだ。結局野山の父親がうちのじいさんに頭下げて帳消しにしたらしいけど。くそっ、うちのじいさんもじいさんだ! だからあたしはっ……」
「楓梨。過去は過去だ。それで、野山はキャリアから外されて、所轄の刑事になったってことだな」
「はい……」
楓梨先輩は珍しく小さい声で返事をした。ひざの上にある拳は、ささやかに震えている。
「野山が再び罪を犯しているのなら、それはじいさんの責任でもあるっ!」
「楓梨! それはあんたの問題だ。今回の依頼は『痴漢を捕まえること』。あんたのじいさんの責任は関係ない」
菖先輩は一刀両断した。楓梨先輩はまだ何か言いたそうだったけど、菖先輩はもう何を言っても話を聞こうとはしてくれなさそうだ。私はこの険悪な雰囲気をどうにかできないかと、瑚己羽先輩を見る。しかし、瑚己羽先輩もどこか上の空だ。こうなったら私が。
「おふたりとも! 痴漢は全員の力を合わせてじゃないと捕まえられないんですよ? 楓梨先輩の気持ちもわかりますけど……ともかく野山を捕まえるのが先決です!」
「月海の言う通りだな。そろそろ時間だ」
「……わかりました」
全員が席を立つと、楓梨先輩は自らの頬をパチンと打って、気合いを入れていた。
冬ヶ瀬公園に到着すると、私はまた小型のイヤホンマイクを耳にはめる。公園には街灯があるけど、昨日よりも暗く感じる。それも当然か。昨日より一時間遅いんだから。今日は曇りだから、月も星も出ていない。
昨日と同じように、うろうろと池の周りを私は歩く。するとまた、後ろからコツ、コツと革靴の音がする。少し歩いて、一度止まる。足音も一緒だ。私が歩くと足音もする。
『昨日と同じ茶羽織。野山だ』
イヤホンから楓梨先輩の声がする。今日は昨日と少し作戦を変えている。菖先輩と瑚己羽先輩は同じようにトイレ裏で待機しているけど、楓梨先輩は私の斜め後ろから痴漢を見張っていている。相手が刑事だったら、武術も何もできない私は負けてしまう。いわば楓梨先輩は私のボディーガードの役目だ。
少し早歩きをすると、足音も大きくなる。そして、昨日と同じように肩をつかまれた。
「君ぃ、昨日もここで注意したなぁ。痴漢が出るから気をつけろって。それとも……痴漢されるのを待っていたのかい?」
出た。野山の本性だ! 私が振り向くと同時に、後ろにいた楓梨先輩が飛び出す。
「待ちな! 野山。あんたの悪行、全部バレてんだよ!」
「な、なんだ、お前は! 特攻服? レディースか?」
マスクをして、濃いメイクをしていることもあり、先輩が警察庁長官の孫娘だとは気付いていない。そもそも知らないのかもしれないけど。楓梨先輩が出ると同時に、隠れていた菖先輩と瑚己羽先輩も出てくる。
「三対一だね~? 勝てるかなぁ、おっさん♪」
「くっ……」
「あっさり捕まったほうが身のためだぜ? クソオヤジ」
「俺は……俺は! 貴様らみたいな社会のゴミなんぞには負けんぞ!」
「あ、危ないっ!」
私が大声をあげると同時に、パンッ! と乾いた音が公園内に響く。野山の右手から煙。正確には持っていた拳銃から硝煙が噴き出ている。
「どっちが社会のゴミだっ! てめぇっ!」
「楓梨!」
菖先輩が制止しようとしたが、楓梨先輩は止まらなかった。野山にタックルすると、お互い転がる。それを見た菖先輩が急いで野山の手首を踏みつけ、拳銃から手を離させると、瑚己羽先輩がハンカチで指紋がつかないように拳銃を奪う。
「野山ぁ、警察組織はクリーンじゃねぇ。それはあたしがよく知ってる。だけど、犯罪者をかばうだぁ? いくら警察庁長官が金を積まれて首を縦に振ってもな、あたしがそれを許さねぇ!」
キレた楓梨先輩は、目を真っ赤にして拳を思い切り振るう。それは野山の頬に当たる。右だけじゃない。左も。左右交互に拳をぶつける。
私はそんな楓梨先輩を見て、ぞっとした。いつもはかっこよくて、すらっとしたモデルのような素敵な先輩なのに、キレた姿は鬼人……。
「止めな、楓梨」
殴ろうとしていた腕を止めたのが、菖先輩だった。
「過剰防衛も罪になる。知ってるだろ?」
「……ちっ、わかりましたよ」
菖先輩から引き離されると、楓梨先輩は野山に唾を吐きかけた。顔に赤あざがつきジャガイモみたいにボコボコにされた野山は、その場であおむけに倒れている。その頭の上に、瑚己羽先輩がハンカチで包んだ拳銃を見せる。
「汚いクソオヤジのだよね? 危ないからボクが持っててあげるけど……ひとりで警察いけるかな? 『ぼくちんが痴漢の犯人です~!』ってちゃんと言える?」
「お、俺は痴漢なんて……!」
「瑚己羽、貸して」
楓梨先輩は拳銃を瑚己羽先輩から奪うと、それを野山に向けた。
「お、おい! ま、待て!」
「警察に行かないんだったら……あたしがここで裁いてやるよ。3、2……」
「わ、わかった! 自首する! だから助け……」
命乞いする野山。だが、その瞬間、再度乾いた発砲音がした。
「ひ……ひいっ!」
「あたしの腕もなまっちゃいないみたいだね」
野山の耳の横、数ミリのところに、穴が開いている。楓梨先輩は容赦なく撃ったのだ。
「あんたが警察に行かない限り、あたしは一生、あんたを追い続けるよ」
「か、勘弁してくれ!」
完全に腰が抜けていた野山は、必死に立ち上がると逃げるように警察署のほうへと走って行った。
「……な~んちゃって! いやぁ、久しぶりに本気出しちゃったかな」
ようやくいつもと同じ笑顔が楓梨先輩に戻る。だけど、私が見た姿も、『河本楓梨』のいち姿なんだ――。
朝のリムジンの中で、新聞を広げる楓梨先輩。私は隣でそれを見つめる。
「現職刑事が痴漢! 自首だって」
「楓梨、今回は少しやりすぎだったぞ。まさか拳銃を撃つとはな」
「……あたしは許せなかったんだ。警察のこういう風通しの悪さが。小さい頃からよく知ってたから」
楓梨先輩は私たちに話してくれた。小さい頃の先輩は、厳格な祖父に育てられた。厳しくはあったが、警察は正義の味方だと信じていた。なのに、休みになると何人もの悪者が祖父の元へ訪れる。金で事件や犯罪をもみ消そうという輩ばかりを見てきた楓梨先輩は、そんな祖父を許せずにヤンキーになったらしい。
「で、でも、当初のミッションはクリアですよね? 痴漢は捕まえたんだし! めでたしめでたしじゃないですか」
「……そういうことになるのだろうが……」
窓に寄りかかり、菖先輩がため息をついて、ちらりと楓梨先輩に目をやる。確かに今回はやりすぎた感じはあったけど、痴漢は捕まえられた。問題はないはずだ。
「楓梨、不穏な記事も見つけたぞ? なんでも、野山の……」
菖先輩が何か口にしようとしたところ、楓梨先輩が遮る。
「あ、そうだ! つぶやきに書き込みはしたの? みんなに痴漢が捕まったことを教えないと」
「していないです」
「……私もだ。楓梨も、月海もしてないなら……瑚己羽! 書きこんでくれたか?」
「……」
「瑚己羽?」
「あ、ごめん! 菖姉。で、なんだっけ?」
「ったく、話を聞いてなかったなんて……どうかしたのか?」
「い、いや、なんでもないよ~!」
瑚己羽先輩はいつも通りの笑顔を見せるが、私たちは薄々その変化に気づいていた。痴漢を捕まえるちょっと前から、瑚己羽先輩がおかしいことは目に見えていたし。
悩み事でもあるのだろうか?
「まさか、瑚己羽……」
「ふ、ふうちゃん! なんでもないから! あの話も関係ないから!」
「あの話?」
私が聞き返すと、瑚己羽先輩はだんまりを通す。菖先輩は知ってるのか興味がないのか、新聞をずっと見つめている。
「どうかしたんですか? 瑚己羽先輩」
こっそりと楓梨先輩に耳打ちすると、「あとでメッセ送る」とだけ、言われた。
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