○第5章 とりあえず住処を探す

 城に帰ったハジメは、ベッドへ横になっていた。

 デスクには先ほどもらったクソでかいトロフィーが置かれている。しかもご丁寧に、第13回優勝者ハジメ・タナカと名前まで掘られている。普通の菓子職人や腕に自信がある人だったら嬉しかったのだろうが、趣味が菓子作りだったとはいえ嬉しくもなんともない。自分はただ作るのが好きなのであって、その技を競うだとか、それで賞を獲るなんてことはどうでもよかったのだ。


「こんな賞を獲ったせいで、俺は菓子職人になるのか……めちゃくちゃ嫌だ。死ぬほど

嫌だ。とりあえず楽して暮らしたいのにな。それで好きな時に好きな菓子を作る……」


 菓子職人だのパティシエになってしまったら、毎日決まったものを作らないといけない。決められたものを作るのが面倒くさい。自分の思うがままに好きなものを作っていきたいのに。


「ハッジメちゃぁ~ん! ご飯の時間よぉ~!」

「何、母さん」

「ほらほら、ハジメちゃんが何の仕事に就くかも決まったしぃ~? みんなでご飯を食べましょうね~」

「え、ちょ、ちょっと……」


 母は容赦なく息子の首根っこをつかむと、そのまま引きずり食堂まで連れていく。食堂の長いテーブルの上に吊るされていたのは、例によってさるぐつわをした父だった。


「んんんっ!! んぐっ!!」

「今日のユタカちゃんはちょぉ~っと悪い子だったものねぇ~。だから少しだけお肉をそぎましょうかぁ~……?」

「あのさぁ、母さん。俺、ちょっと今日食欲ない」

「え~っ!? せっかくお仕事が決まったのに~!?」


 仕事が決まったと言っても、職場は決まっていない。どこで、どんな形で働くのかは、寝ながら考えようと思っていた。どこか店やレストランで働くか、自分で店を開くのか……。自分の店は無理か。街に住む心構えもないし、金もない。スイーツグランプリに優勝したこともあるので、国王専属の菓子職人にもなれる可能性もあるが……ハジメはたったひとこと『面倒くさい』で終わる。


「でも、明日までには決めないといけないよなぁ。先延ばしにしてたら、きっと父さんも文句言うだろうし。でもなぁ……」


 しかし、考えたって無意味だ。行動を起こすしかない。明日また街に行き、職場を探すしかない。ハジメは食事もしないで布団に包まると、そのまま眠りについた。


――朝。魔王城は朝でも暗い。ボーッとしながら服を着替えると、顔も洗わずキッチンへ向かった。


「坊ちゃん、朝からどうしたんスか~? 朝食でしたらもう食堂に用意……」

「いや、レモンムースが食べたくなった」

「あ、じゃあ俺たちにもよろしくっす! あざーっす!」


朝っぱらからレモンを搾り、卵白を泡立てる。何時間か冷やせばできあがりだ。朝食はレモンムースができる間に済ませる。食事が終わってしばらくすると、レモンムースも完成だ。


「はい、これみんなの分。で、母さんと父さんは?」

「奥様はまだお眠りになってますが、旦那様は街へ出かけたようですよ」

「父さんが街に? ハーレムのみんなも?」

「いえ、おひとりみたいでしたけど?」


 ただでさえ今日街に行くのは嫌だったのに、父まで街に行っているなんて嫌な予感が重なる。どうせただ食いしているか、ただで服や宝石を手に入れたりしているか。勇者である特権をフル活用して楽しんでいるのだろう。

父ほど楽に生きられたら、幸せだろうなとたまに思う。異世界から来た父は、それはそれは冴えない青年だったらしい。だが、この世界で魔法が使えたり、伝説の剣を手から出せたりして、運よく成功した。そして母を手に入れたら、この世界を渡るなんて簡単だからな。

残念だったのはその二代目に生まれたことだ。勇者の息子というのはそんなに楽じゃない。英雄の父が好き勝手する分、二代目の風当たりは強くなる。魔王である母の影響もある。少なくても魔王だったんだから、恨まれていたりもする。学校は好きじゃなかった。勉強は普通。運動はできない部類。顔は父似で冴えない。モテる要素と言えば、家柄くらい。くだらない。『勇者と魔王の息子』というだけで、学校で目立つ存在になった。だから行かなくなった。魔王城に住んでいるのだから、家庭教師を国から派遣してもらった。

自分が異世界に行けば、もしかしたら楽になるんじゃないかとも思ったことがある。でも、この間戦場に飛ばされたときにその夢は消えた。自分が使える力は、所詮菓子作りの能力だけなのだ。


「ま、いい機会なのかもしれないな。親から離れて仕事するってのは」


過去の嫌なことを思い出したら、案外心が軽くなった。昔よりはすべてがマシだ。

ハジメはリュックサックに地図と調理道具、そしてわずかな金と洋服を詰めると、城を出る。ここ数日は短い滞在だったが、今度は長く居座ることになりそうだ。


「おはよ、ムリーク」

「……まともな時間に来てくれたのは嬉しいけどさぁ、また僕はキミに振り回されるの?」


 ムリークは大きなあくびをしながらハジメに皮肉をぶつける。それでもハジメは嫌な顔をしなかった。そもそも皮肉にひどく鈍感だったのだ。


「街で仕事をしようと思うんだけどさ、どうすればいいのか教えてくれないか?」

「また職探し? ああ、菓子職人にでもなるの?」

「うん。だけどその前に、住む場所とか探さないといけないじゃん? それとパティスリーとかケーキ屋とか働き口も」

「……なんかたった数日でずいぶんまともになったね」

「え? 別に普通だけど」

「まあいいや。とりあえず住むところだよね。それならいいところがあるよ」


 そうしてムリークに連れてこられた場所は、意外なところだった。


「ワンワちゃんの道場じゃん。ここ、住む場所じゃないし、俺、ワンワちゃんに嫌われてるんだけど」

「でも、ほら」


道場の入口の張り紙を見せる。こんなもの一昨日あっただろうか?


『道場の管理者募集中:住み込み可』


「管理人って、菓子作りをするの」

「いや……掃除とか洗濯もするんだよ。あとは多分……お弟子さんとかワンワちゃんのご飯を作ったり?」

「それって普通、弟子の仕事じゃないの?」

「なにしてんのよ、お兄ちゃんたち」


 入口からワンワが出てくる。家の前で男ふたり、しかも見覚えがある人間たちがいたから出てきたのだろう。ハジメはワンワにたずねてみた。


「ワンワちゃん、住み込みの管理人って、俺でもなれる?」

「……ハジメお兄ちゃん、料理できるの? 掃除は?」


 疑いの眼差しを向けられても、ハジメはいつもと表情を変えない。当然だが、掃除も菓子作り以外の料理も、その他の雑用もしたことがないのにずいぶん余裕だ。


「まぁ、できるんじゃないかな」

「そうなの? ……まぁ、それなら1日だけ試用期間ってことで働いてもらおうかな」

「え、いいの? ワンワちゃん」


 どうせ箱入りニートのハジメのことだ。掃除も料理もできやしないだろう。そう感づいていたムリークは、ワンワがうなずいたことに驚く。しかも彼女はハジメを嫌っていたのに……。


「ハジメお兄ちゃんが道場にいれば、フェリア様も見に来るかもしれないし!」

「ああ、それが目的ね」

「じゃ、さっそく仕事をしてもらおうかしら。よろしくね!」


 腹黒い少女の笑顔は、事情を知らなければ純粋でかわいらしく見える。しかし彼女はハジメをフェリアを呼び寄せるエサとしか見ていないし、使えるなら散々こき使ってやろうと思っていた。

 心配するムリークを帰宅させ、まずワンワがハジメを連れて行ったのはキッチン。洗い物が山のようになっている。


「一応食事は弟子が交代で作ってたんだけど、最近モンスター退治に駆り出されることが多くて、やってる暇がないのよ。だからまずは皿洗いをして、食器を全部片付けて。終わったら50人分の洗濯。私が男ものを洗う訳にはいかないでしょ? 当然干してね。そのあと、入口の横の柵が壊れてたから直してペンキを白で塗っておいて。今言ったことを昼までに終わらせてよ。そしたら昼ご飯を作ってもらわないと……午後は掃除をして……」


 管理人の仕事を募集しているとポスターにはあったが、これは完全に雑用だ。しかも道場のすべての家事を押しつける気だ。それでもハジメは冷静だった。それはなぜか。


「ちょっと待ってくれる? 最初からお願い」


 ――ワンワの話を右から左へと受け流していたからだ。ワンワはイライラするのを押さえて、もう一度同じ説明を繰り返す。すると今度は……。


「ごめん、長くて聞いてなかった」

「ふざけんなっ! ……もう一回。もう一回だけ言ってあげる。仏の顔も三度までっていうしね。だからメモを取るなりなんなりして!」

「メモを取る? あ、メモ帳持ってないや」

「お兄ちゃん、仕事する気あんの!?」

「仕事っていうか……菓子を作る仕事をしたいんだけど、まず住む場所がないから、ここをムリークに紹介してもらったんだ。管理人をすれば、ただで泊まれるんでしょ」


 あの金髪……! とムリークのきれいな髪をぶちぶちっと抜きさってやりたい衝動に駆られるが、もうこの際しょうがない。本当だったらこの時点で、不採用決定。だが、ハジメのバックにはフェリアがいる。……仕方がない。


「わかった。ひとつひとつ解決していこう。それでうまくできそうなら、管理人として雇う。衣食住も保証する。でも、管理人の仕事をしながら菓子職人の仕事をするのって、大変だと思うけど?」

「やってみないとわからないよ」


 変なところで前向きなハジメを見て、とりあえず洗い物をやるように指示するワンワ。井戸から水を汲んでそれを使うはずなのだが、ハジメは何かを探していた。


「どうしたの?」

「水道は? 蛇口は? うちの城は蛇口をひねれば水が出たんだけど、ここには蛇口がない」

「水は外! ほら、桶!」


 ワンワはハジメの頭に桶をかぶらせる。どれだけ甘やかされて生きてきたんだ、この男は。仕方なくハジメは井戸で水を汲んでくると、それをそのまま重なっていた皿にぶっかる。


「ふう、これで皿洗いは終わりかな」

「はぁ!? 洗ってないでしょ! ちゃんとこの海綿で洗って!!」

「海綿……? これ、変な感触だね」

「お皿の汚れをこれで落とすの。そんなこともわからないの!?」


 頭を抱えながら大きなため息を落とすワンワ。10代前半の子どもですらわかる常識を18

のハジメは理解していないのだ。ため息が出るのも頭痛がするのも当たり前。今度はワンワ

の監視のもと、洗い物を済ませていく。きちんと海綿を使って汚れを取り、水ですすぐ。50

人とワンワの分の食器を洗うのだけで、2時間近くかかった。


「ふう、終わった。でも、皿がこんなにきれいになるなんて知らなかった。うちでは古くな

ったら捨ててたし、汚れた皿がどうやってきれいになるかまで、興味なかったからね。きっ

と料理人のみんなたちが洗ってくれてたんだ」

「……今度は洗濯よ。井戸の場所はわかっただろうから、はい、これ」

「何、この板と……せっけん?」

「板はともかく、せっけんは知ってたのね」

「お風呂のときに使うじゃん。え、ワンワちゃん、もしかして使わないの?」


 イライラしすぎて、今度は胃が痛くなってきた。ハジメのボケもどうでもいい。とりあえ

ず仕事をやらせなくては。もうすでに時間は11時だ。あと1時間で昼。昼食の準備をしな

いと、モンスター退治に同行している弟子たちが帰ってくる。だが、今から洗濯するとした

ら、昼食が間に合わない。予定変更だ。


「ハジメお兄ちゃん。用意したところ悪いけど、予定変更よ。先にお昼の用意して」

「お昼?」

「材料は食糧庫にあるから、それを使ってよ。まずいの作ったら、許さないんだから!」


 洗濯を始めようとしていたハジメだが、急きょまくり上げていた服を元に戻し、食糧庫に

急ぐ。あるのはジャガイモや野菜ばかり。他にはパン。あとは調味料や小麦粉くらいだ。


「お菓子作れないじゃん」


 そうつぶやくが、今作れと言われているのは昼食だ。菓子以外の料理をしたことがないハ

ジメは困った。この材料で何を作ればいいんだろう……? 城では主に魚や肉が出るが、こ

こにあるのは野菜ばかりだ。うーんと首をひねった挙句、ハジメが出した結論は。


「……やっぱ菓子でいいや」


 小麦粉と卵、牛乳とバターを用意すると、さっそく先ほど洗い物をしていたキッチンに戻る。バター以外の材料を混ぜ合わせると、フライパンで生地を焼く。パンケーキのできあがりだ。

 昼食の準備ができた頃、ちょうどワンワの弟子たちが帰ってきた。


「ん、なんかうまそうな香りがするな」

「今日はパンケーキにした」

「……あんた、意外にまともなもの作れるじゃない。お菓子だけじゃないのね」

「え? パンケーキはお菓子だよ」

「……もうどうでもいいわ」


 がっくりとしたまま、ワンワもテーブルにつく。昼食時は戦場だった。パンケーキをおかわりしまくる弟子たちに、次々と焼いていくハジメ。パンケーキをご飯だということにすれば、昼食に関してはクリアだ。

 食事が終わり、先ほどのように食器を片付けると、ワンワはハジメにたずねた。


「ハジメお兄ちゃんは、他にどんなご飯を作れるの?」

「ご飯かはわからないけど、パンケーキがOKなら……ミートパイかな」

「他は?」

「うーん、ない」

「ダメじゃん」


 結局昼食もアウト判定が出た。


 午後は先ほどできなかった洗濯と、柵の修理とペンキ塗りだ。洗濯ものの量は膨大だった。

何せ男50人分のものだ。胴着なんかは手洗いしないといけない上に、非常に汗臭い。黄ばんでいるのはまだしも、カビが生えているもののまであった。それをせっけんと洗濯板を使い、落としていく。生半可な力じゃ汚れは落ちない。その他にもハンカチや下着などもあり、それも洗わねばならない。


「ふふふっ、お兄ちゃんどう? 進捗は」

「……」


 ハジメの手は動いているが、目の焦点が定まっていない。


「ありゃ、これは心が折れちゃったみたいだね。お城暮らしの人にはきつかったか」


 仕方なくワンワは、ハジメから桶と洗濯板、せっけんを奪い、弟子をふたりほど呼びつけると洗濯を始めさせた。


「……お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「はっ! ここはどこだ」

「洗濯するだけで気を失う人、初めて見たよ。……もう夕方だけど、柵直しはやっといてよ。ペンキもね」


 そう命令されて工具を渡されたはいいが、使い方がまったくわからない。


「まずは木……かな。それを止める何か……この錆びたやつ。ああ、釘だ。これってハンマーだよな」

「カナヅチだよ、心配になって来たらまぁ予想通りだね」


 声がしたので振り向くと、そこにはギターを持ったムリークがいた。


「しばらく仕事サボってたし、おひねりももらえてなくて生活ピンチなんだよね。そこでワンワちゃんに頼まれたんだ」

「なんて?」

「弟子の指導してる間、ハジメの仕事ぶりを見ててって。できるの? 柵直しなんて」

「多分できるんじゃない」

「だからなんなの! そのポジティブ思考は! ……できるなら僕はここで歌ってるけどさ」


 宣言通り、ムリークはいつもの変な歌を歌い出す。それをBGMにとりあえず柵に木の板を釘で打ち付ける。分厚さなんて無視だ。短いところに長くつぎ足すことができればよし。トントンではなく、ガンガンという音が響き、ムリークの歌声がかき消されそうになる。しかし、彼もどうやら負けず嫌いらしい。街に不協和音がこだまし、街行く人々は顔をしかめる。それでもふたりは気にしない。ハジメは柵の修理に熱中してるし、ムリークも自己陶酔中だ。


「……これでできあがりかな。あとはペンキ? を塗るんだっけ。ペンキ……白ければなんでもいいかな」


 ムリークが歌っている後ろで、ハジメは食糧庫へ向かう。牛乳の入っているカメを持ってくると、ばしゃっと柵にぶちまける。


「……うーん? 白くはならないな」

「ハジメ!? 今何した!?」


 見ていなかったムリークだが、辺りが牛乳臭いので何かハジメがしでかしたことは気づいた。まさか牛乳をぶちまけて柵を白くしようとした、なんて考えには至らなかったが……。


「じゃあ違うものを……」


 ハジメは空になったカメを持って、また食糧庫に戻っていく。今度持ってきたのは白くて牛乳よりは粘り気のあるものだった。それもまた甘い香りがして、嫌な予感はする。ハジメは気にせずはけにそれをつけ、ぺたぺたと柵に塗りつけた。


「まぁこんなもんかなぁ?」


 後片付けが終わり、客が集まらなかったムリークがハジメに向き直ると、そこには生クリームにまみれた柵があった。


「ちょ、え!? また生クリーム!?」

「ペンキってどれかわかんなかったし、白くなればいいかなって」

「いや、よくないよ! アリが上ってきてるよ!?」

「おかしいな、砂糖は入ってないんだけど」

「何やってんのよ、あんたっ!! 牛乳と生クリームがなくなってるじゃないっ!

あぁ! この柵~!!」


 怒って出てきたのは、50人の弟子を引き連れたワンワだった。怒るのも当然である。貴重な食料を無駄遣いされた上に、柵はぐちゃぐちゃだ。


「あ、ワンワちゃん、できたよ」

「『できたよ』じゃないっ!! あんたはクビっ!!」

「え、なんで」

「……いや、ワンワちゃんの言うことはわかるよ、ハジメ。行こう。っていうか逃げよう」

「ちょっとハジメお兄ちゃん~!?」


 まだ理解していないハジメをムリークが引っ張っていく。完全にキレているワンワは鬼の形相だ。逃げないと捕まって弟子らにリンチされるかもしれない。ここは逃げるが勝ちだ。

 自分がなぜ引っ張られているのかも理解していないハジメは、そのまま公園まで連れていかれた。


「困ったな。住む場所が決まらないと、仕事も探せない」

「……思ったんだけどさ、ここから魔王城って近いじゃない? 城から通えば?」

「え、でも家から出る準備してきっちゃったんだけど」

「フェリア様とかユタカ様には言ってきた?」

「言ってないよ。俺がそう決めただけ。まぁ……そんな流れかなと思って」


 またハジメの暴走が始まっていた。確かに仕事をするなら住み込みじゃなければ住所は必要。何かあったときに呼び出せないから。しかし、ハジメの家というか城は近い。だったらそこから通えば問題ないはずだ。それでもハジメはいい顔をしなかった。


「俺はいいけど、もし職場の人が家に来るってことがあったら……来れないでしょ」

「あ、そういうことは理解したんだ」

「ムリークが悪魔の森を通るとき、めちゃくちゃびびってたから。普通の人は怖いんだってわかった」

「ともかく、今日は一旦帰ったほうがいいよ。家出同然ででてきたら、フェリア様もユタカ様も心配するよ?」

「うちは放任主義だけど」


 放任主義……。そんな気はした。どうやってしつければ、こんな自由な人間になるのか。普通のこともできないし、一般常識も欠けている。かと言って、魔王の力は受け継いでいないみたいだから、魔法を教わったわけでもなさそうだ。それに、今は平和な世の中。勇者ユタカはハーレムによく遊びに行っていると聞いた。勇者としての心構えや剣術も習っていないだろう。大体敵と戦う方法なんて知らなさそうだ。現に、戦場に飛ばされたときは、ラッキーで助かったようなものだし、ユタカの技は異世界でしか使えない。それはハジメも一緒だから、どんなにユタカの技をこの世界で教わっても、ハジメに力は使えないのだ。

 しかし、いくら放任主義といっても、さすがに数日、数週間城を不在にしたら心配するだろう。フェリアは妊婦だし、変なストレスをかけないほうがいい。ユタカはふらふらしているみたいで、ムリークは彼についてよくは知らないが……。

 もちろん、学生時代に勇者・ユタカの伝説というか国を救った話は聞いた。そのときはカッコイイと思ったし、つい先日まで……ハジメと出会うまではその通りだと思っていた。が、実際は適当で、ハーレムを作ってそこへ出入りしているダメ男だとハジメやフェリアから知らされた。ニートという職に盲目的に憧れていたが、この様子だったらどんな仕事だったのか不思議になってくる。ムリークはハジメに問いかけた。


「あのさ、ハジメ。今までニートってカッコイイ仕事だと思ってたんだけど……実際ってどうなの?」


 ハジメは答えるか迷った。『人の手伝いをすればニートに近づけるよ』と言って、ムリークをだましたのだ。それなのに、ニートは無職だと教えたら、一体どう思うだろう……。

もう自分の手伝いをしてくれなくなってしまうかもしれない。そうなったら、街のことに詳しい知人なんて、いなくなってしまう。


「きっと本当のことを知ったら、がっかりすると思う」

「いや、もうなんとなくがっかりするのはわかってるっていうか……悪いけど、息子のハジメがこんなだもん。ニートって実は、ろくでもない仕事だったりするんじゃないかって」

「俺はしっかりしてるほうだよ。父さんに比べれば」


 じゃあその『父さん』はどうなんだ。ムリークはハジメをしっかりと見据える。ハジメはとうとう観念して、勇者・ユタカの職業、『ニート』について話し始めた。


「『ニート』っていうのは、ムリークが察してる通り、自慢できる職業じゃない。っていうか、職業じゃない。父さんの世界で使われている、『無職』のことを言うんだ」

「えぇ!? ってことは、勇者・ユタカは無職だったの!?」


 予想通りの驚きぶりのムリークに、滔々と説明していくハジメ。ハジメは父のいた世界の背景を織り交ぜ、わかりやすくムリークに話す。父の生まれた国・日本というところは、6歳から18歳まで学校に通うらしい。そのあと、ダイガクというさらに勉強するための学校に通うか、就職するかに分かれるらしいが、ユタカはどちらの道にもつかず、ニートになった。ニートは働かないで毎日ふらふらしているか、家に閉じこもって『ぱそこん』などで遊んだりしているらしい。そんなある日、どういう訳かこの世界に飛ばされてきた。要するに、勇者としての力がこの世界で使えるようになるまで、ユタカは何の仕事もしたことがなかったのだ。


「それなのに、ハジメに仕事に就けって? 結構ひどい話だな……。勇者・ユタカ見損なったよ」

「それでもよくわからないけど、母さんをたぶらかしたところは評価しないとね。見た目も並み、性格はクズなのにも関わらず、母さんを落としたんだから世界は平和なったんだ」

「……お父さん、そんなイケメンだっけ? 教科書の写真も載ってたけど、普通だったような」

「それは多分……父さんの力の一番使えない能力が発動したからだと思う」

「何、それ」

「『見た目が冴えなくても、異世界人にモテる』って力」

「……ああ」


 だからユタカはハーレムを作れたし、フェリアを落とすこともできたのかと納得してしまう。ユタカの異世界で発揮した力は他にもあるが、一番使えない力を使って魔王を倒したのだ。ある意味すごい。


「ごめん、ムリーク」

「え? 何が?」

「がっかりしたでしょ」

「いや、そんなことよりキミに出会ってしまってから振り回されっぱなしっていうほうが迷惑してる」

「そうなの」

「そこは自覚してっ!! ……はぁ」


 自由奔放な両親に育てられたなら、こんな青年になるのもわかるし、子どもとしての気苦労も少しは理解できる。ハジメがぶっとんだ親に育てられたのとは別に、ムリークはわりと名家と呼ばれる家の次男に生まれた。兄よりは放任気味に育てられたはいいが、両親と同じく医者になった兄に反抗するように、自分は吟遊詩人になった。それでも育ちはいいほうなので、ある意味放置された子どもであるハジメよりは現実的に物事を見ることができるし、一般常識もわかっているといったところか。

 ハジメが少し不憫に思えたムリークは、肩を叩いた。


「ま、今日住処や職場が見つからなくても、明日には見つかるかもしれない。気楽にやってみたら? それまでは僕のサクラをやってくれれば、少しは売上分けるし」

「そう? じゃ、今日はムリークの手伝いをするよ」


 約束したハジメは、ムリークの前に体育座りして、ギターのチューニングが終わるのを待つ。調整が終わったら、帽子を前に置き、小銭とお札を入れる。準備完了だ。


「じゃ、今日はハジメが褒めてくれた曲からやろうかな?」

「……褒めた曲?」

「『ワイン色の瞳』と『琥珀色の指輪』だよ!」


 褒めた覚えはまったくなかったが、ムリークは歌い始める。相変わらずひどい歌詞だし、歌声も決して褒められるものではない。それでもハジメは仕事を振ってくれたムリークのために、大きな拍手を送る。すると、少しずつだがお客が集まってきた。歌も歌詞もめちゃくちゃなのに、投げ銭はいつもより多い。これがサクラの力か? それともパブの横で歌ったからだろうか。「うるさい!」と文句をいう客もいたが、逆にはぶりよく1000ギガ入れてくれる客もいた。

 そんな中、ふらりとムリークの前に紳士が立った。


「君、その曲は自分で?」

「え、ええ、まぁ……」

「ふ、昔の自分を思い出すようだ。……今夜は素晴らしい月夜だな」


 そういうと紳士はマネークリップから1枚の札を取り出して、ムリークの帽子に入れる。金額を見てみると……。


「う、受け取れません! 10000ギガなんて……」

「おや、君は吟遊詩人なのだろう? それならこのお金を元手に、もっといい楽器を買うことだ。それに吟遊詩人らしい格好をしなさい。見た目は悪くない。しかし、その服装では女性にモテないだろう?」

「……もしかして、カルヴァドス様……?」

「私の正体なんてどうでもいいじゃないか。ただ、君を応援したいと気まぐれに思っただけだよ」


 呆然としているムリークとハジメ他、その場にいた人々に見送られながら、紳士は去って行く。紳士がいなくなると、こそこそと話出す。


「カルヴァドス様が応援したいということは……」

「彼は将来大物になるのかも!?」

「おい、君! もっと歌ってくれ!」

「あ、は、はい!」


月が真上に来るまで歌い続けたムリークは、くたくただった。ハジメがムリークの代わりに楽器を持って家まで向かう。家に着くと、ハジメは楽器を地面に置く。


「今日はサンキュー。おかげで儲かったよ。これ、お礼」

「いいよ、お礼よりもっと大事なことを知った気がするから」


 ハジメはムリークに「おやすみ」と告げると、魔王城へとのそのそ帰ることにした。


 翌朝は、ぱっちりと目が覚めた。いつもより気分がいいというか、やる気に満ち溢れている感じだ。毎日洗わない顔もきちんと洗ってひげもそり、髪もブラシで整えると、ボタンのついている白いシャツを着て食堂へと向かう。

席につくと、「大事な話があるから」と言って、母と父を起こしてくるように使用人にお願いする。眠そうなふたりが食堂に来ると、いつもとはまったく違う雰囲気の息子を見て驚く。


「ハジメちゃん? どぉ~したのぉ~? そんな格好しちゃって」

「お洒落するのはいいけど、仕事は見つかったのか?」

「俺、気づいたんだ。仕事を探すにはきちんとした格好をして、人の信頼を得ないといけないってね」

「……は!?」


 突然の真面目発言に再び驚く両親。息子の身に、一体何があったのか。両親は自分の席につくと、息子に目をやる。

 ハジメは昨夜の街の人たちの話を思い出していた。カルヴァドスという男は、隣街の住んでいる商人らしい。元貴族のフロニャン・カルヴァドスも昔は家を勘当され、ひとり路頭に迷っていた。それがある日、いきなりある貿易商の下で働くことになった。何度も何度も頭を下げていたが、門前払いだったはずなのに、ある日突然だ。

貿易商の家の軒下で眠っていたフロニャン少年に、帽子を目深にかぶった男がこう言った。『人の信頼や職が欲しいなら、それなりの格好をしろ。それができなかったら、身だしなみだけでもきちんとしなさい。その程度のことができない限り、お前はここで働くことはできない』。そしてひらりと10000ギガの札を落としていった。その金で服を買い、身だしなみを整えたフロニャンは見事に貿易商に雇われた……という父よりもすごい伝説を聞いたのだ。

その話を元に、ハジメはフロニャンと同じ通りに身だしなみをしっかりした。その話を聞いた父は、眉間にしわを寄せる。


「ハジメは勇者の俺よりも、ニャンニャンとかいう商人のほうが偉いと思ってるのか!?」

「ニャンニャンじゃなくてフロニャン=カルヴァドスさんね。まぁ、元ニートよりは話に説得力はあると思う」

「ちぃっ! そんなに職歴が大事か!」

「そういうわけじゃないけど、働いたことのあるカルヴァドスさんと父さんだったら、カルヴァドスさんの話を信じる」


 ナプキンを首につけると、朝ご飯をいつもより丁寧なフォークとナイフさばきで食べるハジメに、父と母は皿に違和感を覚える。


「それで……本気でお仕事を探しに行くのねぇ~?」

「うん。それで、ふたりにきちんと話しておこうと思ってね」

「何をだ?」

「俺……城を出て、街で暮すわ」

「…………はぁぁっ!?」


 父と母は絶叫する。何を大げさな。冷静に食事を続けながら、詳細を告げる。


「ひとりで何もできないのに!?」

「できないように育てたのは、父さんと母さんだろ。何もしないでなんでも従者に任せてる姿を見て、息子が何かできるようになるとでも思う?」


 鋭いツッコミに、父も母もつい無言になる。その通りだ。父も母も、国から来る従者に衣食住のすべてを任せている。掃除も洗濯も、料理だってしたことがない。父は異世界にいたときからそうだったし、この世界に来てからも周りの仲間がやってくれた。母に至っては魔王だ。下僕なんていくらでも手に入る。ふたりとも、自分で何かする必要など一切なかったのだ。


「本当は昨日のうちに出るつもりだったんだけど、ムリークが親に言ったほうがいいって」

「そりゃそうだ! 仕事しろとは言ったが、いきなりひとり住まいしろとは言ってないぞ?」

「そうよぉ、ハジメちゃんったら、気が早いんだからぁ~。甘えられるときに甘えておけばいいのにぃ」

「甘えてたら独立できないんじゃないかって思って。それこそ異世界に行くことができるなら、嫌でも独立することになるんだろうけど。それにできないことも、ひとりになればできるようになるかもしれないしね」

「嫌味か?」

「どうにでもとって。ごちそうさま。それじゃあね、父さん、母さん」

「あ、ああ……」

「いってらっしゃぁ~い」

「『いってらっしゃい』じゃないよ。さよなら」


 ぽかんとする父と、朗らかに手を振る身重の母。もういいや、家のことは。放っておいてもどうにかなるだろう。あとはすべて両親だけの問題だ。ケンカしようが何しようが、自分には関係ない。親と子の関係なんて、そんなもんだ。あとは葬式で会うくらいで構わないと、

ハジメはドライすぎる考えを持っていた。

 悪魔の森を通ることも、もう少なくなるだろう。街の人間はこの森を怖がる。自分は怖くないけど、街の人間になるのだ。わざと怖がるような真似はしないが、必要以上にこの森に近づかないようにしよう。真っ黒いカラスたちが俺の門出を祝ってくれている……ということにしておきたい。そうでないのなら不吉すぎる。昨日と同じリュックサックに、ジャケット、ピカピカに磨いた靴で森を歩くハジメは、見た目だけなら立派な街の大きな豪邸に住む坊ちゃんだ。実際魔王と勇者の息子だから、坊ちゃんであることには変わりないが、ようやく自ら殻を割り、住んでいたところを飛び出し新天地に向かう。昨日のようないい加減な流れではなく、自分の意思で、だ。

 森を抜けると明るい太陽が見える。『仕事をしろ』と言われて4日目。ようやく本当の仕事探しをすることになった。

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