○第3章 とりあえず道場を破る

「ホ~ント、あなたたちってクズっていうかぁ、ゴミっていうかぁ? 母さんがっかり~」

「どうも」


 一応頭を下げるムリーク。

バスルームから出て着替えたふたりは、食堂で席についていた。ちょうどランチタイムだったので、母が料理人に頼んで昼食を用意したのだ。テーブルには何の肉かはわからないが、特大ステーキの鉄板が乗っている。いい香りがするのは間違いないのだが、さすがについさっきまで戦場にいて、命を脅かされていたのだ。ムリークに食欲があるわけない。その上なにが楽しいのか生クリームまみれになっていて、胃ももたれている。


「でもさ、どうしようもないじゃん。あんな戦場に行ったの、俺初めてだったし」

「私がこの世界を牛耳っていたときはぁ、あの程度の戦場なんてお遊びも同然だったのよぉ?」


 食欲のないムリークとは逆に、バクバクとステーキを食べるハジメと母。それを見て、余計に吐き気を催す。それをどうにか我慢して、小さく切った肉の塊を口に入れた。肉汁が口の中に広がり確かにうまいのだが、どうしても飲み込めず、何度も咀嚼する。


「母さんが魔王だった頃って想像できないんだよね。まぁ、どうせお遊びで人を殺してたりしてたんだろうけど」

「簡単には殺さないわよぉ。人が『死にたい、殺してくれ』って気持ちを忘れるほどの苦しみと労務を与えて、よぉ~く働いてもらって骨と皮しか残らなくなったら、家畜のエサにしてたくらいだしぃ~?」


 その話を耳にしたムリークは、我慢できずに口の中身を吐き出した。それをこっそり床下に潜んでいた料理人がバケツで受け止める。


「い、いつの間に……ありがとうございます」

「これも家畜のエサにするから、気にすんな!」


 料理人の言葉でさらに気持ち悪くなり、またバケツを使わせてもらう。胃液まで出し切ったのち、ようやくすっきりはしたが、頭が痛い。

 そんな友人……というか知人の顔色が悪いことに気づいたハジメは、心配しているような顔をする。


「どうしたの、ムリーク。体調悪いなら、ミルク粥でも作ってもらうか?」

「いや! もう食べ物はいいから! っていうか、僕帰っていい? もう本当に帰らせて……」


 とうとう泣きが入ったムリークだが、ハジメはそんなことお構いなしだった。


「あ、そう? なんだかんだ付き合ってくれてありがとな。城の出口はそこのドア抜けて右ね。じゃあ、また」

「……いや、送ってって! 悪魔の森は一般人には危険すぎだから!」

「そーなの? どうしようかな。俺、このあと忙しいし」

「キミ、暇人でしょ! 忙しいって何!?」

「武器屋がダメなら、何になろうかなって」

「それなら私のコウモリを護衛につけてあげるわよぉ~。気をつけて帰ってねぇ、ムリークちゃん」


 コウモリなんかで平気なのか不安ではあったが、一刻も早くこの母子から逃げたかったムリークは、城を出る。

見送りもしなかったハジメは、食堂でさらに迷っていた。


「ねぇ、母さんは俺がニートだとやっぱまずいの?」

「まずくはないけど……ダーリンみたいにハーレムを作るようなアホにはならないでほしいわねぇ。それに今はいいけど、母さんと父さんが死んだら、どうするの? 国にお城から森からすべて没収されちゃうかもしれないわよぉ~」


 フェリアの意見は魔王とは思えないほど真っ当なものだった。勇者で父の元・ダメニートよりもしっかりと現実を見据えている。これも一応、魔王として国を治めたことがあるからなのか。いや、元来親というものは、子ができたあとに自分の死後のことを考える。世界を担うほどの偉人になればなるほどだ。それは特に、遺産相続に関して。しかしフェリアとユタカに遺産はない。城も元はフェリアのものだったが、現在は国のものだ。魔王も勇者も今は『象徴的な存在』である。国税で生活しているのだから、遺産など存在しない。ということは、ふたりの死後、子どもであるハジメは一般人に戻る。ただの一般人じゃない。無一文の市民だ。働いて、自分で生きるための知恵を持ったり、ひとりできちんと生活を送れるようにならなくてはいけない。それと一般常識も備えなければ。知恵や生活を営む方法くらいだったらまだなんとかなるが、一般常識に関してだけはフェリアもユタカも教えることはできない。ふたりは今まで常識にとらわれない生活をしてきたのだから。今のような金銭感覚皆無なただのアホじゃ通用しない。


「じゃ、やっぱ働かないとだよね。でも、武器屋がダメだったらどうすりゃいいんだろう。

俺も魔王になれないの?」

「魔王はオススメしないわねぇ~。一応ダーリンの面子があるでしょぉ? ハジメちゃんは私の息子でもあるけど、勇者の息子でもあるのよぉ~? それに魔力もないでしょ?」

「そっか。面倒くさいなぁ」


 ステーキの残りの肉を全部頬張ると、食後のコーヒーを口にする。魔王城で出るコーヒーは、ホワイトジャコウキャットのフンからとられる貴重なものだ。だが、そのコーヒーが出ることが当たり前であるハジメに、貴重かどうかなんてことはどうでもいい話。ただ、コーヒーが運ばれてきた。だから飲む、程度のことでしかない。


「あーでも、さっき思ったことはあるよ」

「母さんの力で異世界に飛んだときのことぉ?」

「うん。今までは楽して儲かって、今まで通りの生活ができるくらい……ってレベルだったけど、それに『命の危険がない』っていうのも追加したいかなぁ」

「じゃあ魔王はやっぱり無理よぉ。勇者もね。どっちも死ぬ確率高いんだからぁ」

「ね、今の条件を全部飲んだ職ってある?」


 母は考えず、簡単に答えを出した。


「それなら武闘家じゃない? 街で道場開けば、弟子からお金もふんだくれるしぃ~、モンスター退治とか行かなければ安全よぉ、きっと! ちょっと殴られたりはするけど」

「殴られるのは嫌だけど、この際それでいいや。で、どうやってなるの? 武闘家」

「あれよ、あれ! 道場破り! 母さん一度見てみたかったのよねぇ~。ハジメちゃん! ちょっと道場破ってきてよ!」

「俺でも破れる?」

「うんうん! 自分より弱そうなお年寄りとか、女性を狙えばいいんじゃない? 前もって毒を盛っておけば必ず勝てるわぁ~!」

「じゃあやろうかな。ご飯も食べたし、また街に行くけど……母さんも行く?」


 ハジメの誘いに、フェリアはうなずく。朝は武器屋になろうとして失敗。そして夕方は、母親を連れて道場破り。今日のハジメはいつもと違ってやや忙しい。ただ変わらなかったのは、ドラのしっぽのステーキが今日もおいしかったということだ。


「母さん、まだ~?」

「じゃ~ん! どうかしらぁん、これ」


 久々……というか、征服していた過去にしか街へ行ったことのない母が着ていたのは、黒い胸当てとパンツ、それに赤いマスクにマントという、いかにも魔王という服だった。さすがにこれはまずい。


「……その格好はよくないよ」

「あら、どうしてぇ?」

「お腹の子が冷えちゃうじゃん。母さん、妊婦さんなんだからさ」

「そうねぇ、じゃあちょっと衣装チェンジしてくるわ~」


 母のファッションショーが終わった頃にはもう日が暮れていた。夕方までに街へ行く予定だったが、困った。今から歩いていくのは大変だ。暗い道を歩くのは危険。木にぶつかったり、クモの巣が顔についたりするのは厄介だ。ハジメはあっさりと母に頼むことにした。


「母さんのせいで出遅れたんだから、さっきのアレ、やってよ。転送魔法」

「ホントは母さんに頼ってもらいたくはないんだけどぉ、しょうがないわねぇ。道場破りも見たいことだし。それじゃ……はい!」


 ステッキで円を描くと、すぐに街の景色が見えた。店はもうほとんど閉まっている。開いているのはレストランや居酒屋だろう。小さい家の窓からはオレンジ色の明かりが見える。その中で開いている道場を探す。

……あった。ひとつだけだが、確かに。弟子たちは武術の型の練習をしている。問題は師範だ。強そうだったら他に探さないといけない。女性でも、若くてガタイのいい人はダメだ。同じように老人でもひげ面で偉そうな顔をしているのは避けたい。むちゃくちゃ強い格闘家は見た目じゃわからないかもしれないが、見た感じで強い人物を避けるのは戦術としてアリだ。無用な戦いはしたくない。無駄なケガを負うだけだ。ハジメはできるだけ痛い思いをしないで道場破りをし、さらに言えばその道場を乗っ取った挙句、弟子から稽古代をせしめようと考えていた。


 母の力で街へと一瞬にしてたどり着くと、そこには偶然ムリークがいた。月を見ながら歌を作っていたらしく、ペンと紙を持って石に座っていたが、ハジメと黒のワンピース、マント姿のフェリアを見た途端硬直する。


「は、は、ハジメ!? な、何!? まだ僕に用!?」


 怯えるムリークにハジメは首を振った。


「違う。道場破りに来たんだ」

「道場……はぁ!? 魔王連れて、何してんの!?」

「やあねぇ、ムリークちゃん。私は見学。戦うのはハジメちゃんよぉ」

「ハジメ? ……って、え!? 戦えるの!? つーか、強いの!?」


 先ほどムリークはハジメと一緒に戦場に行った。しかしハジメがやったことと言えば、

ケーキを作って、焼石を武器と偽り逃げただけ。……まぁ、ケーキで人を窒息死させたところに戦いのセンスがある、と言い切るならそうだろうが、基本隠れていただけだ。


「お菓子で戦うの?」

「え、道場破りって、普通菓子で戦うのか?」


 ボケをボケで返すハジメだが、混乱するのはムリークだけだ。付き添いの母親は笑って訂正した。


「相手を殺せばいいのよ!」


 ……訂正ではなく、どうでもいいコメントだった。さすが魔王だ。

 そもそも武術や武道と言ったものは、基本の型があり、それを守りながら相手を倒すものだ。武闘となるとまた違う。この場合は勝てばいい。生きているほうが勝ちだ。武闘であるならば、母の言うことは間違いではないかもしれない。

 魔王という立場柄、彼女は武道家ではなく武闘家としか接したことがないのだろう。フェリア自身も負ければ死だ。その前に殺す。だから彼女の中ではこれが正論だ。先ほどの、ケーキで人を殺す息子を見たところで、『ケーキを武器にした』というところは関係ない。結果を重視しているので、『ハジメが生き残った、勝った』。そこだけ合っていればどうでもいい。ハジメ本人もだが、母もかなりの大雑把だ。それもたちが悪いほどの。


「それより早く行きましょ~? 道場が閉まっちゃうわよぉ」

「待って、母さん。道場破りって、何か持っていくものとかないの?」

「ええ!? そこから!?」


 ふたりを無視してこっそり帰ればよかったものの、ムリークはついツッコミを入れてしまった。彼は『この街にいれば』チャラチャラした吟遊詩人である。しかし、根はそこそこ真面目でそれなりの正義感もある普通の人間だ。問題はこの『それなりの正義感』。もし、今出会っていたのがナイフを持った盗人だったとする。それだったら彼は、自分の身を案じて見なかったフリをしていただろう。後日、街を守る警備兵には告げるが。だが、今一緒にいるのは、一度街を滅ぼそうとしていた魔王とその息子だ。その上今から道場破りをするらしい。人を殺せばいいとも言っている。その場合、さすがに自分の身よりも国益を重視するだろう。だから真面目なのだ、このムリークという青年は。


「手ぶらで行って! そして負けて、城に帰って! お願いだから!」

「負けたら武闘家になれないじゃん」

「今度は武闘家になるの!? 武器屋は!?」

「武器屋は……ほら、なんかダメだったじゃない?」

「諦めるの早っ! まだ武器屋のほうがよかったよ……武闘家とか、なんで人を傷つける系の職に就こうと思ったのかなぁ……?」

「え、だって楽して儲けられるんでしょ?」

「またそれか! 大人しくパティシェになって! それが天職だから!」

「だから俺、趣味を仕事にしたくないから」


 無職で仕事を探しているのにも関わらず、そこだけは相変らずぶれない。ムリークはさっきのステーキをもどしたときの胃液の味を再び思い出す。目には涙だ。さっきから何も食べていないのに、また吐き気がする。頭痛もするし、もう帰って寝たい。眠って、何もかも忘れたい。……それができない自分の無駄な正義感を恨むくらいだ。


「まぁいいわぁ~、今からじゃ武器も手に入らないだろうし……ハジメちゃん、とりあえず武闘家殺してきなさい」

「……道場破りは武闘家を殺せばいいってもんじゃないですよ?」

「あら? そうなのぉ~?」

「弟子とかが見ている前で師範を倒すんですよ。別に殺したりしなくてもいいんです。『参った』と言わせれば勝ち。あ、でも変な術とか使っちゃダメですよ。素手で勝たないと」

「素手じゃ勝てないよ。それに手をケガしたら、菓子作りできなくなる……」

「だから向いてないんだよ。いい加減、自分の向き不向きを理解して……」

「あ、でもここの道場、『武器使用可』って書いてあるな」


 ムリークはとうとうひざをついた。なんでこうもハジメに都合のいいような経営をしているのだ。

だが、救いがないわけではなかった。変な術や技、つまりハジメの『菓子の材料が出る魔法』は使えない。ここは異世界ではないのだから。使ったところでどうにもならないかもしれないが、ともかくハジメに不利であれば不利なほうがいい。ムリークは素手で戦うハジメを知らない。むしろ体型からしても戦いのために修行をしていそうな気配もないし、武術や武道に関しても完全に無知。だったらさっさと負けて、しっぽを巻いて城に帰ってくれるかもしれない。泣いて帰れ、箱入り無職。


「ま、いいや。武器は相手に用意してもらおう」

「ほら、ハジメちゃん! 大声で『頼もう!』っていうのよ! 母さんそれが見たかったのぉ~!」

「そーなの? ま、いいか。じゃあ……たのもー」


 まったく腹から声なんか出ていなかったが、些細な『頼もう』でも聴きとった弟子がいたらしく、門が開く。


「だぁれ? こんな時間に……」


 出てきたのは、小柄な美少女だった。12、13歳くらいだろうか。こんな女の子がなぜ、道場に? その場にいた3人は同じことを思ったが、ハジメは一度やると決めたことは曲げない。曲げられるような器用な人間でも、応用が利く人物でもない。ともかく直球のバカだ。


「道場破りに来た」

「……道場破り? 誰が相手なの? 太ったお兄ちゃん? 金髪のお兄ちゃん? それともお腹の大きなお姉さん?」

「俺だ」

「ふうん……なんか強そうじゃないね」


 魔王の息子のくせに、わりと自分に火の子がかからないところでは平和主義者だし、趣味は菓子作り。肉体は引き締まっていない。生気もやる気もない目。誰にも強そうに見えないと言われることわかってはいたものの、さすがにショックを受ける。それをくすくす笑う母に素直に笑えないムリークを、少女は丁寧に扱う。


「道場破りなんて久しぶりだよ。私はワンワ。よろしくね!」

「ワンワちゃん、ここの道場主さんは? ちょっと話しておきたいことがあるんだけど……」


 ワンワと名乗った少女に耳打ちするムリーク。ここの道場主に伝えねばならない。『この母子は魔王親子』だと。息子はボンクラだし、意味不明だし、強くはない。だが、万が一のことがある。何をしでかすかわからない怖さがある。そして母親。今は魔力もおさまったとはいえ、魔王だ。人ひとりくらい……いや、この街を吹っ飛ばすくらいの力はある。だから、このふたりを怒らせないように、でも道場は取られないようにしてほしいと頼まねば。


 不安でびくびくしているムリークに、ワンワは笑顔で言った。


「ここの道場主は私だよ?」

「……えぇっ!?」

「っていうか、お兄ちゃんこの街の人だよねぇ? いつも変な歌うたってるから知ってるよ。ワサビー道場のワンワって、有名だと思ったのに」


 ぷくっと膨れる少女は、かわいい以外の何ものでもない。


 つい今までハジメのことを世間知らずだの非常識だのアホだの、心の中で好き勝手言っていたムリークだが、自分自身もその世間知らずの仲間だったとわかり落ち込む。ムリークの場合は世間知らずというよりも、自分以外のことに興味が極端になかったというだけなのかもしれないが。


「ワンワちゃん、ともかくこの人たちは危険なんだ。だからあんまり刺激しないで、優しく道場を守ったら、家に帰してあげて」

「へ? 嫌だよ。ワンワにケンカ売った人間は、ボコボコにしないと!」


 失敗だった。ワンワは確かに少女ではある。だけど、もしかしたらハジメやフェリアよりも危険かもしれない……。森から出てきたふたりは、普段トレーニングも何もしていない。

それに比べてワンワは道場主だ。名前だけじゃなければ、毎日のように弟子と格闘しているはず。いくら少女とはいえ現役格闘家と、家柄と魔力さえなければ一般ピープルのハジメが戦って勝つのはどちらか。勝負は見えている。


「さ、太ったお兄ちゃん! 戦うならさっさとしましょ。道場に案内するわ。どうせワンワが勝つけど」


 少女に連れられて、3人は道場へ向かう。そこにはさっき見た通り、大勢の弟子が修行をしていた。


「ちょっとみんなどいてくれる~? 道場破りが来たから、ちょっと戦いたいの~!」


 ワンワがそう声をかけると、弟子たちはざわめきながら壁際に寄る。


「さて、お兄ちゃんの流派は何なの?」

「りゅうはって何?」

「ふうん、しらばっくれるんだ~」


 ワンワは気づいていないが、ムリークにはわかっていた。この男はどこの流派にも所属していないし、どんな流派があるかも知らないと。

 ムリークとフェリアも壁際に寄り、床に座る。道場の真ん中には、ハジメをにらむワンワと、ボーッと突っ立っているハジメだけだ。


「あ、そうそう。ここって武器使っていいんでしょ? 何か借りていい? 手ぶらなんだよね」

「え!? え、ええ、いいけど……」


 怪訝な顔をするワンワ。それでも彼女は武闘家だ。このボンクラを目の前にしても言葉の裏を読もうと必死になる。もしかしたら、借りた武器で倒して名を上げようとしているのだろうか。それか、武器に細工がないことをわざと確認させて、それを使って戦うことで実力を見せつけたいとか……。そんな裏読みはまったく無意味でしかない。

 2回手を打つと、各種色々な武器が運ばれてきた。この中から自由に選んでいいとは、ワンワも自分の実力に自信があるからできることではある。ハジメは武器を手にしてみるが、思ったより重かったり、長くてバランスができなかったりと結局決められそうもない。……本当にこいつは道場破りするほど強いのか、ワンワの弟子はその様に呆れた視線を送っていたが、ワンワはここまで来ても、自分を罠にはめようと道化を演じていると勝手に解釈していた。


「……ここにあるのじゃダメだな。もっと手にしっくりくるやつがいい」

「わがままな人ね。でも武器と言ったら剣や槍やこん棒くらいでしょ? あとはヌンチャクとか……」

「ヌンチャクなんてもっと使いづらいよ。シンプルなのでいいんだって。キッチンはどこ?」

「え……、廊下を出て左奥よ」


 キッチンに何の用なのだろう。向かっていったハジメは、少し経ってから手に包丁立てを持って帰ってきた。


「これが一番しっくりきた」

「包丁……それがお兄ちゃんの武器ということね」

「いや、ワンワちゃん、納得しないで!」


 ムリークの声は聞こえていなかった。確かに包丁は料理をするものではあるが、武器にもなる……ワンワはそう考えていたのだ。

ひとりの生徒が真ん中に立つと、ワンワは構えた。


「彼の合図で試合開始よ。いいわね」

「うん」

「それでは……始めっ!」


ワンワはさっそく先制攻撃を仕掛ける。ハジメがどういう技を繰り出すのか、武器である包丁をどうするのか皆目見当がつかない。それなら自分から先手を打つしかない。ワンワのハイキックに、道場がわく。


「うおおっ! ワンワ師匠のキックだ!」

「ちっ、もう少しでスカートの中のパンツが見えたのに……! 道場破り、もっと根性見せろ!」


 てっきりワンワの味方だと思っていた弟子は、意外にもハジメを応援する。それは純粋なものではなく、単なるロリコンたちの心の叫びだった。しかし、意外なことにハジメはそこそこ動けていた。運動なんてほぼしていないし、武術の心得もない。ハジメの、普通の人間と違うところは母親が魔王であるということだ。小さい頃、母は怒ると、すぐに下僕のモンスターに襲わせていた。それに父や父のハーレムにいるハンターや騎士までもが追いかけてくる。だから避けるのはうまい。

 うまく避けてはいたものの、さすがは道場の師範・ワンワである。脇腹の柔らかい部分に、鋭くパンチを打ちこんだ。


「どう? 痛いでしょ」

「……いや」

「え」


 油断した。普通の人間だったら痛みに耐えかねて降参するくらいの強さの重いパンチだ。それなのにハジメは微動だにしない。それはなぜか。悪さやいたずらをすると、毎日血が出るほど凶器であるお玉で何度も殴られたり、身体の弱いところに何度もボディプレスをされていれば痛みに鈍感になって当然。ハジメの戦いに優れたところは、逃げることで見についた素早さと避ける能力、そして痛みの感じない身体だ。

油断したのはワンワのほうだった。スッと抜かれた万能包丁を頬にぴたっと当てられる。


「これ、俺の勝ち?」


 弟子たちは嘘だろ、とさわぐ。ワンワは悔しそうにがっくりとひざをついた。


「くっそぉ~! 油断した! なんでぇ~!」

「ワンワちゃん、それじゃあくれる?」

「……何を?」

「この道場と弟子と弟子の払ってる稽古代」

「は? 払うわけないでしょ!」

「でも道場破りしたし」

「ワンワは認めないもん!」

「でも、負けは負けじゃな~い。ワンワちゃん、うちの息子に道場、サクッと渡してあげてよぉ~」

「息子?」

「……こいつは魔王の息子なんだよ。で、こちらのマントの女性が魔王・フェリア」


 見かねたムリークがワンワに説明すると、ぴくんと耳を立て、目をきらめかせる。


「……魔王フェリア!?」


 なぜか声のトーンが高くなるワンワ。顔を赤く染めると、フェリアの前できちんとお辞儀をした。


「フェリア様、ようこそお越しくださいました。挨拶もきちんとせずに申し訳ありません」

「え~? どうしちゃったの? ワンワちゃん」

「ワンワは、生まれたときからフェリア様の大ファンなのです。できればこの道場の看板にサインを!」

「まぁいいけどぉ~、道場、うちの愚弟にくれる?」

「……さすがにそれはできません。ここは私の家でもありますから」


 悲しそうな顔をする少女は、3人に身の上話を始めた。どうやらワンワは、幼い頃両親にこの道場の前に捨てられていたらしい。今もまだ10代前半だから、最近のことだ。娘同然にかわいがってくれた父がその頃は道場を仕切っていたが、ワンワもそんな父を見て、父のように強くなりたい、父の手伝いがしたいと強く願った。そして見事、道場で一番強い武闘家になった。しかしいいことは続かない。父はモンスター退治を手伝いに行き、亡くなった。

 だからワンワに残されたこの道場は、父との唯一の絆なのだ。


「ふーん、じゃ、道場破りも失敗ってことかな?」


 ハジメはあっけらかんと自分が勝ったのにも関わらず、道場を破りに来たことをなかったことにしようとしていた。とりあえず言われていることは『職に就け』というだけだ。楽そうだし儲かるから道場主や格闘家になろうと思ったが、ワンワの話を聞くと、何にもない日でも修練に励まないといけないらしいじゃないか。なんでそんなことをしなくてはいけないんだ。楽な毎日を過ごせないし、身体が傷だらけになるのも嫌だ。それに汗くさそうだしむさくるしい。ワンワはかわいい少女だが、周りは筋肉マッチョだらけ。見た目もよくない。こんな空気の中で生活なんてしたくない。


「僕がこんなこというのもなんだけどさ、ハジメはいいの? それで」


あまりにもあっさりと意見をひっこめるものだから、ムリークのほうが心配になってしまう。別に道場破りもしない、道場の師範であるワンワを、ケガもさせずに負かすこともできた。万事うまく解決だ。だけど、それではハジメ職が決まらない。ということは、また職探しにこの街へ来るということだ。それも恐ろしい。だが、ハジメはぽそっと答えた。


「別に格闘家に絶対なりたかったわけでもなかったし。他の楽な仕事を探せばいいよ」

「……ハジメ、っていったっけ。お兄ちゃん。お兄ちゃん、戦いのセンスは悪くないよ。

一応包丁を頬に当てられたことは初めてだったしね。だから……これに出てみたら?

明日、予選があるの!」


ワンワが見せたのは、『武器使用可! なんでもありの総合格闘技・電流デスマッチ!』と書かれたポスターだった。目をじっとポスターに近づけて見るが、なぜこんなものに出る必要がある。エントリーをしているのは武闘家はもちろんだが、勇者候補だった人間もいると書いてある。当然武器使用可なら、それだけでも危険だし、周囲は電流を流した柵で囲うらしい。本音を言ってしまえば、早死にするなんてまっぴらごめんだ。


「この大会に出て、職に就けるの?」

「そういうわけじゃないけど、勝てば名誉なことだよ。肩書もつくし!」

「肩書……?」

「『勇者』ユタカみたいな感じで、『総合デスマッチ優勝者』ハジメとか。就職にも優位になるかも……」

「そうなの?」

「そうそう!」


 ワンワは嬉しそうに、にこにこ笑う。フェリアファンである彼女の本心は、『美しいフェリア様にこんな太ってイケメンでもない男が息子なんて許せない。適当に死んでもらおう』というものだった。さすが勇者ではなく魔王のファン。心根は汚く、少女と言えど歪んでいる。


「じゃ、出てみようかなぁ」


 人の口車に軽い気持ちで乗ってしまうハジメ。決して彼が純粋だからではない。彼はただ、自分で考えるのを初めから放棄しているだけなのだ。


結局この夜は城に帰るのも面倒くさくなり、ワンワもフェリアを引きとめたこともあって、フェリアは道場に、そしてハジメはムリークの家に泊まることになった。


「なんで僕の家なの!? 城帰ってよ!」

「だから面倒くさくなったんだって。いいじゃん、一晩くらい。父さんもどうせハーレムにいるだろうし」

「うちはキミの城みたく広くないの! ベッドだってひとつしかないし……」

「何か問題あるの」

「大アリだっ!」


 食事をしていなかったハジメに夕飯を食べさせるために、仕方なく食欲もないのにレストランへと連れていく。今回はきちんと金を持ってきているようで、ムリークは安心した。また『ツケで』なんて言われてこちらが払わされたら……。自分だって金持ちというわけじゃないし、現在は家を出ているから借家だ。家賃も払わないといけない。人に毎回ごちそうするほど余裕があるわけじゃない。


「しかしアレだね。野菜料理が多いんだな。うちとは大違いだ」

「そりゃあ魔王たちが食べるものとは違うよ……。どうせ肉とか食べてるんでしょ?」

「うん、ドラゴンの肉とか巨大魚のムニエルとか? それにこんな風に大皿にどさって盛り付けられたりしない。きちんとひとり一皿並べられるし、オーダーなんてしなくても、次々に運ばれてくる」

「……なんか王族や貴族みたいな食生活をしてるんだな。ま、違いはないか。キミも一応は王子様みたいなもんだし」

「え? 俺、王子なの?」


 まずい、とムリークは口をつぐんだ。実際勇者と魔王の息子だし、王子的な立場ということは間違いない。だが……それを本人に告げたら、きっと大きく誤解する。このハジメという青年の思考回路は極めて単純だ。ハジメは自身の両親が偉いことは知っていた。その威光

で自分も様々なサービスを得られていることも。しかし、これはあくまでも『両親の力』だと思っていたから。これが『自分が王子である』としてしまったなら、自分だけでもその『力』を使えるようになってしまうのだ。たとえ街の人間が『バカ王子』と揶揄しても、彼はきっと気にしない。

 ムリークは話を誤魔化そうと、一番無意味な言葉を繰り出した。


「お、王子っていうかさ、かっこいいじゃん! 気品が溢れてるよ!」

「……俺、自分が太ってるしかっこもよくないっていう自覚はさすがにあるよ? 気品も別に……」

「あっ、そう……」


 タイミングよく、ハジメの前に野菜サラダと芋の煮っ転がしが運ばれる。ムリークにはコーヒーだ。ガツガツと食べ始めるハジメは、確かに気品なんかない。

 食事を平らげると、嫌がるムリークのを無理やり引っ張って、彼の家に向かう。ここまで来たら仕方ない。一泊くらいならいいだろうと、ムリークは家の鍵を開けた。


「トイレはあっちね。悪いけど、寝る場所はそこの……」

「うん、ありがとう。おやすみ」

「って、そのベッドは僕のっ!!」


 大声を上げてもすでに寝ているのか聞いていないのか、無視しているのかわからない。目を閉じて寝息を立てているハジメ。なんでこうなったんだろう、と頭を抱えながら、どういうわけか家主のムリークがソファに寝ることになってしまった。

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