約束

日生 良

約束

 約束を破る相手には、復讐すると決めている。

 「お互い、相手がピンチになったら必ず駆けつけよう」と指切りをして約束し合った親友が、僕のピンチに現れなかったときに――自分自身に深く誓ったのだ。


 親友と待ち合わせをした、とあるバス停でのことだ。

 スマートフォン片手にぼうっと彼を待っていた僕は、突然数人のガタイのいい男たちに取り囲まれた。

 何がなんだかわかっておらず、混乱する僕を見下すように笑った男たちは、僕の頬をひとつ拳で殴りつけたあと「ひ弱ってのは本当なんだな」と言った。

 そうしてバス停側の路地裏に引きずり込まれ、暴力で黙らされた後、鞄ごと盗られて放置された。


 うずくまって痛みと恐怖に耐える中、「もしかしたら死んでしまうかもしれない」と思った。

 けれども僕は意外に丈夫で、死にもしなかった。自力で路地裏を這い出る程度には生きていた。

 ぼろぼろの僕を見た周囲の人々が救急車を呼んでくれたおかげで、無事に治療を受けることが出来たけれど、顔に深い傷を負ってしまった。傷はふさがったが、跡が完全に消えることはないらしい。


 僕は最近流行りの「ナード狩り」というものの餌食になってしまったようだ。

 ストレス発散として殴られ、金品を奪われる。弱い僕は、アマチュア強盗にいいようにやられてしまったのだ。

 確かに自分は弱そうに見えるだろうし、抵抗もしなさそうに見えるだろう。なんたって、僕自身が「ナード狩り」をする立場ならば、僕は確実に、僕を狙うだろうから。


 結局あの日、親友は待ち合わせの場所に現れなかったようだ。

 後日話を聞くと、彼は「寝坊したんだ」と軽く言う。

 寝坊をしたのならしたで連絡を入れたり、遅れて到着していなければおかしいと苦言を呈したが、彼は「開き直って寝ることにしたんだ」とヘラヘラと笑い、すぐに話題を変えた。


 けれど僕は知っている。

 僕が男たちに取り囲まれ、今にも路地裏に引きずられようとしているその瞬間、彼が車道をはさんだ向こう側にいたことを。

 そして、僕が取り囲まれる前――つまり僕が彼を待っていたとき、アマチュア強盗と親友がこそこそと何かを話していたことを。

 内容を聞きとれる距離ではなかったし、そのときの僕は警戒もしていなかったから、別段何とも思っていなかった。

 スマホ画面を見る視界の端ギリギリで彼とアマチュア強盗をとらえていたのみ。

 親友と別れた男たちはすぐに僕を取り囲み、路地裏に引きずり込んだ、というわけだ。


 たから、僕は親友を問いただした。頑なに話そうとしなかったから、申し訳ないと思いつつ暴力もふるった。

 親友も僕と似たり寄ったりの背格好で、僕と同じ程度の筋力しか持ち合わせていない「ナード」だ。不意を突いて襲うと、確実にこちらに分がある。

 無様に鼻血を垂れ流し、うずくまる彼にしつこく聞き続けると、やっとのことで口を割った。


「俺が襲われそうになったから、お前を売った」


 簡単に言うと、そういうことらしい。

 「相手のピンチに駆けつける」と約束をしておいて、その相手にピンチを擦り付けて逃げるとは。

 僕はひどく腹を立てたが、心のどこかで冷静でもあった。その冷静な僕が、冷酷に判決を下す。


 ――約束を違えるやつには、針を千本飲ませよう。


 僕の生きる目的は、その時に決まった。

 嫌がる親友に針を飲ませると、彼は喉を掻きむしって苦しみ、泣いた。

 それでも腹の虫がおさまらない僕は、かつて指切りをした、彼の右小指を切り落とした。

 もう二度と、安易な約束事などをしないように。

 これは親友に対する復讐であり、世界に対した優しさでもあるのだ。僕のような被害者を出さないために、罰は必要なのだ。


 それからというもの、僕は約束を破る人を罰することにした。

 約束を破ったことがわかれば、針を飲ませて、指を切る。

 針を調達出来ないことが何度かあったが、何故か周囲の人々が針をきっちり千本、調達してきてくれる。それも無償で。


 やれ、あっちの誰々は嘘をつく、だの。

 こっちの誰それは約束を守らない、だの。

 僕は「自分との約束」を破る者を罰することが出来ればよかった。ただそれだけだったのに、周囲が僕に裁かせたがる。

 仕方なしに裁くと、周囲――依頼者は大いに喜んだ。こんな僕でも、弱者の味方になれているのなら嬉しい。

 いつしか千本の針は依頼者が用意しなければいけない「依頼料」とルール化され、僕はただ罰を与えるだけの存在となった。


 それでも、僕は僕の見たものしか信じたくない。

 だからこそ、僕は相手と直接、何かしらの約束をし、それが破られたことを確認してはじめて罰を下すことにしている。

 不動産の詐欺から、粗悪品を流す転売屋から、ロマンス詐欺から、アルバイトのバックレから、なんでも罰を下した。

 だってそれは、「嘘をついた」のだから。罰せられて当然なのだから。


 嫌がる相手に針を飲ませて、もう二度と被害者を生まぬように指を切り落とす。

 切り落とした指は、依頼者が気味悪がるため自分で処理するしかなかった。

 どこかに捨てると足がつくため、自宅にある鍵付きの小箱にしまうことにしていた。

 小箱から指を取り出したことはない。切り落とした指が箱の中でどうなっているのかなんて、知ろうとも思わない。

 切り落とすことに意味があるのだ。切り落とした指が朽ちていようと干からびていようと、まったくもって、興味がなかった。


 ある日のことだ。

 その日もいつもと同じく、約束を破った者に罰を与え、帰路につくところだった。

 冷たい冬の夜だった。みぞれ混じりの雨が上がったばかりで、周囲に冷気が漂っている。街を照らす温かな光も、今の冷たい街には届かない。

 濡れたアスファルトを歩きながら、僕は空を見上げる。そうして珍しく「いつになったら”これ”が終わるのだろう」と思った。

 これ、というのは、自身の行い――罪人に、罰を下すことだ。

 今までそのようなことを考えたことはなかったが、少しだけ疲れたのかもしれない。

 親友に約束を破られ怒り狂っていた頃から既に十年が経過しており、僕も僕で、歳を取った。

 昔のような使命感も、熱く燃える闘志も、無限のように感じられた体力も、大分落ち着いてきている。


「潮時かもしれない」


 誰に言うでもなく、言葉がぽろりと零れ落ちた。

 おそらくそれは本音なのだけど、だからといってきっぱり止められるほどの強い決心ではない。


 依頼は今も次から次へとやってくる。

「約束を破れば針を飲まされ指を切られる」という迷信が現実となったことで、安易に嘘をつく者は減っていた。

 街も、国も、罰を恐れて平和になった。


 国が平和になったのなら役目を終えよう、という気持ちと、未だしぶとく生き残っている罪人共を殲滅するまで行うべきだ、という考えが頭の中で渦を作る。


 まぁ、いい。

 今後のことはゆっくり決めていけばいい。いつも通り、依頼をこなしながら。

 僕はそう思い直し、近くのカフェでコーヒーをテイクアウトした。

 温かいコーヒーを飲みながら歩いていると、数人の悲鳴が聞こえた。

 続けて、男の怒鳴り声が聞こえる。


「うるさい! もう俺は死ぬんだ!」


 どこかで聞いたことのある声だと思ったが、はて、誰だったか。

 興味本位で声のした方向へ視線をやると、みすぼらしい男が刃の欠けた包丁を持って暴れていた。


「指がないだけで職にあぶれる。つつましい生活すら出来やしない。こんな世界、どうなってもいい!」


 男は特徴的な喋り方をしていた。

 外国人の喋り方ともまた違う。男を観察していると、彼の口周りから喉にかけて、小さな傷が幾重にも重なり、ひとつの大きな傷となっていた。

 傷口は周りの肌より明るい色をしているため、遠目からだと白っぽい毛がびっしり生えているようにも見える。

 だが、僕はすぐにわかった。あの細かな傷跡は、針によるものだ。よく見るとかきむしったような傷まである。


 その時僕は気付いた。

 自暴自棄になって包丁を振り回している男は――かつて、友情を誓い合ったあの、親友なのだと。

 十年もの年月が経ったことにより、お互いに見た目が変わった。あの時のような若々しさも、力強さも、無垢さもない。

 けれど彼の声だけは昔のままで、あの日誓った約束をありありと思い出すのだった。


「お互い、相手がピンチになったら駆けつけよう」


 今でも覚えている。忘れられるはずがない。

 過去の思い出が、まるで動脈から噴き出す血液のように勢いよく思い出される。ひとつひとつを懐かしむ間もない。記憶は止め処なく溢れ続け、僕はしばらく恍惚とした。

 あまりの眩しさに、激しい眩暈を感じたほどだ。


 正気に戻ったときには、親友は地面に倒れたまま動かなくなっていた。

 包丁で自身の首を傷つけたらしい。雨で濡れたアスファルトが、赤く染まっているように見える。

 周囲が救急車を呼び、男に駆け寄る。大丈夫か、と声を掛け、血にまみれた身体に上着をかける者もいた。


 彼はまるで、昔の僕だった。

 暴力を振るわれ、人通りのある道まで必死で這い出てきたときに、街の人々は同じことをしてくれた。

 唯一違ったことは、駆けつけた救急隊員は親友の瞳孔を確かめ、首を振ったことだ。


「お互い、相手がピンチになったら駆けつけよう」


 再び、彼とした約束が頭をかすめる。

 そうして、あることに気が付いた。


 僕も、彼と同じだったということに。

 彼が僕をピンチにした。僕も彼をピンチにした。

 僕は彼が生み出した問題から生きて逃れることが出来たけれど、彼は、僕の生み出した問題により絶望し、自ら命を絶った。

 そうして、僕は彼のピンチを助けず、見殺しにした。

 僕も彼と同じく、約束を破ったのだ。

 救えたはずの至近距離にいながら、救いの手を伸ばさずに、その手で破った。約束という無形の契約書を。


 僕はコーヒーを飲み切り、近くのくずかごへと捨てた。

 そうして家に戻り、調理用の包丁で自身の指を切り落とした。

 痛いかどうかはよくわからなかったが、本来あるべきはずの物を切り落としたのだから、恐らくは痛いのだろう。

 まったく何も感じなくて拍子抜けしてしまったけれど。


 指の保管場所は、押し入れにある小箱の中と決まっていた。

 約束を破った罪人たちと同じく、自身も同じ場所に指を納めなくてはならない。何故なら僕も、罪人だから。

 小箱を手にした僕は、じっくりと箱を眺めて――そうして、何故か、中を確かめたいとはじめて思った。

 同じ罪人として、指の成れの果てが気になったのかもしれない。


 僕は小箱をゆっくりと開ける。

 いつもは出来る限り蓋を開けず、切り落とした指だけ押し込んですぐに鍵をかけていたのだが、今日は大きく蓋を開けた。

 腐っているかもしれないし、臭いがひどいかもしれない。骨になっているのかもしれない。虫だって湧いている可能性がある。

 覚悟をして中を覗くと、そこに指と思しきものは何一つ入っていなかった。


 箱の中には、黄金に輝く針が入っていた。

 どこにでもあるありふれた室内灯の光を反射し、キラキラと美しく輝いている。

 長さも揃っており、大変見栄えがよい。

 ただ裁縫用の針とは違い、糸を通すための穴は開いていなかった。


 おかしいと思ったのだ。

 この十年間、数多の指を入れ続けたというのに……そして、片手で持てるほどの小さな箱だというのに、いつまで経っても満杯にはならなかったのだから。


 小箱には鍵をかけていたし、誰かを家にあげることもしていない。

 どうして指が針になったのかは、当然だがわからない。


 小箱がおかしいのか、指がおかしいのか。

 それとも、僕がおかしいのか。


 僕は首を傾げつつ針を見つめる。

 針から声が発せられているように聞こえるが、耳を澄ませても、上手く聞こえなかった。


 それはきっと、約束を破った罪人であるにも関わらず、未だに「あちら側」へ行っていない僕を責めている声ではないだろうか。

 それだけのことを、僕はした。

 ――さて。元々やるつもりではあったが、まさか今すぐ行動することになろうとは。


 僕は針を数える。

 明け方の空は清々しくて、これから始まる一日がどれだけ素晴らしいかを語るように、爽やかな光で世界を包んでいる。

 その中で針を数える僕は、もはやこの世界の住人ではない。


 針は全部で九百九十九本あった。針千本には、一本足りない。

 近くの雑貨店まで走ろうか、と立ち上がると、キッチンのまな板がひとつ輝いた。

 僕の指だ。血まみれのまな板の上で、美しい針になっていた。


「これで、針千本」


 悔いはない。

 これは僕の、完璧な死である。

 誰にも邪魔はさせない。


 僕は針を口の中に押し込み、ゆっくりと目を閉じた。

 針が僕の体内を破壊してゆく中、僕は親友のことを考えた。

 やるべきことを見失い、悩むようになった僕に――あのタイミングで死という選択肢を与えられるのは彼だけだ。


 ピンチになったら駆けつけよう。

 もしかして……いや、考えすぎかもしれないけれど。


 もうこの世界で答え合わせは出来ないから――別の場所で待ち合わせなければ。

 地獄でも、なんでも、どこでもいい。

 今度はちゃんとひとりで来てくれるといいのだけれど。寝坊なんかしないでさ。

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