第5話 招かれざる客の来訪
「何用だ」
「ああ、なんだ、不在かと思いやしたよ」
扉越しに聞こえてきたのは胡散臭い男の声だった。
「それは悪かったな。徹夜明けだったんだ。それで? こんな森の奥まで何用だ」
「いえいえ、対した用事じゃないんですけどねぇ。旦那、あっしらは聖都ドグマの聖鉄騎士団でございまして」
ユリシスの表情が青白く変わる。喉を絞めるように首に手を添えたユリシスの肩をジェイが抱え、物陰に隠れた。
「聖都の聖鉄騎士? そんな遠い都の騎士がどうしてまたこんな遠い所まで」
「いやぁ……実は聖都の罪人が一匹逃げやして、遥々追いかけてきたのです。白銀の髪にピンクの瞳の女でごぜぇやす。なんでもこの辺りに逃げ込んだと偵察のものが申しておりやして」
「ほう。こんな呪われの森にか?」
「そうでございやす。きっとこの森であればあっしらを撒けるとでもおもったのでしょう。全く可愛げのない女だ」
ゼロは目を細める。
「それは気の毒だな」
「そうでございましょう! で、旦那。旦那の手は煩わせません。小屋の中を荒らすこともしやせんから、できらばここを開けていただいて家の中を改めさせていただきたいのですが」
ユリシスはゼロを見ていた。彼が自分を売った瞬間、隣にいるジェイを振り解きゼロを殺す。できるだろうか。分からない。分からないが……もしできないようであれば、裏技に手を出すのもやぶさかでは無い。拳を握り締める。ゼロは口を開いた。
「――断る」
一瞬、空気が凍った。
「……はい?」
「え?」
「断ると言った。ここは俺の工房だ。荒らす荒らさないとかではなく入られたくない。それに俺はそんな女、見ていない」
「……旦那、そんな女庇ってもなんもいい事はありやせんよ」
「そんな女見てないと言っている。話はこれで終いだ。とくと帰れ」
「帰れじゃねぇンだよォオオオ!! あっしは! アンタがあの女を抱えてこの小屋に入るのを見てんだ!! さっさと開けろォオオオ!!」
扉が軋んだ音を立てて開く。並ぶのは中肉中背の甲冑の男が一人。そしていかにも騎士団の騎士といった出で立ちの人間が五人。ユリシスが小さく背後で息を吸ったのが聞こえた。
「……ジェイ」
「あーもー、そこまで覚悟決まってるとアンタ、何言ったって言う事聞かないじゃない。いいわよ。こうなったらとことん、アンタの宿業とやらに付き合ってあげるわよ!」
「悪いな」
ゼロは扉の脇に立てかけてあった箒を手に取って家の外に踏み出す。その右肩の辺りに砂時計のようなものが音を立てて現れた。騎士団は誰一人として動かない。
「……どうした。中を、改めないのか」
「…………いや……」
「夜通し鉄を打った鍛冶師を叩き起して、そのまま帰れると思っているとは、ずいぶんおめでたい頭の持ち主らしいな」
ゼロが一歩踏み出す。
騎士団は恐れを成したように一歩後ろに退いた。
「旦那……鍛冶師だったんですかい」
「そうだ」
「鍛冶師って言うか、旦那……アンタ……アンタは……」
「お前」
箒の先が男の顎に触れる。砂時計がサラサラと落ち続ける。
「名は」
「…………ポック……です」
「そうか。覚えやすい、良い名だ。両親に感謝するといい」
半身を引いて小屋の中に向けて手を差し出す。ゼロの表情は夜の闇の中ではよく見えず、青く光る眼だけが鮮明だ。
「どうぞ」
低く地を這うような声が歓迎の挨拶を唱える。
「中へ」
ポックは、震えていた。手足の震えが止まらず、汗がぽたぽたと滴っていた。後ろの騎士達はなんてことの無い顔をしている。
「先も言ったが、時間というのは有限だ。俺は今、寝起きで機嫌が悪い」
――コイツ、コイツ、コイツ、やばい。やばい。やばい。
蛇に睨まれてるみてぇだ。コイツ、やべぇ。人じゃない。人間じゃない、どう見たって、どう考えたって、人で良い訳がない……!!
「俺がその女を抱えて室内に入るのが見えたんだろう? 早く見た方がいい。今こうしてお前が固まってる間にも、その女とやらは逃げ出してるかもしれんな」
後ろの騎士が話してる声が聞こえる。どうして隊長殿は突っ込まないんだと。冗談だろ。なんでオメーらわかんねぇんだ。正規の騎士だろ。由緒正しい騎士の家の出の癖にわかんねぇのかよ。コイツは……コイツは……。
「時間は有限だ。使い方は考えた方がいい」
……――――悪魔だ。
後ろにいた騎士が痺れを切らしてポックを押しのけて前に出るのと、ゼロの横に浮かぶ砂時計が落ちきって『チーン』なんて言うマヌケた鈴の音を鳴らすのと、どっちの方が早かったのだろうか。分からない。でも多分、踏み出す方が早かったんじゃないかな。ゼロの瞳孔がぎゅるりと細くなるのが見えた。
「時間だ」
次の瞬間、踏み出した騎士が吹き飛んだ。箒が金色に輝いて、まるで剣のように見えた。それによって足元をすくわれた騎士は、そのまま吹き飛んで、ポックの背後の木に叩きつけられた。
それに反応できた騎士は僅か少数で、後はただ、呆然としているだけだった。ポックは即座に逃げ出していた。
「“簡易聖剣、錬鉄”」
「あがァ!!」
放たれた数本の光輝く短剣のうち一本がポックの足首を貫いた。
聖剣。聖剣と、あの男は宣ったのか。クソッタレ。ハズレくじだ。黒髪に青い瞳の仙竜ないし龍神で聖剣を担うのは二人。そしてその中でも聖剣を全くのゼロから編み上げることのできるのはただ一人。
剣聖の仙竜 ゼロ・ライルだけだ。
騎士団をさっきまで箒だったはずの剣で次々に薙ぎ倒していく。
踊るような剣さばきを前に騎士は為す術もなくあしらわれていく。そらそうだ。相手が騎士でないとはいえ、そもそも経験値が違う。相手は百年以上を生きるドラゴン。大してこっちは二十年ちょっとしか鍛錬を積んでいないひよっこ。
「お前たちッ……! 逃げろ!!」
「いいえ。ダメよ。誰一人としてこの森から出すことはありえねぇっつーの!!」
ジェイの生み出した風の壁が外に逃げようとした騎士を浮かび上がらせる。妖精達のイタズラだ。ジェイは親指を下に向かって突き立てる。
「オーホッホッホ!! 呪いの森に覚悟なく足を踏み入れてんじゃねぇわよ!!」
「……盛り上がりすぎだ」
「貴様ァアアアァアァァアアア!!」
騎士のうち最もがたいのいい男が跳躍をした。刃が月光に照らされて銀色に煌めく。咄嗟のことでゼロの対応は完全に後手に回っていた。
「その首、貰い受けるッ…………!!」
「いいえ。なりません」
一陣の春風が吹き抜けた。騎士の視線はゼロから――茂みに隠れていたユリシスへと向けられる。それが致命的な隙になったと騎士は理解する。ほんの一瞬、僅かな隙。だがそれは命を奪うには十分すぎる時間だった。
星が、落ちたのかと思った。
眩い光がポックの網膜を焼く。焼き尽くす。
ゼロの振るった剣は、眩い光の帯を描いて騎士の鎧をまるで紙細工を潰すようにくしゃくしゃにして見せた。
だが完全なとどめを刺すよりも前に光が失われ、ゼロの手の中で剣はただの箒へと変わる。
「あ」
「ゼロ!?」
「ヤバ、ミスった」
まあ鎧は砕けたのでいいか、と騎士を蹴り飛ばす。仙竜の脚力で蹴られた騎士は「うぐっ」と呻き声をあげて地面をころがった。
「ジェイ!!」
「安心してちょうだぁい! こっちで足は準備してあるわよ! こんなトコ、とっととずらかるに限るわ!」
「さすがは麗しのクララ・ベラだ。逃げる手腕まで麗しいな」
「あらヤダ口が上手くてホントやんなっちゃう! いいわよ! 特別に褒め言葉としてカウントしておいてあげる!」
ジェイは上機嫌に花を撒き散らした。物理的に。どうやら久しぶりの戦いに血が滾ったらしい。実にやかましい妖精だ。
現れたのは白馬だ。恐らく妖精馬なのだろう。既に装着されている馬具に跨る。
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アスポデロスの贄姫 ぱんのみみ @saitou-hight777
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