第3話 ゼロ・ライル

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 暖炉の薪が音を立ててはじける。すっかり日も落ちた小屋の中、ユリシス、ジェイ、ゼロのさっき会合したばかりの三人は丸い机を囲んでお茶を飲んでいた。ジェイも、ユリシスも、何も言わない。ゼロもそれにならって無言でお茶を口にした。


 ゼロ・ライルは人間ではない。見たままに。

 普段は烏の濡れ羽色と言って差し支えない黒い髪で隠れている耳は尖っている。

 深い泉のような青い虹彩を持つ瞳の瞳孔は爬虫類のように縦長だ。

 大抵の場合、不機嫌故に一文字に結ばれた口の中は肉を切り裂くための鋭い歯が並んでいる。

 白く柔らかな皮膚は見えているところだけで、背中や腕、足の一部は黒曜石のような鱗で所々覆われている。それを見せるのが嫌でゼロは年中黒い服に身を包み、ハーフマントまで羽織っている程だ。

 もし、彼のことを亜人に詳しい者がみたのならば――その威厳も相まって――きっと『ああ、彼は龍神か、或いは仙竜なのか』と頷いたに違いない。


 とんだ勘違いだ。

 失礼極まりない。

 可能であれば謝罪をして欲しい。

 そんなのもうほとんど侮辱じゃないか。


 ゼロは竜でも、或いは龍でもない。

 ゼロは星海で生まれた星霊だ。


 そして隣に座るこの……いきなりナイフを向けてきた物騒な『お客様』もとい〈不凋花の贄姫〉ことユリシス・アスポデロスもまた、ゼロと同じで――見た目こそ丸い耳に丸い瞳孔、柔らかな皮膚にいかにも無害そうな爪や牙と人間のようだが――星海より生まれた星霊であるはずだ。


 ユリシス・アスポデロス。

 〈不凋花の贄姫〉。ゼロにとっては忌々しい、逃れがたい運命の象徴。〈編纂者〉の残した予言に登場する人類を救う女神の雛形。慈悲深く、しかし無慈悲な天地の裁定者……の、はずだ。


 チラリと隣に座る少女を見る。

 白銀の髪は土埃や煤に汚れ、まるで貧民街の子のようだ。妖精達が洗浄と髪結を始めている。長い白いまつ毛の下、猫のようなアーモンド型のピンクサファイアに輝く双眸は多少和らいだものの、未だに強い警戒心を宿している。爪の先は欠けていて、袖のないワンピースから覗く腕には赤い傷痕が無数に残っている。


 ……彼女にまつわる〈編纂者〉が残した予言は、今やこの星に住む全ての知的生命体が知るところだ。彼女が人の世がまことに愛するべきものだと思えば救済はなされるというのも、誰もが知っているはずだ。ぞんざいに彼女を扱うはずがないだろう。

 なのに彼女はひどく華奢だ。少なくとも、ゼロが少し力を込めればその腕の骨を折るのは簡単だろう。汚れて、怪我もしている。ゼロが人類なら、救済の運命を背負うユリシスがそんな姿をしていたらそれだけで不安になる。


 彼女はこちらの視線に気がつくと、口につけていたカップをテーブルの上に戻した。喉が渇いていたのか一気に飲み干して、既に二杯目を飲んでいたところである。

「ごめんなさい。悪いことをしたら謝るのよね。私、知ってるわよ」

「謝罪する態度とは思えないな……」

「そう。正しいやり方がわからないのよ。さっきのことも、ごめんなさい。私、これまでニンゲンと友好的な交流とやらを持ったことがなかったの。だから謝るわ。ごめんなさい。今後は初対面の人にはナイフを向けないよう、心がけるわ」

「初対面の人以外に向ける予定が?」

「人によるわね」

「ちょっと、ゼロ。この子全然可愛げがないわよ」

「知ってるわ!」

 ユリシスの表情がぱっと輝く。

「私みたいな女って可愛げがないのよね! えっと……そう! 『口答えばっかりで減らず口が多い女だ。しおらしさの欠片もねぇ。可愛げねぇって言うのはこういうのを言うんだよ』ってやつでしょ。私、ニンゲン生活二年くらいだけどよく知ってるわよ」

「…………何があったらそんなこと言われるのよ」

「贄姫として生まれるとそういうこと言われるのよ」

 ジェイとゼロはもう一度顔を見合せた。なんというかこの少女、変に世間知らずだ。


「なにはともあれ、助けてくれたことはわかったわ。ありがとう。それと自己紹介もしてくれてありがとう。こんなに親切にしてくれた人は他にいなかったの。これはホント。だからどうしたらいいのか分からなかったし、貴方達のことを信用するのも難しかっただけ。傷つけるつもりはなかったわ。ごめんなさい」

「あら、いい子ね。でも気になるんだけど、ならなんで今はアンタ、アタシ達に対して敵対するつもりは無いの?」

「ジェイ」

「ゼロは黙っててちょうだい。これは大事なことよ。この子はアタシ達に殺気を向けた。場合によってはここに置いておくことはできないわ」

 先に殺気を向けたのはゼロの方だ。ナイフを向けた時、ゼロは意識のないユリシスを殺すつもりだった。彼女が厄介事だとひと目で見抜いていたし、運命だとも理解していた。そういう意味ならゼロの方が追い出されるべきだろうと脳内で屁理屈を唱えてみる。……が、横を見るとジェイが凄い剣幕でこちらを睨んでいたので黙っておくことにした。

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