神の国の湯とともに酒池肉林
第5話 神社のような駅舎と、なぜか有名な列車
出雲大社で参拝を終えた3人は、国鉄大社駅に戻ってきた。
一畑電車に乗って松江方面に出るという手もないわけではないが、この日は国鉄の乗り放題の企画乗車券があることに加え、この後玉造温泉まで移動するので、それならばこちらの方が無駄な交通費を使うことなく、しかも1度の乗換だけで済む。
大社駅は、外から見るほどにどこの神社なのかと思わせる駅舎である。駅の待合室も実に広い。今日は日曜なので、それなりの乗降もある。だが、駅からホームに出てしまうと、実にこじんまりした感じのある駅である。まあ、行止りでここからは山陰本線の出雲市駅まで戻るだけなのだから、そんなものである。
彼らは13時51分発の気動車列車に乗ること十数分、14時を少し回った頃には出雲市駅に舞い戻った。
そこから、すぐの乗継。上りホームに来ている14時10分発の文字発福知山行の824列車がのんびりと客待ちをしている。定番の文鎮型ディーゼル機関車が1両先頭に立っているほかは、青色もしくは茶色の旧型客車ばかり。出入口は手で開けて入る。それだけではない。このドア、走行中も開けられるときたものだ。これが急行列車あたりになれば普通に閉じられているものだが、普通列車でしかも夏あたりであれば開けっ放しで走っていることもままあるもの。さすがに今は冬なので大抵の客は出入りしたら余程人が続かない限り閉めるようにしている。
3人の男女は適当な位置を見繕い、車内へと入った。オハ47という客車。
これはもともと急行用として製造された車両で、向かい合わせのボックスシートの通路側には頭もたれのような設備がある。これは特に夜行列車で仮眠をとる際に枕代わりにしてもらおうというコンセプトで設置されたもの。通勤時間帯ともなればつり革などのように車両につかまるための設備ともなる。この時代ともなると、客車急行は旧型客車よりも新しい客車や電車・気動車に置換えられていたため、このように普通列車として使われていることが多い。
一応史実を述べておけば、この手の旧型客車はこの4年後の1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で営業運転からすべて撤退している。
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普通列車にしては珍しく、ハイケンスのセレナーデのオルゴールが鳴らされる。車掌によってではあるが、このような設備があれば、いつもとは言わないまでも主要駅を発車後もしくは到着前の放送時にならされることも多かった。
列車はまだ効果になっていない地上の出雲市駅を出発し、直江、荘原、宍道と各駅に丁寧に停車していく。ちなみにこの列車、九州の門司を朝5時台に出発し、ほぼ全駅を丁寧に停車しながら福知山には23時台も終わりごろにようやく到着するという普通列車で、日本最長距離を走る普通列車として有名であった。
彼らはもちろん、そのうんちくをかの少年より聞かされている。鉄研の会員の中にはこの列車に1日乗っていた人もいるらしい。だが、この3人の中年男女にそこまで鉄道に入れ込んでいる人はいない。あくまでも観光客の利用者として、彼らはこの列車の一部区間を移動手段として使っているだけである。
今度は、進行方向左側に青い湖が広がっている。
木次線との分岐点である宍道の次は来待。そしてその次が、玉造温泉。ここで3人はデッキのドアを開け、さらに出入り口のドアを自ら開けて島式のホームに降りた。最後に出た人が、それぞれドアを閉める。よそのデッキはともかく、他にこのデッキからの乗降客はいなかった。
彼らは地下道をくぐって駅舎に向かい、改札で青春18きっぷを提示した。駅前の駐車場には、歓迎の札を掲げた旅館関係者がマイクロバスで送迎に来ている。
「内山様の御一行ですね」
彼らより幾分年長の運転手が尋ねる。
「はい」
「では、こちらにどうぞ」
この日のこの時間の送迎は彼ら3人だけであった。
マイクロバスに乗ること数分。山陰本線の踏切を超え、駅よりいささか南側にある温泉街へ。広い駐車場に入ったマイクロバスはそのまま雨に濡れる必要のない玄関口まで進み、そこで3人の観光客を降ろした。
すでに15時を幾分回っている。程なくチェックインし、家族風呂のある部屋へと案内された。
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