第3話 18きっぷの出どころ 2

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 1983年春期の青春18きっぷは、2日有効の青い券が1枚、あとは1日有効の赤い券が4枚ついて1冊で販売されていた。

 内山氏は4日前の水曜日の午前中に、翌日木曜日からの東京出張のための切符を岡山駅のみどりの窓口で確保した。行きはまあ、朝から東京に向かう新幹線で十分であるから、苦も無く確保できた。問題は、帰り。日曜日には出雲大社に参拝してその後玉造温泉のある旅館に妻と仕事仲間でもある女性と3人で宿泊する予定にしており、彼女たちの日程づくりも頼まれていた、というより自分から言うならイニシアティブをとってそれをそれぞれにあてがうと言っていたのだ。そんなことをわざわざしたのには理由がある。折角出雲大社に3人で行く以上、ただ一緒に行けばいいというものでもないだろうからというので、自分がどこかで彼女たちと出会う形を演出して最後は出雲大社に参拝し、その後揃って温泉に泊まろうと。

 ではなぜ女性2人を連れ出す形を取ったのか。

 彼は確かに信子という名の妻がいる。中学生の頃に出会って大学院生になったその夏に再会し、それからずっと付合いが続き、結婚。その後子どもにも恵まれている。もう一人の女性と出会ったのは大学生のとき。彼女と出会って程なく結ばれ、その後も仕事だけでなく妻公認での男女の付合いも継続している。実はこちらにも息子が一人いるが、無論、彼を認知している。彼女たちはもとよりその子らが何かあって後に遺産相続などでもめないよう、彼は細心の注意を払っている。

 そんなわけであるから、内山氏は妻、もしくはそちらの交際相手と、あるいは年に何度かはこういう形で3人での逢瀬の場を作っているのである。それは確かに彼の作家としての取材にも肥やしにもなっている。道徳的にはいかがなものかという気もしないではないが、そういう事実があるまでのことを述べておこう。


 閑話休題。彼は岡山駅のみどりの窓口で、彼女らに渡す青春18きっぷも1冊買い込んだ。これは分離して使用することも可能な切符である。もっとも自分自身はそのうちの2日分を別の機会に使おうと考えていた。しかし、どうせなら今回使った方がいいことが窓口で判明してしまった。

 土曜日2月26日発の東京-出雲市間の「出雲1号」の寝台券が満席のため確保できなかったのである。それもそのはず、東京対山陰方面はまだ航空機の路線が充実しておらず、夜行列車の「出雲」は寝台券の取りにくい列車として定評があったのである。そのことは鉄道趣味界隈の人や山陰と東京を行き来する人たちにはよく知られた事実であったものの、岡山と東京を往復する生活の内山氏はそのことをうかつにも知らなかったのである。

 困った彼は、その日の夕方4時過ぎに岡山大学の学生会館に行って鉄道研究会の例会をやっている場所に向かった。その日来ていた経済学部2回生の河東敏青年と小学生からこのサークルにスカウトされて通っている中1の米河清治少年にそのことを話したところ、それならいっそ山陰号と急行だいせん、それに福知山線の最終列車をうまいこと使って3人のプランを作りましょうという話になったのだ。

 幸いにもこの2人は、西村京太郎氏の「急行だいせん殺人事件」を読んでいた。無論、他の会員各位はその小説自体を読んでいるわけではなかったが、福知山駅の夜行列車同士が午前0時台にそこで相互に乗換可能になることを知っていた。さらに最終列車はここまでだが、その後先発の急行「だいせん」にも「山陰」号にも乗換可能であることを、少なくともその日例会に来ていた他の会員も皆知っていた。なかにはそこで乗換をしたこともある会員もいるという。


「ほな、米河君、皆さんにプラン、作ったって。おまえさんでも十分できるやろ」

「わかりました。ほな河東さん、すぐ作りますわぁ」


 少年にそう依頼したのは、当時2回生の河東敏青年。先輩の命を受け、少年は自ら持参していた交通公社の国鉄監修時刻表を繰り、大先輩でもある小説家氏の威光に最大限応えたプランをものの10分程度で仕上げたという。


「ところで、この18きっぷ、どういうふうに使えばいい?」

「奥さんには、赤い切符2枚とこのプランをお渡しください。それから窓ガラスのママさんには、このプランと1枚だけ、赤いのをぼくがこの後渡しに行きます」

「窓ガラスのママはそれでいいとして、この夜忙しいから、うちにどちらか届けてくれんかな?」

「それなら、私が届に伺いますので、ご連絡お願いします」

 河東青年の弁を受け、作家氏は公衆電話で自宅の妻を呼出した。幸い自宅は大学の近くにある。河東青年はその場所を聞いて内山氏の自宅に向かい、帰りの駄賃でプランを書かれた紙と切符を届けたという。

 一方の喫茶窓ガラスのほうは、その後米河少年が帰りに立ち寄って、スパゲティを食べて帰るついでに依頼されたものをママさんに直接渡した。


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 3人の動きをプロデュースしたのは内山定義という中年の小説家でなかったと言えばうそになるだろう。だが、その動きを実質的に演出していたのは、小学5年生にして鉄道研究会に「スカウト」されて3年目、昨年13歳になったばかりという弱冠中学1年生の鉄道少年マニア君であったことが、彼らの話を総合して明白になった。


 その間にも、列車はどんどんと西の神の国へと近づいている。列車は倉吉発車後一駅たりとも通過せず、終点の出雲市へ向かう。日曜なのでそれほど乗降もない。

 伯耆大山を出発したら、次は米子。8分の停車である。

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