透明な棺⑥
「そういや、あの店。イベントごとに配ってるんだったらさ、クリスマスはもっと派手なんじゃねぇ?」
のほほんと同僚が話を振ってきたのは、また店へ連れて行けという前触れだったのかもしれない。
男のくせに一人で外食をするのが嫌なのかと思っていたが、そいつはどうやら、弁当がない日に同僚を誘ってどこそこの店に行った、という体裁を必要としているらしかった。そんなもん適当に嘘をついちまえばいいと思うんだが、俺には理解不能な妙なこだわりがあるらしい。変な男だ。
あれから特に不審な言動に遭うこともなく、俺はすっかり警戒心を解いていた。そして何気なく訪れたクリスマス数日前、店内に彼女の姿はなく、代わりにホールを担当していたのは中年の女性だった。普段は厨房にいる人だ。
彼女がどんな契約で働いているのかは知らないが、不在の日に当たったことはなかったから少々驚いた。
他に変わったことは何もなく、かき込んだカツ丼はいつもどおりにうまかった。
どうやら彼女がしばらく休んでいるらしいと知ったのは、俺よりも足しげく通っているらしい常連客の一声によるものだった。
「最近、海凛ちゃん見ないね」
注文と同時に訪ねられた女性は困り顔で「ごめんなさいね。最近あの子、体調が悪いみたいで」と答える。
今月に入って急に冷え込んだことだし、何かの感染症を拾いでもしたか。飲食店ともなれば体調不良の従業員を働かせるわけにもいかないだろう。
「そうなのか。そりゃ奥さん、寂しいねえ」
常連客のでかい声のおかげで、今さらながらに俺はその中年女性が店主の妻らしいと知った。
社に戻って早々に出くわした同僚に彼女の不在を告げると、同僚は露骨に落胆した。
「おまえがクリスマス頃に行くなら俺の分も菓子もらってくれって言おうと思ってたのに」
同僚は菓子好きで、仕事中の間食を欠かした日はない。体格を見るに少し控えた方がいいんじゃないかという気はするが、あえて言うようなことでもない。
初めて話しかけられた日のあれはなんだったんだ、という気はするが、あれ以来必要なこと以外は話してもいない。だから菓子をねだってくれと言われても困るのが本音だったし、今このタイミングで体調不良というなら期待はしない方がいいんじゃないかとも思った。
そんなのんきなことを考える程度には安心しきっていた俺だったが、まさかのクリスマスイブの夜、マンションの前で出くわした時には腰が抜けるかと思った。
近くを歩いていて偶然に出会ったというていではなく、寒さに震えながらエントランス近くに座り込んだその姿からは、明らかに俺の帰りを待っていたのだということがうかがえた。
目を合わせようとは思わなかったし、なんなら知らんふりをして通り過ぎるべきかもしれない、いや電話に出るふりでもして逃げるべきか。
これまでも付きまとわれていたわけではないにしろ、男女逆なら場合によっては通報案件になる気がしないでもない。どうするべきか決めかねたまま、立ち止まるのも不自然に思えて俺がエントランスを通り過ぎようとした時、彼女はさっと立ち上がった。
「あの、佐藤さん。──ですよね。ごめんなさい、あたし、謝りたかったの」
衝突こそ避けられたものの、突然呼びかけられた俺は、恐ろしいものでも見るような顔をしてしまったのかもしれない。後になって思えば店ではクレジットカードを常用していたから、名前の読みくらいは知られていても不思議ではなかったのだが。
「あ、ああ、えーと、鈴木? 店の人から体調が悪いって聞いたけど」
どう対応するべきなのか分からず、悪手を自覚しながら俺は応じた。あれから新たに姉から届いた情報はないが、彼女が鈴木華凛でないことだけは確かだったのに。
「違うの、それ、オーナーの嘘なの。あの、勝手にお菓子を配ってたことを怒られて、それで」
事の経緯までは分からないが、お菓子と言うのがハロウィンにもらったあれのことなら、イベントごとのお菓子配りとやらは彼女が独断でやっていたとことなのか。
常連客の側では慣れたものだったのかもしれないが、店の了承がない配布だったなら確かに危ういように思えた。
「それで、これ、あの、変なものは入ってないから。あたし明日からはお店に戻るから、あの」
目の前に押し付けられた紙袋を俺は反射的に受け取ってしまう。
困惑といくらかの恐怖で俺が身動きできずにいた一方、彼女は彼女でひどく緊張しているようで、話はしどろもどろだし、声は震えているようだった。
「あの、それで。こんなこと言っちゃダメだと思うけど、もう来ないで。ごめんなさい。じゃあ」
紙袋を突き返すこともできずにいる俺の顔を見上げもせずに言い終えると、彼女は身を翻して駆け去ってしまう。
重くはない紙袋の中身は菓子だろうか。どこかに捨ててしまうべきか、マンションが割れているなら捨てたところであまり意味はないのか、混乱する頭を抱えたままで俺は部屋へと引き上げた。
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