透明な棺⑤
ハロウィンのお菓子配りは今年も好評だった。
七夕からハロウィンまではいまいち理由がつけづらくて間が空いちゃうけど、ハロウィン以降はクリスマスにバレンタイン、桃の節句にホワイトデーと楽しみが続く。
大学を中退しちゃって以降、お世話になってるオーナー夫妻には相談なしに始めちゃった習慣だけど、お客さんが喜んでくれてるんだから、オーナー夫妻への恩返しにもなってるとあたしは思ってる。お菓子作りは得意だし、お客さんと仲良くなれるのも嬉しい。
それに、気になってた人にもちゃんと渡せた。不用意に話しかけちゃった日以降、姿を見かけなくなってた人。初めて店に来た日からずっと、あたしの動向をやたらとチラチラと盗み見てた人。
一目惚れでもされたんじゃない、なんて思うほどあたしはお気楽じゃない。誰にも存在を明かせない華凛を身近に感じてるくらいだから妄想癖の自覚はあるけど、現実とそうでないことの区別くらいはついてるし。
だからどうしてなんだろうってずっと思ってた。
春先から時々来店するようになったサラリーマン風、年齢はあたしと同じくらい。近くの会社に転職したのでなければ転勤、お店に来るのはお昼だけ、時間はいつも同じ。お弁当を作ってくれる関係性の相手はいない人。夜、偶然見かけて知った住まいは単身者向けの賃貸マンション。お店ではSNSを眺めて時間潰し。時々はリリースされたばかりのゲームで遊んでるけど、すぐに飽きるみたい。
話しかけるつもりはなかった、夢に出てきた華凛が思わせぶりなことを言ったりしなければ。彼って華凛が知ってる人なんじゃない、それともあたしの妄想は現実世界にあふれ出してて、周囲の皆は知らないふりをしてくれてるだけなのかも。
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、普段よりもお客さんが少なかったある日、考え抜いた一言をあたしは投げかけたんだった、「他人の空似だと思ってる?」って。
彼の反応ときたら、面白いくらいに予想どおりだった。すぐにはなんの返事もできなくて、でもなんのことだか分からないってふうでもない、明らかに何か思うところがある反応。
ほらやっぱり、って、あたしの隣で華凛がはしゃいだ。彼、あたしを知ってる人だよ。
でも逆に何かを言われたところで、彼と華凛の関係性なんてあたしに分かるわけはない。だから記憶喪失だって先手を打った。
間違いないと思った。彼の中にはあたししか存在を知らなかったはずの華凛がいて、あたしの外見に華凛を見ていて。
オーナーに呼ばれて厨房へ戻ろうとした時、「鈴木」って呼びかけられてあたしは確信した。
あたしの姓は田中。鈴木は実母の旧姓で、華凛が鈴木姓を名乗っていたとすれば小学生の頃のはず。
あたしたちの実母について華凛とともに事故死したこと以外にはパパは多くは語らなかったけど、あたしは覚えていた。
田舎の古い家でお寿司を頬張ったあの日、あたしの祖母にあたるはずの人が独り言のようにつぶやいた言葉を──「あの子ったらあんたの次の人とも別れちゃったんだから、そしたら、ここへ戻ってきたらよかったのにね」。
語りたい。あたしの知らない華凛を知りたい。
小学校の同級生らしいとあたりをつけはしたものの、以降、あの人はふっつりと店に現れなくなった。
失敗したと思った。ほんの少ししか話せなかったし、あの人が気になっちゃうような謎かけをするにしたって、もっと上手なセリフ運びがあったかも。
あの人の素性が分かるようなヒントはないかなって考え込むあまり、夕飯時に「卒業アルバム」ってつぶやいちゃって、ママをびっくりさせたりしちゃった。あたしはとっさに「高校の同級生っぽい子を近くで見かけたんだけど、名前が思い出せなくて」って誤魔化した。
それから二ヶ月が過ぎる頃には、もうお店に来ることはないのかもってあたしは思うようになっていて。
そんなことないよ、いつかまた会いに来てくれるはずだよって囁く華凛は、その理由を聞こうとするとふらっとどこかへ行ってしまう。
お店には来なくたって、またどこかで見かけることはあるかもしれない。
そんな淡い期待をかすめながら季節は過ぎて、ハロウィンのお菓子を用意したまさにその日、あの人は再びやってきた。
来るなんて思ってなかったから、個別に連絡先を忍ばせるようなことはできなかったけど。
また会えたことが嬉しくて、でもしばらくやって来なかった理由は以前あたしが話しかけたせいなのなら、次は慎重にしなくちゃねって華凛が囁く。
だからあたしは、表向きは何事もなかったようにふるまった。他のお客さんと平等にお菓子を配ったし、それから初めて見た同席者にも、まぁいっかと思ってオマケで渡した。
ものすごく仲がいいって感じには見えなかったけど、お仕事の話をしていたようだから、同じ会社の人かな。
あの人よりうんとおしゃべりで楽しそうな人で、おかげで不自然じゃなくお菓子は渡せたと思う。
それからあの人は時々店に来るようになった。
華凛に釘を刺されるまでもなくあたしは反省してたから、突拍子もない行動はとらないように気を付けていた。
一方でクリスマスは近づいてくる。メッセージカードに何か書くとか、華凛のことは抜きにして何か話すチャンスはないかなぁ、なんて、あたしはのんきに考えていた。
そんな思いを唐突に突き崩されたのは十二月半ばのこと。
「海凛ちゃん」
仕事上がり、裏口から出ようとしたあたしを呼び止めた奥さんの顔は心なしか強張っていて、嫌な予感がするなって思った。
「もうすぐね、クリスマスだけど。いつも用意してくれてるお菓子ね、悪いんだけど今度はやめようか」
えっ、って声に出して、あたしは理由を聞こうとしたと思う。
「海凛ちゃんがお店のためを思ってしてくれてることだし、お客様も喜んでくださってるし。でもね、うちは飲食店だから万が一何かがあったら困るし、過剰なお返しも困るし、配るならお客様みんな平等にね──……」
あたしから聞くまでもなく理由を並べ立てることができたのは、奥さんもあらかじめ考えに考えてたからなんだろう。
だけどあたしは奥さんの話を全部聞き終えるまでその場にはとどまっていられなかったし、何かを答えることもできず声を呑み込んでお店を出るだけで精一杯だった。
裏口を閉めた瞬間に吸い込んだ空気は思ってもみないほどに冷たくて、でも一息吸った途端に次の呼吸ができなくなったのは外が寒すぎたせいだけじゃなくて、咳き上げてその場にうずくまるのと同時に涙が込み上げて、あたしはしばらくその場から動くことができなかった。
パンツ越しに触れた地面は硬くて冷たくて、それから体を支えようとついた掌には小さな石がいくつも食い込んで痛かった。
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