透明な棺④
俺には二つ上の姉がいる。早々と結婚して実家近くのアパートに住み、フルタイムの仕事を休んで子育て中。なんの用がなくてもこまめに連絡をしてくる方で、地元のコミュニティにどっぷりと浸かっているタイプだ。
姉に伝えたことの多くが親に伝わっているふしはあったが、そんなものだと思っていた。俺からわざわざ親に連絡をとる必要がないって意味ではむしろ楽なくらいだ。姉なりに伝えること伝えないことの線引きはあるようだったから特に気にもしていなかったし、鈴木華凛の話題を出したことにも深い意味はなかった。
個人的に仲のいい連中以外とは没交渉の俺とは違って、姉は地元での付き合いが多い。存在感が薄く、いつの間にかいなくなっていた元クラスメイトのことを姉や地元の連中は覚えているだろうか、くらいの軽い気持ちだった。
だから姉の返信までにいくらか間が空いて──子供が起きている時間帯なら珍しいことじゃなかったが、すでに寝かしつけの終わった時間に間が空くのは珍しいことで、俺は違和感を抱いた。
『その子って、』
短く区切られて始まった返信に俺は首をひねる。
『転校したんじゃなくて、事故で亡くなってない?』
そう続いた返信に、俺は目を見張った。
だったら、あれは誰なんだ。真っ先に俺はそう思った。
彼女はみずから名乗ったわけじゃない。だが偶然似ているだけの別人が「他人の空似だと思ってる?」なんて聞いてくるはずはないだろう。少なくとも向こうは俺を知っていて、俺が彼女を鈴木華凛に似ていると思っていることに気づいているのだ。
そう言えば彼女は子供の頃の記憶がないと言っていた。事故で亡くなっていないかと姉は言うが、姉の記憶違いという可能性はある。店内で「まりんちゃん」と呼ばれていた理由は分からないが、近い音というわけじゃないから聞き間違いではなさそうだ。
子供の頃のあだ名を嫌がって名前を変えたとか? 記憶喪失のまま保護されて育ったが、実はなんらかの事故で行方不明になっていただけだった?──映画なんかのフィクションならありえる設定なんだろうか。行方不明のまま死亡したことになる制度があるんじゃなかったかと思って調べてみたが、届出即死亡となるわけではないようだし、姉の言う「事故で亡くなった」とも矛盾する。
俺個人を知っていたわけでもないのに、過去の自分を知っていそうな人物かもしれないと思って声をかけた、というのも、なんていうか薄気味の悪い話だ。
おかげで店からは自然と足が遠のいた。行きつけにできそうなほどに気に入った店は他になかったが、積極的に足を運ぶ気にはなれなかった。
後日、姉から届いた情報によって、内容は分からないが鈴木家は訳ありの家庭だったらしいことと、鈴木華凛はやはり事故で母親とともに亡くなっているらしいことが分かった。
その店を久々に訪れたのは十月の終わりのことだった。正直言って気乗りしなかったが、うまいと言っていた定食屋に連れて行けと同僚にしつこくせがまれた結果だった。一人で行けばいいのにと思っていたが、初めて行く店で一人は嫌だのという同僚を適当にあしらう間に、薄気味悪さの正体を確かめるチャンスなのかもしれないという考えが湧いたせいもある。
彼女の様子には特段おかしなところはなかった。注文から配膳、片付けまで明るく手際よくさばいて回っている。
彼女がふらりと近づいてきたのは、期待以上だと満足げに同僚が完食した頃のことだった。お冷の追加というわけでもなさそうで、瞬間、強張った俺の目前に置かれたのは、可愛らしくパッケージされた小袋だった。
紫のリボンをつけた黒猫にジャック・オ・ランタン。
「へー。ハロウィン?」
向かいの席からひょいと手を伸ばした同僚が言う。
「季節のイベントに合わせて常連さんに配ってるんです」
彼女はそう言いながら同僚の前にも小袋を置いた。常連と言う言葉に引っ掛かりを覚えて黙ったままの俺とは裏腹に、「俺、初めて来たけど?」などと同僚は嬉しそうだ。
「うーん、顔なじみの方のオマケ?」
「はははは、ラッキー」
軽薄ささえ感じるほどの同僚の愛想に俺は内心引いてはいたが、表立っては礼を言って小袋を受け取るだけに留めた。
常連に配っているというのは嘘ではなさそうで、彼女は他のいくつかの席にも立ち寄って小袋を配り、そのたびに相手と楽しそうに会話をする様子がうかがえた。
社に戻って開けた小袋には手作りらしいカードが入っていた。「Happy Halloween」「いつもありがとうございます」とだけ書かれたなんの変哲もないカードで、右下には店の名前と「海凛」という署名があった。
中身は手作りの焼き菓子だった。出来栄えがプロ顔負けなんじゃないかと同僚は感嘆していたが、特に甘いものが好きってわけでもない俺には普通にうまい菓子だな、と思った程度だった。
これが俺だけに渡されたなら、二度と店に行かない理由になっただろう。
子供の頃の記憶がないと話しかけられた時の薄気味悪さを忘れたわけじゃなかったが、特に避ける理由はなさそうだと思った俺は、週に一、二度のペースで店に通うようになった。
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