第九話 現状整理と今後の方針

 十月二十三日午前十一時五十分。


「そろそろ昼にしようか」


 一服から戻って来た百瀬先生の呼びかけで俺たちは再びリビングに集合した。

 確かに小腹が空いてくる時間帯だ。

 先程ゾンビ相手に一戦交えたせいか、思った以上に空腹だった。


「何スかそれ?」


 先生とクラスメイトが持ち込んだ鞄から次々にビニール袋を取り出した。


「ここへ来る途中にコンビニで調達してきた。お前の分もあるぞ」


 淡々と百瀬先生が言った。

 素晴らしい。てっきり最初から俺の食料が消費されると思っていたからだ。


「お弁当は傷んでてダメだったけど、チルド食品や冷凍食品は大丈夫だったから色々持ってきたんだ」


 照れたように笑った川中がテーブルの上に戦利品を広げ始めた。

 それは……サラダチキン。素晴らしい。筋肉が喜ぶ。

 動物性タンパク質に飢えていた俺は歓喜した。


「ヘヘッ、酒やつまみも色々かっぱらってきたからよ。今夜は飲もうぜ!」


 こいつは浜……浜崎だったか。お調子者の浜崎が飲酒宣言をした。

 それは素晴らしくない。


「せんせー、浜崎君が未成年飲酒しようとしてまーす!」


 メガネの真島がまたからかうように言った。

 もう法律は機能してないから問題ない、と百瀬先生が答えた。だからそういう問題じゃないと思う。本当にこの人は倫理の教師なのだろうか。


「いただきまーす!」


 川中の元気な挨拶と共に昼食が始まった。

 他人と食卓を囲むなんて何年ぶりだろうか。どうにも違和感が拭えなかった。


「うんめえ! 久々にまともな飯って感じがするぜ!」


 薄切りのハムをガツガツと貪りながら浜崎が言った。食べ方の汚さはゾンビ並だ。


「あ、黒沢くん。後で私たちお風呂を借りてもいいかな? ほら、私たちもう三日も入れてないから」


 遠慮がちに川中が尋ねてきた。

 今までずっと学校にいたのなら当然風呂に入る余裕もなかったのだろう。


「ああ。まだガスも水道も止まってないから自由に使っていいぞ」


 止まったとなればこちらにも考えがあるが、今はまだ好きにさせておくとしよう。


「ヘヘッ、一緒に入ろうぜ葉月」


 浜崎が下卑た笑みを浮かべた。


「きゃっ!? ちょっとヤメてよー! みんないるのにー!」


 満更でもなさそうな様子で川中が笑った。

 うーむ。こいつら八つ裂きにしたい。


「黒沢。今後のことだが」


 食事が一通り済んだ段階で百瀬先生が声をかけてきた。


「そうですね。俺の方から説明させていただきます」


 皆の視線が集中するのが分かった。

 大勢の前で喋るのは慣れていないので少し緊張する。


「百瀬先生から大体の事情は聞いた。避難所に向かうまでの生活は保障するから安心してほしい。ただしいくつか条件がある」


「条件って?」


 抜け目のなさそうな真島が即座に確認してきた。


「俺の指示に従ってもらうこと。俺の行動に口出ししないこと。ここを出た後もこの家のことは他言しないこと。この三つだ。この条件が呑めないなら出て行ってもらう」


 後でギャアギャアと騒がれないためにもこの条件は譲れなかった。


「ま、仕方ねぇか……。でも指示って、何やらされるんだよ」


 怪訝そうな顔で浜崎が言った。


「簡単な労働だよ。全部敷地内でやることだから危険はない」


 働かざる者食うべからずだ。

 一時的とはいえこの王国で暮らす以上は働いてもらう。


「何をすればいい?」


 いつものことだが、百瀬先生は無表情だった。

 怒っているわけではないとは思うが、相変わらず読めない。


「そうですね。先生には情報収集をお願いします。テレビや部屋のパソコンも自由に使っていただいて構いません」


 俺自身もある程度は集めたが、最新の情報というのは常に必要だ。それに教師ならではの視点も欲しかった。


 部屋のパソコンを触らせるのは抵抗があったが、お気に入りのアダルトサイトのリンクや画像などは全部『知育玩具』という名前の隠しフォルダに隔離してあるので多分大丈夫だろう。


「分かった」


 百瀬先生が素直に頷いた。

 教師に指示を出すというのは奇妙な感覚だ。


「川中と三杉には庭の倉庫と俺の部屋にある物を中心に備品リストを作成してもらいたい。食料品リストもだ。食料の詰まったダンボールは賞味期限が近いやつから前面に並べてもらえると助かる。先入れ先出しと言うんだったか? コンビニやスーパーでよくやってるアレだよ、アレ」


 実のところ食料はともかく、だだっ広い倉庫にある備品に関しては俺も全てを把握しきれていない。


 俺自身が気になった物を通販で次々と買い込む上に、無駄に防災意識が高かった家族も買い揃えたグッズを手当たり次第に放り込んでいたからだ。何が眠っていても不思議ではないので、今一度洗い出しておきたかった。


「あ、あの……」


 苦しそうな顔で三杉が声を出した。


「なんだ?」


「わ、私……三崎です。三杉じゃないです……」


 そういえばそんな名前だったような気もする。

 色んなことを考えていたらすっかり忘れていた。


「あ?」


「ひっ!?」


 俺が睨むと、三崎は再び怯えたような声をあげた。雑魚が……。

 こいつのおどおどした態度を見ていると腹が立つ。


 やけに手厳しく見えるかもしれないが、俺は抗う意思を持たずに状況に流されて生きる者、自分の力で道を切り開けない者、無能な者には基本的に容赦がない。


 本来ならば世界がこうなった時点で淘汰されて然るべきだった弱者が何かの間違いで生き延びている現状は実に気に入らなかった。


「黒沢君。僕たちは何をすればいいかな?」


「そうだな……。男は肉体労働だ」


 真島の問いに、俺は珍しくニッコリと微笑んだ。


 十月二十三日午後二時。


 浜崎、真島、俺の三人は庭で農作業の最中にいた。


「やっべ、腰が、腰が死ぬ。もうムリだ」


 作業開始から一時間もしないうちに浜崎が情けない泣き言を漏らした。


「ガタガタ抜かすな。これでも土の大半は事前にこっちで耕しておいたんだ。ほとんど植えるだけで終わるなんてご褒美みたいなもんだろ」


 今回育てるのは大根、ほうれん草、ブロッコリーだ。俺はしゃがみ込む度に種に向かってぶつぶつと語りかけた。頑張れよ。大きくなれよ。美味しく育てよ。愛してるぞ。


「おい明宏、こいつやべーぞ。目がイッてる」


 その姿を見た浜崎が引き攣った顔をした。


「あはは、黒沢君って面白いね」


 なぜか真島にはウケたらしい。


 十月二十三日午後三時。


「そういえば気になっていたんだが、ここに来るまでどうやって過ごしてたんだ?」


 小休止中に興味本位で俺が尋ねた。


「ずっと職員室に立て籠もっていたんだ」


「地獄だったぜ。クラスの連中も大勢死んだしよ」


 真島と浜崎が思い出したくもないといった顔で答えた。


「パンデミックが発生した時の状況は?」


 あまり触れてはいけない話題なのかもしれないが、こいつらの心情などどうでもよかったので俺は追求することにした。


「ちょうど昼休みだったよ。周囲が騒がしいと思った時には既に広がってた。百瀬先生が誘導してくれなかったら僕たち確実に死んでたね」


「なー! マジ先生かっこよかったわ! ゾンビになった他の先公も遠慮なくぶっ殺してたし」


 確かに同僚相手でもあの人ならやりそうだ。

 その光景が容易に想像できてしまうのが恐ろしい。


「その後で職員室に?」


「うん。施錠して机や椅子をバリケード代わりにして粘っていたんだけど、常に奴らの呻き声や扉を叩く音が聞こえるから安眠できなかったよ。職員室の共用冷蔵庫の中身も心許なかったし、肉体的にも精神的にも参ったね」


「そんな状況からどうやって脱出したんだ?」


「まぁ……言ったところで信じねぇよ」


 俺の純粋な疑問に浜崎が答えた。何だそりゃ。


 十月二十三日午後五時。


 日没と共に作業を終えた俺たちは家の中に戻った。

 そしてリビングに向かうと、食べ物の良い香りが漂ってきた。


「みんなお疲れ様! 黒沢くん、台所借りてるからね!」


 事後報告かよ。川中の良く通る声が響いてきた。


「あ、あの、黒沢君。これ……備品リスト」


 テーブルに食器の配膳をしていた三崎が俺に紙の束を手渡してきた。


「これは三崎が書いたのか?」


「ひっ!? み、見辛かったかな? ごめっ、ごめんなさい」


「……なかなかやるじゃないか」


 紙に専用のパソコンソフトで作成したのかと思うほど丁寧な罫線が引かれている。字体も綺麗で何が書かれているのか一目瞭然だ。


 そして食料品の種類と数だけではなく、この頻度で消費すればいつ頃に無くなるかといった備考まで記されている。備品と日用品も別紙にしっかり書かれているな。


 ほぅ、倉庫にLEDのソーラーランタンなんて置いてあったのか。これは知らなかった。電気の供給がストップしたら使えそうだ。


「ひっ!? ごめっ、ごめんなさ……あ、あれ?」


 反射的に謝罪した三崎が途中で拍子抜けしたような顔をした。

 いくらなんでもビビりすぎだ。

 俺は自身の能力の有用性を示した者は素直に認めるし、一定の敬意だって払う。


「和音すっごいでしょ! あたしはバカだから数えるの担当で、作成は全部和音にやってもらっちゃった!」


 こいつは馬鹿正直すぎる。数量を間違えてないか不安だ。しかし、三崎の意外な能力を発見できたのは良かった。裏方の細かい作業にならどうにか使えそうだ。


「黒沢くん! お夕飯まだかかるから先にお風呂入ってきなよー!」


 川中に風呂に行くよう促された。お前は俺の母親か。まぁ確かに汗を流したかったので俺は入浴することにした。


 だが、ここでつい自分しかいないものと思い込み脱衣所の引き戸を開けると、細身ながら抜群のプロポーションを誇る百瀬先生の艶やかな肢体が視界に入ってきた。


 まずい、着替え中だったのか……。


「なんだ、黒沢か。ノックぐらいしたらどうなんだ?」


 百瀬先生は俺に気づくと、呆れたような顔をした。


「し、失礼しました! って、先生も入ってるなら鍵閉めてくださいよ! だめだ、鼻血が……」


 長期間ひきこもっていた俺に、生で見る妙齢の女性の着替え姿は刺激が強すぎたらしい。ポタポタと鼻血が噴き出てきた。


「大丈夫か? まぁ、思春期の男が女の身体を見て興奮するのはよくあることだから、あまり気にするな」


「いや、先生が気にしてください! 恥じらいを!」


 なぜ動じない。なぜ無頓着なんだ。

 肌の白さがより扇情性を際立たせていた。


「そう……だな。では、閉めるぞ」


「うぁい!」


 くそっ、今夜は眠れないかもしれん。

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2024年12月13日 02:00
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ゾンビVS.ひきこもり 春雨 蛙 @treefrog312

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