第八話 訪問者たちの自己紹介
「うっそー! 黒沢くんって、入学式にしか来なかったあの伝説の!?」
伝説がつくのは違う黒沢ではないだろうか。
リビングに入って一息つくと、皆の興味の対象は俺に移ったらしい。さっきまで生きるか死ぬかの瀬戸際だった癖にお気楽なものだ。
「そうだ。一応お前たちのクラスメイトということになる」
百瀬先生が付け加えた。一応って何だ、一応って。
教室には俺の机と椅子が今でも残っており、休み時間に別のクラスの連中が遊びに来た際には有効活用されているらしい。結構な話だ。
「ひきこもりとは思えないガタイだな……」
男子生徒の一人が値踏みするように俺を見た。当然だ。生活こそ不規則だが、俺は毎日スポーツ強豪校の部活にも引けを取らないほどの運動量を自分に課している。
「あたし
先程驚いていた女子生徒が名乗った。
「あぁ」
俺が気のない返事をした。
川中はショートカットで肌も程よく日焼けしていて、活発な印象だ。きっと運動神経も良いのだろう。
「オレは
ガタイがどうとか言っていた男が名乗った。
どうやら自己紹介の流れらしい。
「あぁ」
浜崎は派手な髪色をした軽薄そうな男だった。見るからに体力はあるが知力のないタイプだ。それにしてもこの浜崎と川中、妙に座っている距離が近い。
俺が訝し気な目を向けると、その視線に気づいた浜崎が川中を抱き寄せながら宣言した。
「そう、オレたち付き合ってんだ! 手ぇ出すなよ?」
これがゾンビ映画ならばお色気要員として中盤に二人でよろしくやってるところを喰われて終わるパターンだ。誰と誰が番いだろうが知ったことか。しかし、無性に腹が立つのはなぜだ。俺は壁を殴りたい気分になった。
「せんせー、浜崎君と川中さんが不純異性交遊してまーす。いいんですかー?」
二人の横に座っていたメガネを掛けた男がからかうように言った。
学校閉鎖だから問題ない、と百瀬先生が答えた。そういう問題じゃないと思う。
「僕は
メガネの男が立ち上がって礼儀正しく頭を下げた。
こいつら次々に自己紹介するのはいいが、俺がいっぺんに名前を覚えられるとでも思っているのだろうか。
はっきり言って俺はゾンビ以外の関心は薄い上に頭も回る方ではない。
中学の時分に自宅で無理やり受けさせられた実力テストではいつも九十点前後をウロウロしていた。五教科の合計でだ。
「あぁ」
俺が素っ気なく答えた。
さっきから「あぁ」としか言ってない気がする。
「オレと明宏は幼稚園からのシンユーだから、そこんとこよろしく!」
浜なんとかが訊いてもいない情報をべらべらと喋り出した。
「うん……そう思っているのは君だけだったりして」
「ひでえ!?」
「あはは、冗談だよ」
この真島という男は、浜なんとかいうアホと違って知的な顔立ちをしている。
サッカー部ということはそれなりに鍛えてもいるのだろう。いざという時に使えるかもしれない。これで生き残ったクラスメイトは全員か。
「ほら、次は
川中が誰かに声をかけた。
「う、うん……」
そういえばまだ一人いた。存在感がなさすぎる。
そいつは小動物を思わせる小柄な女だった。
「あ、あの、
他の無駄に明るい奴らとは対照的に随分おとなしいというか、弱々しい。蚊の鳴くような声だ。長髪で隠れがちになっている目も余計に気弱な印象を抱かせる。
よく今まで生きてこられたものだと思った。きっと箱入り娘として大切に育てられ、今回の騒動でも周囲に守られながら生き延びてきたのだろう。実に気に入らないタイプだ。
俺が三崎と名乗った女を一睨したところ、「ひっ」と怯えたような声で目を逸した。雑魚が……。
さて、これで一通りの自己紹介が終わったわけだが、この中で即戦力になりそうなのは百瀬先生くらいだろう。
線は細いが空手部の顧問で、現役だった学生時代は組手で国体の出場経験もあると聞く。正直、さっき庭で食らった膝蹴りはもう少しで胃液を撒き散らしてしまうところだった。
他の連中も運動は得意そうなので、こちらの指示次第ではある程度使い物になるだろう。だが、三崎とかいう女は駄目だ。足手まといになる。肝心な場面で足を引っ張られる前に暗殺したいくらいだが、まさか実行に移すわけにもいくまい。
「黒沢」
難しい顔をして頭を捻っていると、不意に百瀬先生に声をかけられた。
「うぁい!?」
「悪いが家の中を案内してもらえるか?」
てっきり暗殺がどうとか考えていたのがバレたのかと焦った。
「あ、そうッスね」
今後のことを考えると、部屋割やらルールやらを最初に決めておいた方がいいかもしれない。後でこんなはずじゃなかったと文句を言われても困るからだ。
それにしても、これで俺を含めて全部で六人か……。俺は心の中でため息をついた。
五人増えて六人になったということは、食料や水の消費量も数倍になる。すなわち、一年分はあった備蓄が大幅に減るということだ。節制してもせいぜい三ヶ月が関の山といったところだろう。
貯水可能な水はまだいいが、問題は食料だ。今すぐにでも作物の栽培を始めなければ間に合わないかもしれない。場合によっては外に物資の調達に行く必要も出てくるだろう。
そして人が増えるということは、その数だけトラブルも増える。
なるほど、こいつらは衣食住を提供した俺に最初は感謝するかもしれない。こんな性格の俺にも優しく接してくれることだろう。
だが、人間は常に現状に不満を抱く生き物だ。数週間、いや、数日もすればこの生活にも文句が出てくることが予想される。
忍耐力がありそうな百瀬先生や、俺のように対ゾンビに向けて禁欲的な生活をしてきたならともかく、享楽的な毎日を送ってきた今時の高校生たちがこの生活に耐えられるとは思えなかった。
次第にメンタルが蝕まれ、問題を起こす者も出てくるかもしれない。その辺りは予め留意しておいた方がいいだろう。
「すっごーい! お水と食べ物がこんなにたくさん!」
「へへっ、見ろよこれ! ぜんぶ食料だぜ! これだけあれば当分持つな!」
家の中を一通り案内すると、半ば貯蔵庫と化している俺の自室でバカップルが嬌声を上げた。はしゃぐのは結構だが、なぜ既に自分の所有物気分なのだろうか。
どうやら降って湧いたような幸運に尊重の心というものはなくなるらしい。宝くじの当選者に群がる亡者というのはこんな感じなのだろうかと思った。
「ほら見なよ和音。すごいよ!」
「う、うん……」
あぁよせ。それは秘蔵のサバ缶。ぶち殺すぞ。やめてくれやめてくれ。あああああやめろやめろやめろ。
(んー! んーッッ! んーッッッ!)
真っ先にメンタルが蝕まれたのは俺の方だった。
自分の領域に土足で踏み込まれることを何よりも嫌う俺は早くも頭がどうになりそうだった。しかし取り乱した姿を見せるわけにはいかないので、血が滲むほど唇をギリギリと噛み締め、特大の深呼吸をすることでどうにか気を落ち着かせた。
「すまないな、黒沢」
後方でカタカタと小刻みに震えている俺の姿を見て何かを察したのか、百瀬先生が謝ってきた。
「あ、いえ、先生が謝ることじゃないですよ」
「われわれとしても長居するつもりはない。何日か休息を取らせてもらって準備を整えたら出ていくつもりだ」
俺の家は補給施設か。だが、それは意外というか朗報だった。
こんな奴らとの共同生活には早くも耐えられる気がしなかったからだ。
「そうなんですか。どこか行く宛はあるんですか?」
「最寄りの避難所に指定されている宝田デパートに向かうつもりだ」
「避難所ッスか。やめておいた方がいいと思いますけどね」
ニュースでもやっていたが、既に連絡の取れなくなっている避難所もいくつかある。そしてこれまで何度も言っているように、あんな大勢の人間がいる場所は却って危険なのだ。
「無駄だとは思うが一応訊いておく。黒沢、お前も一緒に来ないか?」
「俺が? 行くわけないでしょ。この快適な城で一生を終えるつもりなんですから」
「そう言うだろうと思ったよ。ブレないな、お前は」
百瀬先生が微笑した。
笑うところを見たのはこれが初めてかもしれない。
「あぁ、余計なお世話かもしれませんが、本気で生き残るつもりで避難所に向かわれるのでしたら、道中であの三崎とかいう女は見捨てた方がいいですよ。あれは足手まといでしょう」
本当に余計なお世話だなと苦笑しつつ、怒られるのも覚悟で俺は進言した。
「そう見えるか?」
「ええ。見たところ先生たちが守ってきたからここまで生き延びられたんでしょうけど、この先も上手くいくとは限りませんからね」
だが、百瀬先生の反応は意外だった。
「逆だ。三崎がいたからわれわれは生き残れた」
「え……?」
「まぁ、そのうち分かるさ」
てっきり冗談だろうと思ったが、この人は冗談を言うタイプではない。
俺が知らないだけで、三崎とやらは身体能力に自信でもあるのだろうか。あるいは口から火を吹いたり空を自在に飛んだり、何か超常的な特殊能力でも持ち合わせているのだろうか。
俺がありえない空想に耽っていると、百瀬先生は煙草を吸いに庭へ出て行った。自由すぎる。
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