第二章 ひきこもり王国の異変
第七話 突然の訪問者たち
ゾンビ共を始末してから二日間は平和だった。
午前中は肉体労働で汗を流し、昼からはのんびりとテレビの報道を見て笑い転げる。非常に充実した人生最良の二日間だったと言ってもいい。
テレビの報道によると、今や国民の八割はゾンビ化したのではないかという話だ。
既に連絡の取れなくなった避難所も出てきたらしい。懸念していた通りだ。何の役にも立たない人間を大勢集めるからこうなる。その点俺は一人だから安心だ。どうにでもなる。
しかし、平和というものはそう長続きするものではないらしい。
忘れもしないパンデミックの発生から三日後。俺の生活は一変した。
十月二十三日午前十時。
近所から久々に車のエンジン音が聞こえてきたので、俺は急いで二階に向かった。
そしてすぐにパソコンのモニター前に陣取り、監視カメラの映像を確認した。
すると程なくして、自宅正面のシャッターに向かって歩いてくる集団の姿が目についた。先頭を歩くスタイルの良い女はパンツスーツ姿で、後ろを歩く男女四人は制服を着ていることから、引率の教師とその生徒に見受けられた。
はて、どこかで見たような制服だ。
「黒沢、いるのは分かっている。シャッターを開けてくれないか?」
一体どういう洞察力をしているのだろうか。先頭の女が家族すら知らない監視カメラの位置を正確に捉え、カメラ目線で呼びかけてきた。その堂々たる佇まいには一切の迷いが感じられない。
「百瀬先生……ご無事に生きてやがりましたか」
俺は奇妙な日本語をつぶやいた。
百瀬先生こと
百瀬先生はセミロングの黒髪が似合うクールな麗人だが、少々愛想に欠けており遠慮のない物言いをする。彼女の鋭い目で見られると全身を射抜かれたような気分になるので俺は少し苦手だ。
百瀬先生は入学式にしか来なかった俺のことを気にかけているのか、不登校から半年経った今でも忙しい合間を縫って週に一度の頻度で自宅を訪ねていた。
教師の義務だからな、と本人は言っていたが、実のところ俺の母親が毎回出すケーキと紅茶が目当てなのではないかと思っている。
「黒沢。中に入れてくれないか?」
ついでにインターホンまで鳴らしてきた。いいって、それは。
百瀬先生は俺がゾンビ対策に夢中になっている事情をある程度把握している。食料を大量に備蓄していることや、家が頑丈で安全な造りになっていることもだ。おそらくそれを見越して生き残った生徒を引き連れてはるばるやって来たのだろう。相変わらず抜け目のない人だ。
どうしたものか、と俺は顔をしかめた。
さて、ここまで根気よく読んでくださった読者諸賢は薄々感じ取られたかもしれないが、俺は身勝手な人間であり、基本的には自分が生き残ることにしか興味がない。海外旅行に出かけたという家族の安否さえ気にかけていない点からも読み取れる通り、はっきり言って他人がどうなろうが知ったことではないとさえ思っている。
社会性に乏しく一般常識に欠け、ついでにコミュニケーション力も著しく低い。ひきこもりの弊害か、元々の素質があったのか、他人の心情を推し量ることもできない。どこに出しても恥ずかしい真性の社会不適合者であり、人助けなど噴飯物だ。
しかし、そんな俺にもたった一つだけ看過できない理由があった。それはゾンビ映画において『他人を見捨てた者はゾンビに喰われる』という法則だ。
何を馬鹿なと思われるかもしれないが、俺は結構ゲンを担いだり、ジンクスを信じる方なのだ。日常が崩壊して無秩序な世界になったからには、ますますそういった要素を無視できなくなる自分がいた。
「先生! 後ろからあいつらが来ています!」
その時、女子生徒から悲鳴が上がった。あいつら、というのは言うまでもなくゾンビのことだろう。迷っている暇はないか……。
「黒沢。頼む」
百瀬先生が再び頼み込んできた。やむを得ん。
遠くならいざ知らず、名指しで助けを求めている者たちを目の前で見捨てたら、俺の末路はきっとゾンビに喰われるにちがいない。だからこれはあいつらのためではなく、俺のためなのだと自分に言い聞かせて助けることにした。
「分かりました先生。今シャッターを開けます!」
「恩に着る」
百瀬先生の何ら調子の変わらない声が返ってきた。ええいクソ、今日は厄日だ。
俺は部屋から切れ味抜群の鉈を持って庭に飛び出した。
「ひぃぃぃいいいあああああああああああああ!」
庭でシャッターを開けた俺は、秘境の部族のような声を上げながら外に躍り出た。
まさかひきこもりの俺が外に出る羽目になるとはな……。
「うわぁ、何だこいつ!?」
男子生徒からは驚きの声が飛び出し、女子生徒からは悲鳴が上がった。まぁ、この出で立ちを見たら大抵の人間は驚くだろう。
格好はいつものニット帽、透明のゴーグル、マスク、厚手の革ジャン、バッティング手袋、工事現場用ワークパンツ、安全靴。そして手には巨大な鉈だ。
「早く中に入れ!」
そして俺は行きがけの駄賃とばかりに、接近しつつあるゾンビの集団に向かって鉈で襲いかかった。最初の一撃で一体目の頭がグシャリと潰れて鮮血が飛び散った。
(ゾンビの頭ってこんなに脆かったっけか……)
ああそうか。今まで壁の上で戦っていたから、どうしても腰の力が入らなかったのだ。こうして同じ地面に立って戦ってみるとどうだ。まるでスイカじゃないか。
次の二体目を足払いで転倒させた俺は、全体重を乗せた踵で頭部を踏み潰してやった。
安全靴とコンクリートの組み合わせは格別だ。言いようのない快感だった。
「すげぇ……」
男子生徒から感嘆の声が聞こえてきた。
当然だ。俺を誰だと思ってやがる。
全てはこの日のために鍛えてきたのだ。
「いいから早く中に入れ!」
俺の声でようやく我に返った生徒たちは、次々に敷地内へと入って行った。
そして誘導で最後まで残っていた百瀬先生の合図と同時に俺も帰還すると、すぐにシャッターを降ろした。
「噛まれたヤツはいねぇぇぇえがああああ!?」
俺は声を張り上げた。感染者がいるなら始末してやるつもりだった。
周囲から怯えたような緊張感が伝わってきた。
「落ち着け、黒沢。誰も噛まれていない」
……中には動じていない人間もいるが。
ただ一人冷静な百瀬先生が俺を静止する。
「んなもん信じられるかよ! お前ら全員服を脱げ! 俺が調べてやる!」
「きゃあああああああああ!」
女子生徒から悲鳴が上がった。そして尚も興奮して鉈を振り回しながら生徒たちに近づこうとする俺に、百瀬先生が無言で膝蹴りを入れた。まるで調教師と猛獣だ。
「落ち着いたか?」
「うぐっ……お、おはようございます、百瀬先生。お元気そうで何よりです」
苦痛で顔を歪ませながら俺は挨拶した。
「心にもないことを言うな。だが、感謝する。性格を顧みるに、お前は受け入れてくれないかもしれないと思っていたよ」
本当は受け入れたくなんてなかった。
実に的を射た分析だが、先生にとっての誤算は俺がとんでもなく信心深い性格だったということだ。
「まぁ、こっちにも事情がありますんで。とりあえず上がってください」
俺は内心ウンザリしながらも、突然の訪問者たちを家の中へと案内した。
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