第六話 悪夢とゾンビ再び
「お父さん! 何これぇ!?」
夢を見た。というよりは過去の記憶だ。まだどこにでもいる普通の小学生だった俺が、テレビに映し出されている凄惨な光景を指差した。
「あぁ、ゾンビ映画だよ。誠也にはまだ早いかな」
人が人を食べていた。いや、食べていた方は人ではなくゾンビというらしい。そいつは凄まじい力で人体を引き裂くと、臓物を引きずり出して夢中で咀嚼していた。
「ゾンビ……」
あまりの恐ろしさに涙が出そうになった。しかし、決して目は逸らさずに俺はその光景を焼き付けようとした。
「おっ、誠也も男の子だなぁ」
人の気も知らないで親父は感心したように笑っていた。
「ちょっと! 何を見せてるの!?」
「いや、これはだな……」
母親に咎められた親父がバツの悪そうな顔で言った。
そうこうしているうちに映画はバッドエンドで終わった。
やっとの思いで主人公たちが辿り着いた島は、既にゾンビで溢れていたのだ。
映画は必ずハッピーエンドで終わるものだと思っていた幼き日の俺は衝撃を受けた。
「どうしたの誠也。もう食べないの?」
「うん。もういらない……」
しばらく肉が喉を通らなくなった。
今でこそバクバク食ってモリモリ筋肉をつけているが、当時は食べようとするとゾンビの捕食光景がフラッシュバックして吐き気を催したのだ。
そして何度も夢にうなされた。悲鳴を上げて逃げ惑う人々。押し寄せてくるゾンビ共。そんな鮮明な映像が俺の脳裏に叩きつけられたのだ。
「いつかゾンビがやって来る……」
俺は確信した。
「誠也。今日も学校を休むつもり?」
「いつゾンビが出てくるか分からないのに学校なんて行ってられないよ!」
「この子はまたそんなことを言って!」
食事の拒否やレンタルビデオ屋でゾンビ映画をねだるようになった辺りは両親もまだ寛容だったのだが、俺が本格的に部屋にひきこもるようになってからはさすがに難色を示し始めた。
無理やり学校へ連れて行こうとする度に俺が奇声を上げて暴れると、そのうち大人しくなったが。
俺は学校になど行っている暇はない。身体を鍛えて少しでも奴らのことを研究しなければならないのだ。
その姿勢は中学に上がってからも変わらなかった。おかげで眠っている間に捕獲されて何度病院に連行されたことか。
「まぁ息子さんの場合、多感な思春期にありがちな妄想が肥大しちゃったんでしょうなぁ。なぁに、時間が解決しますよ。ガハハ。お父さんもお母さんもご心配でしょうが、息子さんを特別視せずにいつも通り接してあげることが肝要です。ガハハ!」
よく肥えた医者が豪快に笑った。
馬鹿共が……。外の世界を見てみろ。
俺の言う通りになったではないか。
十月二十一日午前六時。
俺は寝汗びっしょりで飛び起きた。
嫌な夢を見たな……。いや、今では感謝している。
何も知らずに生きていれば、今頃俺は為す術もなく喰われていただろう。
あの日いち早くゾンビという異形を知ることができたから、俺はこうして備えることができたのだ。
さて、今日の活動を開始しようではないか。今のうちにやっておきたいことが山ほどある。
十月二十一日午前六時十分。
俺は自宅の庭に出ていた。そして倉庫に行くと、仕舞い込んでいる携帯用のポリタンクを引っ張り出してきた。
このポリタンク一つにつき二十リットルの水が入る。未使用時は折り畳んで収納できる利便性に釣られて買い込んだせいで、これが何と五十個もある。都合千リットルだ。
自室にもペットボトルの備えは相当数あるのだが、水はいくらあっても困ることはないだろう。そして問題なく飲むことのできる日本の水道水は貴重だ。この先いつ水道が止まってもおかしくないので、今のうちに溜め込んでおきたかった。
十月二十一日午前八時三十分。
作業を終えた俺は肩で息をしていた。汗が止まらない。だが、一人でやるとこんなものかもしれない。
効率を追求するために時間を計ってみたのだが、ポリタンクを二つ持って家の中に入り、水道水を溜めて倉庫に戻って積み上げるまでに最短でも五分はかかる。
わが家の水道管の排水量が毎分約十リットルなので、ポリタンクを一つを満たすのに二分。二つで四分。移動と積み上げで一分。これを二十五往復繰り返すのだ。
すぐに熱くなる俺はタイムアタックを意識してしまい、おかげで必要以上に疲弊する羽目になった。だが、この程度でへばっている場合ではない。まだ一日は始まったばかりだ。
十月二十一日午前九時。
俺はクワを持って庭の土を耕し始めた。
まだ種を植えるつもりはないが、土だけでもならしておきたかったのだ。ついでに俺は母親が大事にしていた花壇も破壊して作物が育てられる環境を整えた。
農作業は全身運動だ。加えて普段使用していない筋肉も稼働できるので良い負荷になる。今日はこれが筋トレ代わりになるかもしれない。
(パンデミックの発生が半年前だったら今頃ホクホクのサツマイモが楽しめたのになぁ……)
庭の土に通販で仕入れておいた腐葉土を混ぜながらそんな考えが頭に浮かんだ。連作が可能で収穫量も多いサツマイモは戦時中も重宝されたと聞く。この世界でもさぞや頼もしい味方になってくれたはずだった。
十月二十一日午前十一時五十分。
大方の作業を終えた俺は一息つくことにした。こんなに働いたのはいつ以来だろうか。
俺は昼食の前にシャワーを浴びた。まだ水は供給されているので贅沢に使用できる。全身の細胞が生き返ったかのような心地だった。
さて、お次は楽しい昼飯の時間だ。俺は戸棚からカップラーメンを取り出した。肉体労働の後なので手っ取り早く作れて塩気のある物が欲しかったのだ。
「何でこんなことになったんだろうねぇ……」
カップラーメンを啜りながらテレビを点けると、避難所の生活の様子が映し出されていた。どこかの大型百貨店と思わしき避難所で年寄りがインタビューを受けていた。店から提供されたと見える毛布にくるまって悲しそうな顔をしている。
「思い上がった人間の業!」
俺は昨日のテレビに出ていた評論家の真似をして一人で笑い転げた。
はっきり言って俺はゾンビの発生原因等には微塵も興味がない。関心があるのはこの世界で自分が如何に生きていくかだ。
テレビではこの混乱に乗じて金品などを強奪する火事場泥棒についても注意を促していた。世界がこうなってしまった今や金品など何の価値もないというのに何を考えているのだろうか。だが、気に留めておくべきだろう。
十月二十一日午後一時。
俺は再び庭に出た。先程のニュースに触発されたわけではないが、昨日中途半端に終わっていた有刺鉄線の設置作業の再開は急務と思えたからだ。しかし、ここで問題が発生した。
壁の上で作業中に軽トラックが通りかかったのだ。すぐにでも隠れるべきだったが間に合わなかった。
「生存者か!?」
荷台に乗っていた男が話しかけてきた。それほど遠い距離でもないのに、よりにもよって拡声器でだ。
「そうですね」
見れば分かるだろうがと言いかけたが、どうにか耐えた。
「そうか! 良かった。おれたちは近くの生存者を救助しながら避難所に向かうつもりなんだが、一緒に行こう!」
「いえ、結構です」
俺は即答した。どうにも胡散臭い。
荷台にいた男は作業着姿だったのだが、拳銃の収まったホルスターを身につけている。
あれは警察官に支給されているものだ。そしてこの男が警官だとは思えない。まさか強奪したのだろうか。
まぁ、仮に身元が確かだとしても避難所なんて行く気は毛頭ないんだけどな。
「なぜだ!? 家に留まるのは危険だろ!」
外に出る方が危険だっての。
「いえ、自力で何とかしますし、してますんで大丈夫です」
頼むから放っておいてくれないだろうか。
「そんな意地を張らずに! さぁ早くこっちに!」
「だから自力で何とかするって言ってんでしょうが! つーか拡声器使うのやめてくださいよ! ゾンビが寄って来たらどうすんじゃコラ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた。この男と運転手を始末して拳銃を頂くのも良いな……という邪な思考が脳裏をよぎったその時だ。
「おい後ろから来てるぞ!」
バックミラーを凝視していた運転手が叫んだ。噂をすれば影がさす。
車のエンジンと拡声器の音を聞きつけたゾンビが五体こちらに足を引きずりながら向かってきた。
「言わんこっちゃねぇだろうがカス共お前らコラァ!」
もはや敬語を忘れた俺が怒号を飛ばした。
「えぇいクソ! 行くぞ!」
荷台の男の合図と同時に急発進した車はあっという間に去って行った。後に残されたのは俺と音を聞いてやって来たゾンビ共だけだ。馬鹿が。後片付けはちゃんとしろ。
俺は提供した料理を残された料理人のように肩を落とした。
しかし、姿を見られてしまったのは迂闊だったな。今の男たち、事故って上手い具合に死んでくれないだろうか。この詰めの甘さが後で命取りにならなければいいが……。
まぁ、こうなってしまった以上は仕方がない。
俺は再び倉庫からピッチフォークを持って来ると、壁によじ登って気合を入れた。
「いらっしゃいませぇぇぇぇぇぇえええええ!」
そして昨日と同じ要領でゾンビ共をひたすら刺突した。
パキョ! ベコォ! ドチャァ!
ピッチフォークの先端から肉を貫く小気味の良い音がした。
昨日無理にでも一体倒しておいたのは正解だったかもしれない。いくら安全圏にいるとはいえ、初陣が五体相手では相当手こずっていただろう。だが、まだまだ俺には経験値が不足している。まだだ。もっとだ。もっと鳴り響かせろ。だんだん調子が出てきた。
出ます!(出血)出します!(臓物)ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ!
出ます!(出血)刺します!(目玉)ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ!
出ます!(出血)殺します!(刺殺)ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ!
「死に晒せぇぇええええええええええええええーーッッッ!」
喚き散らしながらゾンビを刺突していく。
この光景をさっきの男たちが見ようものなら、俺も一緒に撃ち殺されていたかもしれない。
今この瞬間この場において、俺は紛れもなく王だった。臣下も国民もいないこの小さな城で、孤独にして孤高の王は最期の時まで戦うのだ。
数分後、その場に動いている奴はいなかった。俺は血に塗れたピッチフォークを見て満足気に微笑むのだった。
俺は王だ。いや、王だった。
あいつらがやって来るまでは……。
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