第二話 錯綜する情報

 十月二十日午後三時二十分。


『日本終了のお知らせ』

『俺の右腕が喰われたのだが?』

『僕の童貞も喰われそうです』


 インターネットを立ち上げて巨大掲示板にアクセスすると、早くも事件が話題になっていた。

 その中でも特に目を引いた『ゾンビぶっ殺したったったった!』というスレッドを見てみた。


「頭に傘ぶっ刺したら動かなくなたたたたたたたぁ」


 興奮冷めやらぬといった様子のスレッド主の言葉は乱れていた。

 同時に挙げられていた画像の生々しさに、どさくさに紛れて人間を殺ったんじゃないだろうな、という声も出ていたが、それっきりスレッド主の書き込みは途絶えていた。


 ひとまず頭部を破壊すればゾンビは無力化できると考えていいだろうか。いや、これだけの材料で判断するのはあまりにも早計だ。早合点は命取りになる。


 俺は次に、大手の動画サイトを閲覧することにした。最新の動画には既にゾンビの映像が所狭しと並んでいた。映像を見る限りでは、どうやら世界中で発生しているらしい。この爆発的な広がりは空気感染によるものだろうか。


 空気感染になるとかなり厄介だ。

 感染が圧倒的な速度で広がる上に、防ぐ手段も限られてくる。


 一応こちらには米軍払い下げのガスマスクの用意もあるが、どこまで効果があるかは怪しいところだ。

 それとも空気感染ではなく、有名な映画作品のように死んだ者は皆ゾンビになるのだろうか。

 そうなると更に厄介だ。世界中のゾンビを駆除できたところで、誰かが死ぬ度にまたこういう事態になるだろう。


 動画の掲示板には、過激派の細菌テロだの、審判の日だのと、阿鼻叫喚のコメントが並んでいる。どいつもこいつも取り乱しているらしく、建設的なコメントは見当たらなかった。


 中には今回発生しているソンビの特性をやけに詳しく書き込んでいる者もいたが、今はまだ参考程度に留めておくべきだろう。


 何事もそうだが、情報が錯綜している段階では全ての情報を鵜呑みにしてはならない。

 様々な情報を精査した上で自分の持つ知識、経験と照らし合わせ、入念に取捨選択を行う必要がある。


 ええい、誰かもっと参考になる動画を挙げている気合の入った奴はいないのか。


 ゾンビを捕獲してどうやったら死ぬのか実験していますだとか、人間以外も食うのか興味があるのでネズミを与えてみますだとか、自殺願望があるので自分の腕を噛ませてゾンビ化するまでの経過を観察しますだとか。


 だが、大半の動画では逃げ惑う人々とそれを襲うゾンビの映像に終始しており、ゾンビを撃退するような内容はまだ見当たらなかった。


 まぁ、こんな状況で他人に期待するのは無理があるだろう。

 文句があるなら自分でやれという話だ。そう、自分で……。


 俺は今、おそらく世界最高に気持ちの悪い笑みを浮かべていた。ダメだ、情報が出揃うまでは待つんだ。

 しかしながら、この日のために五年を費やした俺の興奮は抑えきれないところまで来ており、今すぐにでもあの動く死体をぶちのめしたくてウズウズとしていた。よせ、我慢だ、我慢。


 十月二十日午後四時。


 俺は自宅の庭に出ていた。なぜゾンビの発生を知りながら、俺は部屋で悠々とインターネットをしたり、呑気に外へと出られるのか。その理由はこの家の造りにある。


 はっきり言って、わが家はそこらの民家の比じゃないぐらい堅牢な造りになっている。

 三年前に家を新築した際に、ちゃんと学校に通いますからと、俺が泣きながら家族に頼み込んで色々と手を加えてもらったからだ。


 まず外観で目に入るのが、家と庭の周りを囲う一際高いコンクリート製の壁である。平均的な人間の身長よりも高く厚みもあるので、敵がただ緩やかに前進してぶつかるだけの愚鈍なゾンビであった場合、まず突破することはできない。


 家の出入り口は正面にある巨大なシャッターだけなので、閉めている限りは安心できる。


「自慢の玄関と庭が外から全然見えないじゃないか」と、親父は不満気だったが、防犯性とプライバシーの尊重が、と捲し立てることで何とか了承していただいた。われながら酷い話だ。


 次に目立つのが、広々とした屋上だろう。いわゆる三角屋根ではなく、平らで開放的な空間が広がっている。これは万が一ゾンビに自宅への侵入を許し、上の階へと追い詰められた際に、最後の手段として屋上の避難用ハシゴから壁の外へ脱出できるようにするためだ。また、望遠鏡で街の様子を全方位から観察できるという利点もある。


 一階が火事になっても脱出が容易だの、屋上から星が見られるからだのと苦しい言い訳をしたが、さすがに家族の目は厳しかった。


「雪が積もったらどうするんだ」と、これまた親父にツッコまれたが、東京に雪は滅多に積もらないからダイジョウブ、ダイジョウブ、と壊れた機械のように繰り返した。


 調子に乗って貯水タンクをつけてくれと言ったらさすがに怒鳴られたが、おかげで中々の屋上に仕上がった。

 まぁ、貯水タンクはなくても別に構わなかった。


 貯水用のペットボトルは掃いて捨てるほどあるのだ。

 良質な浄水装置も既に用意してあるので、雨さえ降ればどうにでもなる。


 正直なところ、この家は動きの遅いゾンビを相手にするだけなら何の問題もない。

 唯一の出入り口である正面の巨大シャッターを閉めている限り、まず外から侵入されることはないからだ。そしてシャッターには先述した監視カメラも備え付けられているので、俺の部屋のモニターから、いつでも外の様子を窺うことができる。


 問題なのは暴徒と化した人間が相手の場合で、コンクリートの壁を乗り越えられたら打てる手はそう多くない。

 だからこそ、壁を建設する際に「泥棒対策に電流を流そう!」と威勢よく提案したのだが、親父の鬼の形相とともに却下された。


 一応こんなこともあろうかと倉庫に買い置きしておいた有刺鉄線があるので、外が明るい今のうちに壁の上に張り巡らせるとしよう。こんな物でもないよりはマシというものだ。


 俺は鼻歌を歌いながらご機嫌で作業を開始した。

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