久世龍彦たつひこと出会ったのは大学二年生の春だった。当時のわたしは一年生でサークルに入り損ねてしまい、大学生という突然与えられた自由をどう過ごせば良いのかわからないまま、毎日散歩ばかりしていた。家にじっとしていたところでいたずらに焦燥感が募るだけだったし、けれども毎日遊びに耽るほどの余裕もなかったから。

 散歩コースはいつも偶然まかせで、あみだくじを引くみたいに道から道をなぞっていった。ひとりきりの活動でありながら、景色が移ろい、変化しつづける――散歩は考えごとにうってつけだ。時間だけはたっぷりあった。わたしはよく、これから自分はどこに行くのだろうかと考えていた。文字通り、わたしはさまよっていたのだ。気がつくと思索に耽ってしまい、同じエリアをぐるぐる回っていることも少なくなかった。

 河原で佇む彼に気づいたのも、そんな〝ぐるぐる〟に嵌まっていたときだ。

 最初に見かけたとき、川面の水鳥でも撮っているのだろうと思った。その男は土手を埋めるすすきの真ん中に立ち、じっとカメラを提げていた。それからしばらくして、一帯をひとまわりして還ってきたとき、彼はまだそこに、同じポーズで立っていた。まだそのときは彼を見かけても、ああ、いるな、としか思わなかった。

 おかしい、と初めて感じたのは三周目だ。彼はまだそこにいた。同じ恰好で、同じ方向を見ながら、カメラを構えていた。すでに一時間は経過していたはずだ。鳥を撮るとしても、とっくに飛び去っているだろう。あるいはどこからかの飛来を待っているのか? それにしては、場所を選択する根拠がわからない。レンズの向いている先を見ても、あるのは留まることなく流れる川面と、対岸の街並だけ。

 わたしは立ち止まった。すすきをかきわけて、彼に近づく。

「何を撮っているんですか?」

 話しかけたのは、同年代に見えて気安かったからか。あるいはひとりで考えに耽ることが嫌になったからか。

 いずれにせよ、知りたい回答は得られなかった。

「……さあ、ねえ」

 青年はカメラから目を離すことなく、とぼけた。

「もう一時間はそうして構えてますよね」

「気づきました?」

「だから話しかけたんです」

 彼はそこでようやく、カメラをおろした。目許は涼しげで、伶俐だった。

「じっと待ちながら、風景に溶け込むんです。そうなったらたいてい、気づかれない。話しかけられたのは初めてだ」

「はあ」

「むしろあなたこそ、じっとぼくのことを観察していたのでは?」

 いや、と否定しかけてから、何が違うのだろうと思った。わたしは、じっと同じところをぐるぐる回っていただけだ。だから彼のことも、気づいた。

「このあたりは風が気持ちいいから、じっと待つにはうってつけだ」

「何を待っているんです?」

「さあ」

 また、とぼける。

「それは、その瞬間が来ないことには」

「瞬間?」

「〝決定的瞬間〟が」

 その言葉を久世の意味を知るのは、ずっと後のことになる。

「……え?」

 よく聞き取れなかった言葉は川べりを吹抜ける風に掻き消された。すすきが波打ち、川べりは海のようにうねる。わたしはそよぐ髪の毛を押さえてから、もっと掴んでおくべきものがあると思い出した。日除けの帽子……そう、あのときわたしは帽子を被っていたのだ。麦わらで織られたひどく軽いそれは容易に吹き飛ばされて、「あ」とわたしは呆けた声を上げながらその行方を目で追った。振り仰ぎ、空を見る。陽は少しばかり傾いて対岸の街並に降り注ぎ、ちょっとした凸凹から、複雑な影がかたどられている。その空に、水面に、ゆっくりと帽子は飛来する。

 シャッターが切られる。

「待っていたんだ!」

 そう叫んで彼は跳ねるように駆けだし、わたしの帽子を追った。水面に落ちゆくぎりぎりで、それは彼の手に掴まれる……。

 危うく彼は自分で川へ落ちそうになって、けれども踏ん張って。

 そして振り向いたときのその笑顔を、わたしはずっと憶えている。

 わたしが礼を云う前に、彼のほうから「ありがとう」と云って、帽子を渡してきた。

「……いい写真が撮れたと思う」


 水は流れつづけ、回想は止まらない。

 ――待っていたんだ。

 川原での邂逅から数日後、わたしは四たび、その川べりを訪れた。果たして彼はそこにいた。ずっとそこで待っていたかのように。そしておそらくほんとうに、毎日待っていたのではないか、といまになって思う。

 話のつづきをするように何気なく、彼は切り出した。

 ――写真が現像できたから、渡したかった。

 彼はそこではじめて、久世と名乗った。わたしも名乗ったところ、へえ、と彼は面白がった。

 ――杏理あんりさん。あんり。……ブレッソンと同じ名前だ。

 知ってるかい、と彼は訊いてきた。決定的瞬間を?

 ――その言葉を教えて。

 わたしは云った。返事を聴く前に、つづける。

 ――写真について、教えて。

 それから初めてのカメラを買うまで、一週間とかからなかった。学部が違うだけで――わたしは経済学部、久世は文学部――同じ大学の同じ学年と知ってからは、ずいぶんと気安く話せるようになった。カメラのこと、写真のこと、現像のこと、その歴史、思想と実践。わたしは久世にたくさんのことを訊ね、彼は彼なりの答えを返し、ときには一緒に考え、議論した。彼が薦めるままにフィルムを選んだのも、だから当然のことだ。

 久世から〝決定的瞬間〟のことをようやく教えられたのは確か、最初のカメラ選びのときだ。彼の常連だという店で、わたしは目的も忘れて、店内を埋める大小様々な写真機を眺めていた。壁はちょっとしたギャラリーのようになって、有名無名問わず――と判断できるようになったのはずいぶん後のことだ――おそらくは店主の趣味でさまざまな写真が並べてあった。ぼくもここに並べられたことがある、と久世は自慢げに云った。

 ――ここのおじさんから、ぼくはカメラを教わったのさ。

 ぼくにとってはまるで親だよと云う久世の口調には、いくらか苦々しいところがあったように思う。

 アンリ・カルティエ゠ブレッソンの写真は、ほかの写真より大きな印刷で、店のいちばん目立つところに置かれていた。カルティエ゠ブレッソンだとわかったのは、それが展覧会のポスターだったからだ。わたしが生まれてもいない頃の展覧会、もう行くことのかなわないそれをまだ貼っているあたり、店主の思い入れがうかがえた。

《サンラザール駅の裏、パリ、一九三二年》。

 雨上がりの広場を写した一枚だ。ひとりの紳士が、水溜まりを飛び越そうとして跳ねている。ガラスのような水面には男の影が写りこんで、幾何学的な構図がつくられる。輪郭のぶれたその像が直後に起こる出来事を――地面にぱしゃんと靴が降り立つ涼しげな音や新たに拡がってゆく波紋を予感させながら、けれどもその踵は永遠に反射像と触れ合わない。背景には、緩やかなカーブを描いたフェンス。その向こうに霞む駅舎の時計台と、空の白。

 静かだ、と思った。けれどもそこには、緊張と情感がたっぷりと満ちている。

 ――けっていてき、しゅんかん。

 わたしは、展覧会のタイトルを読みあげた。

 ――ザ・ディサイシヴ・モーメント。写真家が掴まえるべきものだ。

 久世が、熱っぽく云う。

 ――その言葉は、ブレッソンの写真集のタイトルに由来する。アンリ・カルティエ゠ブレッソン。ライカを片手に世界を渡った、二十世紀を代表する写真家。彼の写真はあらゆる要素があるべき場所にある、奇跡みたいな一瞬を写している。抽象画のように幾何学的で、それでいて、途方もなく叙情的だ。見ていて涙が出るよ。

 ――感動して?

 ――それが半分。あとの半分は、悔しくて、かな。

 ぼくもああやって撮りたいんだ、と久世は自嘲気味に笑った。

 ――ぼくは天才ではないけどね。

 ――でも、現像してくれたあの写真、わたしを撮ったあの一枚は、すごく綺麗に写ってたよ。川の水も、飛んでゆく帽子も。

 ――ありがとう。でも、単に綺麗な一瞬であれば、誰でも撮れるよ。

 ――まさか。

 ――ずっと待っていればいいんだ。良さそうなロケーションを見つけた後は、じっと、カメラを構えていればいい。これは嘘じゃない。謙遜でもない。待つことなら誰にだってできるよ。

 杏理にだって。そう云って彼が肩を叩いたのは、もしかすると自分で自分を満足させられないことの自虐を誤魔化すためだったのかもしれない。けれどもわたしは励ましと受け取った。何よりわたしがカメラに惹かれるきっかけになったのは、じっと待ちつづける久世の姿だったから……。

「待つことなら誰にだってできる」

 わたしは独りごちた。

「でも、あなたは来なかった」

 わたしは思い出す。出会った頃の記憶から一気に跳んだ、それは別れの記憶だ。

 ――きみはいいかげん、ぼくから逃げるべきなんだ。

 彼はそう云って姿を消した。

 瞬きよりも速く、すり抜けるように。

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