黒い雲の星(2)
王宮から南東に少し離れた場所にブラーゴ軍の基地がある。その一棟で紫紺のゾレスレーテの《ボルザット》の調整が進められていた。
メイセア軍のゴレットを鹵獲して改造した機体だが適合者がおらず試作機として技師が調整していた。
「メイセアではアンカムがゴレットに乗ったと聞いた。あいつは乗れるのか」
王子でありブラーゴ軍の将軍であるドルギは技師に訊いた。
「体液の適合度は高いです。実際に乗せないとわかりませんが」
「このままにしておいても仕方ない。乗せるんだ」
「わかりました。呼びます」
技師が答えて手首の無線機で連絡をした。程なくして三人の男が来た。真ん中にいるのは体格のいい日焼けした男だった。
「ザッズ、記憶は戻らないか」
ドルギからザッズと呼ばれた日焼けした中年の男は虚ろな目で「わからない」と答えた。
回収した宇宙船の中で唯一生存していた彼は睡眠装置で目覚めた時には記憶を失っていた。
記憶がなくても文字を読めた彼は自分が眠っていた睡眠装置のラベルに《ザッズ》と書かれていたのを兵に告げてそれ以来そう呼ばれていた。
「これに乗れ。適合するか調べる」
ドルギの指示に従いザッズはボルザットに乗り込んだ。
シートに座ると各所から伸びた細い針が全身に刺さった。
「うわあああ!」
いきなり感じる痛みにザッズは悲鳴を上げた。
「痛々しくて見ていられん。調べろ」
ドルギは目を背けた。
技師達が機体に外付けした計器でボルザットを調べた。ザッズの悲鳴がやんだ。
「適合しました」
技師の声でドルギはコックピットを見た。ザッズが血だらけで荒い息遣いで座っていた。
「選ばれて良かったな。検査が済んだら休ませてやれ」
ドルギはそう言うと昇降機で降りて格納庫を出た。
「俺は何をやっているんだ」
ザッズは歩きながら呟いた。
『適合正常。推進部不良。関節箇所に異常……』
ボルザットが次々と話し始めた。
「いきなり喋る様になったか。改造がうまくいかなかったようだ」
技師が呆れた顔で呟いた。
ザッズは医師の検査を受けて病室で休んだ。
記憶が無いザッズは病室で寝泊まりしていた。目覚めた時からずっと同じ部屋。過去を思い出せない絶望と異形の建物や未知の風景が目に入る時の絶望。誰かから呼ばれて言われた通りに動く人形の様な日々を過ごしていた。
外では戦闘機のドレングの金属的な音が聞こえた。
翌日、ザッズは兵に連れられて回収した宇宙船に入った。
「この中で思い出せる物を探せ」
兵士はそう言うと外に出た。
電子機器に薄型端末、何冊かの雑誌──何度も来たが思い当たる物はなかった。
クリーム色の優しい配色の機内に並んだ冷凍睡眠装置に横たわる。殺風景な天井を眺めても何も思い出せない。目を閉じる。瞼の裏に見えるのは暗闇のみ。目を開けて見える室内の文字はなぜか読める。脳裏に浮かぶのはここの生活。未知の種族(アンカム)と蔑まれる日々。体を調べられる日々。そして昨日の変な乗り物で味わった苦痛。嫌な事しかない。
一応ここの星の情勢は教えてもらった。メイセア星とブラーゴ星の確執の歴史。そして今、メイセアに攻めてジルマストの採掘工場を建てようとしている。メイセアには自分と同じ星の者がいる。ヴァンジュという自分が昨日乗った機体と同種の乗り物、ゾレスレーテと呼ばれる兵器。たとえ孤独でも同じ星の者に会いたい訳ではない。そもそも自分が何者かもわからない。
《ザッズ》と呼ばれているのは発見された睡眠装置に書いてあった名前を告げたから。自分を知らない自分。何もない自分──
それがザッズの心境だった。
「ザッズ、司令塔の将軍室へ」
手首の通信機から男の声がした。
ザッズは「わかった」と答えて将軍室に入った。ドルギが座っていた。
「メイセアからアンカムの情報が来た。アンカムの情報は共有する条約なんでな。お前の情報もメイセアに送った」
ドルギはリモコンで壁の端末の電源を入れた。画面にはトオヤとジェイスの情報が表示された。
「こいつらは記憶があるので地球の情報を聞き出せた。ゾレスレーテに乗れたのは体が意図的に作られて偶然に古代メイセア族と似た生体情報を持つからというのがメイセアの見解だ。確かにそれだと納得できる」
説明を聞きながらザッズはぼんやりと画面を見た。
「地球の宇宙船の機体は殆ど同型だった。地球ではあの機体がよく使われていたのか」
「わからない。何も」
ドルギの説明にザッズは呟いた。
「仕方ないか。ちゃんと伝えたからな。しかし同じ星の者だとしても奴らは敵だ。死にたくなかったらボルザットを扱えるようにしろ。以上だ」
ザッズはぼんやりと「わかった」と答えて部屋を出た。
(AX……)
トオヤの識別番号が気になりながら司令塔を出て宇宙船に戻った。
宇宙船の操縦席にもたれて目を閉じた。何かを思い出したように目を開けて操縦席の左側に立てられた薄型端末を倒して目の前の機器を操作した。
電子音と共に端末に画面が映った。
「使い方は覚えているのか」
ザッズは端末を操作した。名前と識別番号が五十名名程並んで表示された。
自分の名前を確認する。
「PHQ15327。これだ」
それが自分の識別番号だと認識した。生まれて与えられた番号だ。何度も書類に書いたり自分の口で言った番号は《ザッズ》というありふれた名前より脳を刺激した。
「他に情報はないのか」
ザッズが端末の画面を触れた途端に電源が切れた。
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