竜の黄昏《ドラゴンシフト》④





「力って……どうやって?」


「何も難しいことはないわ。ただ、一つだけ制約が生まれるのだけれど……」


「制約?」


「詳しい説明は省くけど、あなたが力を望んだ場合、今後あなたは、


「……え? それだけ?」


「ええ、それだけ。でも安心して。あなたは私が守るから。絶対に。何があっても」


「…………」


 話が全く見えてこないが、楪紅葉の話的に、おそらく彼女に関わることが俺の身の危険に繋がるということで間違いなさそうだ。

 ……でも、それがどうした。危険がどうした。これからがどうしたって言うんだ。

 今はただ、ただ栞の仇を討ちたい――。


「――楪紅葉、頼む。俺に、力をくれ」


「もちろんよ、市ノ瀬くん」


 楪紅葉は右手を差し出す。すると彼女の手は光に包まれ、指先には六芒星の光の術式が展開された。


「我、魔導書が一つ、楪紅葉が命ずる。我が手足となり、我が意思の使徒となれ。汝の命は我がもの。我が力は汝のもの。汝の名は悠。市ノ瀬悠。死が別つ時まで、我らが共にあらんことを……」


 その時、俺は気付いた。

 楪紅葉の頬を伝う一滴の雫に。


「……泣いているのか?」


「仕方ないじゃない。だって私は、ずっと――」


 その涙が何なのか、どこから生まれたのか、俺にはわからなかった。

 でもきっと、悪いものじゃない。だって彼女から放たれた光は、こんなにも温かくて優しいから。

 光があふれる。輝きに包まれる。

 痛みはない。透き通るような柔らかい熱が、体中に染み渡るのがわかった。


「……終わったわ。気分はどう?」


「どうって言われても……」


 手を握っては開く。足を動かす。体を捻る。

 特に変化はないように思える。


「……前と全然変わらないんだけど」


「見た目はね。でも、あなたの魂は既に別の存在になっているわ」


『グオオオオオオオン!!!』


 その雄叫びが、俺達を現実に戻した。


「さて、市ノ瀬くん。ちょっと時間がないからパパっと終わらせましょう」


「あ、ああ! でも、あんなデカブツをどうやって……」


「大丈夫。私の魔力は注いでいるわ。とりあえず、そこの瓦礫を持ってみて」


「そこの瓦礫……」


 楪が指さした瓦礫……それは見上げる程にデカい。


「……いや、無理だろ」


「いいから。騙されたと思って」


「騙された、ねぇ……」


 やむなく瓦礫に手をかける。


「せーっ……のォッ!!??」


 あまりの軽さにバランスを崩しかけた。

 まるで空の段ボールのように、巨大なコンクリートの塊がふわりと浮く。


「おいおいおい! ちょっとこれ、どうなってんだよ!」


「私の魔力で、市ノ瀬くんの身体能力を向上させているのよ」


「いやいや、向上にも限度ってもんがあるだろ……」


「はい、じゃあ次。それを思い切りドラゴンに投げつけて」


「はぁ!? そんなことできるわけ……」


 と思ったが、これだけ簡単に持ち上がったのだから、投げることも容易であることは想像に容易い。


「さあ、早く」


「……わかったよ。投げればいいんだな!?」


 こうなりゃヤケクソだ。

 両足を踏ん張り、思い切り振りかぶる。


「こん……のぉ!!」


 デカいブロックの塊を力任せに放り投げた。

 キィィィィンッッ――。

 巨大な瓦礫は耳をつんざくような風切り音を響かせ、流星のように吹き飛ぶ。そのままドラゴンと衝突し、瞬間ド派手に弾け飛んだ。

 ドパァァァン――ッ!!

 ドラゴンはその巨体をくの字に歪ませ、胴体に大穴を空ける。飛び散る体液が横殴りの雨のように街に降り注ぐ。その中で、ドラゴンだったものは一切の受け身もなく、自ら破壊した街に倒れ沈むのだった。

 まさに一撃必殺。

 断末魔の暇も、懺悔の時も与えず、俺の投げた瓦礫は瞬時にドラゴンの命を絶っていた。


「うっそ……」


 何を隠そう、俺自身が一番驚いている。

 無意識に楪紅葉を見る。彼女は表情を綻ばせて俺を見ていた。

 こいつは、俺に何をしたんだ。

 いやそれよりも、こいつはいったい何者なんだ。なぜこんなことができる。そもそも、なぜドラゴンだとか異界だとかを知っている。

 ドラゴン並に得体の知れないところはあるが……。


(今は、いいか……)


「……ありがとう、楪紅葉。おかげで栞の仇を討てたよ」


「お礼ならいらない。満足できた?」


「満足なんて出来るわけないさ。確かにドラゴンは倒せたけど、だからと言って、それで栞や他の連中、街が、学校が、元に戻るわけじゃねえんだし」


 すると楪紅葉は、クスリと笑う。


「さて、それはどうかしらね」


「……どういう意味だよ」


「見ていればわかるわ。……ほら、始まるわよ」


 彼女の言葉を皮切りに、世界に、光の礫が浮かび上がる。

 それは地面や空間を埋め尽くすほどに増え始め、それぞれがゆらゆらと揺れる。果てしなく幻想的ではあるが、明らかに常軌を逸していた。


「こ、今度はなんだよ!」


「落ち着いて。全てを、元に戻そうとしているのよ」


「は? 元に戻す? 誰が?」


「決まっているでしょ? 世界が、よ」


 楪紅葉は、またわけのわからんことを言い出した。


「さっきも言ったけど、ドラゴンはこの世界にとっては異物なの。本来存在するはずのない概念であって、それがドラゴンとして顕現することで、この世界での存在が許されるようになる。だからドラゴンが現れてすぐの世界は、限りなく不安定になっているの。もちろんドラゴンを放置すればその存在が確定され、実物の怪異として世界に受け入れられてしまう。当然、破壊されたもの、犠牲になった人々も、それが現実として世界に認知されてしまうのよ」


「ええと……よくわからんが、ドラゴンをなるべく早く倒さないといけないってことか?」


「半分正解。別にゆっくり倒しても問題はないんだけど、顕現されてすぐに倒すことで、世界そのものの修復力により、。それはドラゴンだけじゃない。ドラゴンによって壊されたもの、殺されたものも、。つまり――」


 光の礫が動き出した。

 無数の光の筋を伸ばし、渦を巻き、竜巻のように世界を包み込む。


「――世界は巻き戻るの。


「巻き戻るって……それって、まさか……!」


 光は強く輝く。視界が純白に満たされて、足元さえも見えない。

 そして光が徐々に弱まり、ようやく景色が見え始めた。しかしそれは既に、さっきまでのものとは違っている。

 街も、学校も、道路も、人々も。

 全て破壊された街が、何一つ壊れることもなく、誰一人として死ぬこともなく、俺の知っているごく普通の日常の中に還っていた。


「ははは……マジ、かよ……」


 もはや語彙力なんて残されていない。

 目まぐるしく変わり過ぎる世界に、ただただ置いて行かれないことに必死だった。

 そんな俺に、楪紅葉は言ってきた。


「ようやく言えるわね。……おめでとう、市ノ瀬くん。あなたは、この世界を救ったのよ」


「世界をって……」


「ねえ、今、どんな気分?」


 どんな気分と言われても、全く頭がついていかないわけであって……。

 壮大過ぎる。あまりに壮大。胸焼けを起こしそうなほどに、話がデカくなり過ぎている。


「その……ヤバい、ッスね」


 そのスケールの巨大さに、やはり俺の語彙力は戻らなかったのだった。






 

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