竜の黄昏《ドラゴンシフト》②
遅刻を回避した俺は、眠気と戦いつつ授業をこなし、待ちに待った昼休みを迎えていた。
俺達が通う県立北沢高校では、屋上が開放されている。無論フェンスは見上げる程に高く頑丈ではあるが、昼休みには生徒がぽつぽつと集まる憩いの場となっていた。
ちなみに、俺と栞の集合場所でもある。
「なあ栞、夜姫っつー奴の名前って知ってるか?」
弁当を突っつきながら、そんなことを聞いてみた。
「知ってるよ。確か、
「楪、紅葉……名前は全く関係なかったんだな」
「あだ名なんてそんなもんでしょ。なんでも、家もすっごいお金持ちらしいよ」
「へえ……。美人で頭良くて運動神経も凄くて、しかも金持ちとか。もう人生全クリじゃねえか。天は二物を与えずじゃなかったのか? いくら何でも与え過ぎだろうに。一つくらい俺によこせよな」
「悠、楪さんに興味あるの?」
「興味? 興味……うーん、どうだろ……」
同い年らしいし、その面を一度くらいは拝んでみたいとは思うが……拝んだところで何かあるわけでもない。そもそも学校自体が違うわけで、接点など皆無。わざわざ土足で踏み込んで、あの集団の一部に成り下がるのもアホらしい。
平凡たる俺とは、違う世界の住民でしかないのである。
「……どうせ私は、美人でも金持ちでもないですよ」
ぼそりと、栞はぼやく。
「いや、そういう話じゃなくてだな……」
「ふん。私、用事思い出した」
まだ飯を食い始めたばかりだと言うのに、栞は乱暴に弁当に蓋をする。
「なに怒ってんだ?」
「べっつにー。……悠のバカ」
結局栞は、顔を膨らませたまま屋上を後にした。
「なんなんだよ、あいつ……」
(……なんて、ね)
俺は、そこまで鈍感じゃない。
能天気でもなければ、朴念仁でもない。
栞が不機嫌になった理由なんて、一つしかない。
栞とは、想い合っているんだと思う。
推測ではあるが、俺の中では限りなく確信に近い。自惚れだろうが自意識過剰だろうが、好きに言えばいい。
腐れ縁だからこそ、あいつの接し方の変化は誰よりも敏感にわかる。わかってしまう。
最初は小学校の中学年くらいだったか。二人でいるときの微妙な変化に違和感を覚えた。
おそらくあの頃なんだろう。
栞のことを異性として意識するようになったのは。
それはどうやら栞も同じだったようで、そこからけっこうギクシャクする場面も増えた。中学に入ってから拍車がかかり、一時期は会話どころか顔すら合わせない状態まで陥っていた。
ってなわけで、割と最近なのである。
今みたいに一緒に登校して、一緒に昼飯を食べ、出かけるようになったのは。
そして割と最近なのである。
俺が思っている以上に、栞が学校で人気があることを知ったのは。
栞は、超美人とは言えない。完璧超人にも程遠いし、運動だって得意ではない。
それでも同い年の女子の中では十分過ぎるくらいには可愛く、人当たりも良くて明るい。誰にでも等しく接し、誰かを手伝い、他者と関わろうとする。絵に描いたような人気者だ。事実、栞と仲がいいこと自体がこの学校における一つのステータスになっている程だ。
……違う。俺なんかとは、まったく違う。
拗らせ、ボッチに沈んだ俺とは真逆の人種と言える。
俺と栞、このままでいいのかという疑問はある。でも、本音を言えばこの関係を崩したくないという痛い気持ちも共存していたりする。
結局俺は臆病なんだろう。ワガママなんだ。単純にビビっているんだ。栞に、今の俺を拒絶されることが。
だから今のぬるま湯を心地よく感じてしまい、抜け出せない。
卑怯で卑屈、それでいて、最高にダサい。
(……なんてこった)
改めて突きつけられた。他でもない、自分自身に。
きっと俺は、栞との関係を変えることはできない。変えようともしない。そしていずれ、彼女は別の道を歩むことになるだろう。
それを、再認識してしまった。
……それでも、この気持ちは簡単には拭えそうにもない。
それすらも、再認識してしまった。
「はぁ……」
淀んだ溜め息を空に向けて吐き出す。
雲一つなく澄んだ青空が、やけに嫌味のように思えた。
◆
放課後、栞は委員会の仕事があるらしい。帰宅時間ギリギリまでかかるとのことで、先に帰ることにした。
夕暮れ時、この時間が好きだ。
空からの夕陽が街をオレンジ色に染め、陰影を濃くして、夜の訪れを感じさせる。この色合いにどこか哀愁を感じるのは、たぶん今日の終わりを実感するからなのかもしれない。
北沢の生徒の大半は何かしらの部活に所属していて、部活に入っていない奴も、栞のように委員会の活動をしている。部活も入っておらず、委員会の活動にすら不参加なのは俺くらいのようだ。
こういうところだろうな。
栞以外にまともな知り合いがいない理由は。
カッコつけてるわけじゃない。友達なんて必要ないなど言うつもりもない。
ただ、しっくり来ないんだ。
うまく説明できないが、なんていうか、パズルのピースを一つなくしたようにモヤモヤする。
こういうのを思春期と言うのかもしれないが、おかげでこんな怠惰な奴が生まれてしまっている。
自分で言うのもアレだが、順調にダメ人間として育っていると言えるだろう。
「……ん?」
ふと、目の前に人がいることに気付いた。
そいつは女子で、道の真ん中に立ち止まり、俺の方に体を向けていた。いや、体だけじゃない。その顔を、瞳を、俺に向けていた。
「――――ッ」
彼女を見た瞬間、思わず足が止まり、視線の全てを奪われた。
黒いブレザーとスカート。長い黒髪。黒い瞳。全身が漆黒に包まれたそいつは、とにかくとんでもない美人だった。
(……うわ、エッグい……)
率直にそんなことを考えた。
段違い? 桁違い?
そんな生易しいものですらない。次元が違う。見た目だけでも並の人間じゃない。同じ空間に存在していい人物じゃない。
もはや疑いようがない。
名乗られたわけでもないのに、俺はそいつが誰なのかを理解した。
(ああ、こいつが……)
夜姫――。
楪紅葉が、目の前に立っていた。
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