第4話 苦しみを越えて

 七月一日、十時三十三分。東京湾・川崎人工島(風の塔)。

 海ほたるを訪れた観光客が、風の塔付近に漆黒の巨大物体を視認。携帯の動画に収めたものがSNSに投稿された。

 ものの数分の間に、複数の方角から、同じ物体を映した画像・動画の情報が相次いで発信。

 十時三十九分。防衛省・異世界災害対策本部が導入したAIが、SNS上から警戒すべき単語に該当する発信を検知。首相官邸、および防衛省、国土交通省、ヒーロー庁に情報を共有。

 関係省庁の職員全員の携帯にメールが着信する。

 十時四十分。防衛省・異世界災害対策局地下施設。五郎がメールの着信に気付き、添付のリンクを開くと、件の動画が流れた。


「これは……?」

「どうした?」


 思わず五郎が漏らし、勇太と心陽を見守っていたアイルが、携帯を覗き込む。

 風の塔より数百メートル離れた海面から、人の形をした漆黒の影が、その巨大な上半身を出現させている動画だった。

 続いて、現場に急行した警戒ドローンからの空撮動画が着信。


「これが、転移魔法(ワームホール)だとっ⁉」


 空撮映像を見て、アイルが声を上げた。

 海面の一部が円形のドス黒い闇に覆われ、漆黒の巨大物体は、その中心から姿を見せていた。

 日本では週に数回、場所、時間を問わず出現する転移魔法(ワームホール)。その特徴は、円形の黒い渦のようなもので、決まってその中心から、転移者ないしは魔族、魔物が出現する。

 今、五郎の携帯で再生された動画には、転移魔法(ワームホール)とまったく同じ特徴を有する大きな渦が映っていた。

 転移魔法(ワームホール)など、とうの昔に見慣れているはずのアイルが驚愕する理由。それは、


「穴がデカすぎる。これほどの規模は見たことがない! 出てきた奴の大きさも規格外だ!」

「あなたが言うならそうなのでしょう。嫌な予感がする……」


 五郎は、未だ眠り続ける勇太たちに目を遣る。


「ドリィ、答えろ。なにかあったら呼んでいいと言ったのは君だろう?」


 五郎が姿を消したドリィを呼ぶと、どこからともなく声だけが返ってきた。


「もしかして、ドリィが日本の海に用意したお祭り、見てくれたの?」

「東京湾にバカでかい転移魔法(ワームホール)が出現して、中から巨人が出てくるのをお祭りと呼ぶのか? このデカブツはなんだ!」


 苛立ちを露(あら)わに、アイルが言った。


「魔王サマだよ?」


 はぐらかしてばかりのドリィが、あっさりと教えた。


「な、なにを言って……⁉」


 アイルは言葉を途中で切らざるを得なかった。

 五郎の携帯画面で新たに表示された、巨人の拡大映像。

 巨人の太く長い腕の側面に、【I・LOVE・呪】という血のように赤い文字が、入れ墨の如く刻まれていたのだ。

 アイルはその前世で、まったく同じ刻印を腕に持つ、黒い鎧の剣士と遭遇したことがあった。


「アイルさん?」


 五郎に呼ばれ、アイルは答える。


「私は、この巨人の腕と同じ刻印を持つ者を知っている。前世で遭遇した、黒い鎧の剣士だ」

「この巨人は、あなたの世界から転移してきたということですか⁉」


 五郎の問いに、アイルは首を振った。


「わからない。黒い剣士は魔物の大群を率いて、私の元いた世界を滅ぼした。私たちは抵抗したが、多くの者が殺され、あえなく敗れた」


 アイルの脳裏に、拭い切れない過去の光景が浮かぶ。

 絶望に呑まれたアイルが、自らに死の魔法を放とうとしたところで、剣士は言った。


『貴様が俺の呪いを受け取るというのなら、貴様と残りの者どもが別の世へ去ることを許す』


 そうして剣士は、死の魔法を止めた彼女に永遠の若さを与え、大切な者全員と別れ続ける呪いを植え付けたのだった。


「私を含め、僅かに生き残った者たちは、到底生きていけないほどに破壊された世界から離れるべく、神殿に蓄えられていた最後の魔力で、転移魔法(ワームホール)を発動させた……それが、奴の罠とも知らずに……」


 アイルは顔を伏せる。


「そうして、最初に私が転移魔法(ワームホール)を通された。でも、私が転移する直前、奴が神殿に仕掛けていた呪いが爆散して、残りの者たちは……」


 アイルが転移する直前に見たのは、呪いを浴びて、身体が灰と化して崩れ去る人々。

 その様子を見てあざ笑う剣士。その腕に刻まれた赤い文字。


「……アイルさん、あなたもまた、勇太くんのように、辛い過去をお持ちだったんですね」


 携帯の画面を一度消して、五郎が言った。

 動画に移る巨人。その腕の刻印は、それこそ呪いの如く、アイルの記憶を抉り出し、彼女に悲痛の涙を流させた。

 勇太と同様に、アイルもまた、己の過去に蓋をして生きてきた身だった。


「私は、生きたくても生きられなかった者たちの分まで、生きようと決めた。だから、過去は断ち切ったつもりだった。……まさか、あの剣士が魔王だったとは……」


 勇太、心陽。お前たちの、私たちの過去が、この世界まで追いついてきてしまった。

 アイルは胸の内で言い、手のひらで目元を拭う。


「ドリィ、二つ答えろ。どうして魔王が現れた? お前は、私たちの敵か?」


 くすくす、という笑い声が、面会室に響いた。


「――魔王サマは、勇太クンをやっつけないと気が済まないみたいなの。二つ目の質問にはノーコメント。今はそのほうが、びっくりする顔がたくさん見れて面白いから」


 アイルの握った拳が、ぎりり、と音を立てた。


「そうか。ならば、約束は反故にされたと見做す。覚悟はいいな? ドリィ」


 アイルはそう言うと、両の手のひらを胸の前で合わせ、ぐっと腹部に力を込めた。

 五郎も何度か見たことのある、アイルが魔力を生成するときの所作だった。


「アイルぅ、まだお祭りは始まったばっかりじゃん。ドリィは最後まで楽しんでほしい」

「これが楽しめるか! 試練はどうなってる⁉ 勇太と心陽は、どんな様子だ⁉」

「二人とも頑張ってるけど、勇太クンはまだ、自分の魔力を覚醒させる方法を見つけてない」


 魔力生成を中断して、アイルは言う。


「なら、心陽だけでいい。起こせ!」


 ドリィの声がまた笑った。


「昨日の夜、夢の世界でアイルとドリィが交わした約束。その中には、二人をいつ夢から起こすかは、含まれてないよ?」

「ドリィ! お前ッ!」


 声を荒げるアイルの肩を、五郎が掴んだ。


「アイルさん、堪えて下さい。あなたがドリィを信じたのには、その約束があったからだと承知済みです。ここは僕たち政府に免じて、どうか」

「川本……相手は魔王なんだぞ? 今までの魔族とは比べ物にならないほどの――」


 アイルの目を見て、五郎は頷く。


「三十年前を覚えていますか? あなたが初めての転移人(てんいびと)として日本に現れた年です。僕はまだ十歳で、テレビニュースに取り上げられるあなたを見たときは、未知の文明人の登場に胸が躍りました。ですが同時に、恐怖も抱いていました。でもあなたは、僕が同じ年に異世界災害にあったとき、僕を魔物から救ってくれた。あの出来事がきっかけで、それまであなたを実験体として捕えようとしていた政府が、対応を改めた」

「覚えているさ。でも今は――」

「アイルさん。あなたはあのとき、自分を実験体と見做す人間――その子供だった僕を、敵か味方かという概念を取り払って助けた。信じるとは、同じことだと思います。今のあなたが、ドリィに対してやっているように」


 アイルは、ドリィと揉めることを全く予想していなかったわけではない。

 五郎も同じだろう。

 彼はドリィに向ける意味合いであろう、今度は天井を見上げた。


「ドリィ。僕は君が味方でいる方に賭ける。だから邪魔はしないが、もし、我々がどうしても必要なときに二人を返さなかった場合は、覚悟してもらう。いいな?」

「好きにさせてくれれば、ドリィは良い子でいるよ?」


 ドリィの返答を聞いて、五郎はアイルに向き直った。


「アイルさん、いいですね?」


 五郎が、最も不服であろうアイルの顔を伺う。


「私が怒りに駆られるとはな」


 と、アイルはため息を吐(つ)いた。


「これまで気丈に生きてきた私も、それだけ追い詰められていたということか」

「…………」


 五郎の、先を促すかのような沈黙に、アイルは続ける。


「川本。私はかつて、勇太の境遇に深い共感を抱いた。故郷を滅ぼされた者同士、支え合いたいと思ったんだ。だから私は、六歳だったあいつを引き取り、面倒を見た。あいつのためだけではなく、自分のために――」


 アイルは言葉を切り、五郎と目を合わせる。


「私は何かに、縋りたかったんだ」


 生まれ育った前世の世界を滅ぼされ、苦難の末に大切な人を失い、日本へ来た者。

 誰も理解者のいない新たな世界で、たった一人で生きていくことが、果たしてどれほど孤独なのか。どれほど、心細いか。

 日本では、街を歩けば目の前にも、後ろにも、隣にも、人はいる。

 だが、転生人(てんせいびと)と転移人(てんいびと)からすれば、境遇を当事者として理解できる人は、一人もいない。

 前世での境遇を共有できる者が、いないのだ。

 五郎は、自分が同じ立場であったならと想像したか、物言わずスーツの胸をぐっと掴んだ。


「遺憾ながら分かち合えず、申し訳ありません」


 と、謝る五郎の肩に、アイルは手を置く。


「私も、少しくらい力を抜いて、勇太や心陽みたく、誰かに打ち明ける勇気が出せれば良かったんだがな。前世で背負った、生きなくてはならないという使命感と、自分の強がりとが重なって、うまくできなかった」

「ベタな言い分ですが、完璧な人なんてこの世にはいません。選択を誤ることは何歳になってもある。だから自分だけを責めないでください」

「かつてお前の父親にも、似たようなことを言われたものだよ……」


 アイルがニヒルに肩を竦めた途端、五郎の携帯に新たな着信。


「魔王が動き出したようです!」


 五郎が言うと、アイルの猫耳がぴくりと動いた。


「私としたことが。感傷に浸っている場合ではなかった」

「一先ず、山田くんたちのことはドリィに委ねて、我々は魔王に対処すべきですね」


 アイルは頷き、一度、ベッドに横たわる勇太と心陽を見た。


「ドリィ」

「うん」


 アイルが真剣な声で呼び掛けると、ドリィは同じように答えた。


「頼まれてくれ」

「なに?」

「これから二人を地上の施設に連れ出す。だが私はお前との約束を信じ、二人の心は、お前に預ける。だから、勇太にこう伝えてほしい」


 アイルは勇太への言伝(ことづて)を、ドリィに託した。


「……それは、ドリィが言ったほうがいいことなの?」

「頼む」


 五郎の腕に心陽を抱えさせ、自分は勇太を抱きかかえて、アイルは短く言った。


「……いいよ、トクベツ。でもその代わり、ドリィのお願いも追加で一つ」

「言ってみろ」


 アイルが言うと、勇太が寝ていたベッドの上、心陽が寝ていたベッドの上、それぞれに一機ずつ、動画撮影用の小型ドローンが出現した。いずれも停止した状態である。


「ドリィ、このドローンは?」

「そのドローンがお願い。メモリには、夢の世界にいる勇太クンと心陽ちゃんの映像が、リアルタイムで録画されてる。それを全世界に配信してほしいの。そうすれば、ドリィにとっても、あなた達にとっても、きっと面白くなるから」


 五郎の問いに答えると、ドリィの気配は消えた。


   ☆


「ドリィ! あなた、わたし達を騙したの⁉」

「ぎゃん!」


 ソファからドリィを突き飛ばし、馬乗りになって、心陽は怒声を響かせた。


「うーん、騙したつもりはないけど?」


 床に仰向けで倒れるドリィは、眉を困らせた。


「わたし達が眠っている間に魔王が来るって、どう考えても罠でしょう⁉」


 左手でドリィの首を鷲掴みにし、心陽は右の拳を振り被る。


「あなたの本当の目的を言いなさい! さもないと、ここであなたを倒す!」

「落ち着いて、心陽ちゃん。ここ、ドリィの世界ってこと忘れたの?」

「うるさい!」


 体内の魔法微生物(マジカリアン)に念じ、もう一度魔法を発動しようと試みる心陽だが、


「――ほらね? 魔法、出せないでしょ?」


 ドリィの微笑で事態を察する。強化魔法なしでは、魔族は倒せそうにない。


「魔王が来たのはどこ?」


 馬乗りの態勢は保持して、心陽が聞いた。

 ドリィが指を鳴らすと、テレビ画面に東京湾の映像が映し出された。

 心陽はそこに黒い巨人を見、しばしの間言葉を失う。


「……あれが、魔王なの?」


 心陽が前世で対峙した魔王とは、大きさが違い過ぎた。


「びっくりした顔、またいただき! まさにあれが、今の魔王サマだよ?」


 心陽は歯を食い縛る。


「納得できない? 魔王サマだって成長するんだよ? 強さを求めて行動するの。もう昔の魔王サマとは、強さのケタがちがう」

「どうして、魔王がこの世界に来れたの? 個人が、単独の転移魔法(ワームホール)で転移先に選べるのは、一度行ったことのある場所。そうでなくても、一度目視したことがある場所……ッ⁉」


 そこまで口にして、心陽はドリィを見た。

 ドリィの口の端(は)が吊り上がる。


「ドリィの目は、ただの目じゃない。感覚共有魔法で、魔王サマの目と視覚を共有してるの」

「視覚を、共有⁉」

「そう。ちなみに聴覚もね? だから、ドリィがこっちの世界で見聞きした情報は、ぜんぶ魔王サマに筒抜けってわけ」


 心陽の右ストレートが、ドリィの鼻づらを捉えた。


「ぷぎゃ!」


 ドリィの顔はクッションのようにくしゃりとへこみ、彼女が大きく息を吸うと元に戻った。


「心陽ちゃんって、やるときはやる子だね? Sっ気あるんじゃない?」

心陽は全身が小刻みに震えているのを自覚した。


 魔王という、倒すべき相手が現れたことを好機とする感情よりも、世界中の人々が危機に陥ったことへの焦りが上回っていた。


「――よくも、よくも!」


 心陽が怒りに駆られ、二度目に振り下ろした拳を、ドリィは難なく受け止める。


「魔法なしの攻撃なんて、ドリィには効かないよ?」


 ドリィが白い歯を見せた次の瞬間、心陽は目に見えない衝撃に襲われ、真横に吹き飛んだ。


「くっ!」


 心陽は、並外れた身体能力で受け身を取り、立ち上がる。

 ドリィも同時に立ち上がった。


「個人が唱える転移魔法(ワームホール)は、儀式とか、自然発生した転移魔法(ワームホール)と違って、それを発動する者が目で見た場所じゃないと移動できない。だからドリィがいるの。ドリィは夢魔。夢魔は他人の夢から夢へと渡り歩いて、世界の壁を超えた移動ができる。ドリィがアイルの夢に辿り着いて、そこから日本の存在を知った」


 ドリィはテーブルの上にあぐらをかく。


「夢魔は、夢の主(あるじ)が目覚めることで現世に顕現するから、こうして日本に来れたってわけ。怒るならドリィにじゃなくて、アイルにしてくれない? ドリィが日本に顕現する媒体になったのは、アイルなんだから」

「アイルさんの記憶から、わたし達の存在を知って、会うことを要求したんだね? それでわたし達の記憶を見て、前世を暴いて、それを感覚共有で魔王に伝えた……」

「魔王サマが、転移魔法(ワームホール)の転移座標を決める装置。その役割をドリィは担ってるの」

「勇太くん! アイルさん! 川本さん!」

「ドリィが許可しないと、誰とも連絡は取れない」


 心陽は、得意げに笑うドリィを睨む。


「わたしの制服、どこ?」

「制服? これのこと?」


 先ほどまで心陽が着ていた学生服が、ドリィの手の中にぱっと出現した。


「返して」

「いいよ? ほら」


 ドリィは小さな笑みを浮かべてスカートのポケットをまさぐり、一枚のお札を取り出すと、制服自体は心陽に投げた。


「……お札も返して!」


 制服を抱きかかえ、片手を伸ばす心陽。


「へぇ、魔力を強制的に引き出す魔法陣が描いてある。このお札、アイルに渡されたの?」


 目を見開き、薄ら笑いを浮かべたまま、ドリィは首を傾げた。


「ドリィにひどいことをされたら使えって」

「まったく。アイルだって、ドリィを完全には信じてないんじゃん」


 ドリィは顔を伏せ、肩を震わせて笑う。

 その不気味な仕草に、心陽は息を呑む。

 が、次の瞬間、


「いいよ、はい」


 と、ドリィはお札を心陽に差し出した。

 心陽は、テーブル越しに差し出されたお札とドリィを交互に見たあとで、さっと掴み取る。


「やっぱり、心陽ちゃんのリアクションが一番だね。いい驚きぶりだよ。ポーカーできないでしょ?」

「どういうつもり? 濁したり、すぐ答えたり、笑ったり、言うこと聞いてくれたり……」

「ドリィがやりたいことを、実現するためだよ?」


 ドリィはそう濁すと、ぺろりと小さな舌を出した。


「わたしがこのお札で、魔法を使えるようになったときのこと、考えた?」


 心陽が、人差し指に嵌めたヒーローリングを見せると、ドリィは首を横に振る。


「心陽ちゃんは、ドリィが良い子にしてるときは殴って来ないって思ってたから。これも予想通り」

「なら、わたしが魔法を使って、またあなたを殴れば、予想外だね?」


 心陽は言って、拳と拳を胸の前で突き合わせ、魔力を練り始めた。


「べつに、もう構わないよ? ドリィをボコボコにして、ここから出たきゃ出ればいいし」


 だが、ドリィの予想外の発言に、心陽は思考を乱され、結果として魔力も乱れてしまう。

 ドリィはにこりとした。


「やりたいことと言えば、心陽ちゃんにもあるでしょ? とっても大事なことが」


 心陽は、ドリィから出されたクイズを思い出す。


「もうすぐ、ここでのあなた達の動画は世界に発信される。アイルにもバレちゃうよ? あなたが、【不告白の呪い】の存在を黙ってたこと」

「えっ、――世界に、発信⁉ な、なんで……⁉」


 またもや予想だにしない展開に、心陽は動揺を隠せない。


「だってそのほうが、面白いに決まってるもん」

「そ、それはあなただけだってば!」


 今の自分が中継されている姿を想像してしまった心陽は、スポーツウェアの上から制服をいそいそと重ね着する。


「まぁ、濁さずに言うとさ、ドリィだったら、やりたいことは何が何でもやるよ? たとえそれが、命懸けのことであっても。でも心陽ちゃんは、できない。だって、もし日本でも死んじゃったら、今度こそ、彼と永遠にお別れしちゃうかもしれないから。呪いが永遠でも、めぐり合いが永遠とは限らないでしょ? これがドリィの予想」


 ドリィは、穏やかに広がる眉を少し狭め、引き締めた。


「……」


 心陽は、そんな彼女の表情から、諦観にも似た慈しみのような気配を感じ取った。

 それは、他人のことを想いながらも、自ら決意した在り方を損なわぬ者の表情。

 その表情は、心陽の記憶に深く刻まれていた。

 真っ先に現着して戦う、勇太の顔。

 そして、その前世――ユータン。

 自分ではなく、ココや仲間のために、ひたむきに努力し、それを損なわない。

 そんなユータンの、頼もしくも儚い、ひたむきな志が秘められた顔を、心陽は思い出す。


「では、心陽ちゃん。ドリィからあなたに最後のクイズです!」


 パフパフパフ!

 リビングのスピーカーから、楽器の音が響いた。

 わたしはどうして、夢魔のドリィという子に、彼の顔を重ねたんだろう?

 そんな疑問がふわりと浮かぶ中、最後の問題が出題される。


「心陽ちゃんにはやりたいことがあります。それは、伝えることです! ではでは? 果たして心陽ちゃんは、魔王サマという存在がある中で、伝えたい人に、伝えたい言葉を、伝えることができるのでしょうか?」


 選択肢は出ない。

 代わりに、リビングの壁に突如として、両開きのドアが現れた。


「答えは、自分で決めな?」


 と、ドリィは言って、そろりと道を開ける。

 ソファと床とテーブル、壁と天井がすべて消え去り、心陽の身体は雲の上に立っていた。

 目の前には、ドアだけ。


「さぁ! 心陽ちゃんが現実世界へ通じるこのドアを開けた瞬間、この番組はクライマックスに突入します! ヒーローランク一位=ナックル・スターの行く末や如何に⁉」


 クラッカーが弾け、紙吹雪が舞う。

 ブラスバンドの演奏が青空を彩る中、心陽はドリィを見た。

 根拠もなにも無い。ただ心陽は、ドリィが初めて見せた優しい笑顔から、温かい何かを心に得ていた。

 アイルさんがわたしに言った、『試練を乗り越えれば、抱えている問題が解決するかもしれない』という言葉の意味が、わかった気がする。

 きっと、今わたしが考えていることと、アイルさんが考えていることは同じ。

 わたしはに、伝えるべきなんだ。そうすることで、彼に変化が起こるかもしれないから。

 この推測が確信に変わるかどうか、確かめなくてはならない。

 確かにこれは、大きな賭けだ。


「あなたの予想通りになるかどうか、これから示してあげる」


 心陽はドリィに言うと、ドアに手を触れ、押し開けた。

 眩い光がドアの向こうから射しこみ、心陽はさらに一歩、前へと踏み出した。


   ☆


「ココ、……魔王の前で、なんて惨い……」

 クイズ番組の会場。その巨大モニターに映し出された動画には、ココのその後だけでなく、夢の中での心陽のクイズや、面会室での、アイルたちとドリィの会話も含まれていた。

 次々に映し出されるそれらの事柄を、勇太は固唾を飲んで見ていた。

 痛ましさと悔悟(かいご)、温かさと嬉しさ、優しさと使命感、驚愕と絶望とが重なり合い、一度に殴りかかって来たような、言うに言われぬ感情の津波が勇太の内心で暴れ狂った。

 心陽の前世、忍耐、そして努力。

 師匠が抱える、知られざる重圧。


「ナックル・スターが、心陽が、ココだったのか……」


 心陽とココ。表情が醸し出す雰囲気や髪色、名前の響きが似ているのは偶然だろうか? 運命のようなものは決して作用していないと、果たして言い切れるだろうか?

 魔族(ドリィ)の魔法が見せる世界に根拠など無いが、運命が作用した可能性がある限り、向き合わなくてはならない。

 夕暮れの河原で、心陽が何かを言おうとしていた光景が想起される。

 運命なくして、そんな出来事が起こり得るだろうか?

 勇太は両手で頭を抱えた。


「俺は馬鹿だ! なんで心陽を魔王の手先だと疑ってしまったんだ! どうしていつも、良くない方へ考えるんだ! どうしてあのとき、心陽の話を親身に聞いてあげなかったんだ! あの河原でちゃんと心陽の目を見て、最後まで話を聞いていれば、彼女が何を言おうとしていたのか、わかったかもしれないのに!」


 そんな勇太のことを、ドリィは両手で頬杖をつき、見つめる。


「師匠だって、他人のことは気に掛けるのに、なんで自分のことは放っておくんだよ! なんで俺はそれに気付けないんだ! いつも自分のことだけかよ!」


 ドリィはここで、感心したように頭を持ち上げ、椅子に背を預けた。


「勇太クンて、自分の努力が圧倒的な力の前にへし折られて、大切なものも全部壊されたのに、グレたり絶望したりしないで、自分の感情に正直なんだね。ピュアって言われたことない?」

「え?」

「だって、グレた人も絶望した人も、背を向けて攻撃的になるし、本能的に自分の殻に籠もるもん。一度殻に籠もることを知ってしまった人は、自分に嘘をついたり、他人に嘘をついたりする。でも、勇太クンにはそれがない」

「……俺はただ、頑張っても何も良い方向に持っていけなかったことが、悔しいだけだ」

「だから、あなたは自分に正直なんだってば。悔しいものは悔しいって言うし、自分を叱ったりもするでしょ? ちなみにこの会場はね? ドローンで動画に撮ってるの。だからあなたの言ったこと、ぜんぶ残るよ?」

「…………」


 顔を真っ赤にする勇太を見て、ドリィは小さく笑った。


「勇太クン。あなたもアイルに言われたよね? 夢の世界でクイズを受けることに対して、『これは試練だ。自分に打ち勝ち、自分で決めろ』って」


 その言葉に、勇太は顔を上げた。


「俺の試練って、自分の過ちを反省して……もしかして、心陽が言いたかったことに気付けってことか?」


 心陽は河原で、俺に何を言おうとしたんだ?


「答えを知りたい?」


 勇太の顔から読み取ったか、ドリィはそう聞いてきた。

 勇太は黙って頷いた。


「だったらヒントをあげるから、あとは自分で考えな? タダでラクに手に入る答えなんて、まやかしだよ?」


   ☆


 防衛省・庁舎A棟。学校の体育館ほどある広大なオペレーションルームのドアを勢いよく開け、アイルと五郎が入室した。

 慌ただしかった部屋が一瞬静まり、数十名の視線が二人に注がれた。


「元ヒーローのアイルだ。そこのスペース、借してほしい。二人を寝かす。説明はあとだ」

「君、大至急、このメモリに保存された動画を検証してくれ。ざっとで構わない。問題なければすぐにヒーローチャンネルに投稿する。テレビ局にもコンタクトして、すべてのチャンネルで同じ動画を放送させろ。テレビ業界とのパイプが太い防衛大臣の名前を出せば、すぐ通る」


 五郎はヒーロー庁の職員に、ドローンから抜き取ったメモリを渡す。


「えっ、それ、上の許可はあるんですか?」

「いいからやれ。責任は僕が取る」


 アイルと五郎は、大部屋の隅に勇太と心陽を寝かせて、大型モニターに映し出された魔王の映像を睨む。


「須川(すがわ)危機管理官、巨人の件、状況はどうなっていますか?」

「湾内を航行中の船舶については海保(かいほ)が対応中。アクアラインでは衝突事故を七件確認しています。現在、上下線ともに進入禁止とし、道路上の車両をすべて退避させているところです」


 五郎の問いに、白髪交じりの短髪を整えた痩せ型の男――須川危機管理官が答える。


「死傷者は?」

「今のところ出ていません」

「件(くだん)の巨人からは何らかのコンタクトはありましたか?」

「コミュニケーション・ドローンを急行させてます。向こうからの魔法による音声通信などはまだありません」

「ドローンテレビ中継システム(ドロテレ)、出ます!」


 職員の声がして、大型モニターの映像が、コミュニケーション・ドローンが撮影したものに切り替わる。

 一同は驚愕の声を上げた。

 巨人の頭部が大きく映し出されたのだ。頭部は西洋の鎧兜を思わせる角張った形状をしており、頭頂には角のような突起物が見られた。頭部の目にあたる部分には細く鋭利な穴。その奥で、目が赤い光を発し、ドローンのカメラを睨んでいるように思える。


「あの兜じみた顔、友好的には見えないな。みんなにどう説明しようか? あれが魔王だって」

「今はまだ様子を見ましょう。魔王という呼称は、場合によっては混乱を招く可能性がありますから」


 アイルの問いに、五郎が返す。

 巨人は、巨体であるが故か、ゆっくりとした挙動で移動を開始。海面から露出した大腿部を交互に動かし、安定した姿勢で前進する。


「巨人、港区方面へ向け移動を開始した模様」


 職員の声。


「巨人の身長は一五〇メートルと推定。あれだけ巨大なものが異世界から現れた前例はなく、状況は不可測です。複合的な初動対応が必要と思います」


 須川危機管理官が言い、五郎は頷く。

「同感です。官邸対策室(かんていたいさくしつ)に繋いでください」


 首相官邸と通話が繋がり、壁に設置されたスピーカーから、官邸大会議室での会話が聞こえてくる。


『――続いて、東京湾沿岸域(えんがんいき)への対応についてですが、警戒レベルは最大とし、住民には避難命令を出しております。また、空港も全便欠航。経済的損失よりも安全を優先した処置を実行中です。ただ、私としましては――』

『山口大臣、お話中に失礼。川本、聞こえるか? 虹村(にじむら)だ。そっちは映像見えてるか?』


 虹村官房長官(かんぼうちょうかん)の声。


「はい。コミュニケーション・ドローンが現着。通話の用意ができています」

『よし。私が対話を試みる』


 五郎が答えると、今度は沖田(おきた)首相の声がした。

 巨人の前進に合わせて移動するコミュニケーション・ドローンの拡声器から、沖田首相の声が大音量で流れる。


『歩行中の巨人に告ぐ。人の言葉はわかるか? 私は内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)の沖田。君が接近している国の代表を務める者だ』


 すると巨人は歩を止め、低く唸るような、重く圧し掛かる、おぞましい声を発した。


『山田勇太(やまだゆうた)を出せ』

『――それは誰だ?』

「総理。山田勇太は私の弟子。日本のヒーローです」


 アイルが答える。


『山田勇太に会うのが、君の目的か? 君は何者だ?』


 アイルの声を聞いた沖田首相が、巨人に問いかけた。


『魔王。それが魔族の王たる俺に相応しい呼び名だ。俺は、俺に仇なす者を残らず滅ぼす。ここへ来たのは、我が呪いを受けても尚、身の程を弁えず足掻く者を、真っ向から叩き潰すためだ。山田勇太を差し出せ。従えば、貴様らは我が僕として生存を許す。逆らえばすべて滅ぼす』

『滅ぼすだと⁉』


 沖田首相が、狼狽えた声を上げる。


『三時間、与える。山田勇太を連れて来い。三時間後、山田勇太が姿を見せなければ、攻撃を開始する』


 魔王と名乗る巨人が告げた次の瞬間、ドローンからの映像が途絶えた。

 五郎は携帯の時計を見る。

 午前十一時十二分。


「……魔王って、あの、ゲームとかに出てくる魔王です?」


 須川危機管理官が、隣に立つ五郎に聞いた。


「その魔王です。話す手間が一つ減りました」


 五郎が答えると、今度は女性職員の声が上がる。


「緊急! 巨人の周辺を警戒していたドローンが全て撃墜された模様です!」

『異世界があって、異種族がいて、魔法があるなら、魔王もいるか……』


 虹村官房長官の声には、諦めと疲れを思わせる溜め息が混ざっていた。


『その、山田なにがしは、今どこにいるんだ?』

「私たちの傍(そば)にいます。名前は山田勇太です、総理」


 沖田首相の問いにはアイルが答えた。


『山田勇太と話せるか?』

「彼は今、眠りの魔法に掛かっておりまして、会話はできません」

『どういう状況なんだ?』 

「話せば長いため、今は割愛させて頂ければと」


 五郎が言った。


『一体、山田勇太は何者なんだ? 魔王が要求するほどの、重要人物なのか?』

「山田勇太は転生人(てんせいびと)なのです。彼は前世で魔王と戦い、敗れた経緯があります」


 アイルの言に、場がざわめいた。


『え、山田勇太って、魔王と知り合いなの?』


 予想外の関係性に、沖田首相はぽかんとしたような声で言った。


『総理。緊急の課題は山田勇太のことよりも、今後の対応かと』


 と、石井(いしい)補佐官の声。

 沖田首相が言う。


『そうだな。現場の映像、なんとかして出せないのか? 最悪、ランクは問わん。ヒーローを派遣して確認させてくれ』

『とりあえず、テレビつけてみましょう』


 官邸大会議室でテレビが点けられたらしく、アナウンサーのものと思しき声が聞こえてきた。


『信じられません! 私は幻影の魔法にでも掛かっているのでしょうか⁉ これほど巨大な異世界生物、見たことがありません! 巨人は周囲のドローンを、黒い玉のようなもので破壊し、湾内に仁王立ちしています!』


 少し遅れて、五郎たちがいる部屋の大型モニターにも、映像が表示された。

 魔王は微動だにしていないものの、その気になれば数分の内に上陸できるように思われた。


『あの巨体で陸に上がられたら、厄介だぞ』


 官邸大会議室のどこかで、誰かがつぶやいた。


『民間のヘリを近づけさせるな! 落とされるかもしれん。ドローンと代わらせろ』


 虹村官房長官が声を荒げる。


「海保に連絡して、至急、民間のヘリを全て引き揚げさせてください」

「わかりました。ドローンを追加で飛ばすようにも伝えます」


 五郎が須川危機管理官に指示を出す。


『魔王は山田勇太を渡せと言っていたが、一体どうするっていうんだ?』

「魔王は勇太を殺すつもりです。渡すわけにはいきません」


 沖田首相の疑問に、アイルが答えた。


『よくわからんが、魔王は山田勇太が日本へ転生したと知って、止めを刺しに来たなんて話か?』


 狼狽えた声で、虹村官房長官。


『そ、そんな要求、呑めるわけがない! ヒーローだって、一人の国民だ! 殺されるとわかっていて、差し出すなんてことできるか! 大至急、対応策を練らねばならん!』


 憤る沖田首相に、鳩羽(はとば)総務大臣の声が続く。


『仰る通りです。対処フローの選択肢は二つ。異世界に追い返すか、排除か、ですね』

『まずは湾に面する全地域の国民の避難を優先すべきかと考えます』

『数百万の人間をどこに避難させるんだ? 相手は魔王だぞ? たった今だって、ドローンがまとめて落とされたんだ。きっと、とんでもない魔法を持ってる。地震津波とはわけが違う』

『東京湾周辺だけで事が収まるとも思えん』


 と、判別できない声が四つ。


『だから、奴がなにかする前に倒せばいいじゃないか。そうだろ? 防衛省!』


 オペレーションルームに鳩羽(はとば)総務大臣の声が響き、全員の気が引き絞められた。

 鳩羽総務大臣は続ける。


『タイムリミットはあと三時間を切っている。こちらが判断に迷っている間に上陸されて、国民に被害が出るかもしれん。魔王の言うことが本当とも限らんからな、ここは即(そく)排除しかない!』

「仰ることはわかりますが、湾内と陸、双方での火器使用を想定した検討の時間を本省に頂きたい。相手はあんな巨体です。倒したあとの処理も考えねばなりません。同じ生き物なら、たとえば体液とか、そうしたものが我々にとって無害であるという根拠が無いんです。即断するにはリスクが大きすぎると考えます」


 富岡副防衛大臣が答えて、五郎たちの方へ歩み寄って来た。


「いずれも前例がない、想定外の事態だ。みんな焦るのもわかるが、慎重さを欠いてはならん」


 恰幅のよい身体をスーツで覆い、富岡副防衛大臣は五郎に耳打ちする。

 アイルはそれを、人間よりすぐれた聴覚で聞き取り、


「魔王については、兼ねてより山田勇太から話を聞いていますので、参考情報として申し上げることも可能ですが、どうでしょうか?」


 と、申し出た。


『アイル意見役(いけんやく)、聞かせてくれ』

「魔王は背丈三メートルほどで、呪いの魔法を得意とします。また剣術にも秀でており、前世の決戦では勇太と互角以上に戦ったと聞いています。また、魔法障壁がかなり強力だったとも言っていました」


 沖田首相に言われ、アイルは情報を伝えた。


『三メートルだと? 映像の奴と、大きさが全然違うじゃないか』

「魔王も自らを高め、進化、あるいはそれに近い何らかの変態(へんたい)を遂げたと考えられます」


 虹村官房長官の言(げん)にアイルが返すと、会議室にどよめきが広がる。


「アイルさん。それはつまり、魔王が以前よりも強さを増しているってことですか?」

「戦ったのは勇太だ。私にはその部分の判断はできないが、大きさだけで見ても今のほうが数十倍大きい。それだけの巨体を支え得る、莫大な魔力があるのは確実だ」


 五郎に問われ、アイルは苦虫を嚙み潰したような表情で続ける。


「なので、総理。攻撃の際は細心の注意が必要です。下手に倒せば、魔王の体内を流れる大量の魔法微生物(マジカリアン)が暴走し、魔力爆発(マジックバーン)を引き起こす可能性が否定できないからです」

『魔力爆発(マジックバーン)っていうのは、あれだろ? 魔法微生物(マジカリアン)が、魔力を生成するために活性化しているときに宿主が死ぬと、行き場を失った魔法微生物(マジカリアン)が暴走して、一気に拡散するっていう……』

「その通りです。魔王ほど巨大な生物がそれを起こすとなると、被害範囲は想像を絶します。最悪の事態を防ぎつつ倒すには、魔王が大技を繰り出す前に、心臓か頭部を狙うのが望ましいです。それらの急所は魔法微生物(マジカリアン)の意志と直結していますので、そこを潰せば魔法微生物(マジカリアン)の意志も乖離・分散し、魔力爆発(マジックバーン)のリスクが多少、抑えられます」


 と、沖田首相にアイルは頷いた。


『それでもゼロにはならないのか……』


 誰かが言った。


『総理。ここは、国民への迅速な避難誘導と並行する形で、異世界災害対策マニュアルを参考に、防衛省と自衛隊、それにヒーロー庁を統合した、魔王排除作戦の展開を提案します』


 虹村官房長官が言った。


『現時点で既に、陸海空、すべての交通網に深刻な影響が出ており、経済的損失は莫大なものになると予想されます。早急に手を打たない限り、損害額は増すばかりです』


 山口(やまぐち)経済産業大臣の声。


『総理、今回は異例の事態です。恐らく今後も似た事態が頻発するものと思われます。場合によっては、超法規的な処置もやむを得ないかと』


 鳩羽総務大臣の声。

 しばしの沈黙。

 アイルはここで、何かが動く気配を感じ取り、勇太と心陽を振り返った。

 心陽が目を覚ましたところだった。


「心陽っ!」


 アイルがさっと歩み寄り、五郎も振り向いた。


「起きたか!」

「こ、ここは?」


 心陽は胸の前で片手を握りしめ、周囲を見回す。


「防衛省のオペレーションルームだ。大丈夫か?」

「わたしは平気です。それより、大変です! 魔王が、勇太くんを――っ!」


 アイルが心陽の肩を掴む。


「魔王のことなら、東京湾に現れた事は我々も把握済みで、今対策を練ろうというところだ」

「っ! やっぱり、ドリィの話、本当だったんだ……」


 心陽はショックを受けたように、視線を落とす。


「夢の中で何があった?」


 心陽の顔を覗き込むようにして、アイルが優しく聞いた。


「いろいろあって、……ドリィから、動画、もらってませんか?」

「今検証中だよ。ドリィから世界に向けて公開するように言われたんだ」


 五郎が心陽に頷くと、沖田首相が口を挟む。


『誰だ? そこに子供がいるのか?』

「ここには山田勇太の他にもう一人、ナックル・スターもいるんです。彼女も眠っていて、今起きたところです」

『山田勇太といい、さっきからそっちで何が起きていると言うんだ……』


 五郎の説明に、苛立たし気な鳩羽総務大臣。

 虹村官房長官がそれを宥める。


『ランキング一位のヒーローがいるのは心強いことじゃないか。戦力は大いに越したことはないだろう』

『他のランキング上位のヒーローはどうした? 現着したという報告を聞かないが?』


 鳩羽総務大臣のその問いには、アイルも五郎も判別できない、ヒーロー庁の官僚と思しき者たちの声が返答する。


『ヒーロー庁で確認したところ、上位五人(ビッグファイブ)はナックル・スターを除き、全員海外で活動中のため、即応できないとのことです。位置的にはランキング二位の鴉(カラス)が近いですが、帰国まであと四時間ほど掛かるそうです』

『こんなときにトップヒーローが四人もいなくてどうするんだ!』


 鳩羽総務大臣が吠えた。


『お言葉ですが、もともと上位五人(ビッグファイブ)のうち三人は日本人ではなく、海外在住なんですから、いなくて当然ですよ。上位ヒーローはまだしも、下位ヒーローに至っては収入も安定せず、平日は仕事や学業と両立して、兼業ヒーローというスタンスの者も大勢いるんです。ヒーロー全員が平日の昼間に即応するのは困難を極めます』

『……そ、それもそうか』

「引退したとはいえ、元一位の私がここにいるんだがな」


 アイルがぼそりと言った。

 そこへ、さきほど動画のメモリを渡された職員が足早にやって来て、五郎に耳打ちする。

 心陽はそれを聞き取る。


「川本さん。動画は十分程度のもので、倍速でざっくり確認したのですが、内容としては、そこにいる二人のヒーローのプライベート情報でした。彼女らの過去の様子や、それをクイズ形式で明らかにしていく女の子が映っていまして――」

「わかった。早速、ヒーローチャンネルに新着動画として公開してくれ。テレビ局へのアプローチはどうだ?」

「現在、別の者が確認中です」

「確認でき次第、テレビでも放送させるんだ」

「わかりました。動画のアップロードはすぐできます!」


 職員を行かせた五郎が、アイル、そして心陽に目配せした。


「高峰さん。一応聞くけど、動画、流していいね?」

「お願いします。ユータン、――勇太くんが、今までどれだけのことを耐えて来たのか、みんなに知ってほしいです」


 心陽は強く頷いた。


『どうした? 何があった?』


 そこへ、沖田首相の声。五郎たちのやり取りが聞こえたらしい。


「総理。唐突で恐縮ですが、たくさんの人に、どうしてもお見せしなくてはならない動画があります。もう間もなく放送が始まりますので、テレビは消さずにお願いします」

『いきなり何を言い出すんだ川本。閣僚会議中だぞ』

『この場での発言はすべて議事録に残る』


 鳩羽総務大臣と虹村官房長官が続けて言った。

 五郎は、勇太の前世や日本での生い立ちを知っている。故に引き下がらない。


「どうかお願いします! みなさんにこの動画を見て頂かなくてはならない理由があります。我々に魔王の情報を提供した魔族との約束だからです。具体的な内容は、山田勇太とナックル・スターのことについてです」

『魔族が、魔王の情報を渡してきたのか?』


 虹村官房長官の驚愕の声。


「そうです。交換条件として、山田勇太とナックル・スターの両名を眠らせ、夢の世界で二人の過去を掘り起こし、その動画を世界に放送するという取り決めがありました」

『馬鹿な事を言うな! 魔族の戯言に付き合えというのか! この緊急時に、呑気に動画鑑賞をしていましたと、政府が恥をかくことになるんだぞ⁉』

「総理! 山田勇太は眠りに落ちてはいますが、彼は今このときも、夢の中で魔族と向き合っているんです! そんな彼の働きに報いるためにも、十分ほどお時間をください! 自分の処分は覚悟のうえで申し上げています!」


 沖田首相に五郎が進言した、ちょうどそのとき、


「動画、いけます!」


 と、ヒーロー庁の職員が挙手した。


「頼む! この動画は拡散されるのが肝だ! 君は動画のインプレッションも監視してくれ!」


 五郎がすかさず職員に言い、大型モニターで動画の再生が始まった。

 初めに映ったのは、クイズ番組の会場で、ドリィと勇太の問答の様子。まもなくして、映像は異世界での激しい戦闘へと切り替わった。

 オペレーションルームの一同から、息を呑む気配がした。

 動画が進み、勇太と心陽の過去、そして耐え難い苦痛が明らかとなるにつれ、大臣や職員たちのざわめきも沈黙へと変わっていく。


『これが、山田勇太の前世なのか? ……なんてことだ』


 ぽつりと、沖田首相。


「各テレビ局からの放送もスタートしました!」


 職員の声。

 五郎とアイルは携帯を取り出し、SNSの反応を確認。

 ものの数分で、動画を見始めたらしい人々の投稿が乱立し始めた。


《今、どのチャンネルもユウタのことやってるんだが? ナニコレ?》

《ユウタって転生人(てんせいびと)なの? 前世マッチョでイケメンじゃん!》

《魔王とかってゲームだけの話かと思ってた》

《ドリィかわいい》


 動画は続けて、心陽の前世――ココが故郷の村でユータンのもとを訪れる場面から転じて、再び魔王との戦いの場面、それもココの視点を映した。

 次いで、心陽が暮らすマンションの一室での出来事。


『おいおい、個人のプライベート映像じゃないか! 本人に許可は取ってあるのか⁉』


 通話越しに誰かが声を荒げるが、判別できない。

 心陽は居心地悪そうに顔を赤らめ、足下を見つめる。


「動画は検証済みです。この動画に対し、何らかの批難があれば、それもすべて自分が責任を負います」


 断固とした口調で五郎が応じる中、アイルは怒りの眼差しを心陽へ向けた。


「心陽。呪いのこと、どうして言わなかった?」

「……ごめんなさい。余計な心配を掛けたくなかったんです」


 決まりが悪い様子の心陽を、アイルがそっと抱き寄せる。


「私が言えたものじゃないが、心陽も勇太も、一人でぜんぶ背負いすぎだ」


《スターの素顔⁉》

《わかってはいたけど、美少女》

《こんなの流して、特定厨(とくていちゅう)とか湧かない?》

《ヒーロー庁はなにを考えてるんだ?》


「動画にはコメントが多数見られ、SNSでも拡散が増えています」


 と、職員の声。


『ナックル・スターの正体は、異世界から転生した少女なのか』


 鳩羽総務大臣が驚愕に呻いた。

 時間にして十五分弱の動画は、途切れることなく最後まで放送された。

 全員が黙したまま、神妙な面持ちで動画を見ていた。


『情報が些(いささ)か多すぎるため、整理の時間を設けたい』


 石井補佐官から耳打ちをされたらしく、沖田首相が言った。

対して、五郎が挙手した。


「自分が要約して申し上げます。現在、動作を停止中の魔王に対し、有効な攻撃となり得るのは、山田勇太が持つ聖剣だけであること。ただし、現在の山田勇太は、前世で魔王から受けた呪いによって、体格も力も、すべてが弱体化していること。そのため、山田勇太は長期戦が不可能であること。以上の点から、魔王排除には山田勇太の覚醒が必要と考えます」

『山田勇太の覚醒って、具体的に、何がどうなるんだ?』


 フィクションじみた内容に、沖田首相から困惑の声が上がる。


「ヒーロー・ユウタとしてのポテンシャルが最大限に発揮され、聖剣で戦うことが可能となります。彼の聖剣であれば、魔王に対抗し得ます」


 首相の問いにはアイルが答えた。


『あ、どこか引っ掛かると思ったら、山田勇太って、あの、小柄なヒーローのユウタ君か! まさか、身寄りのない彼が……⁉』


 と、沖田首相。

 今頃か。と、アイルは思いつつ答える。


「そうです、総理。前世から長年に渡って彼が積み重ねてきた努力は、嘘をつきません。私は彼を十年以上前から見てきましたので、間違いありません」


 この場に沖田首相がいたならば、アイルの真剣な眼差しに胸を打たれただろう。


『よ、よし。我々もリツイートだ! みなさん、携帯! 携帯出して!』


 沖田首相の声が少し遠退いた。

 五郎は首相への感謝か、黙したまま目を閉じ、祈るように小さく一礼した。


『ドリィという女の子は、動画で見る限りでは角も生えているようだが、コスプレとかではないんだろ? この子が、例の魔族なのか?』


 虹村官房長官の声。


「はい。ドリィは魔族です。ですが、敵対しているわけではなく、現時点では我々に協力的です。魔王の情報を提供したのも、山田勇太と高峰心陽の過去を映像化し、我々に見せてきたのもドリィです」

『魔族といえば、魔王の手先みたいなものだろう? なぜその魔族が、日本のヒーローの過去を公(おおやけ)にするんだ? 関わって大丈夫なのか?』

『ヒーローのユウタとスターは、前世の故郷が同じで、幼馴染であるという事情から推察すれば、この二人が動画の共通項として取り沙汰されているのは理解できる。だが、そうする目的が見えん。ドリィは何者で、何をやろうとしているんだ?』


 沖田首相と鳩羽総務大臣が問う。


「ドリィの目的は復讐をすることです。しかし、誰に対しての復讐なのかは確認できていません。ただ、この状況下においても我々に協力しているところを鑑(かんが)みるに、少なくとも我々への敵意は無いと思われます」

『根拠が無いだろう。魔族の言うことだぞ?』


 と、虹村官房長官に言われ、アイルは頷く。


「仰る通りです。なのでここは、私とナックル・スターで、不測の事態に備えたく存じます」

『ユウタ君の覚醒というのは、具体的にどうすればいいんだ?』

「勇太はまだ夢の世界におり、自らの手で、覚醒の手段を探っている段階です」


 アイルが答えた。


『つまり、誰にもわからんということか! 彼はいつ目覚める?』

「なんとも言えません」

『その間に、魔王が痺れを切らして攻めてきたらどうする⁉』


 鳩羽総務大臣が言った。


「勇太の覚醒まで、我々が時間を稼ぐしかありません」


 アイルの回答に、五郎が続ける。


「総理、ヒーロー庁が設立されて二十年。度重なる異世界災害に伴い、自衛隊法は二度改定され、日本領土において、魔族・魔物の危険が迫っていることが認められる場合、内閣総理大臣は陸上自衛隊の全部、または一部に防衛出動を命ずることができるとなっています。先日のベヒーモスの反省も活かし、ドローンや軽車両だけでなく、陸海空、三自衛隊の戦力と、ヒーローの戦力を統合した作戦の早期展開を進言させてください!」

『総理。本件は異例に継ぐ異例の事態です。超法規的処置が必要と考えます。何卒、ご決断を』


 虹村官房長官の声。


『……不明確な点が多く、本来であれば、こんな状況では動けん。しかし、魔王はすでに明らかな敵意でもって、我が国の平和を脅かしている。……とあれば止むを得ん。自衛隊とヒーローの統合編成、ならびに、防衛出動を許可する!』


 沖田首相の命令が響き渡り、職員たちが慌ただしく動き始める。


『療養中の防衛大臣に代わり、川本。君が防衛副大臣と一緒に、臨時で各組織をまとめてくれ。総指揮はこちらが執(と)る』


 と、虹村官房長官。


『ではただ今より、川本君を、内閣府特命担当大臣(ないかくふとくめいたんとうだいじん)に任命する』

「了解しました!」


 五郎は沖田首相の声に一礼した。


『総理。魔王の出現はすでに大多数の国民が知る事態です。緊急の記者会見を開き、政府としての対応を伝えるべきかと』


 石井補佐官の声に、沖田首相は了承する。


『わかった、防災服を頼む。原稿は不要だ』


 五郎はアイルと顔を見合わせ、頷く。


「ではこちらで緊急対策チームを編成。防衛省オペレーションルームを中央指揮所とし、初動対応の作戦立案に掛かります。栗原統合幕僚長(くりはらとうごうばくりょうちょう)、聞こえますか?」

『はい。聞いています』

「鈴木警視総監(すずきけいしそうかん)」

『はい。聞こえます』

「魔王の撃破、撃退、住民の避難を目的とした統合作戦の検討を直ちに開始してください」

『了解しました。銃火器の使用は無制限までを想定し、朝霞(あさか)で戦闘プランを構築します』

『避難場所を確認し、臨時で増設することも視野に、住民の避難誘導を徹底させます』


 栗原統合幕僚長と鈴木警視総監がそれぞれ言った。


「なお、異世界災害マニュアルに則り、戦車大隊、特科連隊を除く地上部隊と警察の総力を住民避難に当て、現場の状況を見て、増員を検討するものとしてください」

「良い手腕だな。私は総務省と国交省に、避難先区域と、住民の搬送手段を確認させよう」


 富岡防衛副大臣は、五郎の迅速な指示に、彼の肩を叩く。


「――政府と国民。共に対策を重ねてきた成果が試されますね。毎月行われる避難訓練や、避難所マップの充実が奏功(そうこう)することを祈りましょう」

「川本、訓練は二十年も前からやっているんだ。国民の意識も変わるさ。きっとうまくいく」


 指示を続ける五郎の背中に、アイルが言った。


「国民の意識を変えたのは、アイルさん。あなた方ヒーローですよ」


 と、五郎は背中越しに言った。

 心陽は方々で動く大人たちを見つめて、拳をぎゅっと握りしめた。


   ☆


 勇太は、心陽やアイルを始め、日本中の人々が団結して動き出す中、自分だけが何もできず、遣る瀬無い気持ちでいっぱいだった。

 自分は夢の世界で、ただ見ていることしかできない。


「ドリィは思うんだけどさ、勇太クンが成長できない中、辛い鍛錬を続けて来られたのは、大切な人を想い続ける気持ちがあったからでしょ? ということはさ、勇太クンの底力って、そこから(、、、、)来るものなんじゃない?」


 ドリィが言った。


「俺の、底力……」


 勇太はこれまで一日たりとも、ココのこと、前世のことを想わない日はなかった。

 魔王に破れ、仲間を守れなかった自責の念に駆られ、償いの精神からヒーローを志す。その強迫観念がいつしか使命感となり、あって当然の感覚となっていた。

 そうした感覚の海の向こうに見えるのは、ココの姿。

 魔王と戦ったとき、俺にもっと魔力があれば、戦局は違っていたかもしれないと、何度悔やんだだろうか。人知れず枕を涙で濡らし、何度ココたちに謝っただろうか。

 結局最後まで手に入らなかった、質の良い魔力――魔法の底力。

 大切な人を想うことが、俺の底力になるのだろうか?

俺がまだその感覚の海を越えられないのは、大切な人への想いが足りないとか、そういうことなのか?


「俺は前世で、ココに伝えたいことがあった。村の鍛冶工房でとか、そのチャンスは何度もあった。けど俺は、ココと生き延びるためにはどうすればいいのかで、頭が一杯だった。一度くらい、自分の欲望に忠実でも良かったかもしれない。けど、ダメだった。……伝えたいことをあえて先延ばしにしてた。……答えを聞くのが恐かったんだ」


 ドリィは肩を落とした。


「ヘタレだなぁ、勇太クンは」


 勇太は頷く。


「魔王軍の恐怖が広がる世界で、身寄りと言える人がココしかいなくて、ココとの関係が崩れたときのことを考えると、先に進めなかった」

「わかるよ? 故郷を魔王軍に焼き払われて、家族も失って、苦しくて、でも生き延びるには動くしかなくて、戦うしかなくて、救いがなくて、あるのは不安と、心陽ちゃんへの想いだけ。そういう人生だったわけでしょ? だったら、仮にその想いを伝えたとして、実らないとわかったとたん、メンタル崩壊もあり得たかもね」

「俺は、転生した今も、似たような状況なんだ。心陽がココだとわかったけど、言いたいことは、言うに言えない。……成長を見せられないから、堂々と顔向けできないんだ」


 勇太は前世の贖罪の思いから、転生後の日本でも鍛錬を続け、ヒーローとしてデビューした。いつか、ココとどこかで再会できたときに、少しでも胸を張って出会うために。

 だが、日本での現実も残酷だった。魔王に掛けられた呪いのせいで身体は成長せず、どんなに努力しても、成果も、背も、伸びなかった。

 こんな状態では、ココに、――心陽に堂々と顔向けできない。勇太はそう考えていた。


「呪いが邪魔してるんだもんね……」ドリィが視線を伏せた。


 魔王の呪いがもたらす現実と向き合うだけで精一杯の勇太は、ココがこの地球に転生している可能性に思い至ることができなかった。

 むしろ、魔王の手先が転移してくることばかりを危惧してきた。

ココと会うことはもう二度とないものとし、自分のことだけを気にしてきたのだ。

 もう一度、心陽(ココ)に面と向かって立ち、想いを伝える資格など、あろうはずもない。


「自分には、そんな資格なんてないって思ってるでしょ?」


 頬を膨らませるドリィに、勇太は何も言えない。


「図星ね? 心陽ちゃんもあなたも、どうしてそう自分一人で抱え込んじゃうかなぁ。二人の人間が身を預け合って【人】って書くんだから、二人で支え合えばいいじゃん。向き合うことから逃げちゃ、見てるドリィからしたら、超つまらない」

「…………」


 ドリィにそう言われて、勇太は肩が少し軽くなった気がした。


「それにさ、気付かない? 勇太クン。魔王サマがあなたに掛けた【不成長の呪い】は、あなたの体格に対するもの。要(よう)は、聖剣を扱うあなたのリーチが長いことが、魔王サマにとって厄介だったの。魔力そのものは、呪いの対象に含まれてない。たぶんだけど、前世であなたと戦った魔王サマが、あなたの魔力に対しては脅威を感じなかったからだと思う」


 勇太は目を見開いた。


「……なら、俺の魔力は、それを覚醒させる方法さえわかれば、呪いに邪魔されずに発揮できるってことか?」


 ドリィは頷く。


「あなたの魔力の質が良くなくて、すぐに息切れを起こすのは、気持ちの問題」

「気持ちの問題? 呪いのせいじゃなくて?」


 呪いのせいではないとなれば、まだ希望はある。


「あるんでしょ? 心陽ちゃんに伝えたいこと。それがスッキリすれば、魔法微生物(マジカリアン)も喜ぶかもよ?」と、ドリィ。

「俺の魔力を高めるには、心陽(ココ)に想いを伝えればいいのか? 俺の魔法微生物(マジカリアン)たちは、言いたいことを言うだけで、質の良い魔力を供給してくれるのか? そんな都合のいい話なのか……」


 ぶつぶつと独り言ちる勇太を見て、ドリィは肩を落とす。


「勇太クンは、魔王とかその手先が、いつ襲ってくるかもわからず、さらには覚醒の方法もわからずに、ずっと不安な日々を送ってきたわけでしょ? 次第に追い詰められて余裕がないわけ。ドリィだったら、そんなときは、可能性が少しでもある方向へ片っ端から進んでみるけどなぁ? 夢魔のドリィが夢から別の夢へ渡るときも、そういう気分だったりする」


 魔王が侵略に来ると、ドリィは言った。

 勇太はかつて、魔王の首に傷を負わせた。それが、魔王の負った初めての戦傷(せんしょう)だった。

 前世では、ユータンの聖剣だけが、強力な魔法障壁を持つ魔王に届き得る武器だった。

 その聖剣は、今も勇太の求めに応じて、変身したときにのみ現れる。

 しかし勇太は、ユータンのときのような、強靭で大柄な身体ではない。今のままでは、聖剣もまともに扱えない。

 だからどうにかして、魔力だけでも高める必要がある。


「心陽に会いたい」


 気付けば勇太は、誰に言うでもなしに、口にしていた。


「なぁに?」

「心陽に、今すぐ会わせてくれ!」


 首を傾げるドリィの目を見て、勇太は言った。


「もういい加減、自分のことばかりじゃダメだ! 俺は変わらなくちゃいけない!」


 もはや、自分から言い出すのが恐いなどと、言っていられる場合ではない。


「今すぐはムリ。でも、ドリィからの最後のクイズに答えられたら、勝負は勇太クンの勝ちで良いよ? 元の世界へ戻してあげる」

「……本当に、次で最後なんだな?」


 今すぐにでも目を覚ましたい勇太は、ぐっと堪え、ドリィの目を見る。


「うん。次でおしまい」


 と、ドリィはまた、視線を伏せた。


「マカロン、食べる?」


 ドリィは細い指で、洋菓子(マカロン)が並んだ皿を勇太の方へと押す。その爪にはハートのネイル。


「甘いの、苦手なんだ」

「お紅茶は?」


 ドリィはティーカップを口に運んだ。

 勇太はそれを見てから、おもむろに身を乗り出して、小さな両手でティーカップを取る。時間はかなり経っていたが、紅茶はまだ湯気を立てていた。

 ずずず。

 勇太は、焦る気持ちが少し落ち着いた。


「おいし?」

「うん」


 勇太が答えると、ドリィは満足げに目を閉じた。


「……」


 そうして目を開けたドリィからは、微笑みが消えていた。


「最後のクイズに進む前に、約束通り、魔王サマと呪いのことについて教えてあげる」


 会場全体が静まり返り、彼女の声に集中する。


「魔王サマはもう、日本に来てる。東京湾に」

「なっ……⁉」


 その言葉に、勇太は耳を疑った。


「呪いを解くには、魔王サマを倒すしかない。でも、今の魔王(・・・・)サマの倒し方は、ドリィにもわからない」


 淡々と、挑戦的な視線を放つドリィに、勇太は驚愕を隠せない。

 頬が引き攣(つ)り、額にじわりと汗がにじむ。


「今の魔王?」

「うん。今の魔王サマは、ユータン・ライスフィールドが戦ったときのサイズとは違う、五十倍くらいの大きさにパワーアップしてるの」

「ご、五十倍っ⁉」


 勇太の脳裏には、前世で魔王と戦ったときの光景がフラッシュバックしていた。

 もう二度と、あんな虐殺があってはならない。

 魔王を倒せる可能性があるとすれば、聖剣しかない。その聖剣を持っているのは、勇太一人。だが、倒すべき魔王が大きすぎる。

 見えない重圧に、勇太は胸が押し潰されそうだった。


「……勇太クン、顔が真っ青だけど、大丈夫?」

「お前がこうして俺たちと接してるのは、魔王が来るまでの時間稼ぎだったのか?」


 しばしの沈黙の後に出た勇太の声は、弱々しく震えていた。

 胸が締め付けられるかのように痛んだ。


「ちがう。魔王サマが、ドリィが思ってたよりも早く来ちゃっただけ」


 ドリィは首を横に振り、改めて頬杖をつく。


「ドリィのこと、憎い? それとも、まだ信じてくれる?」


 勇太はドリィの瞳を交互に見つめた。


「……信じてみるよ。信頼は目に見えないけど、行動は見える。ここはドリィが操る夢の世界だけど、ドリィは俺に悪さはしてない」

「さっきふっ飛ばしちゃったけど……?」

「あれくらいは師匠とのジャレ合いで慣れっこだから、気にしてない」


 ドリィの目が、僅かに見開かれる。


「意外。ここまでドリィが好き勝手やったら、さすがに怒ってくるかと思ったのに。――勇太クンも、心陽ちゃんに負けないくらい、面白いね」


 ドリィが指を鳴らすと、ブラスバンドが短く奏でられた。

 ジャジャーン!


「見て欲しいものがある」


 ドリィがモニターを指差した。

 モニターには、緊迫した表情で移動するアイルと五郎の姿が映し出された。アイルは勇太を、五郎は心陽を、それぞれ抱きかかえている。


「この映像は、今の二人を映してるのか?」

「ううん、しばらく前の映像。寝てる勇太クンたちを地上階に移すところ。あなたが寝ている間に、現実世界ではいろいろなことが起こったの。最後のクイズには、これから見せる映像のあとで答えてもらいます!」


 勇太はドリィに言われずとも、二人の映像に釘付けになった。

 これから一体、なにが起きようというのか。その不安で頭が埋め尽くされていく。


   ☆


 勇太と心陽の壮絶な過去を伝える動画は、全世界に拡散された。

 仕事中の者も学業中の者も、街のモニターや携帯で動画を見、SNSで情報を追った。


《ユウタ、今まで見下してごめん。これからは応援する》

《魔王に通じる武器が聖剣だけってヤバない?》

《聖剣ってもしかして、ユウタがいつも引きずってるアレ?》


「なんだよ、これ……」


 と、院照誓矢(いんてるせいや)は携帯をぐっと握りしめた。

 授業が中断され、生徒たちは一次避難場所の体育館に集められていた。


『じゃあさ、どう頑張っても成長しない呪いに掛かってるとしたら?』


 昨日の地下道で、勇太が言っていたことが蘇る。

 今までどうして、誰にも言わなかったんだ。どうして、何も知りもしない連中に、ただ悪口を言われる道を選んだ⁉

 誓矢は担任に歩み寄る。


「先生。急用のため、今すぐ早退させてください」


 担任はそんな誓矢と目を合わせ、察したように頷いた。


   ☆


 午前十二時三十分。(魔王による滅亡開始まで、残り一時間四十二分)

 官邸一階にて、沖田内閣総理大臣による、東京湾巨大生物に関する緊急記者会見が行われ、その様子が全世界に向け発信された。

 会見は、巨大生物のことを【魔王】と呼称し、自衛隊と警察、そしてヒーローの総力を結集し対処する旨の内容で、動画配信サイトでの同時アクセス数は瞬く間に一千万を突破。サーバーが数分間ダウンする事態となった。


「――瞑想中のところ、失礼します」


 防衛省の敷地――その西に位置するヒーロー庁・庁舎屋上。

 雲一つない空の下。瞑想を続けるアイルに、五郎が話し掛けた。


「構わない」

「今のところ、各地の避難活動での事故や混乱は確認されていないようです。アイルさんたちが長い年月をかけて、国民に防衛意識を広めてきたおかげですね」

「お前の父親が、私のような異世界人に理解を示し、惜しみなく協力してくれたおかげさ。お前のひたむきな姿勢も、父親に似たんだな」

「光栄に思います」

「勇太の様子は?」

「まだ眠ったままです。高峰さんが傍についてます。ドリィの気配は、あれから消えたままですか?」

「ああ……」

「このまま戻らないなんてことにならなければいいですが……」


 五郎の声に、アイルは目を開く。


「もう賽(さい)は投げられてしまった。私たちにできるのは、勇太を信じて待つことだけだ」

「アイルさんが信じるのであれば、僕も信じることにします。僕たちは、僕たちの使命を全うしましょう」

「大規模異世界災害を想定して、長い間魔力を注ぎ続けて作った私のお札あるだろ? あれを最大限に活用するときが来たな」


 アイルは眉宇を引き締め、座禅を解いて立ち上がった。


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