第3話 過去
☆
曇天の空は希望の太陽を遮り、見上げる者を不安に陥れた。
異世界大陸=テラ・ベラトールは、転移魔法(ワームホール)から突如として現れた魔王とその軍勢に侵略され、滅亡の瀬戸際に立たされていた。
最後に残った北方王国(ほっぽうおうこく)は、大陸中の難民を受け入れ、存亡をかけて魔王軍に抵抗。
人間、エルフ、ドワーフ、妖精、獣人といった異種族の戦士たちによる最後の連合軍が、北方王国最強の砦【ガラド】にて、魔王軍を迎え撃った。
この砦(ガラド)が陥落すれば、北方王国は丸裸も同然。魔王軍による虐殺は免れない。
まさに、負ければ最期の戦いであった。
「弓隊構え! 射掛(いか)けよッ!」
エルフの将軍の合図で、城壁にずらりと整列したエルフ軍が矢を放った。
城壁の外、最前線で隙間なく盾を構える人間軍の隊列に、魔王の軍勢が迫る。
矢の雨は魔王軍の前衛に降り注いで損害を与えるが、防ぎ切れない。
「民のためにッ!」
「「民のためにッ‼」」
人間の将軍率いる人間軍は鬨の声を轟かせ、止まることを知らぬ魔王軍を正面から迎撃。
盾と槍、そして剣を駆使し戦う人間たちに、魔王の魔力によって生み出された無数の魔物たちは、鋭利な爪や牙、人外の膂力で襲い掛かった。
魔物の大きさは様々。犬のような獣型から、人型、そして数メートルの巨躯を持つ巨人型がおり、人間側の隊列を次々に崩していく。
「恐れるな! 押し返せ!」
人間の背後に陣形を組んでいたドワーフ軍が、疲弊した人間軍と入れ替わる形で突撃。
妖精たちが拳ほどの小さな身体を酷使し、寝ずに魔力を込めた盾や鎧は、通常よりも強固な防御力を誇った。しかし、魔王が広範囲に放った【弱化の呪い】によって覆され、魔物の攻撃を容易く通してしまう。
戦闘が始まって半時と経たぬうちに、前線は崩壊の危機に陥った。
だがそんな中、前線に踏み止まり、人間やドワーフを庇うようにして戦う、疲れ知らずな一団があった。
「ココ! 後ろだ!」
身長一九〇センチ、筋骨隆々の身体に銀の鎧を装備した勇ましい青年が、少女の背後から迫る魔物を、手にした大剣で両断した。
その青年は、短く切り揃えた黒髪に魔物の返り血を浴びても怯まず、精悍な顔を引き締め、少女と背中合わせに立つ。
「ありがとう、ユータン!」
ココと呼ばれた少女はホワイトブロンドの短髪を靡かせ、
「――覇(は)っ!」
魔力を込めた杖からを火炎弾を放ち、魔物を火だるまに倒した。
「往生際の悪い!」
頭から太い角を生やした魔族が、唸るような声で急接近。背丈二メートルはある黒い素肌の巨体で、ユータンに棍棒を振り下ろす。
「剣豪を前に、同じことが言えるか?」
ユータンは齢十八という若さで剣豪の称号を与えられた剣士。棍棒など寄せ付けず、瞬く間に切断。勢いのままに魔族の首を跳ね飛ばした。
ユータンが操る大剣は、太い両刃がドス黒い血に塗れているが、柄の窪(くぼ)みにはめ込まれた宝石は穢(けが)れを一切寄せ付けず、青い輝きを放っている。
「国を焼かれた恨み、この程度で晴れると思うなッ!」
ユータンは雄叫びを上げ、さらに一体、二体と、敵をなぎ倒す。両刃と宝石とが織りなす銀と青の剣閃は、きらめく度に魔物を屠(ほふ)った。
ユータンの大剣と、ココの杖が弧を描き、飛び掛かって来た魔物を挟撃。頭蓋を粉砕せしめ、迸る雷でもって地に沈めた。
瞬間、二人の周囲で戦っていた精鋭たちの歓声が響き渡る。
ユータンとココは、同じ国の同じ村で生まれ育ち、平穏な暮らしを送っていたが、魔王軍が襲来したことでそのすべてを奪われ、家族の仇を取るべく抵抗軍に志願。鍛錬を積むうちに、戦士の頭角を現してきたのだった。
「防御魔法(ディフェンド)!」
ココが敵の攻撃魔法に気付くと、両手のひらをユータンに向け、防御魔法を放った。
ココの手のひらから放たれた黄色の光がユータンの全身を包んだ次の瞬間、敵側から飛来した黒い炎がユータンに激突。光はその黒炎を分散、消滅させる。
しかし、光は黒炎を防いだ途端に輝きを失ってしまった。
「わたしの防御魔法が一撃で……⁉」
「怯むなココ! 俺のことはいい!」
ユータンは黒炎が飛来した方向を睨み、ココを庇うように大剣を構えた。
そんなユータンのもとへ、一人の大敵がやってきた。
漆黒の鎧に身を包み、黒のマントをはためかせるその者が一歩を踏み出す度、鎧の金属音と地響きが一帯に轟く。
その者のおぞましい魔力は、闇色のオーラとなって、マントや鎧から煙の如く立ち昇る。
「一度きりとはいえ、俺の炎を防ぐとは、大した魔力よ」
背丈は三メートルに及ぼうかというその人物は、黒い兜の中から人間の言葉を発した。
一帯に冷気が立ち込め、呼気が白くなる。
「来たか、魔王……っ!」
ユータンが、ぐっと歯を食い縛った。
魔王の放つ殺気じみた魔力が、ビリビリと空気を震わせる。その圧倒的な存在感に、周囲の魔物たちは一斉に頭を垂れて引き下がり、戦士たちも戦意を奪われ、一歩、また一歩と後退。
「二人とも下がれ! ここは俺が!」
ユータンとココの背後から一人のドワーフが現れ、斧を振り被った。
「山の神よ! 魔王に巨岩の如き一撃を!」
豊かな赤ひげを持つドワーフの戦斧は、しかし魔王に届かず、空中で爆砕。
魔王の巨体を円形の透明な膜が覆っており、戦斧がそこに及ぶと、膜は半透明な黄緑の光を伴って姿を現し、斧を止めたうえに破壊したのだ。
「――なにッ⁉」
「魔法障壁(まほうしょうへき)⁉ ――最上位の防御魔法を常に展開しているなんて!」
ドワーフとココが驚愕に目を見開く先で、魔王が動いた。
「俺の魔力の真髄は、こんなものではない」
魔王は太く長い両腕――その右手を頭上に、左手を腰の前に、縦一直線となるよう構えると、同時に半円を描くように動かし、位置を入れ替える。
そうして左手が頭上に、右手が腰の前へ来るのに合わせ、魔王は唱えた。
「アイ・ラブ・ジュ!」
その場にいる誰もが聞いたことのない呪文だった。
そして次の瞬間には、誰もがその恐ろしさを理解した。
「ぐあぁッ⁉」
ドワーフが悲鳴を上げ、ものの数秒で石と化し、砕け散ったのだ。
「ロギン!」
ユータンが悲痛の声でドワーフの名を叫ぶが、もう彼には届かない。
【石化の呪い】。それも、超・強力。
【呪い】の中でも、唱えた者に対して攻撃を加えた者へ、報復で発動するタイプの魔法だった。
一定の条件を満たさなければ発動しないのが難点だが、あらかじめ詠唱して仕掛けておくことで手間が省け、奇襲やカウンターとしての役割を果たす魔法である。
悲鳴は一つではなかった。
後方に聳える城壁、そこに整列するエルフたちが次々に石化。粉々に砕け散る。
魔王の存在を認め、さきほど矢を放った者たちが、魔王の呪いの効果を受けてしまったのだ。
「愚か者どもよ! 聞くがいい!」
魔王が拳を天高く突き上げ、叫ぶ。
「俺は魔族の王である! 貴様ら下等種族は、我が魔族を利己主義で残忍だと罵るが、貴様らとて、私欲のために他者を滅ぼし生きている! であれば、我らは皆同類である! 同類ならば、最も力の強き者が頂点に立ち、すべてを統べるのが合理というもの! 俺こそがそれに相応しい! 生きたくば、我が軍門に下れぃ!」
「一方的に他者を騙し、滅ぼしているのはお前たちの方だ! 人間も他の種族も、決して自分たちのためだけに領地を築いたわけじゃない! お互いに譲歩し合ってきたんだ!」
ユータンが負けじと叫び、魔王は嘲笑を響かせる。
「何度諭そうとも拒む。愚者の極みだな、貴様らは!」
魔王がさらに一歩踏み出した。
「気をつけてユータン。ただ攻撃しても、石化のカウンターが来る!」
「こいつは、魔力の流れそのものを断ち切る聖剣だ! 試す価値はある! それに今、奴はあの剣を持っていない!」
魔王の魔法を警戒するココに、ユータンは言った。
「貴様らの無謀な勇気に免じ、俺が直に、滅ぼしてやろう」
魔王の低くくぐもった笑いが響き渡り、戦士たちの戦意はさらに砕かれる。
「お前の首を取るまで、俺たちは負けない!」
ユータンは気迫と共に地を蹴り、一瞬で魔王との距離を詰めた。
「唸れ、聖剣! 大地の裁きを!」
ユータンが大上段から振り下ろした渾身の一撃を、魔王の魔法障壁が妨害。
魔法障壁の黄緑色の光が波紋状に広がる中、しかしユータンの剣は、徐々に魔王の兜へと近づいていく。
魔王を囲む円形の魔法障壁に亀裂。
見れば、ココがその両手を魔王に向け、詠唱しているではないか。
「今こそ大地の理(ことわり)でもって、闇の理をあるべき姿へ戻したまえ!」
ココのそれは、解呪魔法。相手の魔法を解除するための魔法をぶつけたのだ。
相反する魔法同士の激突であれば、魔力の質がものを言う。
「負けるなココ! 大いなる大地よ! 彼女に力を!」
と、ココの華奢な肩を小さな両手で掴み、魔力を注入する一人の妖精。
彼女は薄いピンクの髪をふわりと浮き上がらせ、拳大の背しかない小さな身体で、妖精特有の膨大な魔力を、ココへと送り続ける。
「ほぅ? 少しはやるようだな!」
魔王が驚嘆の声を上げた次の瞬間、魔王の魔法障壁が、ユータンの大剣によって砕かれた。
「っ!」
ユータンは振り抜いた剣を構え直し、魔王を間合いに捉える。
「ユータン!」
勝利への願いを込めて、ココが叫ぶ。
だが、魔王は両腕を胸の前で組み、どっしりと構えたまま微動だにしない。その表情は兜に覆われて見えないが、不敵な笑い声が放たれた。
ユータンの剣は、突如出現した黒い大剣によって受け止められ、魔王には届かなかった。
「魔剣(これ)の存在を知らぬのか? 小僧」
「召喚魔法で、呼び寄せたのか!」
黒い大剣を見たユータンが驚愕し、周囲に絶望が広がる。
戦争の後半、魔王率いる魔族が急激に力を増し、攻勢を強めた理由。それが今、言葉にせずとも、一振りの大剣となって戦士たちの眼前に君臨していた。
【魔剣】――それはかつて、堕落した一柱の神が、世界を支配するべく創り出した剣。
【聖剣】は、魔剣に対抗するべく、ユータンが賢者たちの力を借りつつ、自らの手で鍛えたもであった。
二振りの剣の形状は瓜二つ。同じ金属で作られ、明確に違うのは刀身と宝石の色のみ。
ユータンが持つ聖剣の刀身は銀、宝石は青。魔王が持つ魔剣の刀身は黒、宝石は赤だ。
召喚魔法によって、虚空に出現した魔剣。その黒い柄を、魔王が右手で掴む。
「くっ――⁉」
ユータンの研ぎ澄まされた感覚が告げる。
今すぐ離れろ! と。
「魔剣よ、食らうがいい! その欲望はすべてを超える!」
魔王が唱え、魔剣を振り抜く。
咄嗟に身を反らしたユータンの喉元数センチを、魔剣の切っ先が横切った。
刹那。魔剣から黒い炎が波の如く放たれ、ユータンの片頬に、それから肩、二の腕、服部にまで燃え移った。
「ぐッ!」
ユータンの右半身を焼く黒い炎は、呪いの炎。
「終わったな。その炎は、燃え移ったものを灰にするまで消えぬ!」
魔王が勝ち誇ったように笑う。
「ユータン!」
ココの声が悲痛なものに変わった。
俺がもっと魔法を上手く扱えれば、炎を消せたかもしれないのに!
と、ユータンは歯を食い縛る。
昔から何度試しても、魔力を最大限に引き出す術がわからないままだった。
だが、ユータンの眼差しは苦痛に細められながらも、まだ魔王を捉えている。
「――燃え尽きる前に、この剣で倒すだけだッ!」
ユータンは凄まじい膂力で第二撃を繰り出す。
魔王はその斬撃を魔剣で受ける。
二つの刃がぶつかる度、衝撃波が放たれ、周囲で見守る者たちの体表を痺れさせた。
「くっ!」
ココも、妖精と共に魔力を振り絞り、ユータンへ回復魔法を送り続ける。
ユータンの身体をじわじわと焼く黒炎。その苦痛を少しでも和らげるために。
炎はすでに、ユータンの身体を半分以上包み、頭髪、脚にまで及び、着実に彼を死に追いやっていく。焼けただれる肌。肉の焼ける臭い。
「ぐぉあああああああああああああッ!」
その苦痛は如何ほどであろうか。ユータンは雄叫びを上げながら、それでも尚、剣を振るい続ける。
「―――、――――」
ココが何かを拒絶する声が、ユータンの耳に届くも、彼はそれを認識できない。
魔王軍の戦火に呑まれ、奪われた無数の命。その敵討ちのために、ここまで来た。
そして、ココと暮らすために。
絶対に、負けるわけにはいかない!
ユータンの全身から、魂の叫びが放たれる。
「うぉおおおおおおおおおおおおおッ‼」
「――――――――――――ッ‼」
ココの叫びが重なり、ユータンの全身が黒炎に包まれた。
死を目前に、ユータンの斬撃は熾烈(しれつ)を極め、ついに魔王の手から魔剣を弾き飛ばした。
「ここだッ!」
最後の気迫と共に、ユータンは聖剣を振り下ろし――、
「惜しかったな」
魔王の手刀が、ユータンの胸部を刺し貫いた。
「うぐッ!」
ユータンの聖剣が、魔王の兜の下――首筋に食い込み、止まる。
「この俺に傷を負わせたのは、貴様が初めてだ。名を聞いてやろう」
「ユ、ユータン……」
ごぼごぼと、口内を血で溢れさせ、ユータンは答えた。
「ユータン。愚者の分際で、俺に名を覚えられたこと、名誉と思え」
首筋から黒紫の血を飛び散らせ、魔王はユータンの亡骸を真横へ払い捨てた。
「褒美だ。貴様にもし来世があったなら、そのときは、どうあっても報われない人生を歩ませてやろう。我が【不成長の呪い】を、散り行くユータンの魂に!」
そして魔王は、ユータンの血に濡れた左手のひらを、その亡骸へと向けた。
「「グォオオオオオオオオオオオオ‼」」
とたん、魔族のおぞましい雄叫びが空へと響き渡り、魔王を讃える声が上がった。
「マオウサマ!」
「魔王様! 万歳!」
☆
動画の再生は、そこで終わった。
その間、一機のドローンが、モニターの動画を終止撮影していた。
「シクシク。今、見てもらったのが、ここにいる山田勇太クンの前世です」
悲しげな、あるいは残念そうな落胆の声が、聴衆から上がる。
「では勇太クン! 自分がなぜ今も呪いに掛かっているのか、答えをどうぞ!」
今度は選択肢が出ない。
「見てわかっただろ」
さきほどは左だったが、今度は右の頬に衝撃を受け、勇太はまた椅子から転げ落ちた。
「正解は、魔王サマの呪いが強すぎて、転生した後も永久に持続するからでした! どんなに優れた解呪の魔法でも解けないんだよねぇ」
つまり、勇太が仮にもう一度生まれ変わったとしても、同じ呪いがついてまわるということ。
永遠の呪い。
「しかし! 面白いのはこれから! 勇太クンの浮き沈み物語は続きまーす! その一方で、ドリィは呪いの解き方たぶんわかりまーす!」
ドリィが勇太を指差すと、『ビシ!』という漫画のようなオノマトペが中空に現れ、すっと消えた。
「生まれ変わったユータンは、山田勇太と名付けられましたが、幼いうちに新しい両親を異世界災害で亡くしてしまいました。災害の不幸はそれだけでなく、親戚も含め、身寄りが全滅したのです! 勇太クンを成長させる者を殺す。魔王の呪いのおまけみたいな作用が効いてしまったのかも! そんなおまけ、あるか知らないけど!」
聴衆の、落胆と驚愕が入り混じったような声が響いた。
勇太は、生後半年のときに起きた異世界災害で父母を共に失っただけでなく、離れた場所で暮らしていた親戚をも失っていたのだ。
昨日に勇太が対峙したベヒーモス級の魔物が数体、一度に現れたことによるものだった。
こと切れた母親の腕の中、奇跡的に難を逃れていた勇太を保護し、養護施設に入れたのが、遅れて現着したアイルだった。
「そんな勇太くんは六歳でアイルと名乗るオバサンに引き取られ、彼女に魔法と剣術の素質を見抜かれます。そして勇太くんは十六歳になるまで十年間、ヒーローになるべく、オバサンの下で修業に励みました。その間も彼の脳裏には呪いと、魔王の追手に対する恐怖がありました」
『この施設が、勇太の新しい家だ。友達もたくさんいる。一人ぼっちじゃないからな?』
『勇太も、もう6歳か。……お前は特別な子だ。私と共に来ないか?』
アイルとの記憶が蘇る勇太を見て、ドリィはくすくすと笑う。
「異世界の魔王サマが、自分が日本にいることに気付いて、インターネットで居場所をサーチしてくるかもって、本気で心配してたよね? ちょっとウケる」
「…………」
勇太は、自分の記憶を魔法で覗き見たのであろうドリィが、司会者よろしく語るに任せ、ひたすら観察する。
ドリィが面白さに満足すれば、勇太の勝ちなのだ。
ドリィに、もっと面白いと思わせるには、どうすればいい⁉
予想外のできごとが面白いのだと、ドリィは言っていた。
だが現状、俺の記憶はすべて筒抜けで、この夢の世界もドリィの思いのままだ。彼女が予想外だと感じるのは、いったいどんなことだ?
「勇太クンがアイルのもとで暮らし、ヒーローとなるべく修行を積む道を選んだのには、彼が前世の記憶を残した転生人(てんせいびと)であることが、深く関与していました」
モニターに、椅子に座る勇太の顔が映し出される。
「勇太クンは、自分が魔王サマに破れて殺され、そのせいでテラ・ベラトールという世界が滅びたことを覚えており、それをトラウマとしてずっと抱えていたのです。彼がヒーローを志したのは、自分の前世に対する贖罪の念があったからなのでした!」
ハートの瞳をピンクにきらめかせて、ドリィは楽し気に語る。
「なんて健気! 世界が滅びたのを自分のせいにしてる! あれぇ? この場合は健気じゃなくて、思い上がりかな? 世界はあなた一人の力でどうこうできるほど単純じゃないよ?」
目を細め、嘲笑うように首を傾げるドリィ。
もしここで、勇太がドリィの態度に怒れば、それもまた、彼女の予想通りかもしれない。
求められているのは、予想外だ。
「両方だろうな。考える余裕なんてなかったけど」
勇太はそう返し、冷静にドリィを観察する。
前世の異世界――テラ・ベラトールを救うことができたのは自分だけだったなどと、思い上がったわけではない。
その程度で怒るほど、勇太の沸点は低くない。
それでも勇太は、他者から見た自分のイメージを鑑み、反論はしない。
「ではここで三つ目の問題! 贖罪という名の思い上がりで忙しい勇太クンが、今でも一番気に病んでいることは、次のうちどれでしょう?」
ブラスバンドの演奏と共に、モニターに選択肢が出現。
1、魔王サマに負けたこと
2、転生後の両親が死んだこと
3、自分の実力が伸びないこと
4、暮らしが貧乏なこと
勇太はモニターからドリィへと視線を移す。
ドラムが小刻みに鳴り響く。
どの選択肢も、気にしたことはある。笑い事ではない。
考えろ。
ドリィの予想を裏切るんだ。
「答えは?」
ドリィが傾いだ角度から勇太を見てくる。
「答えは、この中にはない」
ダン! ドラムが止んだ。
「――え?」
きょとんとした顔になるドリィ。
「答えは、五番。前世で、ココを残して死んだことだ」
どうだ? 予想を外れただろう?
「せーかいっ! おめでとさん♪」
ドリィの声に合わせ、鉄琴(てっきん)が祝福の音色を奏でる。
キョロロロロン。
「え、正解なの?」
「うん! ドリィの思った通り!」
言いながら、ドリィの目が僅かに細められる。
「…………」
勇太クンの面白さはその程度? と言われた気がした。
「それじゃあ次は、何も言えない勇太くんのために、こんな映像を見せちゃいましょう! ココちゃんの、アフターストーリーッ!」
☆
心陽はとある昼下がりの村にいた。
山を背に、川に面した長閑(のどか)な村だった。
川では魚が豊富に獲れ、山では猟が盛んに行われ、定期的に訪れる隊商(キャラバン)との交流もあり、村人たちはそれなりに豊かな生活を送ることができていた。
村の中央を通る太い馬車道。心陽はそこを行き交う人々の中に、一人の少女を見出した。
少女は白いワンピースドレスを纏い、ホワイトブロンドのショートヘアを揺らして、石造りの水車小屋の前までやってきた。
少女はここへ来るために、先祖代々、大事な社交の場でのみ着用されてきた、家で唯一のドレスを引っ張り出してきたのだった。
手鏡を取り出し、髪を手で整える。
普段は家事の手伝いと魔法の勉強ばかりで、おしゃれはあまり慣れていなかった。
緊張した面持ちで、水車小屋のドアをノックする。
返事はない。
水車は動いているが、小屋の煙突から煙は出ていない。
「ユータン、いる?」
少女は中にいるであろう人物の名を呼んだ。
またも返事がないということは、ユータンは仕事中か、あるいは修行中だろう。
少女はそっと、ドアを押し開けた。
目的の人物は小屋奥の火床(ほど)(火は消えている)を背に、座禅を組んでいるところだった。
白のシャツに包まれた広い背中、短く切り揃えられた黒髪、捲った袖からたくましい腕を覗かせ、ユータンと呼ばれた青年は来訪者に気付かぬまま、目を閉じている。
再び声を掛けようとして、やめる。
ユータンがやっているのは、魔法発動前の精神統一。少女はその大切さを、これから魔法学校(アカデミー)
に身を置く者として心得ている。
ユータンは父親が生業とする鍛冶師を勉強する傍ら、魔法剣士を目指して、今のように鍛錬を重ねているのだ。
ユータンの額に汗が光る。まだ、魔法微生物(マジカリアン)との対話(・・)がうまくいっていない様子だ。
幼少期から、ユータンの鍛錬を傍で見て来た少女は、彼の胸の内が手に取るようにわかる。
座禅の姿勢で体内の血流に意識を集中。そうして魔力を司る魔法微生物(マジカリアン)の存在を知覚したら、心の中で対話が始まる。
そこで、自分の想いを正確に魔法微生物(マジカリアン)に伝え、彼らが応えてくれるかどうかで、生成される魔力の質が変わる。
ユータンは身体が大きく、腕っぷしの強さは村で一番だが、魔法微生物(マジカリアン)との対話が苦手。
剣技だけを扱える剣士と、魔法と剣技の両方を扱える魔法剣士とでは、後者の方が圧倒的な有望戦力として需要が高く、軍の待遇も厚い。
故に、前線で成果を上げ、戦士として出世するには、魔法の技能は必須。
「――俺はユータン。今日もよろしくな」
と、目を閉じたままつぶやく彼を、少女はじっと見守る。
「俺のナイフに、炎を灯したい。邪な理由ではなく、魔族と戦うためだ。力を貸してほしい」
ユータンはそう言うと目を開け、入り口に佇む少女に気付くことなく、傍らに置いていたナイフを手に取る。
「炎よ、出でよ!」
ユータンが右手で握るナイフの刃に、左手で触れた。すると、みるみるうちに真っ赤な炎が刃の根元から先にかけて灯り、【火炎ナイフ】が完成した。
ところが次の瞬間、炎はプスプスと音を立てて白煙に変化。
「――またか。お前ら、俺のこと嫌いなの?」
魔法微生物(マジカリアン)に対してのつぶやきなのだろう、自分の両手を交互に見下ろすユータン。
「ユータン」
ここで少女がもう一度呼ばわると、青年ははっと目を見開いた。
彼のライトブルーの瞳に見つめられ、少女は顔が赤らむ。
「ココ!」
ユータンが少女の名を呼んだ。
「魔法の練習、お疲れさま」
「ど、どうしたんだ? ドレスなんか着て……」
少し日に焼けた顔を赤らめ、ユータンが言った。
「き、今日はそういう気分なの」
「来るって事前に言っといてくれれば、お茶くらい用意したのに」
気まずそうに目を逸らすユータン。
「いつ通知が届くか、わからなかったんだもん」
「噂は俺の耳にも届いてるよ。すぐ広まるの、田舎の村あるあるだよな」
村では、ココが王国一番の名門魔法学校に首席で合格したことで、話題が持ち切りだった。
ココは嬉し気に頬を赤らめ、上目で「ドレス、どう?」と聞いた。
「似合ってるよ。すごく……」
ユータンは恥ずかし気に背を向け、タオルで顔を拭く。
「魔法学校(アカデミー)、合格おめでとうな!」
彼は背中越しに言った。
「ありがとう。お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれたの」
「俺は、ココならやれるって信じてたぜ?」
ドクン。
二人を見守る心陽は、胸が高鳴る音を聞いた、気がした。
「あのね、ユータン」
「な、なんだ?」
ユータンはココに向き直った。タオルで拭き切れていないのか、顔には若干の汗。
「進学が決まったからさ、わたし、明日には村を出るの」
「……明日か。思ってたより、早いんだな」
「うん。カバンとか、制服とか、いろいろ準備しなくちゃいけなくて」
「初めは忙しいだろうけど、やったじゃないか。だって城下町だぜ? 田舎暮らしの年収じゃ到底住めない家賃でも、主席なら学費と一緒に免除だろ?」
子供のように目を輝かせるユータンに、ココの顔は再び紅潮。
「そ、そうだよ? しばらく会えなくなるから、こうして見納めに、わざわざドレス姿で来てあげたの!」
ココはそう言ったあとで、下唇を噛んだ。
わたしのばか。
言いたいこと、違うのに。
「城下町までは、ここからだと馬車で六日か。……寂しくなるな」
肩を落とすユータン。
「俺、ココが作ってくれる焼き菓子(タルト)好きだったんだけどな」
「うん……」
「…………」
沈黙。
「お、俺もさ! もっと頑張って、立派な鍛冶師になったら、城下町に鍛冶屋を構えるよ。そうすればまた、ココに洋菓子、作ってもらえるからな!」
白い歯を見せて笑うユータン。
ココは、頭一つ分背が高い彼を見上げる。
彼の笑顔を見ていると、魔族が力を増しているという噂――その不安が和らぐ。
「ねぇ、ユータン」
ココは彼に、伝えたいことがあってここまで来た。
それは、魔法学校に首席で合格したことではない。
ココが魔法学校を志したのは、魔法を学んで、ユータンの力になりたいと思ったから。
長かった勉強の日々でも、彼女の頭の中には常に、彼の姿があった。
だからこそココは、輝かしい合格を勝ち取った今、彼に想いを伝えたかった。
「な、なんだ?」
「――っ」
ユータンに面と向かって見つめられると、心臓が跳ねあがって、思考が乱れる。
そんなココを見つめる心陽は、拳を強く握る。
たった一言。ただその言葉を言うだけでいいのに。
「わ、わたしと一緒に、城下町に出ない? そこで働き口を探すとか……」
――どうして、言えなかったのだろう?
「え?」
「だ、だってほら、ユータンは魔法剣士が第一志望でしょ? 途中から始めた鍛冶だって、あなたのお父さんに追い付ける技量って聞くし、見習いとして、城下町でやっていけると思うの!」
城下町への同伴を誘うという、本心とは違うことを言ってしまったココ。
ユータンが頷けば、離れ離れにはならない。だが本当に伝えたいことは、先延ばしのまま。
「誘いはうれしいけど、今はまだダメだ」
ユータンは首を横に振った。
「……どうして?」
「俺も目標があってさ。魔剣の噂あるだろ? 魔剣に使われた金属は、ドワーフだけが生成できる希少なもので、魔族がそれを奪って、魔剣を鍛えたらしいんだ。俺は、魔剣と同じ金属を手に入れて、魔剣に対抗できる剣を作る。それが叶えば、国王にも認めてもらえるだろうし、一流の鍛冶師として、城下町に税金免除で住めるようになる。だから俺はまず、ドワーフに弟子入りする!」
ココは、ユータンの考えの裏に、魔族への警戒心を感じた。
初めは剣士を目指していたユータンが、父親と同じ鍛冶師の道も意識し出したのは数年前。ちょうど、魔族がドワーフの山を襲い、奪った金属で魔剣を生み出した噂が流れた頃だった。
魔剣を形作った金属。ユータンはドワーフの下で修業し、魔剣に対抗する剣を鍛えるという。
その真意は同じだと、ココは悟る。
わたしはユータンの。
ユータンはみんなの、力になりたいんだ。
魔族によって、恐ろしいことが起きたときに備えて。
「――そっか。ならしばらく、お預けだね」
そう。わたしはお預け。
その一言を伝えるタイミングを、見失ってしまった。
「たまには帰って来てくれよ。城下町での暮らしとか、学校での話を聞かせてほしい」
「ユータンも、風邪ひかないようにね?」
ココが腰の後ろで組んだ手を、ぎゅっと握りしめる。心陽は、それを見逃さない。
ごめんね、ドレス。わたしを綺麗に飾ってくれたのに。
「おう! お前が魔法学校を卒業するまでに、俺も必ずそっちへ行くからな!」
「うん、待ってる……」
ユータンはこんなわたしに、いつも希望をくれる。
彼の健気な姿勢が、心の在り方が、わたしを癒してくれる。
やっぱり、伝えたい。
このままじゃ、いけない。
わたしは、そんなあなたのことが――。
二人の視線が交錯する、その刹那を。
大地を震わす轟音が引き裂いた。
後にわかることだが、その轟音は、決起した魔王軍の最初の行進だった。
終わりの始まり。
ココとユータンを見守る心陽の視界が、真っ暗闇に包まれる。
ああ、そうだ。
わたしは結局、最後まで言えなかった。
☆
心陽が目を開けると、そこは曇天の空が広がる戦場だった。
ココとユータンの村は、魔王軍の最初の標的となり、虐殺と略奪の末に焼き払われた。
二人は大人たちに交じって抵抗した。
そのときに持ち得た二人の魔法と剣技を駆使して。
しかしその途中で、未来を若者に託そうと、両親を始め村人は、ココとユータンを含む子供たちを先に逃がした。
彼らの犠牲の上に生を得たココたちは、重い悲しみと使命感を胸に、混乱渦巻く城下町で軍に志願。
他の若者たちと同様に学業を捨て、夢を捨て、生き残るための鍛錬と戦いに明け暮れた。
そうした歳月の果てに訪れた、最後の戦場。
ここへ来る道中にも、数え切れぬ出会いと別れがあり、紆余曲折を経て、ココは魔法を極め、
ユータンは聖剣を手にし、剣豪の称号を手に入れていた。
しかし、ココにとって大事な一言を告げる機会だけは、ついぞ与えられなかった。
「どうして、わたしにこれを見せるの?」
テラ・ベラトールの連合軍と魔王軍。双方の戦士たちが振るう刃が、心陽の身体をすり抜け続ける。彼女の視界には、重厚な鎧姿のユータンと、軽量の薄い鎧に魔導師のローブを羽織ったココの姿があった。
心陽が問いかけると、死と金属の喧騒を彼方に押しやって、数メートル先にドリィが現れた。
動画のボリュームを下げたかの如く、剣閃が入り乱れる戦場に沈黙が流れた。
ドリィはゴスロリ風の装いに、黒いマントを羽織っていた。
「ドリィ的に、こうしたほうが、あとで面白くなる気がするからだよ?」
「あなた以外、誰も面白いとは思わないよ」
「そぉ? 物語は最後まで見ないとわからないものじゃない?」
「はぐらかさないで、今すぐやめて」
心陽が拒絶すると、ドリィはにたりと歯をきらめかせた。
「いいのかなぁ? アイルは心陽ちゃんと勇太くんに、試練を課したんだよ? それを自分から投げ出すことになるけど?」
「勇太くんはどこ?」
「あの子は別の場所で、まだ頑張ってるよ? おかげで記憶のシャベルが捗(はかど)る捗るぅ!」
ドリィは、どこからともなく出現したシャベルを両手で持って、穴を掘る仕草。
「あなたは何がしたいの?」
「心陽ちゃんの記憶を、もっと掘(ほ)り掘り、捗(はかど)りたい! ドリィは今、心陽ちゃんの記憶を見るのが一番面白いから!」
「この世界の戦争を、わたし達を、嗤(わら)うの?」
心陽は奥歯を噛み締め、丹田に力を込めた。
そうすることで、魔力生成の体内スイッチが入るのだ。
だが、魔力は生成されない。
魔法微生物(マジカリアン)が、応えてくれない。
「今、魔法を発動しようとしたでしょ? ムリだよ。魔法で眠らされたら、基本的には魔法を使えない。事前に結界魔法で防衛策を貼ってたアイルは違ったけど、もう同じ手は食わないし」
「……わたしは、どうすればいいの?」
心陽は思わず、そう口にしていた。
試練とは何なのか?
どうすることが正解なのか?
ヒントが無ければ、どうしようもない。
「どうしようもないって思ってるでしょ? 何もしなくていいんだよ。今の心陽ちゃんは、ドリィの好きにされていればそれでオッケーなの!」
「わたしが抵抗せずにいることが、勇太くんとアイルさんの呪いを解くことに繋がるなら、そうする」
心陽は防衛省を訪れる前、電話でアイルからこう告げられていた。
勇太はユータンの生まれ変わり。
勇太の悩みは、【不成長の呪い】で、努力が実らないこと。
呪いをどうにか解いて、魔力を向上させる手段を見つけなければならない。
なぜなら、魔王に唯一届き得る刃(やいば)は、勇太が持つ【聖剣】だけだから。
前世での最後の戦いで、寸でのところで届かなかった、聖剣の刃。
心陽が防衛省へ来る理由としては、それで充分だった。
「ちなみに言うけど、この映像、勇太くんも見てるよ?」
「えっ⁉」
予想外の事態に、心陽は驚愕を溢した。
「びっくりした? ホントだからね?」
心の底から楽しそうに、ドリィは笑った。
「さぁ会場の皆さま! もうお察しの通り、ここにいる高峰心陽ちゃんこそ、ユータンくんの幼馴染――ココちゃんなのです! ココちゃんはユータンくんに伝えたい言葉がありましたが、果たして、転生を経た今、伝えることができるのでしょうか⁉」
どこかにカメラでもあるのかと、戦場を見渡す心陽。
そんな彼女の前に、忘れることなど決して許されない大敵――魔王が現れた。
「さぁ! そうこうしてる内にクライマックス! 問答無用でご覧あそばせ!」
ドリィはそう言って姿を消し、戦いの喧騒が蘇った。
心の傷を抉られる思いで、心陽は戦場に立つ。
今となっては、遠い過去の記憶。
だが、決して色褪せない、それこそ呪いのような記憶。
ココがユータンに回復魔法を送り続けるが、その目には涙が滲む。
回復魔法が効いている感触が、ないのだ。
「……っ!」
心陽は拳をぐっと、爪が食い込むほどに握り締め、目を閉じる。
嫌でも聞こえてくる、ユータンの叫び。
「やめて」
ココが惨苦(さんく)の声を漏らす。
ユータンを、これ以上苦しめないで!
「――やめてよ」
前世の記憶の追体験が、二重の苦しみとなって心陽に襲い掛かる。
ユータンが! 遠くへ行ってしまう!
「やめてぇえええええええええええッ‼」
心陽とココ、二人の目と鼻の先で、ユータン・ライスフィールドは絶命した。
「これは褒美だ。貴様にもし来世があったなら、そのときは、どう足掻いても報われない人生を歩ませてやろう。我が【不成長の呪い】を、去り行くユータンの魂に」
魔王がユータンを刺し貫いた際、ユータンの血に濡れた左手のひら。それが、ユータンの亡骸へと向けられた。
ココは力無くその場にへたり込み、心陽もそれに重なるようにして頽(くずお)れた。
ユータンとの思い出が、虚空の光の彼方へ溶けていく。
わたしに、もっと力があったら。
「――ぁああっ」
ユータンの笑顔が、炎に包まれていく。
わたしが、もっと強かったら!
「ああああッ!」
なんで、彼にこんな酷いことをするの?
心陽は、ココと共に己の両手を見下ろし、頭を抱えて叫んだ。
「「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ‼」」
ユータンの死をきっかけに希望を失った仲間たちが、ココの周りで次々に討たれていく中、魔族の雄叫びが蔓延する。
魔王はマントを血潮(ちしお)に靡(なび)かせ、呼吸を荒げるココに向き直った。
「大切な者だったようだな」
その巨体でココを見下ろし、魔王が言った。
ココの背後で爆発音。
城門が魔族の魔法によって爆砕された音だった。
これで連合軍の前衛は完全に壊滅。魔王の圧倒的な力を前に、砦も持たない。やがて民の最後の生存圏は絶えるだろう。
「う、うぅ……」
頭を抱えていた両手を顔の前に引きずり下ろしたココは、指と指の間から、涙に塗れた目で、魔王を見上げた。
その瞳には、一生分をかき集めても足りないほどの、憎悪が込められている。
だがその憎悪は、魔王だけでなく、ココ自身にも向けられていた。
わたしはユータンを守れなかった。頑張って勉強して、魔法を覚えたのに。
伝えたいことすら言えない者に、なにも守れはしない。
許せない。
魔王も、わたしも。
悲しい。悔しい。憎い。
言葉に収まりきらない激情が、ココの心を、そして心陽の全身を駆け巡る。
そんな彼女に、魔王は言い下す。
「無謀にして無駄な足掻き、ご苦労であった。貴様にも、我が手によって死をくれてやろう」
「――呪ってやる」
震える声で、ココが言う。
「ほぅ? 俺を呪おうというのか、小娘」
「呪ってやる!」
魔王の嘲笑が、空へと響き渡った。
魔王はもう一度ココを見下ろすと、鎧に包まれた片手で彼女の髪を鷲掴みにし、強引に膝を立たせた。
そうして、呻くココの耳に兜を寄せ、囁いた。
「俺はな、呪いが大好きなのだ。一度掛かれば、その者を長く、長く、長く、苦しめ続ける。 一瞬で過ぎ去る痛みとはまた違う、呪いならではの苦痛。それ即ち、美だ」
次の瞬間、魔王はココの身体を地に引き倒し、ブーツの足で踏みつけた。
「あぐッ!」
左肩を踏み砕かれ、ココは苦悶を漏らした。
「俺は呪いが大好きだ! 呪いがもたらす美を、愛しているのだ!」
魔王の足が、ココの左足に落とされる。骨が砕け、肉に食い込む。
ココの悲痛の叫びがこだまする。
「呪えるものなら呪うがよい。だがその前に、俺が貴様を呪ってやる」
魔王はそう言うと、ココの頭に、片手のひらを翳した。ユータンの血に塗れた左手を。
「ユータン。ごめんね……」
ココの瞳には、ユータンの手から落ちた聖剣――その刃(やいば)が映っていた。
「貴様にもし来世があったなら、そのときは、意中の者に想いを伝えれば死に至る人生を歩ませてやろう。我が【不告白(ふこくはく)の呪い】を、死すべき定めの小娘に!」
見世物の如く、魔王が宣言。
再び、魔族の下卑(げび)た笑いが轟いた。
「わたしは、お前などに殺されはしない!」
身を起こしたココは、瞳に鋭利な光を湛え、聖剣の刃を掴み取る。
「ほぅ? なにをするつもりだ?」
魔王が見下ろす前で、ココはその刃を、自分の首に押し当てた。
「うぅッ! うぐ!」
刃を掴む白い指からも血を流し、ココは決死の忍耐でもって、己の喉を切り裂いていく。
「うぅうううぁああああああああッ‼」
ぎゅっと閉じた両目から涙を流し、死の声を上げ、刃をもっと奥へ、奥へと食い込ませる。
彼女の声に、魔王の嘲(あざけ)りが重なる。
とうとう、首から真っ赤な血を噴き出し、力を失ったココはぐったりと俯いて、そのまま動かなくなった。
彼女の虚ろな目から、最後の涙が零れた。
心陽はその場にぺたんと座り込み、かつての己の亡骸を見つめる。
全身を巡る血が、震えているようだった。
そう知覚した途端、心陽の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分だけではない。全身を巡る魔法微生物(マジカリアン)たちが、泣いているのだ。
そうだ。魔法微生物(マジカリアン)はこのときも、わたしの中で、わたしのために泣いてくれたんだ。
と、心陽は遠い過去の感覚を思い出す。
もし、本当に生まれ変われるなら、ユータンのすぐ傍(そば)にいたい。
何も見えず、聞こえず、すべての感覚が失われる直前、心陽(ココ)はそう思ったのだった。
心陽(ここは)は、自分の二倍近い背丈を持つ魔王を睨んだ。
「もし、あなたが日本に来るなら、わたしがこの手で仇を取る」
声は届かない。夢が見せているものだとわかっていても、心陽は言わずにいられなかった。
「――ココちゃんは自らの首を切る形で、無念の最期を遂げました。しかし! 奇跡的に日本へと転生を果たし、今度は高峰心陽として、第二の人生を歩み始めたのです! パチパチ!」
いつの間にか戻ってきたドリィが、マイク片手に空へと声を張り上げる。
「面白くなってきたところで、一問目のクイズ! ここにいる心陽ちゃんは、前世で魔王サマから【不告白(ふこくはく)の呪い】を掛けられました。好きな人に告白したら死んじゃう呪い! ではでは、転生した現在の彼女に、その呪いは健在なのでしょうか⁉ 全世界の乙女は必見! そんな呪いあってたまるかーッ!」
ドリィが天を仰ぐ。
心陽も空を見ると、数百メートル上空に文字の形をした黒雲が出現。クイズの選択肢と思しき文章を構築していた。
1、呪いは残っている
2、呪いは残っていない
「最初は二択。難しくなくて良かったねぇ? さぁ心陽ちゃん? 答えをどうぞ!」
ドリィが心陽に片手を差し出した。
呪いのことは、これまで誰にも打ち明けてこなかった。
魔王の存在すら認知されていない平和な世界では、信じてもらえる確証が無かったからだ。
昨日のアイルとの電話でも、言えなかった。
だが、今、この状況であれば、打ち明けられる。
この状況を、勇太が見てくれているのであれば、彼にもわかってもらえる。
――本当に?
仮に、【不告白の呪い】がどんな呪いなのか理解を得られたとして、そこで勇太が、心陽の真
意に気付くだろうか?
わたしは、もといココは、勇太くんが、ユータンのことが――。
言いようによっては、たとえ遠回しでも、彼に伝わるだろう。
「……」
勇太が心陽の想いを知ったとして、彼の答えは? そう考えると、何も言えない。
それに、遠回しであろうとも、告白をしたことにはなる。ということは、呪いが発動するのではないか?
「…………」
心陽は葛藤の先で、恐怖に囚われてしまう。
死ぬこと自体は恐くない。
でも、勇太くんの答えを聞くのは恐い。また、勇太くんと離れてしまうのも恐い。
そもそも勇太くんは、前世のことをどこまで覚えているの?
わたしの前世――ココのことは?
「心陽ちゃん? 答えは?」
ドリィのハートの瞳が、容赦なく心陽を見据える。
「一番……」
「せーかい!」
ドリィがどこからともなく取り出した小さなラッパを吹き鳴らし、魔族たちで溢れかえる戦場から花火が上がった。
心陽がその奇怪な光景に瞬くと、景色が一変。
次の瞬間、心陽は、今暮らしている港区の自宅にいた。
服装は高校の制服からトレーニングウェアに変わっており、細身ながらも鍛え抜かれた身体が露(あら)わになっていた。
「呪いが残っていようと、心陽ちゃんは転生後の日本で、世のため人のためにヒーローを目指して頑張りました。そうなったきっかけは、アイルという初代ヒーローに助けられたことですが、他にも理由が二つあります」
部屋に設置されたスピーカーから、ドリィの声だけが聞こえてくる。
「一つ目の理由は、前世で自分の力不足を死ぬほど悔やんで、もっと強くなりたいと思ったから。二つ目の理由は、このあとのクイズで出まーす!」
わたしに、もっと力があったら。
わたしが、もっと強かったら。
心陽は前世で抱いた悔しさをバネに、心も身体も強くなろうと決め、過酷なトレーニングを、幼少期から十年以上積み重ねた。
心陽の魔法微生物(マジカリアン)は、彼女が身体を鍛えれば鍛えるほどに報いてくれた。
心の底から強く念じれば、魔法微生物(マジカリアン)は念じたことが現実のものとなるよう、魔力を生成して支えてくれるのだ。
格闘技術を研鑽し、魔力の質も各段に上昇した心陽は、ヒーローデビューして三年という早さで世界一に上り詰めた。
「でも、トレーニングは辛いことの連続! 途中で投げ出さなかったのは奇跡みたい! どうして心陽ちゃんは、そこまで自分を追い込むことができたのでしょうか? それは二つ目の理由があったから! では、その理由とはなんでしょうか?」
リビングのテレビがひとりでに点(つ)いて、そこに選択肢が表示された。
1、ユータンに会いたくて、自分が目立てば彼の目にも留まると考えたから
2、前世と同じように、困っている人が地球にもいて、助けたいと思ったから
3、有名なヒーローになって、その報酬で豪遊したかったから
「一番、――と二番」
一番と言い切ろうとして、心陽は付け加えた。
「へぇ? ほんとにそうなのぉ? 一番だけじゃなくてぇ?」
声しか聞こえないが、ドリィは今、絶対にいじわるな笑みを浮かべていると、心陽は思った。
わたしは卑怯者。
心陽の心を埋め尽くしていたのは、ユータンの存在と、その死だった。
取り戻せるなら、また会えるなら、どんなことでもすると誓った。
自分が転生したということは、ユータンも転生している可能性はゼロではない。彼がもし地球にいるなら、自分の存在に気付いてもらいたい。ココだとわからなくても構わない。ただ、なんでもいいから、ユータンだとわかるような証拠さえ、彼が見せてくれればそれでいい。
ユータンを見つけたい、ユータンに見出されたい。
そうした願いの感情が、高峰心陽という人間をヒーローたらしめていた。
なら、他のみんなを助けたいという思いは、もののついでなの?
そもそも、どうして自分が助ける側だと思ったの?
「はは……」
乾いた嗤いが、リビングに響いた。
「わたしは卑怯者だって、自覚あるじゃん」
「他の人なんて、どうだっていいんでしょ?」
「助けるだなんて、上から目線。己惚れも甚(はなは)だしい」
それがドリィのものではなく、自分が発した声だとわかるのに、そう時間は掛からなかった。
クイズに答えなくては!
そう思って、最初に浮かんだ答えは、一番。
「だったら、なんで後から付け加えたの? 自分のヒーローとしてのイメージに傷がつくから? みんなに良い顔したいの?」
自分の思いに対して、自分の声が噛み付いてくる。
喉に右手の指が食い込む。その気になれば、容易く喉笛を千切れる。心陽はその手に左手を絡め、引き剥がそうとする。
違う! そんなんじゃない!
わたし、あなたのこと嫌い。
自分が二人に引き裂かれたかのような感覚に見舞われる。
「転生人(てんせいびと)も転移人(てんいびと)も、トラウマを抱えてる人はね? こうして自問自答させて追い込むと、人間の本質的な部分でのせめぎ合いになるから、見てて刺激になるんだよねー」
ドリィの愉快げな声が流れてくる。
「もう一度回答のチャンスをあげるから、言ってごらん?」
「うぅッ!」
心陽は渾身の力で、右手を引き剥がした。
しかし右手は心陽の意思に関係なく、彼女の首に掴み掛かろうとしてくる。
「わたしは! こっちの世界で、小さいとき、アイルさんに助けてもらった! そのときわたしは、アイルさんみたいに、損得なんか気にしないで、誰かを助けられる人に、なりたいと思った! だからわたしは、ユータンへの想いも糧にして、頑張ったんだ!」
自分の右手を左手で押さえながら、心陽は言う。
「ユータンに会いたかったのも本当だし、ヒーローになって、人を助けたかったのも本当! だから答えは変わらない!」
今度はドラムの音が響いてきて、次の瞬間、【キョロロロロン】という金管楽器のような音色が聞こえた。
「ぴんぽん! また正解! でもなんだか、思い通り過ぎてちょっと飽きてきたかも?」
テレビ画面にドリィが現れ、顎に人差し指を当てた。
「思い通りもなにも、あなたは人の記憶を覗き見て、答えを知っているんだから、当然のことじゃないの?」
肩で息をして、心陽が言った。
夢の世界は突拍子もないことばかり起きて危険だ。早くドリィを満足させて、元の世界へ戻らないと!
「わかってないなぁ、心陽ちゃん。ドリィが見れるのは記憶。つまり過去のことだけ」
肩を竦め、にやりとするドリィ。
「ドリィが見せる夢の世界は、記憶をもとにして創造されるわけなの。ということは? 相手が今この瞬間思っていることは、完璧にはわからない。未来なんてもっての外(ほか)! たまに相手の考えを見透かしてるみたいな物言いもするけど、ぜんぶ相手の顔を見て言ってるだけ」
勘で、その時の相手の感情を言い当てただけだとしても、観察力は飛び抜けている。と、心陽は思った。
「だからドリィは、記憶と照らし合わせるクイズを出して、相手の今の考えを確認してるの。ドリィはその答えを予想して遊ぶわけ!」
「なら、アイルさんとあなたの言う試練は、わたし達の記憶と今の気持ちを比べて確認する、たったそれだけのクイズに付き合うことなの? そんなことが試練なの?」
心陽は昨日の夜、電話でアイルに、自分が抱えてきたことを話した。
そのアイルは今朝、この試練を乗り越えれば、心陽が抱えている問題が解決するかもしれないと言っていた。
アイルの言う【問題】とは、果たして、心陽が勇太に想いを伝えられない問題を指すのか。
現状、心陽はクイズに答えながら、己の過去を打ち明けているだけで、何の解決にもなっていない。
「違うんだなぁ。確認はあくまで、これから起こるお祭りの準備。その準備が今できたところで、今度はちょっと変わった問題いくよ?」
心陽は警戒心を新たに、口を引き結んだ。
準備ができたって、どういう意味?
ドリィのお祭りって、なに?
心陽は考え事をするときの癖で、ソファの上に、両膝を抱えるように座る。
「では三問目の問題! もし魔王サマが日本にも攻めてくるとしたら、どうするのが得策でしょうか?」
1、降伏して媚びを売る
2、他のヒーローと力を合わせて戦う
3、二番だけじゃ足りないから、ヒーロー以外の人にも協力を頼む
「三番」
テレビ画面に表示された三択を睨んで、心陽は答えた。
「正解! と言いたいけど、三番を選んだってことは、ヒーロー以外にもアテがあるってことだよね? それを教えて?」
わたしの要求が満たされる保証が無い中、一方的に、魔族に情報を渡しているこの状況――嫌な感じがする。
「心陽ちゃん?」
テレビ画面に、ドリィの片目だけが拡大されて映り込んだ。
「お、し、え、て?」
心陽は繰り返される問いに目を細めるが、今は答える以外にどうしようもなかった。
「魔王専用の対抗策はないけど、日本では、政府、ヒーロー、自衛隊の三勢力が密接に連携して、異世界災害への対応マニュアルが作られてある」
「それについて詳しく!」
「……そこに書かれていることをおおまかに話すと、まずは災害の発生源の特定と分析。発生源が魔族なのか、魔物なのか、身体の大きさや能力、数とか、そういう基本情報を収集するの」
「ふむふむ。それから?」
「災害発生源の規模に応じた対策が取られる。自衛隊の装備だけで対処できるケースもあれば、わたしみたいなヒーローが呼ばれるケースもある。深刻な被害が出てる場合は、ヒーローと自衛隊の両方で対処する」
心陽の脳裏を、【魔導弾(まどうだん)】の情報が過る。
「それで思い出した! 魔導なんとかってやつは、自衛隊に配備されてる武器なんだよね? 昨日、アイルの夢の中で、お勉強したの」
心陽は渋々、頷く。
「魔法障壁を展開できる強力な魔族や魔物には、通常兵器があまり効かないの。そういうときに、魔法技術を導入した弾頭――魔導弾が使われる。それっていうのは、魔法微生物(マジカリアン)を含有する弾薬とか、爆薬のこと。魔法障壁を減衰させたり、着弾した部分を呪ったり、いろいろな効果がある」
「その開発にアイルが協力したんでしょう? それは、彼女が日本に現れた最初の転移人(てんいびと)だからだよね? でも、初めはアイルが政府の実験体にされそうになって、一悶着あったらしいね?」
「うん。……けど、アイルさんは政府と和解して、異世界災害に対処するヒーローの基礎を築いたの。魔法技術もアイルさんが自衛隊に提供して、魔導兵器の開発に貢献したって、学校で習った」
画面の向こうで、ドリィの目がにたりと歪む。
「そうなんだぁ。アイルが【生きる伝説】って言われてるのも頷けるねぇ。【不老(ふろう)の呪い】のおかげで、アイルはこれからもずっと伝説って呼んでもらえるわけか!」
「……ドリィ、お願い。まずはアイルさんの呪いだけでも、解く方法を教えてくれない?」
これまで従順に答え続けてきた心陽が、試しに聞いてみると、
「面白かったし、いろいろ答えてくれたし、ヒントをあげる!」
と、ドリィはテレビ画面をずるりと通り抜け、心陽のリビングにやってきた。
「っ⁉」
心陽は、ホラー映画で見るような光景に鳥肌が立った。
「呪いが持つ共通点。それは、掛けた人物が同一ってこと。つまり、アイルを呪ったのも、心陽ちゃんを呪ったのも、勇太クンを呪ったのも、ぜーんぶ魔王サマ!」
「え……?」
おかしい。と、心陽は思った。
「びっくりした顔! ごちそうさま!」
楽しげに微笑むドリィ。
「アイルさんは、わたし達とは違う異世界から日本へ来たんだよ? わたし、本人からそう聞いた……」
「その通り、アイルの故郷はあなたとは別の世界だよ? どういうことかというと、ココちゃんたちの異世界も、アイルの異世界も、両方とも魔王サマが滅ぼしたの!」
テーブルに身を乗り出して、ドリィの顔が近づいてくる。
心陽の背に怖気が走った。
「魔王は、世界から世界へ、自力で転移できるってこと?」
「地球にも渡り鳥っているでしょ? 同じだよ。住処を求めて、エサを求めて、娯楽を求めて、魔王サマは世界を転々として、滅ぼしたらまた次へ!」
心陽はイナゴの群れを思い浮かべた。
作物を食いつくし、満たされれば次の場所へ。
魔王を討つべき理由が、一つ増えた。
アイルが日本に転移する際に使った転移魔法(ワームホール)は、彼女が自分の魔法で生み出したものではなく、神殿に内包された膨大な魔力を使って生み出したものだと、心陽は聞いていた。
他の転移人(てんいびと)たちも皆、同様になんらかの魔法的施設の膨大な魔力や、大勢の魔法使いによる儀式、または自然現象で発生した転移魔法(ワームホール)で、転移を行ったと言われている。
転移魔法(ワームホール)を、単独で発動できるほどの魔法を扱う者は、存在しないと思っていた。
しかし、魔王は自らの魔法で転移魔法(ワームホール)を開けるという話に、心陽のこめかみを汗が伝った。
「だとしたら魔王は、形勢不利と見れば、異世界へ逃げられるってことだよね?」
「今まで一度も逃げたことなんかないけど、そうなるね」
万が一、日本に魔王が攻めてきたら、確実に倒さなければならない。
逃げる隙を与えれば、逃げた先の世界が、魔王に襲われることになる。
「……ドリィ。魔王のなにが、呪いを解くヒントなの?」
思いもよらぬ情報に動揺し、話が逸れていたが、どうにか修正する心陽。
「単純にして激ムズなことだよ! 魔王サマを倒せばいいの」
できるものならね、とでも思っていそうな声色で、ドリィはにたりと笑った。
「呪いを掛けた者が滅びれば、呪いも解けるでしょ?」
ドリィがさらに前へと移動し、心陽の膝から肩に、肩から頬に、順に手を触れる。
「お肌きれい。若いっていいなー」
心陽は、ドリィが身に着けるスーツの蝶ネクタイを、思い切り引っ張ってやりたいと思った。
「でも、この世界に魔王はいない。だから、呪いは解きようがない……それが答え?」
心陽は、拳を強く握りしめる。
するとドリィは、その顔を心陽の顔すれすれまで近づけ、嘲るようにこう言った。
「言い忘れてたけどぉ、魔王サマ、もう日本に来てるよ?」
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