第2話 自分からは言い出せない

 勇太と別れた心陽は、ヒーロー庁からあてがわれた港区のマンションに戻った。

 ヒーローランク一位となった特別報奨で移り住んだ最上階は4LDKで、地上四十階の高さ。

 住み始めた頃は、ルーフバルコニーにブースターで飛んで帰った際、柵や床を噴射炎で焦がしてしまい、ヒーロー庁に修繕費を肩代わりしてもらったこともあるが、今では専用の遮熱版が取り付けられ、焦がすこともなくなった。部屋の値段は恐くて聞けていない。

 共に移り住んだ両親は今、心陽がプレゼントした海外旅行で不在だが、二人ともこの新居ではそわそわと落ち着かない様子だった。

 それは心陽も同じ。

 住む場所なんて、こんなに高価じゃなくていい。

 衣食住が当たり前にできる時点で、この国は恵まれている。

 わたしが欲しいのは、名誉でも、富でもない。

 心陽としては居住を辞退したかったが、世界的なスターとなってからは国内外から彼女をつけ狙うパパラッチも出現し、プライベートを覗き見られるリスクを少しでも減らす意味から、半ば仕方なく、政府の厚意を受け取っていた。

 実際、ブースターで飛んで帰るところを見られても、地上とは距離があるために身バレを防げるという点ではありがたかった。

 そんな心陽だが、今日の夕方は、河原で勇太と二人きりの時間を過ごした。

 千葉県市川市在住の勇太は、時折、河原に一人でいるところを目撃され、SNSに小さな背中の画像が投稿されていた。

 それを見て勇太の日常の一部を知った心陽は、ベヒーモスとの戦いで勇太の剣を見(み)、とある確信に至り、ダメもとで件(くだん)の河原を訪れたのだった。

 誰にも邪魔されず、二人で話がしたかった。

 ストーカーみたいだな、わたし。

 思わず手に力が入り、握っていたシャワーヘッドがギリギリと音を立てた。

 だが、一度強烈に抱いた感情はどうしようもなかった。

 あの子に会いたい。

 シャワーを頭から浴びて目を閉じれば、そこには勇太が立っている。

 河原での行為が意味することを、今改めて考えるとゾッとする。万が一第三者(パパラッチ)に目撃されてしまった場合のリスクは計り知れないからだ。

それでも、リスクを無視してしまうほど、心陽にとっては大切な時間だった。


「…………」


 きゅ。

 シャワーを止め、濡れた髪を撫でるようにして水滴を搾り、外へ出る。

 ふわりと、柔軟剤が香るバスタオルで身体を拭き、部屋着を身に着ける。ショートパンツとTシャツという格好は、暑がりの心陽には最適だった。

 ホコリ一つないフローリングを歩く。

 トレーニング専用に使っている部屋に、円盤状のお掃除ロボットが入っていく。

 広いリビングには、高級感漂うモダンスタイルの家具が並ぶ。

 ふかふかとした絨毯の心地をきっかけに、心陽の脳裏に再び河原の光景が浮かんだ。

 窓に映るレインボーブリッジの夜景を、夕日に染まる川が塗り替える。

 勇太は前世のことも、剣のことも、触れられたくないような素振りを見せていた。

 理由はわからない。

 ただ、心陽は、勇太の表情が曇ったあの瞬間、自分が突き放されたかのような感覚に見舞われ、胸が苦しくなった。

 本当なら、奇跡と思えるほど、待ち焦がれた時間のはずなのに。

 帰宅してから、まるで逃げるようにトレーニングに打ち込み、苦しみを苦しみで塗り替えたつもりだったが、いとも容易く、勇太との時間は蘇る。

 心陽は胸に手を当て、目を閉じる。温かい感情が、胸の中でふつふつと湧き上がってくる。


「――好き」


 胸の奥に押し止めたその言葉を、口にしてみる。

 ぎゅっと、シャツを握りしめた。


「どうしたらいいの?」


 心陽が小さくつぶやいたときだった。

 携帯に着信があり、部屋の隅で無線接続されたスピーカーから、呼び出し音が鳴った。


「応答を」


 短い指示をAIが認識。自動で電話がつながれ、通話開始を知らせる『ポン』という音がスピーカーから鳴った。


『心陽か?』

「アイルさん?」


 テーブルの上――カーリングドライヤーの側に置かれたマイクに向かって、心陽は話す。


「こんばんは。お久しぶりです……」

『やぁ。今平気か? 久々に話がしたくてな。ちょっと聞きたいこともあって――』

「はい……?」


 ソファに膝を揃えて座り、前屈みになる。


『お前がヒーローになって、もう四年か』

「そう、ですね。早いもので」

『新居の暮らしにも、もう慣れたか?』

「はい。おかげさまで、助かってます……」

『なら安心したよ。昔は私より背が小さかったのに、今じゃ抜かされて、大スターだもんな』

「アイルさんのおかげです。あなたに助けてもらえなかったら、今のわたしはいません」


 心陽は幼少期の出来事を思い出しながら話す。

 心陽も一般的な家庭に生まれた。父は漁師で、母は看護師。心陽が五歳の頃、彼女と両親を乗せた観光バスが魔物に襲われ、その危機を、当時ランク一位だったアイルが救ったのだ。

『私は務めを果したまでだ。まぁ、それが巡り巡って、最強のヒーロー誕生に貢献できたことは、光栄に思っているよ……』


 僅かに流れた沈黙から、心陽は違和感を覚える。


「あの、アイルさん?」

『ん?』

「わたしに聞きたいことって、なんですか?」

『その、ネガティブな意図はまったくないんだが――』


 通話の向こうで、苦笑が漏れる。


『心陽。お前は地球生まれで、転移人(てんいびと)でも、転生人(てんせいびと)でもないよな?』


 心陽は息が詰まった。


「どうして、そんなことを聞くんですか?」


 アイルはかつて、心陽とその両親の命を救っている。だからアイルは小さい頃の心陽を見ているし、両親の顔もわかるはずだ。


『即座に「うん」と言わないところからも察しがつくが、君は私が助けた頃から、そういう者、、、、、の目をしていた。同じ年齢の子供よりも格段に物分かりが良い、勇太と同じ目だ』


 この人には敵わない。と、心陽は改めて思った。


「――勘付いて、いたんですね?」

『まぁ、なんとなくだが。お前から口にしないのなら、その必要がないか、したくないかの二択。だから私も、そこに関しては触れないようにしていたんだ』

「なら、どうして今……?」

『前世と、剣のこと』


 まさかアイルの口からその言葉が出るとは思わず、心陽は手に力がこもった。


「勇太くんから聞いたんですね? ……アイルさんは、勇太くんの育ての親、ですものね」


 情報源が彼とは限らない――そんな可能性に甘えたい気持ちを振り払って、心陽は正面を見つめた。

 拳に爪が食い込む。


『勇太にとって前世と剣は、かなりセンシティブなんだ。だから、お前があいつにそのことを聞いた理由が知りたい。……いや、知らなくちゃならない』


 やはり、彼が話していた。


「なにがどうセンシティブなんですか?」

『悪いが、それについては勇太から口止めされている』


 ぞわり、と。

 心陽は、自分がたった今考えた手段に怖気立った。


「なら、こうしませんか? わたしもアイルさんに聞いてもらいたいことがあります。たぶん、あなたが望む答えがその中にあります。だから、わたしがすべてを打ち明けたら、勇太くんのことも、教えてください」


 勇太に直接聞くことは、結局できなかった。

 故に心陽にはもう、こうするしか手がない。

 わたしは、卑怯者。


『はっきりとした答えではなく、断片的なものでも構わないか?』

「はい」


 自然と、声に力が入った。

 断片的でも構わない。

 アイルから情報を聞いて、勇太に対する確信が揺らぐのかどうか。それを是が非でも確かめたかった。


『なら、お前から話してくれ』


 アイルに促され、心陽は両膝を抱き抱えるようにして、ソファに深く埋(うず)まる。

 髪を乾かすことも忘れ、心陽は、自分がずっと胸の奥底に抱えてきたものを、この世界で初めて、他人に打ち明けた。


   ☆


 翌月曜の朝、勇太は眠い目を擦りながら、学校へと向かう。

 昨夜は結局、心陽と過ごした光景が頭から離れず、ほとんど眠れなかった。

 聞けば誰もが羨むであろう、ナックル・スターとの二人きりの時間。

 だが、彼女が前世について口にした途端、空気は一変。

 彼女は一体どういう意図で、勇太に前世のことを聞いたのか。

 どういう意図で、剣の持ち主のことを聞いたのか?

 そして、会いたい人とは誰なのか?

 質問の真意をはっきりさせられないまま、勇太は逃げるように河原を去ってしまった。


「――山田くん」


 理由は不明だが、心陽は恐らく、勇太に前世の記憶があるのを知っている。そうでなければ、あのような質問は出てこない。

 心陽は勇太に、前世は本当にあると思うか、とも聞いた。

 唐突で強引な質問だが、前世の記憶が残る勇太なら頷くと考えてのことだろう。


「山田くん」


 肩を叩かれ、勇太は我に返る。

 隣を見上げると、そこには院照誓矢(いんてるせいや)(サン・アロー)がいた。


「インテリ」

「いんてるだ」


 いつものやり取り。

 誓矢は変身していたときと同じ髪色、髪型、そして黒縁のメガネをしているが、それ以外の装いは学生服なので、街を歩いていても、サン・アローだと気付かれることは少ない。


「俺と一緒にいると、お前までハブられるぞ?」

「今更なにを言う? そんなことをしてくる連中は、こちらから願い下げだね」


 勇太が口を尖らせて言うと、誓矢は肩を竦めた。

 勇太は身体が異様に小さいこともあって、学校中の生徒たちに既に身バレしており、今も勇太を追い越していく生徒たちから視線を感じていた。

 勇太と目が合うと、咄嗟に逸らす者。友達同士で顔を見合わせ、くすくす笑う者。

 教室ではきっと、昨日起きたベヒーモスの件で話が持ち切りなのだろう。

 心陽(ナックル・スター)は称賛し、勇太(ユウタ)を貶して。

 勇太はそれ以上考えないように努める。

 誓矢はそんな勇太の隣で、歩くペースを合わせてくれていた。


「眠れていない様子だな。平気なのか?」


 勇太の目元のクマを見たか、誓矢が聞いた。


「ちょっと、いろいろあってさ。ベヒーモス戦のときの反省とか……」


 ナックル・スターと会ったことは、言わないでおく。


「あまり深く考えすぎるな。君はお婆さんを助けたじゃないか。ベヒーモスを倒すことはできなくても、人助けだってヒーローの立派な仕事だ。誇っていい」

「俺の目標、知ってるだろ?」

「世界一のヒーローになるってやつかい? なぜ一番にこだわる?」

「それは――」


 勇太は贖罪(しょくざい)と言いかけて、呑み込む。

 ここで誓矢にそう言っても、伝わらない。


「一人でも多く、助けられるヒーローになりたいんだ。そのための目標なら、高くしたほうがいいだろ?」


 前世で助けられなかった分、今の世界で多くを助ける。それが、今の勇太の目標であり、願いだった。


「高く設定するのは勝手だが、君が理想と現実の差に苦しんで、それが足を引っ張って伸び悩んでいるように見えるのは、僕だけか?」

「こ、これから頑張って伸びるし」

「ちなみに身長の話じゃない」

「わかってる」


 勇太の隣で、誓矢はまた肩を竦めた。


「言って良いものかわからなくて迷ったが、この際だ。君のためなら構わん」

「え?」


 誓矢の意味深な発言に、勇太は振り返る。


「昨日の夜、川本(かわもと)さんから電話があったんだ。君のことで」

「俺のことで?」

「ああ。君の最近の様子はどうかと、心配しているみたいだったぞ。声の感じからして、ただ事ではない気がしたよ」


 自民党を代表してヒーロー庁の運営に深く関わり、勇太を始めとする【異世界災害孤児】の養護にも積極的に参加した敏腕の衆議院議員で、勇太が養護施設にいたときから面識のある男――川本五郎(かわもとごろう)。異世界災害(魔族・魔物が及ぼす破壊的行為)の痛みを、身を以って経験した

者の一人。

 彼は面倒見がよく、勇太が高校入学と同時に一人暮らしを始める際、わざわざお祝いに米を送ってくれもした。彼の仕事は激務らしく、長いこと直接は会っていないが、今も勇太のことを気に掛けているらしい。


「君に聞くのでなく僕に聞いたのは、他者から見た君の様子を知りたかったからだろう。君はいろいろ背負い込んで、こっちが聞いても、言いたいことを言わないときあるからな」


 勇太は何も言い返せない。

 現に今も、誓矢に話せていないことがある。


「なんて答えたの?」

「超がつくほど思い詰めているみたいです。と言っておいた」


 勇太は誓矢の脛に裏拳をお見舞いした。


「余計な心配かけたらどうするんだよ」

「果たして余計かな?」


 やられた。

 川本は勇太にも連絡してくるかもしれない。

 勇太の悩みは、成長できないこと。

 不成長(ふせいちょう)の呪いに掛かっているのは仕方ないとしても、成長のしようはあるはずだと勇太は信じて、師匠の下で修業に励んできた。

 そうでもしないと、呪いがあるせいで絶望し、もうそれ以上先へは進めなくなるからだ。

 しかし実際は、信じた通りには成長できていない。

 かといって、誰かに頼って解決できるものでもない。


「自分で頑張るしか、ないんだよ」


 勇太がそう言ったとき、電話が鳴った。

 師匠からだった。


『勇太、今話せるか?』

「師匠? ――登校中なので、少しなら」

『年長者としてあまり言うべきではないが、今日は学校休め』

「え?」

『川本がお前に会いたがっている。わりと緊急だ』

「わりと緊急って」

『とにかく、今から防衛省に来い。私もいる』


 言いたいことだけ言って、電話は切られた。


「師匠さんから呼び出しかい?」


 誓矢が聞いた。


「今から防衛省に来いって」

「君もなかなか忙しいやつだな」

「ただでさえ緊急召致(エマージェンシーコール)で休みがちなんだ。度が過ぎると勉強ついていけなくなるよ」

「それは僕も同じさ。まあそれでも学年2位の座はキープしているが」

「あとでノート見せてくれない?」

「いいとも」

「あと悪いけど、先生に急用で休むって言っといてよ」


 勇太も誓矢も、先生には自分たちがヒーローであることを伝えてあり、例えば学生タレントがそうであるように、事情を説明すればわかってくれるのである。


「ああ。スーパーホワイトミラクルサマーモカチップフラペチーノで手を打とう」

「お前ほんと甘いの好きだな」


 誓矢と別れた勇太は来た道を引き返し、駅から電車に乗る。

 防衛省がある市ヶ谷までの三十分も、勇太の頭の中には心陽がいた。


   ☆


 防衛省の門の前で、勇太は迷子の男の子に間違えられた。


「お兄さんこれ見てよ。ヒーローのユウタです」


 勇太の見た目は三歳児くらいなので無理もない。勇太としても、間違えられるのはこれが初めてではなく、慣れたものである。


「こ、これは失礼しました! あのユウタさんですね!」


 門の警備にあたっていた自衛官にヒーロー手帳を見せ、誤解を解いた勇太は、そのまま庁舎の地下へと通された。

 かつて防空壕が造られていたという防衛省の地下には現在、異世界からやってきた敵性生物が捕らえられ、監視されている。

 師匠に指定された合流場所はこの地下二階、面会室。

 LED照明が照らす通路はグレーのカーペットが敷かれ、白い壁と天井に反響する靴音が抑えられており、空調もしっかりと整備されているとあって快適だった。


「おはようございまぁあっぶ!」


 ドアを開けた勇太の顔面に、繰り出された蹴り足――その草履が命中した。


「おはよう我が弟子! あと一分待たせたら殺していたところだぞ!」


 先ほどの電話と同じ少女の声が聞こえた気がするが、蹴りで吹っ飛んだ勇太はそれどころではない。背中から壁に激突し、そのままうつ伏せに落下。


「蹴りが挨拶なんですか、あなたは……」


 前から思っていたことを勇太は呻いたが、痛みは軽い。蹴りが命中する寸前に魔法障壁を展開し、ダメージを大幅に抑え込んだのだ。


「毎回普通に挨拶しただけではつまらんだろう?」

「師匠の今の蹴り、生身の人間なら死んでますよ?」


 立ち上がりつつ、勇太は蹴りを放ってきた相手を睨む。


「お前だから問題なかろう? 昨日言った通りの半殺しだ」

「毎回、容赦のないオバサンだな」


 勇太はボソリと言った。


「今、オバサンって言ったか?」


 猫耳をぴくりとさせ、首を傾げるアイル。目元に影が差している。


「言ってません」

「モラハラは人間に限らず、私のような獣人(じゅうじん)の間でも問題になったりするんだぞ? 猫なのに豹って言われたりとかな」

「俺は事実を言っただけですよ。豹って猫科だし、似たようなもんでしょ。師匠は肉食っぽい性格だし、年齢だって――」

「年齢に触れたら食べるぞ?」


 他人が見れば見惚れてしまいそうな笑顔で、アイルは言う。


「俺を食べてもちっちゃいからすぐなくなっちゃいますよ」

「そう自虐するな。こうして会うのも久しぶりなんだ。昨日は修行の成果を見られなかったわけだし、少しくらいジャレろ」

「やだ」


 勇太は首を左右に振った。


「頭突き以外にも、剣技を磨いているんだろう? 回転斬りはマスターできたのか?」

「まだ若干目が回りますけど、かなりマシになったと思います」

「一を教えれば十まで自力で辿り着くのがお前の良い所だ。このお姉さんが見込んだだけのことはある」


 アイルは控えめな胸を張る。


「お姉さんって……」

「なにか言ったか?」


 アイルの殺気が漂う尋問室にもう一人、見た目四十歳くらいの男――川本五郎が入ってきた。


「いやぁ、急に呼び出して済まな――うわッ⁉」


 川本は日に焼けた精悍な顔を引き攣(つ)らせ、たった今閉じたドアに背中から貼り付いた。


「アイルさん! 今にも人を食い殺しそうな目をしていますよ! なにをしようって言うんですか!」

「師匠に敬意を払わないバカ弟子に噛み付いてやろうというところだ。邪魔するな」

「ストップ! 暴力沙汰は控えてください!」

「川本さん、いいところに!」


 ててて、と勇太は五郎の足元に縋(すが)りつく。さながら抱っこをせがむ子供のように見えた。


「久しぶりだね、山田くん。元気そうでなによりだが、急に呼び出して済まない」 


 五郎はサマースーツのネクタイを直して、勇太の両脇を抱えて持ち上げた。


「わー」


【高い高い】の要領で持ち上げられた勇太は、そのままパイプ椅子に座らされた。


「アイルさんも、協力に改めて感謝します」

「いつも忙しい五輪刈りのお願いなら断れん」


 五郎を髪型で呼んで、アイルも勇太の隣の椅子に座る。


「山田くんは近頃、いろいろ大変みたいだね?」


 と、五郎がテーブルの上で両手を組んだ。

 アイルはそんな五郎に眉を寄せる。


「いきなりそこを衝(つ)くのか?」

「避けては通れないでしょう? 単刀直入に進めます」


 五郎はそう返し、勇太の目を見る。


「君のヒーローとしての成績、SNSでの評価。僕としても、改善に協力したい思いでいる」

「川本、その顔だよ。同情しているみたいで、私は気にくわない」


 眉を寄せた神妙な表情の五郎に、アイルが横槍を入れた。

 勇太は、アイルとの一連のジャレ合いに、彼女なりの気遣いを見た。

 勇太は六歳で養護施設を出、一人暮らしを始める十六歳までアイルと共に過ごした。

 その頃から修行と称して、今の世では問答無用でハラスメント扱いの、殴る蹴るのスパルタ教育が行われていた。

 先ほど勇太が入室した際にも起きた、当時と変わらぬやり取り。

 アイルの振る舞いは、勇太に鍛錬の日々を思い起こさせた。

 同情や憂慮(ゆうりょ)を感じさせることなく、今までと変わりなく接する師匠の姿勢は、勇太が最も望むものだった。


「そういうつもりで言っているのではないと、先に断らせてほしい」


 五郎は勇太の目を見たまま言う。


「これから話すことはある意味、君の成績に大いに繁栄できる可能性がある」


 アイルからの反感も覚悟のうえであろう、五郎は勇太から目を逸らさず続ける。


「というのも、ある魔族に会ってもらいたいんだ」

「……はい」


 勇太は頷くが、自然と両の拳に力が入った。


「山田くん。いや、この場合、ユータン・ライスフィールドくん。君はドリィと名乗る夢魔(むま)を知っているかい?」


 前世での名を呼ばれ、勇太は身構えた。

 つまり、そういう話ということだ。


「夢魔は知ってるけど、ドリィって奴は知りません。異世界人(いせかいじん)ですか?」


 勇太の問いに、五郎は首肯する。


「そう。部類で言うなら、転移人(てんいびと)に該当する。昨日の夜、アイルさんの夢を通じて、こっちの世界へやって来たんだ。それをアイルさんが捕らえて、隣の尋問室に拘束してある」


 勇太は、部屋の空気が張り詰めたように感じた。


「昨日の夜、私が偶然見た夢に若い女が割り込んできて、夢の中で戦闘になった。そいつが自分のことを〝夢魔のドリィ〟と名乗ったんだ」

「この地球に夢魔が現れたという前例はない。今回が初めてだ」

「私が以前いた世界でも、夢魔という存在はいなかった。どんな奴なんだ?」


 五郎とアイルの顔が、勇太に向けられた。

 勇太は、掘り起こしたくないものを無理矢理掘らされているような気分に陥った。


「夢魔は魔王が生み出した魔族(まぞく)の一種です。魔族っていう括りだから、魔物よりも格上。直接戦うことはなかったですけど、人の記憶を読み取ったり、夢の中に入り込んだりして悪さをする、厄介な連中だと聞いていました」

「悪さをするというのは?」


 と、川本。


「他人の夢の世界を自在に操って、心に傷を負わせると聞いたことがあります。それから、夢の世界を渡り歩いて、別の世界に行けるって噂もありましたね。まさか本当だとは思わなかったけど」

「なるほど、合点がいった。私は夢の中でドリィをボコボコにやっつけて、それから目が覚めたんだが、布団の中で、彼女がボコボコのまま気絶していたんだ。夢の主が目覚めると、その夢の中にいた夢魔も一緒に、現実の世界に出現する仕組みらしい」


 師匠の言葉に、勇太は目を見開く。


「これは夢だと自覚して、しかも戦って倒したんですか……ッ!」


 中には、自分が夢を見ていると自覚し、その夢を自在に操れる人がいると聞くが、夢魔が夢の中で仕掛けてくる攻撃は次元が違うのでは? と思う勇太。

 夢魔が操る夢からは、よほど強い刺激が外部から与えられでもしない限り目覚めることはなく、当人が夢だと気付けたとしても抵抗できない。


「私がいつも護身用に施す【不可侵の結界】が功を奏しただけだ。夢の世界への侵入を防ぐという定義が曖昧で、結界の効き目がイマイチだったこともあって、夢に乱入されはしたが」

「さすがは、ヒーローランク元一位。生け捕りって殺すよりも難しいのに」


 勇太が言い、


「夢魔の拘束を維持できているのも、アイルさんの結界魔法のおかげなんだ。他のヒーローにはできない芸当さ。現役を引退したとはいえ、衰えを知らない人だよ」


 五郎の声に、アイルは鼻を鳴らす。


「変わらないのは見た目だけで、中身は衰えてるよ。ランキングも引退間際には六位だったしな。上位五人(ビッグファイブ)にも入っていない」


 変わらないのは見た目だけ。

 その発言に、勇太も五郎も、僅かな間、口をつぐむ。

【不老の呪い】という言葉が、勇太の脳裏を過った。


「すみません。そういうつもりで言ったのでは――」

「わかってる。たとえ衰えようとも、私は私の目的のために進み続けるだけさ」


 五郎の謝罪を片手で制して、アイルは話を戻す。


「勇太。お前がここへ呼ばれたのには、そのドリィという夢魔が深く関わっているんだ」


 五郎が代わる。


「ドリィは、人類の存亡に関わる情報があると言ってきた。こちらがその情報の開示を求めると、魔王というフレーズを掲げ、情報の交換条件として、君を指名してきたという話だ」


【魔王】と聞いた勇太の背筋に、昨日の河原で感じたものよりも強い悪寒が走った。


「俺の名前を、そのドリィって奴は知ってたってことですよね?」


 五郎は頷く。


「正確には、君の今の名前だ。つまり、前世の君の名前や素顔は、ドリィも知らないと考えられる。僕が君に聞きたいのは、ドリィに会ってくれるかどうかだ。これには、君の前世の素性を知られるリスクがある。なにせ相手は、記憶を読む魔法が使えるようだからね。それを踏まえて考えてほしい」


 自分の前世を見破ることのできる魔族が、この世界にやってきた。

 勇太という名前はきっと、アイルの記憶を見たとき、その中にあったのだろう。

 勇太が最も恐れ、起きないことを祈っていた事態が、現実のものとなっていた。


「勇太、事(こと)が事だ。不快かもしれないが聞かせてくれ。お前は前世で魔王に殺された・・・・・・・・・・。にもかかわらず、異世界から魔族が来て、お前に会うことを要求するとしたら、どんな理由が考えられる?」


 アイルに聞かれ、勇太は考えるが、結論は到底、ポジティブなものにはなり得ない。


「あくまで、俺が前の世界にいたときの話ですが、魔族は基本的に、自分たちが最も崇高な種族で、歯向かう種族は滅ぼして当然だと考えていました。今回現れたドリィについても、師匠と戦闘になったのなら、敵性がある存在だと思います。そいつが俺に会いたがっているなら、理由として真っ先に思い浮かぶのは、俺が持ってる剣です」


 川本の目が細められた。


「君が変身すると召喚される、例の聖剣か。しかし、魔族がそれを狙うとしたら、魔王が絡んできそうだな」


 勇太は首を縦に振って、付け加える。


「魔王はまさに、剣を欲しがっていましたから……」


 ドリィと名乗る夢魔の力がどれほどの影響をもたらすかは未知数だ。油断は許されない。


「俺が一番恐れてるのは、魔王がこっちの世界に侵略の手を広げてくることです。今回のドリィって魔族に関しては、その危険性も孕(はら)んでいるかもしれない」

「ドリィ自身が、魔王という存在を交渉材料に使ってきているわけだからな……」


 五郎は組んだ両手に口元を埋めた。


「あの女のふざけた感じは、平気で嘘を言うように思える。魔王という言葉が出たからといって、ぜんぶ鵜呑みにするのも考え物だぞ」


 師匠の言葉に、勇太は頷く。


「俺としては、一度面会する必要はあるかと思います。ドリィがどんな魔族なのか、対面して出方を見ながら、話を掘ってみるべきかと」


 五郎は顔を上げた。


「では、面会を引き受けてくれるかい?」

「……はい」


 と、勇太は意を決した。


「面会には私も同行するから、お前はドリィの話に集中するだけでいい」


 了承する勇太の小さな背中を、アイルが優しく叩いた。


   ☆


 夢魔(むま)が捕らえられているという面会室は、ドアに白いお札が貼られていた。  

 そのお札には、何やら魔法陣のような模様が墨で描かれてある。


「見てわかる通り、この部屋は私の結界で守ってある。夢魔が何らかの魔法で攻撃を企んでも、発動はしない」


 と、アイルがドアを開け、勇太は彼女に続いて、面会室へ足を踏み入れた。

 薄紫色の瞳(ひとみ)が、勇太を見ていた。その瞳は、ハートの形をした輝きを湛えている。


「おっきい方が良いの? まぁ、確かに。そのリーチじゃ、あいつには届かないものね」


 瞳の下(もと)で、弾むように快活な声が、脈絡のない言葉を奏でた。

 瞳は次に、勇太の背後へと向けられた。


「政府とやらは対応が遅いのね? アイル」


 テーブルの向こう側に、瞳の持ち主は座っていた。

 頭の両脇から湾曲した角を生やす、十代後半といった容姿の少女だった。

 五郎に要求したのか、対面に置かれたパイプ椅子ではなく、重厚感のある立派な赤いソファに身を埋めている。

 少女の眉は吊り目の上で穏やかな広がりを見せ、素肌は全体的に白く、頬のあたりは薄くピンク掛かっており。鼻梁は西洋人のように高い。

 身長差がある勇太からすると、見下されているような気分になる。

 少女が纏う、黒とピンクを基調とした服装は、日本におけるゴシック・アンド・ロリータに似ている。

 丈の短いスカートから白い太ももが見え、ストライプソックスに、靴は黒の艶やかなローファー。ローファーの甲部にはハート型の飾りがついていた。


『待たせたことは詫びよう。だが君の要求通り、彼を連れてきた』


 天井に設置されたスピーカーから、五郎の声がした。彼は今、壁面のマジックミラ―を介した隣の部屋――定性調査室(マジックミラールーム)で、鏡越しに勇太と夢魔の対話を監視している。

 夢魔は組んでいた足を解いて身を乗り出すと、勇太がパイプ椅子によじ登るのを眺めた。


「まぁ、かわいい。誰も手伝ってくれないのね? いじめられてるの?」

「これくらい、自分でできる」


 勇太は答え、テーブルの上に頭と手を出した。


「アイルが手を貸さないのは、それをわかってるから?」

「勇太の面倒を見たのは私だからな。それくらいはわかっているし、私は同情が嫌いだ。身体が小さかろうが、できることは自分でやらせる」


 アイルが答えると、夢魔は瞳を再び勇太に向けた。


「ふーん。あなたが勇太クンね? アイルに鍛えてもらったみたいだけど、うまくいってないみたいね。ドリィのことは、ドリィって呼んで?」


 夢魔はベージュの長髪をさらりと撫で、胸に手を当て、ドリィと名乗った。


「あなたのことは、おチビちゃんでいいかしら? それとも底辺ヒーロー?」


 底辺という言葉が、勇太の心に圧し掛かる。


「彼は私の自慢の弟子だ。舐めた口を利く権利はお前に無い」


 勇太の斜め後ろ――壁際で腕を組むアイルが、目を光らせた。


「俺の名前は勇太だ。だからそう呼んでくれ」


 勇太は今の名前を言った。


「元のあなた(・・・・・)は、違う名前だよね?」


 ドリィの嗜虐的な微笑に、勇太はゾクリとするが、


「俺の、前世の名前がわかるのか?」


 平静を装い、ドリィの目をまっすぐに見返した。


「ユータン・ライスフィールド、でしょ?」


 ドリィはケラケラと、乾いた笑い声をあげた。


「ドリィに嘘や隠し事は通用しないってこと、これでわかった?」

「ああ……」

「わかってくれるなら、そうね。おチビちゃんじゃなくて、勇太クンって呼ぶことにする」


 記憶を見るとは聞いていたが、なぜこのタイミングで俺の元の名前がわかったんだ?

 そのからくりは不明だが、ドリィの何らかの魔法だという確信めいたものがあった。

 アイル曰く、この部屋では攻撃魔法が発動できないということだから、件の魔法は違う系統のものだろう。


「俺に会いたかったんだって?」

「そうなの。あなたがいた方が、ゼッタイ面白くなると思って」

「面白いことがあるのか?」


 勇太の問いに、ドリィは口の端を吊り上げる。


「少なくとも、ドリィにとっては」


 勇太は背後に立つ師匠、それから鏡越しの五郎の反応を待つが、共に黙して先を促している。


「聞かせてくれ」


 勇太が言うと、再びドリィの乾いた笑い。


魔王・・サマのことだよ? 彼が、これからやろうとしていること」


 部屋の空気が、瞬く間に張り詰めた。

 勇太は動揺を隠しきれず、息が詰まる。


「ま、魔王が、何をするって言うんだ?」

「この世界を侵略しに来る」


 天気の話でもするかのような気軽さで、ドリィは言った。

 勇太が最も恐れる展開が、これから起ころうとしているらしい。


「なっ――⁉」」

「いつ、どこに魔王が現れるんだ?」


 言葉が出ない勇太に代わって、アイルが聞いた。

 ドリィは人差し指を唇にそっと当てた。


「ここから先は、ドリィが出すクイズに答えてくれたら、話してあげる」

『クイズ?』


 想定外の発言だったか、川本が聞き返した。


「そう。クイズ。会場は、ドリィが用意する夢の世界。勇太クンには眠ってもらって、ドリィの夢の世界に来てもらいまーす!」

「ふざけるな!」


 と、アイルの眉が吊り上がり、額には汗が浮かんだ。


「お前は昨日、私にボコされて、約束したよな⁉」

「うん。ドリィはちゃんと覚えてるよ? アイルの大切な人には悪さをしない、でしょ?」

「そうだ。だから――」

「今回のお話は、ちょっと複雑な事情があってね? 途中、約束から何度か脱線しちゃうんだよねー」


 アイルとドリィ。昨夜のうちに両者の間で交わされた約束がどうやら、反故になろうとしているらしかった。


「脱線だと⁉ ……お前がこの世界へ来た目的はなんだ? なぜ勇太を巻き込む? なぜ、魔王のことを私たちに教える? 魔王はお前たち魔族の親玉だろう?」


 勇太が聞きたいことを、アイルがすべて聞いた。


『アイルさん、気持ちはわかりますが落ち着いて。質問は一つずつ』


 焦りを見せるアイルに、五郎が言う。


「川本、お前も魔王の存在くらい認知しているだろう? それがこっちの世界に来るんだぞ⁉」

『確かに、魔王は魔族を生み出した存在だということは、勇太くんから聞いています。ですが僕を始め、この世界の人たちは、魔王を直に見たことがありません』

「半信半疑と言いたいのか?」

『何事も、その情報が事実かどうか、しっかりと確認しなくてはなりません。たとえ、政府とのパイプが太いあなたの発言だったとしてもです。特に政府のような大きな組織が動くには必要なことなんです。上層部を説得する意味でもね。それがわからないあなたではないでしょう?』


 川本の言葉も正論であるが故、口を引き結ぶアイル。


『ドリィ。君がもたらした情報は我々にとって、非常に重要で危険なものだ。ペースを乱すようだが、ここから先は真剣に接してほしい。まずはアイルさんの質問に答えてくれ』

「じゃあ、サービスで最初の質問には答えてあげる。ドリィの目的は、復讐すること。誰に対しての復讐なのかは秘密。けど、ここにいる人たちじゃないから安心して?」

『残りの質問にも答えるんだ』


 川本が追求すると、ドリィは鏡のほうを見つめ、目を細めた。


「取り引きって知ってる? ドリィがあなた達にとって大事な情報を教えてあげようって言うんだから、見返りはあって当然じゃない?」

「お前、自分の立場、わかってるか? 私のお札はドアだけじゃなく、この建物が造られたときに、建築材に埋め込む形で地中深くにも展開してある。地下全体が、私の結界の範囲ということだ。その気になれば、部屋ごとお前を処分できるんだぞ?」


 アイルが声を低め、ドリィはきょとんと、彼女を見た。


「言っておくけど、ドリィの力をあなたはまだ完全には把握できていないのよ? ということは、あなたが有利な立場ってわけでもないわよね? オバサン」

「待った。それは禁句――」


 勇太が止めるも、背後でアイルの殺気が立ち上がる。


『ドリィ。君がいま要求した、クイズに答えるというのは、この尋問室では駄目なのか?』


 そこへ五郎が介入した。


「ダメ! 夢の世界のほうがドリィの好きにできて面白いもん!」

『君はアイルさんの夢に入り込んで、戦いを仕掛けた前科がある。そんな中、さらに山田くんまでというのは、さすがに呑めない話だ』


 五郎が言うと、ドリィの顔から笑みがさっぱりと消え、代わりに口が尖った。


「それじゃあ、ドリィが面白くない。しかもアイルの夢に入ったときは、アイルのほうが一方的に襲ってきたのよ? 戦いを仕掛けたんじゃなくて、仕掛けられたの」

「人のプライベートに勝手に乗り込むほうが悪い」


 腕組みをしたまま、アイルがドリィを睨む。


「アイルはとある人に【不老の呪い】を掛けられて、それ以降、見た目が変わっていないんだよね? 夢の世界ではその人の記憶を自由に見れちゃうから、ドリィには筒抜け。ドリィの好きにさせてくれたら、アイルの呪いを解く方法もわかるかもよ?」


 ドリィの発言に、勇太は身を乗り出す。


「師匠の呪いを、お前は解けるのか⁉」


 勇太は高校生になる前、アイルと暮らしていた中で、彼女も同じように呪いを受

け、年を取っていないことを知った。

 共に過ごすうち、【不成長の呪い】と【不老の呪い】――呪われた者の苦しみを共有できる唯一の存在として、勇太とアイルの間には絆のようなものが生まれていた。

 魔王についての情報と、呪いを解く情報。この二つが手に入ると言うのなら、勇太としては、夢の中だろうと赴(おもむ)くし、記憶の中だって好きに覗かれても構わなかった。


「かなり強い呪いだから、ドリィが直接それを解くのはムリ。でも、ヒントは教えてあげられると思う」


 勇太はできるものなら、勿体(もったい)ぶらずに教えろと言いたいところだったが、ここで相手の機嫌を損ねれば、何も得られなくなるかもしれない。

 勇太と同じ考えなのか、アイルが殺気を治めて聞いた。


「ドリィ。お前は面白いことを求めているのか?」

「うん。みんな好きでしょ? 面白いこと」

「私も同感だ。なら、こういうのはどうだ? 勇太だけじゃなくて、他のヒーローにも、観客としてクイズを見せるんだ。ドリィが操る夢の世界でのクイズだ。同行するヒーローも、きっと面白がるだろう?」


 共感を混ぜつつ交渉を仕掛けるアイルの発言に、ドリィの眉がぴくりと動いた。


「いいけど、ドリィが興味あるのは、転移人(てんいびと)か、転生人(てんせいびと)のどちらかだけだよ? だって、一つの世界しか知らない人には無い考え方をしてるし、前世とのギャップがすごい人もいて、見てて面白いんだもん」

「お前の言う〝面白い〟は、ギャップのことなのか?」


 アイルが質問すると、ドリィは人差し指を顎に当てた。


「うーん、それもあるけど、一番面白いのは、予想外のことが起こって、それにびっくりしてる人を見ることかな? あとは逆もだね! ドリィがびっくりするの!」


 夢の世界は、言ってしまえばなんでもありの世界。ドリィはそれを自在に操り、相手を驚かせることに面白みを感じているらしかった。逆に、夢の世界でなんでも思い通りにできるからこそ、そうならなかったときの驚きにも、面白みを感じるのだろう。


「では、お前の希望通りのヒーローを用意しよう。きっと面白いはずだ」


 アイルが了承すると、今度は五郎が聞いた。


『確認なんだが、我々にとって、転移人というのはアイルさんのように、生まれ変わることなく、元の身体のまま、異世界から転移してきた人のことを指す。認識はこれで合っているか?』

「合ってるよ? それと違って勇太クンみたいに、前世の記憶を残したまま生まれ変わった人を、転生人って言うの」

『なら、自身は、異世界から転移してきたのか? アイルさんの夢の中に現れたと聞いたが、日本語が話せたり、【転移人(てんいびと)】と【転生人(てんせいびと)】という概念を知っているのは、アイルさんの記憶を見た際に学んだからか?』


 五郎の次の問いに、ドリィは口の端を吊り上げる。


「それは面白い質問だから、今答えてあげる。ドリィは転移魔法(ワームホール)なしでも、夢の世界を辿って、異世界にいる人の夢に行ける。つまり、夢の世界を通じて異世界に転移できるの。知らなかったでしょ?」

『――ああ、びっくりだ。異世界から地球に転移するには、転移魔法(ワームホール)しかないと思っていたよ』


 調子を合わせる五郎に、ドリィは得意げに胸を張る。胸元のハート型のリボンが揺れた。


「ドリィはそうして、いろんな世界を見てきたわけ。【転移人(てんいびと)】と【転生人(てんせいびと)】って考え方は、呼び方は多少違うけど、他の世界にもあったよ? 日本語がわかるのは、翻訳魔法があるから」

『なるほど、凄いな。他の夢魔も、君と同じく、自由に異世界を行き来できるのか?』

「他の夢魔が、ドリィと同じようにできるかは知らない。ドリィがトクベツなだけかも」

『そんな特別なドリィの要望に沿う人は、ヒーローたちの中にいるのか? アイルさん』

「任せろ。心当たりがある」


 五郎とアイルのやり取りを聞いて、勇太は思い至る。


【転移人(てんいびと)】と【転生人(てんせいびと)】。その疑惑があるという意味でなら、確かに一人いる。


「それは誰なの?」


 ドリィが首を傾げた。


「ナックル・スター。現在のヒーローランクで世界一を誇る、最強のヒーローだ」


 今まさに勇太が思い浮かべた人物のヒーロー名を、アイルが答えた。

 勇太は背後を振り返る。


「師匠。彼女とは、もう話せたんですか?」

「……ああ、話したとも」

「彼女は、味方ですか?」

「無論だ。でもお前は、他人から聞いただけでは納得できないだろう?」


 アイルの言(げん)は、勇太の核心をついていた。

 自分の目で確かめなければ、俺はどこかでまた、疑心暗鬼に駆られてしまうかもしれない。


「図星だと黙る。お前の癖だ」


 困ったように笑って、アイルは言う。


「勇太。私はお前とあの子に試練を課すつもりだ。ドリィの夢の世界でな」

「そ、それって、どういう意味――」


 戸惑う勇太を遮って、アイルはドリィに目を向ける。


「ドリィ。勇太とスターにたっぷりと夢を見せて、クイズで遊んでやってくれ」

「……含みがありそうね?」


 ドリィはアイルを見つめた。

「二人に夢を見せて、お前が面白いと思うことをやるんだ。私にやった・・・・・みたいにな。それで二人の心を揺さぶって、反応を楽しむといい」


 アイルの唐突な物言いに、勇太は言葉が出ない。

 私にやった、というのはつまり、昨夜に起きた、アイルの夢での出来事だろう。

 一体なにをされたというのか、皆目見当もつかない勇太。


「アイルは今まで、ドリィに敵意むき出しだったのに、どういう風の吹き回し?」

「お互いがつまらないまま終わる方よりも、面白そうな方に賭けてみたくなった。それだけさ」


 にたり、と、ドリィは笑う。


「ホントに、好きにしちゃっていいのね? 心、壊れちゃうかもよ?」

「そのギリギリのラインを攻めるのが面白いんじゃないか」

「し、師匠? さっきから何を――」


 勇太の背に、アイルの拳が押し付けられた。

 きっと、何か狙いがあるのだと、勇太は察した。


「好きに遊んでいいなら、そうさせてもらうね! こっちの世界に来た理由には、いろいろと遊べそうだったからっていうのもあるんだよねー」

「お前が以前いた世界だけでは、物足りなくなったのか?」


 勇太の問いにドリィは頷いて、こう言った。


「だって、魔族以外、みんな死んじゃったんだもん」

 それを聞いた勇太の鼓動は強く脈打ち、胸が締め付けられるような気分に陥った。脳裏に蘇るのは、前世で見た凄惨な光景。


「――多くの人が死ぬのを見て、お前はどう思った? 面白かったか?」


 気付けば勇太は、そう聞いていた。


「全然? だって死んだら何も見れないもの。むしろ、つまらなかった」


 ドリィは唐突に寄り目になり、人差し指と親指で銃の形を作ると、自分の頭に当てて見せた。

 人が死ぬのは面白くないと、ドリィは考えているらしい。


「お前は、殺すのに参加しなかったのか?」

「やったのはぜんぶ魔王サマ」


 ここでも飛び出した魔王という言葉に、勇太は拳をぐっと握りしめた。


「ドリィ。お前が望むなら、クイズを受けてやるよ。夢の世界だろうと、どこだろうと連れて行け。それから、お前が本当に面白いと思えるかどうか、勝負しないか?」

「勝負?」


 ドリィは再び、きょとんと首を傾げる。


「そうだ。ドリィが俺にクイズを出して、予想通りでつまらないと感じたなら、俺の負け。俺が負けたら、お前のお願いを一つ、なんでも聞く。逆に、俺が予想を裏切って、ドリィが面白いと思ったら、俺の勝ち。そうなったらお前は、魔王のことも呪いのことも、わかることをぜんぶ、正直に話すんだ」

「ドリィにとっての面白いは、予想を裏切られることもそうだけど、裏切ることもだよ? どっちにも〝びっくり〟があるから。勇太の記憶は、そんなに予想外のことだらけなの?」

「その目で確かめてみるといい」


 勇太は、ドリィから微塵も目を逸らさずに言った。

 魔王と呪いに関する情報が手に入るなら、どんなことでも受けて立つ、という思いを込めて。

 テーブルの端からちょこんと、小さな頭と手を覗かせる勇太だが、その眼差しと物言いからは鬼気のような凄みが放たれ、見る者、聞く者を黙らせる力があった。


「……そういう目をする子、初めて見た。なんというか、嘘がない感じがする」


 ごくりと喉を鳴らしたドリィは、目を細めて笑う。


「勝負してあげる! あなたにもっと興味が出てきたから」


 アイルが言った、【試練】という言葉の真意はわからない勇太だが、それについて考える余裕もないほどに、心を過去の光景が埋め尽くしていた。

 目の前のひょうきんな魔族に、自分が味わってきた苦痛のすべてをわからせてやりたい。

 そんな、煮え立つような怒りの感情が、今の勇太を渦巻いていた。


『話はまとまったようだね。双方、異論なければ、準備に移らせて頂きたい』


 スピーカーから聞こえる五郎の声も、動画での答弁以上に引き絞められていた。


   ☆


 東京異種族共同(とうきょういしゅぞくきょうどう)学院は創立二十五年と、悠久と呼ぶにはまだ日が浅い。だが、都内で名門と言われる共学の高校で、学力の高さはさることながら、心陽のように若くしてヒーローとなった者や異世界人を、積極的に受け入れていることでも著名である。

 心陽はヒーロー業の傍ら、ここで学友の力を借りつつ、勉強にも励んでいた。


「高峰(たかみね)、サービス問題だ。二〇〇二年に、世界で一人目のヒーローとして、華々しいデビューを飾った人物の名前は? ヒーロー名もセットで答えろ。ヒントは、〝生きる伝説〟だ」


 心陽は先生の指名で、すっと立ち上がって答える。


「アイルハトゥール・イヴエール。ヒーロー名は【雷拳(らいけん)のアイル】」


 心陽は表に出さないが、勇太のことが脳裏を過った。

 彼女は昨夜、アイルにすべてを打ち明け、勇太が前世を持ち、ユータン・ライスフィールドという名であったことを確認していた。心陽が勇太に抱いた確信は、間違っていなかったのだ。


『心陽、よく話してくれたな。おかげで、お前の悩みと勇太の悩みは、どうにかして解消しなければならないことが今わかった。そして恐らく、解消することさえ叶えば、お前も勇太も、さらに先へと進むことができるだろう』


 電話の向こうで、アイルはそう言っていた。


「――正解だ。次はキリエ。彼女がいた異世界はなんと呼ばれている? それから、アイルのフルネームの意味は?」

「アイルの故郷は通称、【異世界アルファ】ですわ、先生。異世界アルファの言葉で、アイルハトゥールの意味は〝猫〟、イヴエールは〝キョウリョクな者〟。このキョウリョクには、力強いという意味と、協力的という二つの意味があります。ちなみにアイルの語源は古代ギリシャ語、ハトゥールはヘブライ語に似ていますわ」


 クラスがざわついて、心陽も我に返る。


「さすがは学年首位だな。細かいところまでよく調べている。模範解答だ」

「これくらいは、ピンポイントで答えてみせますわ!」


 心陽の隣の席――キリエと呼ばれたハーフエルフの少女は、手の甲で口を覆い、

「おーほほほ」と得意げに笑う。


 キリエは転移人(てんいびと)のエルフと日本人のハーフである。一七〇センチと長身痩躯(ちょうしんそうく)で、眉毛は細く、目はつり目。顎もスラリとして、肌は日本人よりも色白。耳は尖っているが、漫画で見るエル

フほど長くはない。

 心陽は、そんなキリエの耳の形が好きだった。

 カツン、と、先生はヒールを鳴らし、メガネを光らせた。


「なら、これに答えてみろ。防衛大臣にして、ヒーロー庁の初代長官を務めたのは誰だ? ヒントはこの学校の初代学長。ちなみにこれ今度のテストに出すから、みんな覚えておくように」

「川本秀作(かわもとしゅうさく)ですわ。アイルとはヒーロー庁の設立で協力関係を築き、現代の軍事兵器に魔法の技術を結合。そうして魔法兵器を導入したことは有名で、後(のち)にアイルをヒーロー庁国際運動親善大使に任命した方ですの。ちなみに息子の川本五郎(かわもとごろう)は、五年前に異世界災害でご両親を失った後、内閣官房副長官となって、ヒーローの支援に積極的な方と聞いていますわ」


 この子の記憶力、ちょっとでいいから分けてほしいな。

 と、心陽は羨望の眼差しをキリエに送る。

 キリエは日本生まれの日本育ちなので、日本語力は言うまでもない。加えてエルフの母親とはエルフ語で会話するため、心陽は彼女から時折エルフ語を教わっていた。


「魔法かと思うくらい完璧だな、キリエ」


 先生が拍手し、心陽たちもそれに倣う。

 キリエはライトグレーの長髪をかき上げ、胸を張る。ブレザーに包まれた胸が大きく揺れた。

 心陽は自分の控えめな胸元を見つめ、こと栄養に関して、自分の筋肉は欲張りだと思った。


「心陽さん」

「え?」


 立った位置から何かを見下ろすキリエが、心陽に囁いた。

 キリエの視線を辿って、心陽は自分の筆入れを手に取る。

 筆入れに隠していたヒーローリングが青く点滅。誰かが通話を求めていることを訴えていた。


「青だから、まだ平気でしょうけど、一応出たほうがいいと思いますわ」


 拍手が鳴り止む寸前、キリエは心陽に耳打ちして席についた。

 ヒーローリングの点滅が、青でなく赤だった場合、魔族や魔物、ときには事故、災害などの緊急招致(エマージェンシーコール)を意味し、アラームも鳴動するため、迅速な対応が求められる。

 心陽は手を上げた。


「先生、ごめんなさい。ちょっとお腹が――」


 すると、心陽がヒーローであることを知る先生も調子を合わせてくれ、


「それは大変だ。キリエ、高峰を保険室へ」

「かしこまりですわ!」


 心陽はキリエと共に教室を出た。


「ありがとう、キリエちゃん」

「同じヒーローとして当然ですわ」


 キリエはランキング五十八位のヒーローで、有事のときは今回のように、心陽と二人で授業を抜け出している。


「ちょっと失礼するね」


 心陽は持ち出したヒーローリングを人差し指に嵌めこみ、二度タップした。


『心陽、悪いが緊急のお願いだ。今から防衛省に来てくれ』


 通話機能が立ち上がり、アイルの声が聞こえた。


「え、どういうことですか?」

『お前と勇太に試練がある。それを乗り越えられれば、昨日お前と話したこと、あれが大きく進展するかもしれない。もっと言うと、解決するかもしれないんだ』


 心陽の鼓動が強く脈打った。


「試練、ですか?」

『そうだ。勇太と一緒に、夢の世界に入ってもらう。詳細はお前がこっちへ移動する間に話す』

「――聞こえてしまいましたけど、お相手はアイルさんですわよね? 試練って……わたくしも何かお手伝いできますの?」

「ごめんキリエちゃん。今回の話は言えないの。先生には早退するって、伝えておいてくれる?」


 心陽は顔の前で手を合わせ、ぺこぺこと頭を下げる。


「……オンナの勘というものはときに、魔法よりも強いことがありますの」

「え?」


 キリエのジト目と目が合った。


「殿方絡みですわね?」


 びくん! と、心陽の肩が跳ねた。


「ち、違うよ!」

「お顔が真っ赤っ赤ですのよ?」

「いいから、先生に伝えておいて!」


 心陽は急いでその場を離れ、屋上で変身を済ませると、防衛省へ急行した。


   ☆


 面会室に、アイルの召喚魔法でベッドが二つ召喚された。病院で見るような、白い布団が敷かれたものだ。

 アイルが見張る中、ドリィは赤のマーカーペンで、ベッドを囲むように魔法陣を描いた。

 床に魔法陣が描かれると、勇太はベッドの片方に仰向けで横たわるよう指示を受ける。

 そこで部屋のドアが開き、心陽が現れた。


「あ……」


 勇太は思わずそんな声が零れるが、そこから先が続かない。


「おはよう……」


 と、視線を逸らす心陽の頬は赤い。


「あなたがナックル・スター? ドリィが見せる夢の世界に興味があるの?」


 微笑みかけるドリィに、心陽は警戒の眼差しを向ける。


「わたしは、アイルさんに呼ばれたから来たの。魔王が侵略に来るって聞いて」


 ドリィは肯定する。


「そうだよ? あとは呪いを解く方法もわかるかも! みんなドリィの好きにさせてくれたらだけどね? あなた達二人には、記憶を見せてもらって、クイズに答えてほしいの」


 心陽はアイルに視線を投げかける。

 アイルは物言わず頷いた。

 俄かには信じ難い心陽だが、大人たちが何も否定しないなら、ドリィの話は信ぴょう性が高いということだ。


「夢の世界に入ったら、命の危険はありますか?」


 と、心陽は聞いた。


「死ぬことはないけど、ドリィがつまらないと思ったら、もっと好きにしちゃう・・・・・・・かも」


 ドリィの紫色の瞳が、心陽のライトグリーンの瞳を捉える。


「勇太くんのことは、好きにはさせません」

「まずは自分の心配をするべきだと、ドリィは思うよ? 心陽(ここは)ちゃん」


 部屋の空気がピリついた。

 恐らく心陽も、ドリィに本名で呼ばれたことに驚愕しているのだろう。と、勇太は思った。


「来てくれてありがとう、心陽」


 本名を知られてはヒーロー名で呼ぶ意味もなく、アイルは心陽と呼んだ。


「アイルさんが電話で言っていた試練、乗り越えれば、勇太くんのためになるんですよね?」


 心陽はアイルに振り向いて、なにか含みのあることを言った。


「それなりに危険を伴う賭けだが、やるしかない」

 アイルが言った。

 与(あずか)り知らない会話に、勇太は心陽とアイルを交互に見るしかない。


『高峰さん、急に呼び出して済まないが、君もベッドへ頼む。これから、そこにいるドリィが魔法で君たちを眠らせて、夢の世界へ連れていく。そこに、クイズの会場があるそうだ』


 川本の指示で、心陽は勇太の隣のベッドに横たわる。


「一緒に面白いことしようね? 勇太クン」


 ドリィが勇太の頭をぽんぽんと撫でると、心陽の目が鋭く細められた。


「彼に触らないでください」

「まぁ、コワイ目つき。心陽ちゃんのクイズ、難しくしちゃおうかな? あなたの記憶、なんだか面白そうな感じがするし!」


 にたりと笑うドリィ。


「彼女には、なにも悪さするなよ?」


 勇太はドリィに釘を刺し、それから目を閉じる。


「二人とも、楽にして?」


 ドリィが言った。


「勇太、心陽。もう一度言うぞ? これは試練だ。自分に打ち勝ち、自分で決めろ」


 アイルの声が、二人の耳に届いた。

 勇太は遠のく意識の中、その言葉をヒントとして受け取った。


   ☆


「それでは、お楽しみタイムのはじまりはじまりぃ!」


 ドリィは魔法を発動させると、全身を金色の光の粒子に変じさせ、虚空へ解けるようにして姿を消した。

 ドリィの魔法で眠りについた勇太たちを見守りながら、五郎が切り出す。


「正直なところ、弟子の山田くんが夢の世界へ行くこと、あなたは反対すると思いました」


 アイルは五郎の精悍な顔を見上げる。

 国会議員の仕事は事務作業から国会での答弁、テレビへの出演と多岐に渡る。何をやってもどこかから批判が飛んでくるような立場だ。

 アイルには、それを積み重ねた苦労が、彼の顔に刻まれているように思えた。


「あなたは既にドリィと戦った身だ。ドリィが望むのはクイズとはいえ、夢の世界は不確定要素が多く、危険なのはわかるでしょう? そんなところへ、山田くんどころか高峰さんまで巻き込もうというんです。それなりの考えがあってのことなんですよね?」


 尤もな指摘だな、とアイルは頷き、ドリィと遭遇したときの出来事を話す。


「私の身に起こったのもクイズだった。過去の記憶を勝手に見られて、問題はその記憶の中から出題される形式さ。ドリィは人の過去を掘り返し、反応を見て楽しんでいた……」


 アイルの脳裏に、以前暮らしていた異世界の光景が蘇る。

 石造りの広大な神殿。魔力に満ち満ちた新鮮な空気。

 そして、忘れもしない、憎んでも憎み切れない、黒い鎧の剣士。


「――今回のクイズも私のときと同じかは断言できないが、仮に私と同じことが起きたなら、勇太が自分の過去を見つめ直すことで、魔力向上の方法を見つけられるんじゃないかと、小さな希望に思い至った。だから、ドリィと約束を交わしたうえで、彼女の要望に応じたわけさ」

「山田くんの魔力の質が向上するヒントは、夢の世界で過去を見つめ直すことにあると?」


 アイルは頷く。


「勇太は、悲惨な過去に縛られ続けている。無理もないことだが、縛られている限り、これから先も苦しむことになる。それではろくに進むこともできない。私は嫌だ」


 川本は思案気に口を引き結んだ。


「……いや、希望なんかじゃなく、私の願望の間違いだな」


 アイルは自嘲するかのように息を吐いた。


「認めるよ、川本。これは無謀な賭けだ。過去の傷を抉られたことで、心を病む可能性だってある。でも、そこへ共に行くのは心陽だ。彼女は勇太の過去を誰よりも知っているし、勇太の魔力向上に最も貢献できる可能性がある。私は勇太に、過去を断ち切って欲しいんだ」

「高峰さんなら、山田くんの魔力――つまりポテンシャルを最大限に引き出せる可能性があるんですか? 疑うわけじゃないですが、何を根拠に?」

「あの子の過去も大変でな。心陽は勇太に、共感できる部分が多いんだよ。今はまだ、それしか言えん。あとは勇太と心陽の問題だ。つまり私は、ドリィの夢の世界へ二人を行かせて、両方ともを成長させたいと考えたわけなんだよ」


 アイルの顔に自嘲を見て、五郎は視線を勇太と心陽に戻す。


「確か、ハーフエルフのヒーロー・キリエの魔法微生物(マジカリアン)は、数学の勉強をすることで活性化すると、本人が取材で言っていました。それに気付くまで何年も掛かったという話でしたね」


 ヒーローが自分の体内を巡る魔法微生物(マジカリアン)に適合するには、魔法微生物(マジカリアン)がより質の良い魔力を生成する、何らかの行動や思考を見つけ出し、身に付けなければならない。

 それは個人によってバラバラで、正解は自分で探すしかない。


「――魔法が優れたヒーローは、そうした不毛とも言える試行錯誤を乗り越えて初めて誕生する。ドリィの夢の世界で、山田くん達がそれをやり遂げられるかどうか、というわけか」


 五郎の言に、アイルは頷いた。


「夢魔(ドリィ)という魔族が要求した、夢の世界でのクイズ対決。それにまで可能性を求めざるを得ないとは……」


 五郎は視線を落とす。


「山田くんが壮絶な過去を抱えているのは聞いていましたが、あの高峰さんも、抱えているものがあったんですね。巻き込んで良かったものか……」


 多かれ少なかれ、皆、何かを抱えている。

 五郎はそんな当たり前の事実を、心陽がランク一位のスーパーヒーローであるという事実で覆い隠してしまっていた。


「心陽の場合は、むしろ巻き込んで正解だ。あの子は今回の体験をきっかけに、前に進むべきだからな。それが勇太にも良い影響を与えることを、私は期待している」

「その物言い、高峰さんのことで、踏み込んだ質問をしたくなるんですが……?」


 再び五郎が顔を向けると、アイルは笑みを溢した。


「答えをお前が聞いたら、たぶん笑うぞ」


 五郎は鼻白(はなじろ)む。


「そ、そんな風に言われたら、もっと気になるじゃないですか! 笑ってしまうようなことに、二人の命運が懸かっているというんですか?」

「世の心理なんて、そんなものさ」


 アイルは猫耳と尻尾を揺らして、視線を勇太たちに戻した。


「……夢の世界に入ることで、姿が消える魔族も目の前にいたことですし、もうそう簡単には驚きません。内閣官房副長官として、教えてください」

「わかった。お前であれば、二人の過去を話しても、本人たちは怒ったりしないだろうからな」


 微笑を浮かべ、アイルは話し始めた。


   ☆


 暗闇に照明が生まれ、勇太はそこが、広々としたドーム状のフロアであることがわかった。

 フロアの中央でパイプ椅子に座る勇太。周囲には円形の観客席が広がり、そのすべての席を聴衆が埋め尽くしていた。

 次の瞬間、ブラスバンドの生演奏がBGMを担当。大勢いる人間の拍手と歓声、そしてクラッカーと紙吹雪が会場全体をにぎやかに彩る。

 勇太の正面には丸いテーブル。対面にはもう一つ椅子があり、そこにスーツ姿のドリィが腰かけ、勇太に楽しげな笑顔を向けている。


「さぁ、やって参りました! 山田勇太クイズ! 司会はドリィが務めまぁす!」


 拍手喝采。

 二人分の紅茶と洋菓子(マカロン)が並べられたテーブル。そこから頭だけをぴょこりと出して、勇太は開幕したクイズ番組に戸惑う。


「こ、これ、ぜんぶ夢なんだよな?」


 周囲のものが、見た目も感触も思っていた以上にリアルで、驚きを隠せない勇太。


「勇太クンは、これから出題されるクイズにすべて答えなくちゃいけません。でないと、元の世界には戻れないのです!」

「元の世界には戻れない⁉ 聞いてないぞ!」


 勇太はドリィという魔族に対して懐疑的だったが、今の発言でそれがさらに強まった。

 師匠はこうなることもわかって、俺と心陽を夢の世界へ?


「――心陽はどこだ⁉」

「心陽ちゃんは別の場所で頑張ってまーす!」


 にこりと笑うドリィ。


「無事なのか?」

「ドリィがこのまま楽しければねー」


 からかうような笑みに、勇太はぐっと拳を握る。


「……クイズって、俺の記憶を見てから出すんだよな? もう見たのか?」

「実を言うとね? ドリィと初めて目を合わせたときから、記憶を少しずつ見させてもらっててぇ、もうだいぶ見れちゃってるんだよねー」


 自分の目を指差すドリィ。

 てっきり、相手が眠った状態で、かつ夢の中でないと記憶を読むことはできないと思っていた勇太だが、違うらしい。


「そういうことか。お前の魔法は、相手と目を合わせただけで発動する……?」

『おっきい方が良いの?』


 勇太と初めて顔を合わせたときにドリィが言い放った言葉は、その瞬間から勇太の記憶を覗き見ていたからこそ出たもの。本名を知られたのも、同じ道理だろう。

 事実、勇太は高身長の体格に憧れている。


「その解釈で合ってるよー? 深堀りも順調だし、これからはアイルに頼まれたとおり、試練の時間でーす!」


 会場が再び拍手で満ちた。

 完全にペースを握られ、勇太は奥歯を噛む。

 夢から覚める方法が無い以上、今は従うしかない。


「それでは、第一問!」


 ドドド、と、ドラムの音が規則的に鳴らされ、出題が始まる。


「暗い顔ばっかりの勇太クン。彼はどうして暗い顔をしているのでしょうか?」

「元々こういう顔だ。ほっとけよ」


 ドリィが言うのと同時に、会場の巨大モニターに選択肢が表示される。

1、人生がつまらないから

2、呪いに掛かっているから

3、前世で魔王サマに殺されたから

4、ヒーローランク最下位だから


「さぁ勇太クン? 答えをどーぞ」


 きゅぴん、という謎の効果音と共に、ドリィがウインク。すると彼女の片目から薄紫のハートが飛び出し、ふわふわと飛んでいった。

 提示されたのは四択。勇太にとって、二番から四番まではすべて事実であり、心に常にへばりついている闇でもあった。


「……二番」


 ドジャーン! ブラスバンドの演奏が弾けた。

 瞬間、横顔に殴られたような衝撃が走り、勇太は椅子から転げ落ちた。

 勇太の横には誰もいなかった。


「ぶっぶー! 残念ハズレー! 正解は、二と三と四の三つでーす! だれも答えが一つなんて言ってませーん!」


 聴衆に笑いが起こる。


「な、何なんだよ!」


 勇太は頬を押さえて立ち上がり、椅子へとよじ登る。

 口の中に血の味がした。

 勇太はドリィに、自分の壮絶な過去を見せ、魔族に対する自分の憤怒がどれほどのものか、わからせるつもりでここへ来た。

 ところがドリィは、勇太の過去をまるですべて知っており、その答え合わせでもするかのように出題してくる。

 俺が思っていた展開とまるで違う! 予想外だ!


「では第二問! 勇太クンは常日頃から、様々なことで劣等感に苛まれています。それはどんなことでしょう?」


1、容姿

2、成果の数

3、フォロワーの数

 ドラムがリズムを再開。

 どうして今、そんな質問に答えなくちゃならないんだ、という言葉をどうにか呑み込み、勇太は自分を振り返る。


「……一番と、二番」

「ぶーっ! またハズレ! 正解はぜんぶでした!」


 ドジャーン!

 勇太はまたもや真横に吹き飛んだ。頬の奥に鈍い痛みが残る。


「童顔で小さい子に間違われるし、身体も超小さいから、思うように動けない。だから成果が出しづらい。成果が出なければフォロワーもつかない。悪循環だねぇ?」


 勇太の反応を伺うかのように、薄い笑みで首を傾げるドリィだが、ハート型の輝きを湛えた目は笑っていない。


「このままハズレばかりだと、全問に答える前に壊れちゃうかもよー?」


 師匠は言っていた。『これは試練だ。自分に打ち勝ち、自分で決めろ』と。


「出だしから不調な勇太クン、これから問題の内容が重たくなりまーす。そんな調子で、果たして生還できるのかな?」


 再びドラムの音。


「次の問題! 勇太クンは【不成長の呪い】があるせいで、身体の成長が止まってい

ます。だから鍛えても無意味! 悲しみ! 悔しみ! では、どうしてそんな呪いにかかっているのでしょうか?」


 会場のモニターに、今度は選択肢でなく、大剣を手にした屈強な男の姿が映し出された。

 その男の名は、ユータン・ライスフィールド。

 勇太の胸がズキリと痛む。

 勇太の前世にして、勇敢にも魔王に戦いを挑み、果てた剣士。

 動画が始まる。

 それは、勇太の――ユータンの、記憶の動画。

 彼の、トラウマだった。

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