BRAVEman

ゆう

第1話 届かない想い

 六月末日、十六時。仲夏(ちゅうか)の明るさが残る都内に、激震が走った。

 大地が揺れ、ビル群の窓々が震え、片側三車線の大通りが混乱で満ちていた。

 断続し轟く数多の銃声が、途切れる。

 乗り捨てられた車列の間を、パニックに陥った人間が走り抜けていく。

 歩道も同様に、血相を変えた人々が、まるで何かから逃げるかの如く。

 そんな中、緊迫渦巻く人々の流れに抗い、逆方向へと駆ける一人の少年がいた。

 身長一〇〇センチにも満たない小さな身体で。

 背丈の倍はあろうかという大剣(だいけん)を背負って。

 その少年は、ガガガガガガ! と、剣の刃先を地面に引きずり、火花を上げながら走る。

 背に小振りなマントをはためかせ、黒い天然パーマの頭にはヘッドバンド。

 ふっくらした身体に、シャツ、アンダーシャツ、バックルベルト、アンダーパンツ。

 短い手足にはグローブとブーツを身に着けている。

 ゲームに出てくる戦士のような出で立ちは、群衆の中でも特に目立った。

 だがそんな少年に、人々は見向きもしない。

 カメラを装備したドローンが数機、青空を背に飛び、少年の動きを追う。

 大通りの先にはスクランブル交差点。

 交差点に面したビルの巨大モニターに、ドローンの映像が映し出される。

 動画番組の司会者が実況を始めた。


『一番乗りは、今年でヒーロー活動二年目のユウタです! 相変わらず剣を引きずっている! 身体に合わない武器を使う理由はなんなのか!』


 モニターに映っているのは、今まさにスクランブル交差点に至ろうとしている少年。

 少年の名は、山田勇太(やまだゆうた)。ヒーロー名も特に捻りなく、ユウタと言った。


『ユウタは身長八十センチのおチビちゃん! だがこう見えて一七歳だ!』


 司会者の、リスペクトなのか逆なのか判然としない実況に、視聴者のコメントが流れる。


《ハイ、負け確》

《なんでユウタなんだよ》

《ダサすぎ》


 モニターを横切るコメントは、多くが勇太を下等動物のように貶すもの。

 勇太は、モニターには目もくれず、スクランブル交差点に迫る巨大な【影】を睨む。

 さきほどから聞こえてくる、ドシン、ドシン! という断続的な地鳴り。

 それが次第に大きくなり、人々の叫び声が掻き消される。

【影】が縦に伸び、スクランブル交差点を覆い隠した。

 誰もが逃げ去った今、交差点に立つのは勇太だけ。

 彼は油断ない険しい表情で、影の持ち主を見上げる。

 体長は二十メートルを超え、太く逞しい二本の腕と足。頭部から背中まで広がるたてがみ。

 肌はグレーの毛で覆われ、顔はハイエナの如く前にせり出し、噛み締められた口から鋭い牙。

 極めつけは、胴体と同じくらいの長さを持つ、大蛇の如き尻尾。

【魔物(まもの)】だった。


 ――三十分前。


 勇太は7畳1Kのアパートで目覚めた。

 携帯を取り、ヒーロー専用アプリに緊急召致(エマージェンシーコール)が届いていないか確認。

 連絡件数ゼロという表示を見て、一安心。

 だが、時計は午後三時を示していた。


「やべ! 師匠に怒られる!」


 昨夜は遅くまで魔法を操る特訓を続けていた。それが仇となって疲れが残り、この時間まで眠ってしまったのだろう。

 勇太は慌ててベッドから飛び降り、パジャマから学生服に着替える。

 勇太の身長は、十七歳の男子高校生の平均を大きく下回り、学生服も特注品。

 市販で他の衣服を買うのも一苦労。買えたとしても年に見合わない子供用。

 故に勇太は、今日が休日と言えど、上下3セットしかない学生服を洗濯しては、通学にもお出かけにも使い回している。

 今日は、勇太がヒーローとなるべく格闘や魔法を教わった師匠のもとへ、久々の手合わせに行く日。勇太はそこで、未だに伸び悩んでいる魔法のことを相談するつもりでいた。

 昨夜遅くまで特訓を続けていたのもこのため。

 ラインには、師匠からの愛のメッセージ。


《約束の時間過ぎたね。あとで殺す♡》

「勘弁してください」思わずこぼす勇太。


 ヒーロー歴は世界最長で、現役を退いた師匠は普段、神社の神主をしている。

今日の昼間は神職関連の会食だそうで、勇太と会うのは午後三時の予定だった。


「これはもう、地獄のシゴキ確定だな……」


 天然パーマの髪はそのままに、踏み台の上で歯磨きだけを済ませる。未だ生え変わらない乳歯をしゃかしゃかと。

 身支度の最後に、シンプルな指輪状の【ヒーローリング】を人差し指にはめる。

 そこでふと、壁に貼られたポスターを見つめた。

 等身大ポスターに映っているのは、勇太と同じ十七歳の少女。

 世界のトップヒーロー【ナックル・スター】である。

 スターの身長は一五八センチ。勇太のほぼ二倍。

 小振りな口に通った鼻筋。二重の大きな目は凛として、眉毛は少しつり眉だが、朗らかな笑

 顔からは優しい印象が伝わる。

 彼女は、勇太の憧れにして、目標。


「いずれは俺も、追いついてみせるからな」


 そうつぶやいて、勇太は家を出た。

 ちょこちょこちょこちょこ! 

 勇太は短い手足を懸命に素早く動かし、師匠が待つ神社へと走る。

 勇太が住む市川市と江戸川区を隔てる江戸川。その川沿いに、神社はあった。

 ところが、神社に向かう途中、人差し指にはめていたヒーローリングが赤く点滅。

 ヒーロー庁の職員による緊急召致(エマージェンシーコール)が入った。


『緊急、緊急。渋谷区に強力な魔力反応を検知。異世界から何者かが転移してきた模様。付近のヒーローは、直ちに現場に急行してください』


 ヒーロー全員に送られる音声連絡。勇太の足が止まる。


《師匠、ごめんなさい。呼び出しがあったから、今日はいけない》


 師匠にラインを送り、勇太は方向転換。

 ここから渋谷区へは、【変身】すれば十分ほどで到着できる。

 ヒーローデビューを飾ったのは、十六歳のとき。

 それからの一年、勇太は緊急召致(エマージェンシーコール)が入るたびに急行した。

 しかし、距離が遠くて間に合わないこともあれば、小さい身体でうまく戦えず、他のヒーローに頼り切りになることもあった。

 今度こそ、みんなの役に立つ!

 勇太は意を決し、ヒーローリングをはめた右の拳を、頭上高く振り上げた。


「変身(へんしん)!」


 勇太の叫びに応じ、ヒーローリングから光の粒子が発生。彼の全身を包み込んだ。

 そうして露わになるのは、変身魔法(へんしんまほう)によって生成された勇太のヒーローコスチューム。

 その背には、一振りの大剣。

 太い両刃の根元に窪み。そこにサファイアのような輝きを放つ青い宝石がはめ込まれ、武骨な大剣に美しさを付与している。

 勇太は重心を低く落とし、両足に力を込め、魔力を集中。


「行くぞ!」


 魔法で身体能力を高めた勇太は、その脚力で勢いよく地を蹴り、江戸川を一足で飛び越えた。


 ――そして、現在。


「く、くそ!」


 勇太はいち早く現着(げんちゃく)するために魔力の大半を喪失。バテていた。


『今回の敵は久しぶりのデカブツということもあって、緊張感が高まる! ヒーロー庁(ちょう)の情報では、ベヒーモスという強力な魔物(まもの)とのこと! すでに自衛隊の戦闘ドローンが何機も撃破され、ヒーローの対応が求められています!』


 司会者の緊迫した声が、スクランブル交差点に轟く。

 魔物――ベヒーモスは、開(ひら)けた場所に立つ勇太を赤い目で見下ろすと、その巨躯を持ち上げ、威嚇するかのように二本足で立った。

 勇太は剣を固定していたバンドを外し、背中から手に持ち直す。


《前座が現着》

《決め台詞は?》

《底辺ヒーローにはない》

《アリとゾウやん》


 コメントには叩かれ放題だが、勇太はそれを見ない。


『ちびっ子ヒーロー・ユウタ! 自衛隊の増援もまだ来ていない中、ベヒーモスと戦うというのか⁉ 大人たちに交じって逃げたほうが賢明ではないでしょうか⁉』


 勇太は息も絶え絶えに、剣を肩に担いだ。

 司会者の、心配しているのか貶しているのかわからない物言いは無視する。


「お、おいデカブツ。……お、俺に、ぶっ飛ばされたくなかったら、5、数えるうちに、元の世界へ、帰れ!」


 声変わりもしていない高い声。


『バテバテで、まるで脅しになっていない! ベヒーモスがこれで引き下がるとは思えない!』

「5!」


 司会者に被せて言いつつ、勇太はベヒーモスが進んできた道に目を遣る。

 踏み荒らされた大通り。潰れて炎上する車。無数に倒れる信号機、標識。両脇に立つビル群にも、ベヒーモスの巨大な尻尾がぶつかったか、大破した窓や壁面が見えた。

 自衛隊の小型車両も複数横転し、火を上げている。


「4……」


 そのとき、炎上する車の側(そば)に、一人の老婆が倒れているのが見えた。


「どりゃああああああ!」


 五つ数える前に、勇太は剣を振り上げ突撃した。

 ベヒーモスは地響きを起こすほどの雄叫びを上げ、鋭利な爪の手を振るう。

 勇太はそれを剣で弾き、ちょこちょこちょこ! 短い足を動かし、ベヒーモスの股下を通過。

 倒れたまま動かない老婆のもとへ。


「うににに!」


 小さな手で老婆の腕をつかみ、迫る火の手から引き離す。


「お婆ちゃん! 大丈夫⁉」


 勇太は疲れも忘れ、老婆に呼び掛ける。


「う、うぅ」


 辛うじて息はある老婆だが、自力では立てそうにない。


『ここでユウタ、人命救助に切りかえた! 賢明な判断だ!』

「誰か! 手を貸してくれ!」


 勇太は周囲に目を走らせるが、逃げていく人々の背中しか見えない。


「くそ! 魔力は温存したかったけど!」


 勇太はやむを得ず、さきほど江戸川を飛び越える際にも使った強化魔法を、再び発動させる。

 そこへ容赦なく襲い来る、ベヒーモスの腕。


「わーっ!」


 勇太は老婆を助けるために、剣を脇に置いていた。それが仇となり、ベヒーモスの攻撃をもろに受けてしまう。

 勇太は巨大な腕に叩き飛ばされ、ビルの壁にめり込んだ。

壁に激突する瞬間、彼の背面に、円状に輝く魔法陣が出現。この魔法障壁によって、激突のダメージが大幅に軽減された。


『うぉおおおっと! ベヒーモスの攻撃がユウタを捉えた!』司会者の声が響く。


 勇太は短い手足を懸命に動かし、壁の中から脱出。その場に倒れ込む。

 勇太のバックルベルトが赤く点滅。アラームを発し始めた。

 このアラームは、魔力枯渇による活動限界を意味する。


「くっそぉ!」


 勇太は歯を食い縛って立ち上がり、剣を拾い上げる。魔法障壁のおかげでダメージを大幅に軽減できたのはいいが、大技は出せてもあと一回。


『ユウタの活動限界を知らせるアラームが鳴り始めた! 相変わらず息切れが早い! このままではベヒーモスがさらに暴れてしまう!』


《もうかよ》

《知ってた》

《だからやめておけとあれほど》

《ナックル・スターまだ?》


 勇太は魔力枯渇による疲労で、視界がぐらつき、足もふらつく。

 幸い、ベヒーモスは老婆には目もくれず、刃を向けてきた勇太に敵意を向けている。


「こうなったら、イチかバチか……」


 勇太はつぶやき、顔の横に構えた剣を降ろした。

 そして足に魔力を集中。重心を落とす。

 ベヒーモスは勇太の構えを挑発と見たか、雄叫びと共に、片腕を大きく振り被った。

 強烈な一撃が来る!

 勇太は恐怖にぞくりとするも、眉宇を引き締め、今の自分が持てる全力を放つ。


「――聖剣頭突き(ホーリーソード・ヘッドアタック)!」


 勇太は叫び、足に集中していた魔力を開放。額からまばゆい光を放ち、ベヒーモスの頭部目掛け、ロケットの如く飛び上がった。

 手に持つ剣は吹きつける風の流れに任せ、超高速で敵へと突き進む。

 そうして勇太は全身で【Aの字】のようなシルエットを体現。剣を尾の如く斜め後方へ靡か

せ、渾身の頭突きをベヒーモスに放つ。

 しかし、ベヒーモスの反応は早かった。

 自分の頭部目掛けて飛んできた勇太を、振り上げていた片腕で蠅(はえ)のごとく叩き落とす。


「ぎゃッ!」


 勇太は地面へ仰向けに叩きつけられ、またしてもめり込んだ。

 彼を衝撃から守った魔法障壁が、円状の輝きを失い弾けた。


「魔法障壁が……」


 歯を食いしばる勇太。


『ユウタがやられたーッ! 今回も瞬殺ゥウウウウ!』

「ま、まだ、負けてない……頭突きがもっと強ければ……ッ!」


 手足の短い勇太が戦うには、リーチの長い武器を使うか、石頭を活かした頭突きしかない。

 だが、師匠との鍛錬で磨いた頭突きは、あえなく弾かれた。

 視界の隅のモニター。そこを流れるコメントを、勇太は思わず見てしまう。


《剣関係ない件》

《トンファーキックの亜種》

《ただの頭突きw》


「こちとら、呪われてるんだよ……」


 そうボヤく勇太の変身が解け、本来の姿に戻る。全身が一度光に包まれ、その光が消失して現れたのは、白の半袖シャツに、グレーのズボン。勇太が通う高校の制服。

 活動限界に達したとき、ヒーローの変身は強制的に解けてしまう。

 勇太は全身を襲う脱力感に呻く。

【不成長(ふせいちょう)の呪い】

 勇太を蝕み続けるその呪いは、彼がどんなに努力しても身体の発達を妨害。永遠に小さいままにさせる。故に、トレーニングしても筋肉は増えない。

 変身が解けると同時に消失した大剣も、変身してパワーアップしていたからこそ扱えたのだ。


「オレ様に挑んだ勇気は認めてやろう、小僧」


 牙を剥き出しにして、ベヒーモスは人間の言葉を発した。


《ベヒーモスもしゃべるのか》

《こういう上級の魔物は陸自の一個中隊に匹敵》

《銃弾類もほぼ効かないという鬼畜》

《スター早く来て!》


 などとコメントが流れる。


「――だがな、立場が弱い。お前はたかが人間。オレ様に言わせれば塵に等しい。塵がヒーローを名乗るほど、滑稽なものはない」

 クックック。喉の奥を鳴らすようにして、ベヒーモスは嗤う。

「人間だろうが塵だろうが関係ない。俺は、ヒーローをやりたくてやってるんだ……」

 言って、勇太は立ち上がった。

 魔法障壁で防御していたおかげで、身体へのダメージは少ない。

 致命的に筋力不足なことを除けば、まだ動ける。


「オレ様に敗北するとわかっていて、それでもなお、ヒーローを続けてきたと言うのか?」

「……おしゃべりはもういいだろ」


 勇太はそれだけ返し、身構える。

 変身魔法も魔法障壁も解けた今、勇太をダメージから守るものはない。

 今度直撃を受ければ、それこそ塵と化すだろう。

 しかし、勇太はその場にとどまり、思考を巡らせる。

 ベヒーモスをどうにかして、お婆ちゃんから引き離さないと!

 今の勇太は身体が小さいこともあって、男子高校生の平均移動速度の半分もない。  五十メートル走は二十秒かかる。

 それでも、諦めるわけにはいかない。


「ならば望み通り、ここで敗北するがいい!」


 ベヒーモスが両腕を頭上高く振り上げた。

 勇太は敵から目を逸らさず、叫ぶ。


「かかってこい!」


 もう何度目かわからない決死の覚悟を胸に、勇太は走り出した。

 勇太が遅い足で移動を初めても、ベヒーモスからして見れば、少し身を捻るだけで再度、間合いに捉えることができてしまう。


『ユウタ、大ピィィィンチッ!』


 司会者が叫び、誰もが勇太の敗北を予感した、そのときだった。


「ユウタくん! 大丈夫⁉」


 上空。それもベヒーモスの背丈の何倍も高い場所に、一人の少女が現れた。

 正確には、背中に装着した魔導(まどう)ブースターで飛来したのだ。

 ブースターの甲高い轟音に負けない声量で、少女は遥か下方の勇太に問う。


「怪我はしてない⁉」

「俺は大丈夫!」


 勇太は顔が赤熱。少女から目を逸らした。

 撮影ドローンが一斉にカメラを上向け、


「何者だ⁉」


 ベヒーモスも振り仰ぐ。


「彗星のように飛び、隕石のように悪を砕く! ナックル・スター、ここに見参ッ!」


 少女の、首筋あたりで切り揃えられた髪が、陽光でホワイトブロンドに輝いた。


『おっと⁉ ここで我らがスーパーヒーロー、ナックル・スターの登場だッ!』


 司会者が白熱したように叫び、


《待ってました!》

《これで勝つる》

《スターちゃんかわいい》


 これまで勢いの落ちていたコメント群が盛り返し、モニター画面を弾幕で埋め尽くす。


『アイドル顔負けのルックスを持つスターは、SNSのフォロワーも一千万人を突破! 比べてユウタは五万人!』


 フォロワーとか、今はいいだろ。

 と、勇太は司会者の声に歯を食いしばる。

 頂点と底辺。この二つの言葉が、勇太の脳裏に浮かんだ。

 ナックル・スターと呼ばれた少女は、黄色のぴったりとしたスーツにスレンダーな ボディラインを引き立てられ、ヒーロー然とした姿を成している。

 白いヒールブーツ、銀のニーパッド、白のバックルベルド、銀の手甲、白いグローブ。


「お前がナックル・スターか。たいそうな物言いの割に、細っこいな」


 と述べるベヒーモスに対し、


「見た目だけじゃ、強さは測れない!」


 ナックル・スターは両の拳を腰溜めに構えた。すると、拳は光を帯び、黄色く輝き始める。


『出るか⁉ スターの十八番!』


《来るぞ!》

《衝撃に備え!》

《やったれ!》


 司会者の煽りにコメントの嵐が巻き起こる。


「はぁああああああああッ!」


 少女――ナックル・スターが魔力を拳に込め、


「なんだ⁉ この強い魔力は⁉」


 ベヒーモスが舌を巻いた。


「今のうちに!」


 勇太は老婆のところへ戻ると、建物の影へと運び始める。


「ぐににに!」


 歯を食い縛り、自分の不甲斐なさと戦いながら。


《スターはヒーローランク世界一。魔力も強くて当然》

《ベヒーモス終了のお知らせ》


 などといったコメントを尻目に、勇太は老婆をどうにか運び終えた。


「お婆ちゃん、ここで待ってて? 助けを呼んでくるから」


 耳元で言って、勇太は大通りに飛び出す。

 ちょうど、上空のナックル・スターが急降下し、ベヒーモスの頭部――大きな二本の角と激突したところだった。

 瞬間、衝撃波が爆ぜ、粉塵が吹き荒れる。


「グォオオオオオオオオオオッ!」


 ベヒーモスが雄叫びを上げた。

 ナックル・スターの右ストレートが、ベヒーモスの角を粉砕したのだ。


「ナックル・バスタァアアアアアアア!」


 ナックル・スターは、繰り出した右拳を引くと同時、左拳をベヒーモスの脳天に叩き込んだ。


「グギャアアアアアアアアアッ!」


 死の絶叫と共に、ベヒーモスの頭部が爆砕。その爆発は連鎖し、胴体、手足、尻尾へと伝播。魔物の全身を吹き飛ばした。


『決まったァああああ! ナックル・バスターだァああああああああ!』


 ナックル・スターの必殺技を叫ぶ司会者。

 ドローンのカメラは、ベヒーモスの爆発を鮮明に映していたが、大部分が称賛のコメントに埋め尽くされている。

 ナックル・スターは背中のブースターを弱めて地表に降り立ち、ドローンのカメラに向かって手を振る。


「もう大丈夫! 危険は去りました!」


 彼女はそう言って、風防用のバイザーゴーグルを外してみせた。黄色く半透明なバイザーゴーグルがあったために判然としなかったが、素肌は白く細やか。

 携帯で動画を見たか、あるいはいずれかのビルのモニターで、今の戦いを見たのだろう、逃げていた人々が、遠くの方で歓声を上げ始めた。


《スターちゃんありがとう!》

《88888888888》

《ユウタ、手柄無しで草》

《やっぱりスターが最強》


 勇太は、ナックル・スターへの称賛に混ざり込む自分への批判を目にし、顔を伏せる。

 ナックル・スターも、モニターで批判のコメントを見たか、心配そうに勇太を振り返る。


「あの、ユウタくん……」


 言葉に迷いながらも、彼女は勇太に声を掛けた。

 そこへ聞こえてくる、救急車のサイレン。

 勇太は、「やっとか」と肩を竦める。


「負傷したお婆ちゃんがそこのビルの影にいる。君、力持ちだろ? 救急車に乗せてあげてくれよ……」


 勇太はナックル・スターに背を向けたまま言って、その場を去る。


「ユウタくん!」


 背中に、ナックル・スターの声が追い付く。


「わたしが来るまで頑張ってくれて、ありがとう!」


 勇太は片手を振ってみせたが、ヒーローとしての貢献度を思うと、堂々と彼女を振り返ることはできない。

 同業者としてか、底辺ヒーローの名前まで覚えている彼女の律儀さに、勇太は今までにない劣等感を抱いた。


   ☆


「魔力が枯渇したあとの怠さよ……」


 スクランブル交差点を後にした勇太は、地下鉄の駅を目指して地下道を歩く。

 本当なら地上の交通機関でも帰れるのだが、スキャンダル目当ての違法ドローンに追尾され、隠し撮りされるリスクがある。

 そのリスクを避けたい心理で選んだ地下ルートは、本格的な夏が始まるとあってむし暑い。

 変身魔法で身体能力を強化した勇太であれば、剣は片手で持てるし、川は楽々飛び越え、バイクと同等のスピードで走れる。だからこそ、ベヒーモスが出現したときに急行できた。

 しかし変身していない生身の状態では、常人よりも遥かに非力で、小さい歩幅故に遅い。


「ユウタのやつ、今回もディスられてたな……」

「向き不向きってあるよねー」


 などと、通行人が勇太を横目に話している。

 学生服の姿でも、身体が小さい故に悪目立ち。大概はヒーローのユウタだと悟られる。

 ヒーロー名が捻らずユウタなのも、身バレを防ぎようがなく、開き直って名付けたからだ。


「ディス……」


 勇太は、見ても良い事はないとわかっていたが、携帯でSNSを見てしまう。

 トレンドでは、【ナックル・スター、ベヒーモス撃破!】が最上位にランクイン。


《ユウタとかいう雑魚、なんでヒーローやってるの?》

《足手まといなんだから辞めちゃえばいいのに》

《日本のヒーローの面汚し》

《底辺ヒーロー》


 投稿を辿っていくにつれ、勇太に対する批判の声が散見される。

 ヒーロー庁が運営するヒーローランキングには、全世界で活動中の、総勢千人を超えるヒーローたちが登録されており、勇太はその最下位。

 人命救助と敵性生物の撃破といった評価項目から総合的な戦績が組まれ、ランキングに反映される仕組みである。勇太はどの項目でも、際立つような成果は上げられていなかった。


「呪いを知らない人は、みんな気楽でいいよな。頑張れば頑張っただけ成果が出るんだから」


 勇太自身も、師匠の下で死に物狂いの努力を重ねたおかげで、ヒーローになれた経緯こそあるが、何事にも限界というものがある。

 その中には、自分ではどうしようもない理不尽な限界も、ある。

【不成長の呪い】という言葉が、脳裏を過った。


「呪いさえなければ、結果は違ってたのかな……」


 勇太の中で、もやもやした思考が芋づる式に展開される。

 圧倒的な数字を叩き出し、首位を独走するナックル・スター。彼女との差は開くばかり。

 携帯画面をスクロール。すると、見知った国会議員の切り抜き動画が目に留まった。


《実現か⁉ ヒーロー支援の拡大! 自衛隊との連携強化も(川本五郎(かわもとごろう)氏)》


 というタイトルの切り抜き動画が自動再生され、勇太は見入ってしまう。

 日米英首脳会談で行われた、各国のヒーローに関する支援政策の議論について、川本五郎衆議院議員が、記者団に説明をしている場面だった。


『皆さんも既にご存じの通り、魔法を操って、人々を危険から守る存在、それを我々はヒーローと定義しています。今回もこのヒーローのことで議論して参りました。これからお話することは、ヒーロー庁のホームページにもまだ記載がない生(ナマ)の情報なので、この場をお借りして、可能な範囲で、ご説明します』


 録音機を握って突き出された腕が押し合う。


『アイル意見役の協力で、魔法技術が日本にもたらされてから、既に二十年。ヒーローたちは魔法を駆使して、ときには自衛隊と共同し、これまでに多くの異世界災害に対処してきました』


 カメラのシャッターの音。


『二〇三〇年現在、世界で活躍しているヒーローは1000人以上。ですが、世界中の平和を守るという意味では、まだまだ少ない。しかしながら、日本には世界有数の霊脈があることから、魔法微生物(マジカリアン)の元気もよく、その魔法微生物(マジカリアン)に適合してヒーローになった人数も178名と、他の国と比べて多く、犯罪件数が大幅に減少しています。こうした恵まれた環境をさらに整備し、同盟国へ広げていく。これは将来、世界平和につながります』


 ヒーロー庁が執り行う年一回のヒーロー試験に合格した者は、勇太のようにヒーローとしてデビューし、その活動費として毎月十万円が支給される。さらに、ランキングと実績から算出される歩合制のボーナスもつく。

 見方を変えれば、ヒーローとしてランキング上位に食い込むほどの活躍を見せなければ、ヒーローという職業一本で食べていくのは難しいことを意味する。

 故に、兼業したり、動画配信者としての活動をするヒーローもおり、全員が豊かな環境下で活動できているとは言い難い。


『今回の会談では、現状を確認したうえで、ヒーローたちの活動をより一層支援すべく、具体的な方法や予算などを話し合った次第でございます。えー、日本の場合ですと、自衛隊の【支援出動】をより簡略的にできるようにする、怪我をしたヒーローや、被災した国民への医療費を国が全額負担する、ヒーローの基本給を増額する、といった内容になります』


 勇太は身体が小さく、すぐに変身が解けて戦えない。配信などで知名度を上げたり、アルバイトをするよりもまず、ヒーローとして戦う能力を高めることに、時間を割かねばならない。

 基本給の増額というのは、ありがたい話だった。


『ヒーローの中には、SNSなどで評価の格差や誹謗中傷に苦しみ、人を助けるという、本来の活動目的を見失い、心を病んでしまうケースもあると聞きます。これについては、何か話し合いなどはあったのでしょうか?』


 記者の質問が飛んだ。


『その点につきましては、今回の主な議題としては採り上げられませんでしたが、日本政府としましても、私個人としましても、蔑ろにしてはいけない、早急の対応が必要であると認識しています。それは諸外国も同じのはずです』


 勇太は、まるで自分のことを話されているような気がして、動画をスワイプ。

 他のヒーローに比べ、まるで戦えない勇太への批判的な声は、活動初期から上がっていた。勇太のヒーロー名は、配信をせずとも、悪い意味で名が知れ渡っていたのだ。

 ヒーローランキング最下位という、不名誉な形で。

 批判されるのは当然。ぜんぶ受け入れたうえで、これからも進まなきゃ。

 ヒーローに求められるのは、街の平和を守る強さ。みんなの期待に応えること。

 それができないなら、叩かれても文句は言えない。

 などと、勇太は思いながらも、心のどこかで傷を負い続けていた。

 次に目に留まったのは、ナックル・スターの動画。

 お笑いタレント二人が進行する料理番組に、スペシャルゲストとして彼女が出演した場面の切り抜きだった。


『スターちゃんは普段、お料理とかするの?』

『は、はい。最近はずっと忙しくて、やれていないですが』

『得意料理は?』

『に、肉じゃが……』

 ナックル・スターはテレビ番組には慣れないのか、頬を赤らめ、照れ臭そうに笑う。

『いいねぇ、肉じゃが! もしかして、花嫁修業とか意識してるカンジ?』

『そ、そういうわけじゃないですけど、あはは……』

『えー? カレシとか、気になる人いないの?』

『その、そういうのは、ノーコメントで』


 と、スターがちらりとカメラを見たとたん、恥じらいの赤が顔中に広がる。そんな彼女の姿はヒーローというよりも、等身大の女子高生だった。


『スターちゃん、戦ってるときと雰囲気違うから、おじさんドキドキしちゃうなぁ』

『お前は調理に集中しろ。緊張してんだよ、スターちゃんは』


 ボケを担当するタレントが、相方に台本で叩かれている。

 勇太は携帯を見ながら歩き続ける。


『――スターちゃん、お米どんぶりで食べてるってホント⁉』

『はい。たくさん動くので、体力使うから……』

『スターちゃん、すごい身体してるもんなぁ。腹筋とか板チョコじゃん』

『わたしの場合は、身体をたくさん鍛えることが、魔力アップにつながるんです。頑張って鍛えれば、マジカリアン? ていう、魔力の源の微生物さんが、魔力をたくさん出してくれるので。それで、こういう身体に……』


 恥ずかしげに微笑み続けるナックル・スターの身体に、カメラが寄る。

 ヒーローコスチュームに包まれた身体は細身ではあるが、全身の要所に平均以上の筋肉がついており、彼女が日頃からトレーニングに励んでいるのがわかる。

 努力が形になっているヒーローがいる反面、そうではないヒーローがここにいる。

 勇太が暗い方向に思考を傾けていると、携帯と何かがぶつかった。

通行止めのバーだ。

 そこはもう、地下鉄の改札だった。


「ちっ」


 勇太の真後ろで、女子高生が舌打ち。隣の改札を通っていく。

 改札奥――電子掲示板の動画広告に、エルフのヒーロー【ピンポイント】が映る。


『あのエルフの子、綺麗だな。ご飯に誘いたい! けど、言語の壁が……』


 ピンポイントを見つめ、今人気の若手俳優が落胆している。


『そんなときは、エルフ語会話! エルフ語、得る得る! エルエルで検索ですわ!』


 ピンポイントが長髪を颯爽と靡かせ、華麗な笑顔で言うと、別の広告に切り替わる。

 そこには、《歩きスマホ、きけん!》と表示されていた。

 おもむろにスマホをズボンのポケットにしまい、財布を探る勇太だが、その感触が無い。


「え、えっ⁉ 嘘だろ⁉」


 両側のポケットにも、おしりのポケットにも、財布は見当たらない。


「終わった。今月の生活費……」


 改札の脇に移動し、がくりと項垂れる勇太。


「山田くん、やはりここにいたか」


 そんな勇太の肩を、誰かが叩いた。


「え?」

 勇太が顔を上げると、長身でメガネをかけた少年が立っていた。

彼の手には、勇太の財布。


「君のことだ。人目を忍びたい心理で、地下から帰るものと読んだのさ。感謝したまえよ?」

「インテリ……お前が拾ってくれたのか?」


 勇太が財布を受け取ると、メガネの少年は頷く。


「君が現場に落として、気付かないまま帰ってしまうのが見えたんだ」


「――お前の視覚能力は鳥類並みって噂、伊達じゃないな」


 メガネの少年曰く、遠距離から狙撃で援護しようとしたところで、ナックル・スターが魔物をあっという間に倒してしまい、出番を失ったらしい。


「所持品は個人情報の塊だ。もう少し管理に気を配れ。学生証とか見られたら身バレだぞ」


 メガネの少年の背中には、変身魔法によって召喚された大型のクロスボウがあり、矢で狙撃する遠距離タイプのヒーローであるとわかる。メガネには望遠機能と索敵機能があるらしい。


「インテリよ、俺はこの見た目だぞ? 学生証のあるなしに、大体一目でユウタだってバレる。もう開き直るしかない」

「いつも言ってるが、インテリじゃなくて、いんてる! 院照誓矢(いんてるせいや)だ」


 誓矢の黒髪は色素が薄めで短く手入れされ、顔立ちも俳優のように整い、紳士的な雰囲気がある。そこに黒縁のメガネと生真面目さが合わさり、インテリと呼ばれるようになった。


「ネットでみんなからインテリって言われてるだろ? 愛嬌だよ、愛嬌」

「この見た目だから、視聴者は僕をそう呼んでいじるんだ。でも君は同業者だろ? 今は本名ではなく、サン・アローと呼んでくれたまえ」


 サン・アローとは、彼のヒーロー名である。

 勇太は肩を竦め、改札に向かう。


「悪かったよ。財布をありがとう、サン・アロー」


 勇太は礼を言って、ガンッ。また通行止めのバーに引っ掛かった。


「街の平和を守るヒーローがそんなでどうするんだ? もっとシャキっとしたまえよ」

「わかってる」

「背中、丸まっているぞ。それじゃあ、小さい背中がもっと小さく見える」

「なぁ、サン・アロー」


 勇太は改札を通ってから、誓矢を振り返る。


「なんだい?」

「お前みたいに、変身していられる時間を長くするには、どうしたらいいと思う?」


 変身していられる時間は、魔力の質に左右される。


「……それで絶望したような顔をしているのか?」

「どうしたらいいと思う?」

「人によって違うだろう? 十人のヒーローがいたら、やっていることも十通りだ。自分で正解を探すしかない」

「魔力の質を高めるために、何をやってる?」

「僕の場合は、弓道とアーチェリー。弓を扱うスポーツをすることだ。僕が使う武器と合っているだろう?」


 誓矢が背中のクロスボウを指し示す。


「魔力の質を良くするには、より強く鮮明なイメージが必要だって言うしな。弓の魔法を扱うなら、イメトレも弓ってわけか」

「ナックル・スターに比べれば、僕もまだまださ。彼女くらいに質が良くなれば、強い効果の魔法を発動できるし、少しの魔力で長時間の変身も可能なんだけどね」

「【魔法微生物(マジカリアン)】が生成する魔力の量は、限りがあるもんな。俺も質を上げて、低燃費になりたいんだけど……」


 ぐっと、勇太は拳を握りしめる。


「問題は、魔力の質が上がる行動(イメトレ)に巡り合うことだけど、至難の業だよな」


 魔力の質が向上するためには、体内の【魔法微生物(マジカリアン)】と仲良くなる行動をしなければならず、その行動は人によって違うため、個々人の正解を見つけるのが極めて難しい。


「千差万別って言われているからな。……だから、諦めずにいろいろなことをやってみるしかない。君の師匠なんか、かなり変わったことをやっていなかったか?」

「魔法を使うときは、お札に決まった魔法陣を描いて、一日に三回以上、猫の真似をする」


 師匠が毎日、筆でお札に魔法陣を描いたり、猫そっくりの声で鳴いたり、両手で頭や顔を擦ったり、手の甲を舐めたりしている光景を思い出し、苦笑を溢す勇太。


「自分に合う方法を見つけるには、そういうギャグみたいなことまで手を出さないと見つからないこともあるんだ。探し続けるしかないさ」

「どう頑張っても成長しない呪いに掛かってるとしたら?」

「呪い?」

「うん」


 誓矢の目が、訝るように細められる。


「どういうことだい?」

「……いや、なんでもない」


 と、勇太は踵を返す。

 つい、口にするつもりのなかった言葉が出てしまった。

 心のどこかで、誰かに知って欲しいのかもしれない。


「山田くん。呪いだかなんだかわからないが、君が諦めない限り、誰も君の可能性をゼロにはできないぞ」

「俺は、この目で確かめたものしか信じない質(たち)だ。可能性は、目に見えないだろ?」

「……君はどうしてそう、希望を持とうとしないんだ?」


 誓矢の声が落ち込んだ。

 勇太は立ち止まり、振り返る。


「希望も目に見えないから。……けど、絶望もしない。理由は同じ」

「それは、前向きな意味で受け取っていいのか?」

「ああ。気長に頑張るよ」

「――呪いも、目に見えないものじゃないのかい?」


 誓矢の最後の問いに、勇太は答えなかった。


   ☆


 勇太が自宅の最寄り駅まで戻ってきた頃には、日が西に沈み始め、むし暑さが薄れていた。

 物思いに耽る勇太は、家路につく途中で、ふと河原へ立ち寄る。

 東京と千葉の間を流れる江戸川――その土手のなだらかな斜面に腰を降ろした。


「…………」


 脳裏に浮かぶのは、自分に対する否定的なコメントの嵐。

 勇太はまたしても携帯を取り出し、SNSを開いてしまう。

 ヒーロー・ユウタで検索し、人々の反応を見る。


《ユウタとかいう雑魚、なんでヒーローやってるの?》

《足手まといなんだから辞めちゃえばいいのに》

《日本のヒーローの面汚し》

《底辺ヒーロー》


 さきほども見たコメントに行きつく。

 改めて見ても、胸が締め付けられる感触は変わらない。それどころか、コメントが増えていないことにもショックを受けてしまう。

 興味ないヤツのことなんて誰も見ないし、話題にもしないもんな。

 勇太はそう捉え、斜面に寝そべった。

 なんでヒーローやってるの? と、ここには居ない誰かが思っている。

 君には言ってもわからないよ。俺のことなんて。

 夕日を受け、オレンジと青紫のグラデーションを織り成す空が、まるで自分の心の中を映しているかのように思えた。太陽のオレンジが、深まる宵闇に抗っているが、追いやられるのは時間の問題。

 このままヒーローを続けても、今日の戦いのように、重要な場面では他のヒーローに頼らざるを得ず、場合によっては何らかの失態を犯し、その責任を負うかもしれない。

 それは避けなければならないが、避けられなかった場合を思うと、身震いするほど恐ろしい。

 けど、わかっていて尚、俺は立ち向かわなくてはならない。

 勇太の課題は、魔力の質を上げ、効果を強め、変身持続時間を延ばすこと。

 聖剣頭突き(ホーリーソード・ヘッドアタック)がベヒーモスの手を破壊できなかったのも、魔力の効果が足りないからだ。


「魔法微生物(マジカリアン)。聞こえるか? 俺にもっと質の良い魔力を……」


 勇太は試しに、そう声に出してみる。

 ヒーローの血液中に存在する、魔法を司る微生物――魔法微生物(マジカリアン)。

 重要なのは、この魔法微生物(マジカリアン)と意思疎通し、質の良い魔力を供給してもらうこと。

 それには、魔法微生物(マジカリアン)たちと仲良くなることが必要だった。


「仲良くなるって、簡単に言うけど……」


 魔法微生物(マジカリアン)と仲良くなる確実な方法は、マニュアルもなければネットにも載っていない。

 心陽は筋トレ。

 師匠はお札に魔法陣を描いたり、猫の真似をしたり。

 誓矢は弓を扱うスポーツをしたり。

 勇太は、不明。


「魔力生成!」と、目を閉じて唱える。


 現状の勇太にとって、この呪文じみた科白(かはく)だけが、魔法微生物(マジカリアン)が最も反応してくれるものであった。

 数秒経つと、身体の内側がぽかぽかと温かくなり、その温かさがオーラとなって全身を包み込むような感覚が生じる。

 この感覚こそ、魔力が体内で生成され、循環している証。

 勇太は次に、魔法微生物(マジカリアン)によって生成された魔力を、放ちたい場所に集中するため、その部位を強く意識する。

 今回は手のひらを意識し、魔力を集中。

 すると、全身を覆っていた温かさが手のひらへ集約されていくと同時に、手のひらがより高い熱を帯びるのを感じた。


「波動弾(はどうだん)!」


 衝撃波を手のひらから放ち、対象を吹き飛ばす攻撃魔法を唱える。

 ところが、勇太が脳内でイメージした威力にはほど遠く、手のひらからは小さな風が放たれただけ。

 師匠が同じ魔法を放つと、人間一人が藁のように吹き飛ぶ。


「俺の背が高くないと、質の良い魔力を出さない魔法微生物(マジカリアン)とかだったら、詰みなんだが……」


 自分がかつて受けた【不成長】の呪いのせいで、勇太は二度と、背が伸びることはない。

 努力しても永遠に報われない事実を前に、無意味でもヒーローを続けたいと思う気持ちと、別の感情がせめぎ合っている。

 別の感情って?

 自分に問いかけた。

 どうせ続けても苦しいだけなら、いっそのこと――。

 勇太はその先をうやむやにする。


「…………」


 どちらの感情が良い悪いの話ではなかった。

 ただ、どちらか一つに、はっきり絞りたいと思った。

 上空を、広告モニター付きの無人飛行船が通過する。

 モニターには次のような広告が表示されていた。


『困っている異世界人(いせかいじん)はいませんか? 見かけたら、防衛相・異世界部へ』

『転移魔法(ワームホール)はいつどこに? もしもに備えて、緊急召致(エマージェンシーコール)アプリを!』


 一つは異世界人の保護を訴える広告。

 もう一つは、転移魔法(ワームホール)が出現して、危険性のある異世界人や魔物が現れた際、ヒーローを呼ぶアプリの広告。


「今どき、上を向いて歩く人なんているのかな?」


 飛び去る飛行船をそれとなく目で追いながら、勇太は呟く。

 それとも、逆なのか?

 下を向いて歩いているのは、俺だけなのか?


「――となり、いい?」


 と、そんな彼の視界を、誰かが遮った。


「ッ⁉」


 声にならない声を上げて、勇太は飛び起きる。

 広がる夜の帳にも負けない、ライトグリーンの瞬きを湛えた瞳が、勇太を見つめていた。


「ごめん。びっくりさせちゃった?」


 早朝の微風のように澄んだ声で、ナックル・スターが言った。


「えっ、あ、いや」


 目が覚めるような思いで、勇太は彼女から顔を逸らす。


「ど、どうしてここに……?」

「なんか、そういう気分でさ」


 スターは小顔を綻ばせ、勇太の隣に腰を下ろした。

 彼女は、ベヒーモスの一件の事後処理をした足で来たのだろう、変身したままだ。


「ユウタくんは、ここ、よく来るの?」

「うん。まぁ」

「良い所だね」

「うん……」


 予想だにしなかった展開に、勇太は言葉が続かない。

 世界のトップヒーローで、知る人ぞ知るスーパースターが、街外れの土手で、自分の隣に、腰を下ろしているのだ。

 ユウタとナックル・スターは、同じ日本のヒーローということもあって、SNSではお互いにフォローし合っている。

 だが、それだけの関係。DMをしたことはない。

 転寝(うたたね)して夢でも見ているのかと、勇太は頬をつねる。

 ベタな痛みがじわりと左の頬に広がった。


「どうしたの?」


 ナックル・スターがくすりと笑った。


 可愛らしい笑顔に、勇太は見惚れてしまう。

「その、……君がここにいるの、信じられなくて」


 ファンが多いのも否応なしに納得させる、超・美少女。

 スターを見ると、どうしても、顔が熱くなってくる。


「わたしも、こういうところに来ることあるよ?」

「そう、なんだ……」

「顔、赤くない? 魔力使いすぎた?」


 聞かれて、勇太は思わず目を閉じ、首を横に振る。


「平気だよ、これくらい」

「なら、いいけど……」


 勇太の脳裏には、もう一人の、幼馴染の少女が浮かぶ。名をココと言った。

 ココの笑顔も、ナックル・スターのように朗らかだった。

 時折そうして過去の友人を思い出すこともまた、勇太をヒーローたらしめた理由である。

 ナックル・スターとココ。二人の少女の顔が重なると、勇太の中で、何がなんでもヒーローとして戦うという、揺るぎない熱情が沸き起こる。

 身体が小さかろうと、結果が出ず批難されようと、ヒーローを諦めずに続けてこられたのは、この熱情のおかげでもある。

 だがなぜ、スターとココが重なるのか、未だにわからない。


「き、君は、家に帰る途中?」

「うん。ユウタくんも?」


 こくり。頷いて、勇太は尋ねる。


「ガードマンとか、居るものじゃないの? 有名人って」

「何かあったら、わたしがガードマンを守るの?」


 首を傾げるスター。


「あ、いや……」


 よく考えればわかることじゃないか。と、勇太は顔がさらに熱くなった。

 最強のヒーローを守れる人物がいるとは思えない。

 答えあぐねる勇太を見て、ナックル・スターは小さく笑う。


「わたしも時にはさ、一人で静かにしたいんだよね」

「そ、そういうことなら、俺、帰るよ」


 慌てて立ち上がろうとする勇太の手を、彼女の手が掴んだ。


「いてよ。……もしユウタくんが、まだいたいなら」


 勇太は一瞬、思考が麻痺する。

 スターのグローブ越しに伝わる感触は、暖かくて力強い。

 この世界に生まれてから、同い年の女の子に手を握られた経験は無かった。


「うん……」


 ちょこん。と、勇太は彼女の隣に座り直す。


「ユウタくんは、ここで何してたの?」

「お、俺?」


 評価の格差と、自分の感情とに気が滅入っていたなどとは、知られたくなかった。


「ちょっと休憩しに、なんとなく。……ほら、その、チビで歩幅短いし、変身してないと、移動とか大変でさ。しょっちゅう疲れちゃうんだ」

「そっか。……なんというか、ごめんね? ヘンなこと聞いちゃって。……体格差とか、すごく大変だよね。……そういうことを口にするの、タブーな感じあるから、みんな言うに言えないし。……だから共有されないまま、本人が黙って、ガマンして、孤独に抱え続けるしかないっていうか……」


 ナックル・スターは、慌てたように言うと、視線を川へと向けた。

 膝を抱える彼女の両手が、膝の前で絡められた。


「いや、謝ることはないよ……」


 勇太の目が泳ぐ。

 悩んでいたのは体格差ではない。けれども、根幹の部分では密接に関与している。だから、取り繕うこともできない。

 ナックル・スターが、自分のためにリソースを使ってくれていることに、気が気ではない。


 沈黙が川の如く静かに流れたが、スターは数呼吸置いて、それを破る。


「わたしはてっきり、さっきのコメントとか、気にしちゃってるのかと思った」


 再び向けられたライトグリーンの視線に、勇太の鼓動は跳ねた。

『さっきのコメント』と言えばもう、一時間ほど前の、ベヒーモスの一件しかないだろう。

 自分の核心に迫ることを、ナックル・スターが気にかけている。

 本名すら知らない、近いようで遠い存在の彼女が。

 心のどこかに、それを喜んでいる自分がいた。


「俺は、そんなことでへこむほど、ヤワじゃない……」


 勇太は言って、小さな拳を痛いほど握りしめた。


「あんなコメントなんて、いつも書かれてるから、さすがにもう慣れたよ」


 勇太の、眉を開いて気に留めない素振りに、スターの瞳が微かに揺らいだ。


「強いんだね。わたしが同じ立場だったら、耐えられないかも」

「……だったら、俺がここで君の話を聞いて、励ますよ」


 言った直後、勇太は後悔する。

 俺はなんてキザなことを!

 ヒーローはときに、決まりが良い発言を求められる。その癖が出てしまった。


「ほんと?」


 彼女の表情が明るくなった。

 それを見て、勇太は安堵の息を吐いた。

 生まれた年が同じだからか、勇太はスターのことを、今この場所では、等身大で見てしまう。

 なんだ? この妙な親近感――。

 勇太の脳裏を、かつての友人――ココの笑顔が再び過った。


「うん……」


 勇太は、隣に座る少女に感謝の念を抱いていた。

 底辺ヒーローと揶揄される自分とも、分け隔てなく接してくれることに。


「それじゃあさ、わたし達で同盟を結ばない?」

「同盟?」

「うん! 困ったときは助け合う同盟!」


 白い歯を見せるスター。

 どうして彼女はこんなにも、幸せで楽しげな笑顔になれるのだろう?

 世界一のヒーローとして、その名に恥じぬ働きを求められている。それは、とてつもないプレッシャーのはず。

 加えて、命のリスクと隣り合わせだ。彼女が万が一、不測の事態に対処し切れなかったときのことを想像してしまうと、キリの無い不安が押し寄せてくる。

 少なくとも勇太が同じ立場なら、それこそ耐えられないかもしれない。

 今までは、自分がそんな立場になったときの事など考える余裕もなかった。

 ただがむしゃらに、人助けを頑張ってきただけなのだ。


「どう?」


 勇太はただ、頷くことしかできない。


「俺で、よければ……」

「なら決まり」


 スターは嬉しそうに笑って足を崩し、勇太の方に身を寄せ、片手を差し出す。


「困ったときは助け合う同盟、成立!」


 勇太が握り返すと、優しく上下に振られた。


「同盟の名前、もっとコンパクトなのがよくない?」

「名前はなんだっていいの」


 勇太は呼吸を忘れるほど、彼女の瞳に見入ってしまう。

 彼女の笑顔からは、一人になりたいのだと悟らせるようなものが感じられない。

 一人になりたいわけでないなら、なぜここへ?

 一人が良ければ、俺がいるのとは別の場所に腰を下ろせばいい。


 だが、ナックル・スターはそうしなかった。


「――あのさ」


 勇太は、切り出す。


「ん?」


 少女はぱちぱちと瞬きした。

 河原へ来た理由が他にあるとしても、それは勇太にはわからない。

 だがもし、彼女が本当に何かを悩んでいて、そうしてここへ偶然辿り着いたというのなら。


「同盟を結んだからには、俺も君の話、聞きたい」

「わたしの話?」

「うん。君も一人になりたかったってことは、考え事がしたかったってことでしょ?」

「……心陽(ここは)」

「え?」

「わたしの名前。高峰心陽(たかみねここは)」

「えっ!」

「おかしい?」


 彼女の名前は、心地の良い響きだった。


「いや、違くて、その、――ほ、本名?」

「そうだよ? 心に、太陽の陽って書いて、心陽。心陽って呼んでほしい」

「人に言っちゃって平気なの?」


 勇太は四方に目を走らせ、聞いている人やドローンがいないかを確認する。


「あなたのヒーロー名だってユウタなんだから、本名を名乗ってるようなものでしょ? それとも偽名なの?」

「いや、本名……」


 勇太は顔から火を噴きそうだった。


「だ、だって、この見た目だぞ? 偽名を使ったところで、俺だとすぐバレちゃうか

ら、意味が無いんだよ」

「じゃあ、ついでに苗字も教えてよ」

「えっ」

「そうしたらフェアでしょ?」


 いたずらっぽく笑う心陽。勇太の心臓は跳ねっぱなしである。


「や、山田。そこに、勇ましいに太いって書いて、勇太」

「山田勇太くん?」

「うん……」


 ヒーロー同士で互いの本名を教え合うのは、親交が深く、強い信頼関係で結ばれている間柄なのが一般的である。

 まさか、初めて面と向かって話す相手と教え合うことになるとは、思いもしなかった。


「山田勇太くん」

「な、なに?」

「わたしの話、聞いてくれるの?」


 僅かに笑みをほどいて、心陽が言った。

「うん……」


 名を呼ばれたことにドギマギする勇太が頷くと、心陽はまた、その瞳を微かに揺らがせた。


「それじゃあ、勇太くんはさ」


 心陽の瞳に、勇太は吸い込まれそうな気がした。


「――前世って、ほんとにあると思う?」


 不意に提示された前世という言葉に、勇太の頬が引き攣った。

 心陽から顔を背け、川へと向ける。


「ぜ、前世? なんで……?」


 勇太には秘密があった。

 前世に深く関わる秘密だ。


「わたし、そのことで悩んでるの」


 と、心陽は澄んだ目で勇太を見つめる。

 勇太は、父が自衛官、母がパートタイムで働く、ごく普通の家庭に生まれた。

 しかし勇太の両親は、彼がまだ生後半年というときに命を落としてしまった。

 転移魔法(ワームホール)を通って現れた魔族の災害に、巻き込まれたのだ。

 父は自衛官として魔族と戦い、戦死。

 母は勇太を連れて逃げる途中、崩れた建物から勇太を庇い、そのまま。

 以後、勇太は孤児院で育ち、六歳のとき、今の師匠である一人の女性に、弟子として引き取られた経緯がある。

 勇太は過去を鮮明に覚えているし、すべての出来事の意味を、そのときに理解できていた。

 勇太は生後一日目から、一般的な高校生並みに物事を解し、半年で日本語を覚えた。

 なぜ生まれてすぐそんなことができたのか。その理由こそが、勇太が秘密にしていることであった。

 そしてこの秘密は、知られるわけにはいかない。


「ほら、あなたの師匠さん――先代のナンバーワンは、転移人(てんいびと)でしょ?」


 何も言えないでいる勇太に、心陽は続けた。

「そ、そうだけど……?」


 先代のナンバーワンとは、心陽がそうなる前に、ランキングで一位の座にいたヒーローを指す。【雷拳(らいけん)のアイル】というヒーロー名を轟かせた、勇太の師匠その人である。

 かつて最強と呼ばれたヒーローの弟子が、ランキングで最下位になったがために、ネットでは師匠に対する批判の声も見られた。


「異世界から地球に転移してきた人が転移人。それと違って、異世界から生まれ変わって地球に来た人が、転生人(てんせいびと)。転生人かどうかは、その人に前世の記憶があるかどうかで判断されるらしいんだけど――」

「前世の記憶……?」

「うん」


 よりによって、なぜここで前世の話が出てくるんだ?

 心陽の言う、前世で悩むって、どういう状況なんだ?


「転生人っていう概念があるのに、実際に転生人だって判明してる人が一人もいないのって、変だと思わない?」


 早く答えろ。

 動揺を悟られるな。


「転移してくる人がいるなら、たぶん、転生してくる人もいるはず、みたいな感じで、空想上の理論なんじゃないの?」


 心陽の目が、尚も勇太の目を見つめる。


「じゃあ、例えばの話ね? 前世の記憶を持った転生人(てんせいびと)のAさんがいるとします。Aさんには前世の異世界で友達だった剣士がいて、その剣士が大事にしていた剣が、驚くことに地球で発見されました。この場合、転生人はAさん一人だけでしょうか?」


 いったい、さっきから何を言っているんだ?

 そう問いただしたい衝動に駆られる勇太だが、その衝動を上回る緊張感が迸(ほとばし)った。


「お、俺に聞かれても……」


 勇太の首筋を汗が伝い落ちる。


「勇太くんは、前世の記憶と思えるもの、あったりしない?」


 勇太はすぐに頷いた。


「もしあったとしても、前世とか、今生きてるこの世界とは関係ないだろ? だから考えない」


 心陽の表情に落胆の色が浮かび、眉尻が僅かに下がった。

 川に目を向ける勇太は、それに気づかない。


「そう、だよね……」


 心陽も川に目を遣る。彼女の手が、その胸元をぎゅっと握り締める。


「どうして、俺にそんなことを?」


 勇太が聞くと、心陽は首を縦に小さく動かした。


「会いたい人がいるの。どうしても、会いたい人が」

「え?」


 理解が追い付かず、言葉に詰まる勇太。


「まさかと思いながら聞くけど、会いたい人っていうのは、前世の……?」


 心陽は物言わずゆっくり頷いて、真剣な眼差しで勇太を見つめる。


「それってつまり――」


 勇太は言いかけたことを続けるべきか、一瞬迷う。

 それってつまり、心陽自身が、自分の前世を覚えてる転生人(てんせいびと)ってこと?

 しかし、その質問をしてしまえば、答えはイエスかノーの二択しかない。

 勇太は彼女の答えを聞きたくなかった。

 前世を覚えている者が他にもいる(・・・・・)などと、思いたくなかった。確信したくなかった。

 もしそんな人物が存在するなら、勇太が恐れていることが、現実のものとなるかもしれない。


「会いたい人って?」


 勇太は質問を変え、話題が自分の正体へ迫らないよう図(はか)る。


「それは……」


 今度は心陽が黙り込んで、視線を落とした。


「恋人、とか」


 つぶやくように言った心陽の、微かな潤いを帯びた瞳が、地面から勇太へと向けられる。


「…………」


 勇太は彼女の目が、何かを伝えたがっているように感じられた。

 だが勇太には、この沈黙を破る術がわからない。破って良いのかさえも。


「…………」


 心陽は視線を落とした。

 勇太は必死に掛ける言葉を探すが、見つからない。


「……わたしが会いたい人は、剣を持ってたの。大きな剣」


 心陽が切り出す。


「剣?」

「そう。剣」


 できればもう、この話はおしまいにしたかった。

 一方で、心陽はそれを望んでいないようだった。


「今日、勇太くんが戦ってるところを、初めて近くで見たんだけど、変身してるとき、剣を持ってたよね?」


 言われてみれば、心陽の扮するナックル・スターと、勇太の扮するユウタが直接同じ現場に

 居合わせるのも、今日が初めてだった。


「うん。持ってたけど……?」

「勇太くんの剣って、元は誰のだった、とかってある?」


 勇太の剣に、元の持ち主が存在するかどうかを、心陽は気に掛けているらしかった。

 ぞわりと、勇太の背筋に悪寒が走る。


「…………」


 言葉が出ない勇太の隣で、心陽が待っている。

 心陽が勇太の隣に座った理由は、剣の話をするためだったのではなかろうか?

 なんの目的で?


「ごめん。俺、そろそろ帰らなくちゃ」


 勇太はぴょこりと立ち上がった。


「――っ」


 心陽がはっとするのを、勇太は視界の隅から感じた。


「勇太くん。剣は、初めからあなたの物なの?」


 もう、彼女の目を見れそうになかった。

 みんなに尊敬され、応援される、ナックル・スターという輝かしい英雄が、すぐ隣にいるこの状況自体、本来ならあり得ない。

 もっといろいろなことを話して、友達になりたい。

 そんな思いが、勇太の心の奥底で、すみっこで、勇太を見つめ、悶々とさせた。

 だが。

 勇太は今、この世界で生きてきて、最も恐れる事態に直面していた。

 剣の持ち主と、前世。

 この二つのワードは、勇太にとっては苦悩なのだ。

 その苦悩に触れようとしてきた心陽は、果たして、自分の味方なのだろうか?

 そんな疑問までもが、脳裏を過ってしまう。


「悪いけど、その話はしたくないんだ」


 勇太は心陽に背を向ける。

 きっともう、心陽とこうして二人きりで話せる機会などやってこないだろう。

 それでも勇太は、足を進める。

 ちょこ、ちょこ、ちょこ。

 小さな一歩でも、積み重ねれば大きな一歩になると信じて、今まで歩んできた。

 彼には、大きな一歩でやり遂げねばならないことがあった。

 ナックル・スターに並ぶ、スーパーヒーローになる。

 それをやり遂げるまでは、止まれないのだ。


「勇太くん!」


 心陽の、滑らかで優しくも芯のある声が、勇太の背に触れる。


「また、会ってくれる?」


 勇太は思わず、立ち止まってしまう。

 心陽が【敵】に該当するようには思えない。

 彼女の立ち居振る舞いからは、それがまったく感じられない。

 しかし、心陽が勇太に質問をした真意がわからない限り、勇太は彼女を完全に信用するわけにはいかない。


「きっとまた、会うこともあるよ。同盟も、結んだし」


 かといって、突き放すようなことも言えなかった。

 ぐっと口を噛み締め、勇太は再び一歩を踏み出し、河原をあとにする。

 家に着くまでの間、彼の拳はきつく握られていた。


   ☆


 河原に小さな背中を見つけたとき、そこにたんぽぽが咲いているのかと思った。

 可愛らしいそれはたんぽぽではなく、彼だった。

 本当にいた! と、胸が高鳴った。

 その小さな背中が、今、見えなくなる。

 心陽はそれ以上動けなかった。

 緊張と憂懼(ゆうぐ)に震えそうな中、平静を保つのに必死だった。

 これまでになく、心(しん)の鼓動が激しく脈打っている。

 彼から明確な答えは聞けなかったが、心陽は確信した。

 彼も、前世の記憶を持っている。

 わたしの推測は、正しかった。

 転生人(てんせいびと)。

 彼は、間違いなく【彼】だ。

 去り行く背中へ伸ばしかけた右手を、心陽は胸の前で握りしめる。

 静かなはずの川の流れが、このときばかりはざわついている気がした。

 ふと空を見上げると、一機の飛行船が、動画広告を映しながらゆったりと飛んでいた。

 心陽の目に、成果が伸び悩む【ユウタ】を自慢の弟子だと語る、ヒーローランキング元一位【雷拳(らいけん)のアイル】のインタビュー動画が映る。


『ランキング最下位の弟子をどう思うかだと? どうとも思わん。頑張っても結果が振るわないことなんてザラだろう?』


 藍色をしたショートカットの髪をサイドで一つに結わえ、頭頂からは猫耳を生やした、見た目十二歳くらいの少女が、にかりと笑っている。


『世の中の脳死どもは勘違いしているらしいが、批難すべきは、口だけで何もやろうとしない奴とか、途中で諦めて口だけに成り下がった奴だ』


 この少女然とした人物こそ、勇太の師匠であり、六歳だった彼を養護施設から引き取った育ての親。【雷拳(らいけん)のアイル】その人だ。

 アイルが身に着けているのは、上は白と赤を基調とした巫女装束、下はショートスカート、足には足袋と草履という、和洋折衷といった印象のものである。さらに、脛、膝、胸、そして前腕から甲にかけて、銀に鈍く光る金属製のプロテクターを装備していることから、彼女が格闘タイプのヒーローであることがわかる。

 心陽が身に着けた格闘術も、アイルから受け継いだものだ。


『弟子のSNSでよくあるらしいが、頑張り続けている者をなぜ批難するのか、私には理解できないな。――なに? 視聴者の反感を買う? それが恐くて、ヒーローなどやれはしないさ』


 アイルは質問に答えると、不敵に微笑んだ。


「わたし、バカだ。……卑怯者だ。けど、あなたは違う」


 目を閉じた心陽の前には、勇太が立っていた。


「あなたが頑張って歩いてきたの、見てる人はいるんだよ? ユータン(・・・・)」


 と、心陽は小さく言った。


   ☆


 家に帰った勇太は、アイルに電話を掛けた。


「師匠? 勇太です」

『夕方は大変だったみたいだな』

 返ってきたのは中学生くらいの、滑らかで無垢な少女の声。


「ナックル・スターが来てくれて、あとはお約束って感じでした。それより、今日は神社に行けなくてすみませんでした」


『事情が事情だ。私を待たせた罰は半殺しで勘弁してやろう』


 アイルは可愛らしい声で、平然と物騒なことを言う。


「半殺しにはするんですね」

『それはそうと、どうした? 手合わせの予定を組み直すか?』

「手合わせもそうなんですけど、さっき心陽(ここは)――じゃない、ナックル・スターにばったり会って、妙なことを聞かれたんです。その相談で」

『ほう? お前いつの間に、スターの本名が心陽だと知った?』

「えっ、師匠も知ってたんですか?」

『お前には話してなかったか。私はお前が巣立ったあと、心陽に格闘の手ほどきをしたし、何度も食事をした仲でな』


 確かに初耳ではあるが、勇太としては、アイルが心陽と親しいほうが話は早い。


「俺は今日、初めて彼女と二人で話して、同業者のよしみで互いに名乗り合ったんです。問題はそこじゃなくて」


 勇太は、心陽に聞かれたことをアイルに話した。


『ふむ。前世と剣の持ち主について、か。……お前は心陽のことをどう見る?』

「俺は、ですか」


 そう聞かれると返答に困る勇太。


「……健気で、よく笑って、俺みたいな奴にも優しくて、良い子だと思います。けど、あまりにもピンポイントなことを聞かれたので、戸惑ってもいます。心陽は一体、何者なんですか?」

『勇太。お前が前世の記憶を残した【転生人(てんせいびと)】だと知っているのは私と、政府のごく僅かな人間だけだ。お前が危惧しているのは、前の世界でお前の母国を滅ぼした【魔王】が、こっちの世界まで追ってくることだろう?」

「もし魔王が追ってきたら、この世界も終わる」

『だから、心陽が魔王絡みの人間なのではないかと、心配しているわけだ』

「そうです。彼女には悪いけど」

『安心しろ。心陽は敵じゃない』


 勇太とて、安心したいのは山々だった。


「どうして言い切れるんですか? 心陽は、会いたい人がいるとも言ってました。仮に彼女が剣の持ち主――俺の正体に気付いて、真相を確かめるために接触してきたとしたら、彼女が魔王の手先で、魔王が俺を探しているという可能性も……」

『落ち着け。それでは心陽も、お前と同じ異世界からこっちへ来たことになる』

「彼女、ご両親いたと思いますけど、本当に血のつながった家族でしょうか?」

『DNA鑑定したわけじゃないが、そのはずだ。疑い過ぎだぞ、勇太』

「ならどうして、このタイミングで俺に前世と剣の話を……?」

『勇太』


 アイルが声を低めて、勇太の名を呼んだ。真剣な話をしているときの癖だ。


『ここは私を信じて、任せてくれないか?』

「任せる?」

『心陽のことをだ。あいつはここ最近、ヒーローの活動で各地を文字通り飛び回っている。表には出さないが、かなり疲れているはずだ』


 勇太は、心陽ことナックル・スターが、背負った魔導ブースターで音速を超えた移動ができることを思い出した。

 心陽の性格なら、高速移動を活かして、遠方の人々も助けに行きたがるのは明白だ。


「わかりますけど、それと俺への質問はまったく関係が――」

『お前が不安なのはわかった。だから私に少し時間をくれ。明日の夜までに心陽と連絡を取り、事情を聞いてみる』


 勇太の言(げん)を遮るかたちで、アイルが言った。

 勇太としても、現状は彼女に頼らざるを得ない。


「師匠が言うなら、……すみませんが、お願いします」


 ヒーローたちの緊急用グループラインはあるが、自分で直接心陽を呼び出して聞くよりも、第三者を挟んだほうがリスクは小さい。

 心陽が何らかの形で魔王に絡んでいた場合、勇太の身が危険に陥る。

 逆に、心陽が勇太にした質問に深い意味は無く、勇太の完全なる誤解だった場合、心陽を傷付けかねない。


『勇太。ヒーローが陥ってはいけない事はなんだと思う?』

「陥ってはいけない……?」


 考えてみる勇太だが、すぐには答えが出ない。

 アイルはこう言った。


『疑心暗鬼だ。お前の事情はわかっているが、断ち切らない限り、その苦しみは消えない』

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